7 捕食者(その1)
白い霧の中、身体に吸い付くような薄布を纏った、たおやかな女がラウル達を見ていた。
艶のない黒髪をだらりと長く伸ばし、身体の両脇の腰のあたりまで掛かっている。
(何だ――)
何かおかしい。
いや、おかしいのは当然おかしいのだ。
こんな霧の、山の中、若い女が一人で。
木の上に。
けれどおかしさは、そういうことではない。
長い髪が覆い隠している、身体の両側。
その形が――?
「レイノルド、ラウルをゆっくり引き上げろ」
姿は見えないが、グイドの声。
低く、意識を張り巡らせている。
「セレスティ。剣は」
「抜いています」
「双子」
「え、え、ええと」
「眠り――眠り寄せ……っ」
リズリーアの、詠唱。歌う独特の響き。
女が聞き入るように首を傾げる。詠唱に揺れるように、霧が揺れる。
にたりと笑った。
レイノルドが腹這いになって腕を伸ばし、ラウルの腕を掴んで斜面を引っ張り上げる。
その間でさえ、ラウルの目は女から離すことができなかった。
何かがおかしい、その理由にラウルは気が付いた。
下半身がない。
(違、う――)
下半身は確かにあった。
あったが、それは一旦折れ返し、木の幹に巻きついていた。
「へ――蛇……」
上半身が人間の女、下半身が蛇なのだ。胴回りは大人が両腕で抱えるほど太く、蛇体の長さは梢と霧に隠れて窺いようがない。
上半身を覆う薄布と見えたものは、白銀に輝く鱗。
女が髪を揺らした。
グイドの矢の弦が鳴る。
女の眉間へと真っ直ぐ走った矢を、突き立つ直前で白い腕が掴む。
違和感の正体をもう一つ、ラウルは知った。
その腕は片側に四本、合わせて八本あった。
木の枝から振り子のごとく、女の身体が逆さまに揺れて迫る。
八本の腕が広がった。
第二矢。
女の手が掴み取る。
その矢に重なるようにもう二本、影から現れ脇腹に突き立った。
女が甲高い苦鳴を上げる。硝子を引っ掻くのに似たその音が耳に突き刺さる。リズリーアの詠唱が途絶えた。
セレスティが踏み込む。両手剣を下から掬い上げるように、軽々と、鋭く振った。
ノウムの刃が薄い陽光を受け、軌跡を目に残す。白い胴へ。
女の上半身が勢い良く振れる。
狙いが逸れ、けれどノウムの切先は右の腕を一本、肘から切り落とした。血が霧に撒き散らされる。
憎しみの籠った叫び。獣の咆哮というよりは、人の悲鳴のような。
左の四本目の腕が伸び、セレスティの頭を掴む。
金属の冑に指先がめり込む。
グイドの矢が女の左肩に突き立つ。
矢より僅かに早く、咄嗟に金具を外し、セレスティは滑るように身を低くした。
冑が脱げる。手は鉄の冑を紙のごとく握り潰した。
しゃん。
鈴が鳴る。
『来れ、来れ、夜の帷にその腕を開くもの――』
リズリーアが身体の正面に掲げた杖、その先端の輪が淡く光る。
術式を組み合わせ発動させるための詠唱。
集中を高め術を強化する呪言。
ラウルの耳が聞き取ったのはこの呪言だ。
リズリーアは半ば瞳を伏せ、彼女の周りをゆるく風が取り巻いた。
『眠りよ、彼のものをその腕に』
詠唱の、その最後の一片か――
「リズちゃん!」
リズリーアは地面に倒れたその後で、突き飛ばされたことに気がついた。
女の腕が、ヴィルリーアの肩と腕を掴んでいる。
「――ヴィリ!」
ヴィルリーアの足が浮く。
ラウルはヴァースを手に駆け出した。
オルビーィスが女へと突っ込む。
セレスティが身を跳ね起こす。
女の上半身とヴィルリーアの身体は地上高く持ち上がっている。
遠い。
「止まれ!」
グイドの声。
グイドが矢を放つ、寸前――
蛇体がうねり、土と樹々を嵐のごとく叩いた。
リズリーアを、セレスティを、グイドを、ラウルとレイノルドを弾く。
弾かれてラウルは樹の幹に背中から叩きつけられた。意識が一瞬遠くなる。
女はヴィルリーアを掴んだまま、霧の中へと蛇体をくねらせ消えていく。
グイドが放った矢は霧に吸い込まれた。




