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7 捕食者(その2)


 誰もが、束の間――それはほんの一呼吸の間に過ぎなかったが、永遠とも感じられる間、茫然としていた。


 初めに我に返ったのはリズリーアだ。

 土まみれの身体を起こし、ヴィルリーアが消えた方向を見つめたまま、唇を震わせた。瞳は見開かれたまま、面からは血の気が失われている。


「は、早く……、早くヴィリを助けなきゃ!」


 リズリーアは途端に駆け出した。

 グイドが腕を掴んで止める。


「落ち着け。もうここらに気配がない」


 そのグイドは既に矢筒を肩に掛け直し、頭巾を被り直している。


 グイドの矢筒を見て、ラウルは息を詰めた。

 矢の残りはあと、十本だ。


「無闇に追いかけてもどこに行ったかわからねぇし、道を外れたらただ迷うのがオチだ」

「だ――だったらどうすれば! このまじゃヴィリが、ヴィリが……ッ」


 想像に耐えきれず、リズリーアは顔を歪め大粒の涙を零した。

 手が乱暴にそれを拭うが、拭っても拭っても後から零れ落ちてくる。


「やだやだ、やだっ――グ、グイドさん、お願い、ヴィリを助けて――」

「当然、助ける」


 グイドがリズリーアの頭に、撫でるように一度手を置く。


「俺の責任だ。俺が追う」


 本来ならば、あれがついてきていることに気付いた時点で、引き返す判断をしておくべきだった、と。


「リズ、お前は下山しろ。ラウル、連れて行け」

「やだ! 私のせいだもん、私がヴィリを連れてきたから……! だから私がヴィリを探しに行く! ヴィリの代わりに私が食べられる! その間に」

「落ち着いてください、リズ」


 セレスティがリズリーアの肩をそっと押える。


「グイド殿、さすがに貴殿お一人では、あの蛇怪を追って倒すのは困難でしょう」

「俺はこういう場面で戦い慣れてる」


 ラウルも首を振った。


「でも、援護があった方がいいですし、矢も残りの数が」


 それは承知の上だと、グイドの目が語っている。

 口にはしないがグイドは、矢を向ける範囲に他者がいない方がいいと、そう考えているかもしれないとラウルは思った。

 自分達が彼の矢を妨げているのかもしれないと。


 だが、あの蛇の怪物をこの目で見てしまっては、グイド一人を行かせることに到底頷けなかった。

 それに。


『ご主人にゃ、得意技があるしなー』


 いつも通りのヴァースの声は、一呼吸、置くきっかけになった。


 ヴァースの言う通り。

 ラウルは改めて、声に力を込めた。


「追跡なら、俺がします」

「お前が? どう――」


 ああ、とグイドは頷いた。

 応えるように、ラウルは傍らの樹の幹に手を触れた。


「樹々に尋ねれば、今なら記憶が新しいですから、確実に追えます」


 オルビーィスが密猟者達に攫われた時と状況を重ね、それからラウルははっと辺りを見回した。


「オルビーィス!?」


 いない。

 斜面を登る時でさえラウルの周りを飛んでいたのに、その姿がどこにもなかった。


「オルビーィス!」


 呼ぶ声にも反応は戻らない。

 胃の辺りがさっと冷たくなった。


「オルー……」

「おそらくだが、あの蛇の化け物を追っていった」


 そう言ったレイノルドを振り返り、ラウルはこれ以上吸えないほど息を吸い込んで――、吐き出した。

 握った両手に力が篭る。

 いいや、力を、込める。


「じゃあ――じゃあ大丈夫だ。リズ。オルビーィスがヴィリを守ってくれる」


 絶対に。


「だってオルビーィスは、竜なんだからね」


 不安を打ち消し、敢えて希望の方を掴む。


(ヴィルリーア、オルビーィス。今行くよ)


 ラウルはヴァースを鞘に収め、傍の木の幹に手を置いた。


「――追えます」


 リズリーアを、グイド、セレスティ、レイノルドを見回し、木が示した方向へと歩き出した。







 蛇怪は二つの腕でぐったりとしているヴィルリーアの身体を掴み、樹の間を幹と幹を渡るように移動した。

 鋼に似た黒銀に白い斑紋の混じる蛇の尾が、霧を縫って動く。


 ただ蛇怪は、斜面を上へ進もうとはしなかった。もう七十間(約210m)も登れば霧を出てしまう。

 身を隠すことができなくなることと――


 それから、()()()がいることと。


 安全な霧の中からは出るべきではない。


 手にした獲物を掴む力が増す。獲物は気を失い固く目を閉じていたが、締め付ける力に微かに呻いた。

 上々の獲物だ。


 時折この山を登ってくる人間達。

 ここまで登ってきた人間のほとんどは、この蛇怪が捉え、喰らった。

 手足を捻ってしまえば逃げ出すこともできず、けれどしばらくは生きている。

 一匹喰らい、腹が減ったらまたもう一匹を。


 先ほどの人間達は、まだ後五匹いた。そのうち、今ここに捕らえたものと同じ、柔らかそうな若いものも。


 するりと大樹を巻いて這い上がる。頭から尾まで四間(約12m)にも及ぶ蛇怪の体重を支えるほどの枝が広がり、そのうちの一本が斜面に張り出した、高さ六間(約18m)ほどの所にある岩場に差し掛かっている。


 蛇怪は枝を伝い岩場の平たい岩の上へ、ヴィルリーアを下ろした。

 そこが蛇怪の巣だった。捕らえてきた獲物をここで保存し、喰らうのだ。


 岩場には裂いた獲物から流れ出した血の痕がこびりつき、だがそれ以外は石塊いしくれ程度しか落ちていない。最後には丸呑みで喰らうため、岩場には骨の欠片も残らなかった。


 今岩場に下ろした獲物の、仰向いて覗いた白い額と喉に空腹を刺激され、赤く長い舌がちろりと揺れる。

 とても旨そうだ。今、せめて脳と内臓を喰らっておこうか。獲物を呑みさえしなければ、残りの獲物達を捕える妨げにはならない。


 七本の手がそれぞれ、ヴィルリーアの両手足、喉、頭を掴む。

 上がった呻き声がますます食欲をそそる。


 頭を掴んだ二つの手、十本の指先に、頭蓋を割ろうと力を込めた。








 軋んだ音を立て、木の扉が開く。

 白と淡い紫の繊細な薄布を重ねた裾を揺らし、女は小屋へ入った。

 そこはラウルの鍛治小屋だ。


 絹糸に似た艶やかな銀髪を緩やかに結い上げた、たおやかな細身の女だった。窓から差す陽光に、銀髪はやや青みを帯びて見える。


 足音をほとんど立てず、女は正面の壁へと室内を横切り、その前に立った。

 視線の先にあるのは、ラウルの打った剣が五振り。


 剣がそれぞれひとりでに、ガタガタと身をゆすり出す。けれど女の視線を受け、剣はいずれも静まった。

 白い面に気品のある微笑みを刷く。


 その内の一振りへ、女はほっそりとした手を伸ばした。











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