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6 這い寄るもの(その3)

 


 土、木の葉。その上を身体が滑り落ちる。

 木の根があちこちぶつかる。

 ものすごく痛い。


(死ぬ――)


 けれど、身体はすぐに止まった。

 最後のおまけとばかり、木の幹に左の肩をしたたか打ちつける。


「――いっ……っ、」

『ごしゅじーん、大丈夫かー、ごしゅじーん』


 ヴァースの声がやけにのんびりして聞こえる。もっと心配してくれ。いやいや、深刻な心配など必要ない、そのくらいの状況ってことだね分かる。


「ラウル!」


 誰か呼んでいる。遠いけれどこの声はレイノルドだ。

 ええと、うん。

 声が聞こえる方が斜面の上だ、多分。


 ラウルは地面に手をついて何とか身体を起こした。


「だ、大丈夫――」


 掠れた声では上までは届かないだろう。

 ラウルはもう一度声を張った。


「無事だ!」


 それに何と言っているのか、くぐもった声が戻る。


 至る所痛いが、どこも折れたりしていない、ようだ。多分。

 緩い斜面だったせいで、擦り傷ができたくらいだった。多分。


 幸い休憩で荷物は下ろしていたし、ヴァースはしっかり剣帯に括られている。

 身体は木の葉まみれの土まみれだが、ひとまず良かった。


「ぴい!」


 必死さを含んだ響きと翼の音と共に、オルビーィスがラウルのそばに浮かび、その姿に胸の奥から安堵が湧きあがる。

 こんなに心配してくれて――


 かわいいかわいいかわいいかわ


「ぴい?」


 いや、浮かれている場合ではない。


「大丈夫だよ」


 そう言ってオルビーィスの首を撫で、ラウルは上を振り仰いだ。

 霧の中に霞んでいるものの、斜面が急なのはわかる。

 どれほど滑り落ちたのかは分からないが、感覚的におそらく三、四間(9〜12m)と言ったところか。


 他よりも樹があまり生えていないようなのは、もしかしたらこの斜面が過去に崩れてできたからなのかもしれない。

 だからこそ骨折や切り傷などを負わずに済んだのかもしれない、が。


「登るもの大変だな……」


 捕まれる物も足掛かりになる物も少なすぎる。


『ご主人、どうすんだー?』

「とにかく戻らなきゃ。ええと」


 周りを見回しても道らしきものは見当たらなかった。

 下手に横移動したら迷いそうだ。


「やっぱりここを登る、んだろうな」







「ラウル!」


 追いかけて斜面を滑り降りようとしたレイノルドの腕を、セレスティが掴んで引き止める。

 レイノルドはつんのめった。


「何を」

「待ってくださいレイノルド。貴殿は降りるより、ここで」

「だが」


 セレスティはレイノルドに、背嚢から外した縄の端を手渡した。


「分かった、これで降り――」


 くるり、と身を翻したレイノルドの腕をまた掴む。


「ここで」


 ともう一度、セレスティは辛抱強く繰り返した。


「縄を垂らしましょう。引っ張り上げるなら支え手が上にいた方がいい」


 にこりと微笑んだ笑顔の圧が高い。


「わ、分かりました」

「俺のも使え」


 グイドから渡された縄と合わせれば、長さは六間(約18m)になる。

 セレスティが縄を手早く結んで繋ぎ、片側を手頃な木の幹に括りつける。


 レイノルドは二本の縄がしっかり結びついているのを確認し、斜面に投げ下ろした。


「ラウル! これを掴んで登ってこい!」


 縄は蛇が身をくねらせるように伸びていき、霧の中に落ちる。


「ラウル!」


 霧の中から手応えが返る。


「リズ、ヴィリ。側に来ておけ」


 グイドはそう言って、静かになった周囲を見回した。

 幸い大蜥蜴達の姿は消えている。

 森にある音は遠くの鳥の声と、風が枝葉を揺らす音だけだ。 

「何かに、驚いたんだろうが――」


 ヴァースはラウルと一緒に下だったな、と、そう呟いた。







 肩に当たって落ちた縄を掴み、ラウルは息を吐いた。

 三、四巻きほど手繰ったところでぴんと張る。


「ラウル、掴ん――自力――登れますか」


 セレスティの声が落ちてくる。冷静な響きに安心する。


(けど、ここを登れるかなぁ。うう)


 ぐい、と引っ張ればしっかりと縄が張り、硬い手応えが返った。

 斜面に足をかけ、土に靴の爪先を押し込むようにして一度身体を浮かす。

 いけ、そうだ。


「大丈夫です! 登れます!」


 想像よりは比較的容易に、ラウルは斜面を登り始めた。







『あと少し! あと少し!』


 『あ』と『と』の間に小さな『っ』が入っている。


 ラウルは懸命に縄を掴み、斜面に置いた両足を踏ん張りながら登った。


「ぐぅう」

『あっと少し! あっと少し!』


「ヴ、ヴァースが、俺の腕を、動かして、くれない、かな……っ」

『あっと少し! あっと少し!』


 あ、無理なんですね。はい。


 両腕にこれまでかけたことのない負荷をかけこれまでの人生にないほどのありったけの根性を絞り上げて注ぎ込み、懸命に登る。


 やがて、どうにか、ようやく、斜面の上に立つ足が見えてきた。

 縄を引っ張り手繰り寄せようとしているレイノルドの姿が見える。


(レイ――)


 視線が合うと、左手に縄をふた巻きほどして、右手を差し伸べる。


「手を伸ばせ!」


 全体重両手にかけて必死に縄を掴んでいる人間が、片手を離すのって意外と難しいんだぞ。


 と、ひとこと言いたいところだが、口を開くと泡を吹きそうだし登りきるのが先決だ。

 最後の一踏ん張りと縄を掴む手を上へ、伸ばそうとした時――


 ラウルの腰でヴァースが高い音を立てた。


 思わず縄から手を離しそうになり、必死に捕まる。縄ごと身体がぐらぐらと揺れた。


「な、な――なん、ヴァ……」


 鋭い、警報音。

 朝と同じ。


 グイドが何か言っている。

 辺りが緊張に満ちている。


 空気が、確かに――変わった。


「――急げ」


 レイノルドがラウルに手を伸ばす。


「ラウル、早くしろ!」

「わ、分かっ――」


 レイノルドの手を掴もうと上を振り仰いだラウルは、その首の角度のまま目を見開いた。


 風が強く吹き、霧を押し流した。

 その、奥――

 レイノルドの斜め後ろの奥だ。


 上――樹々の、枝の間。



 女の顔がぽかりと、浮かんでいた。






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