6 這い寄るもの(その2)
「水はこの先入手できる場所が無い。配分を考えて飲めよ」
「はーい」
「今のうちに防寒具を着ておけ。特に双子」
「ええー。暑いし。ずっと歩いて登ってるもん。汗かいちゃって」
「風が出てきた。体温を奪われる」
「リズちゃん、汗少し引いたら着よう」
ヴィルリーアの言葉には素直に頷く。
グイドは二人の荷物からそれぞれ中に着込む上着を取り出し、双子に手渡した。二人が一度法衣を脱いで下に防寒着を着込むのを見ながら、グイドはもう松明に火を灯し、例の丸薬を放り込んだ。双子をその前に座らせている。
「これ臭ーい」
「鼻が、つんとします……」
抗議も「我慢しろ」の一言で完封だ。
ラウルは荷物を下ろしその側によっこらせ、と腰を下ろした。
地面についたお尻の辺りからどっと疲れが立ち昇り、思わず深々と息を吐く。
「ふい〜……」
「だらしがないな」
そう言いつつレイノルドが斜め前にどさりと座る。
オマエ、嫌味を言いに来たなら帰れ。
「ラウル、体力は大丈夫ですか」
セレスティは手頃な岩を見つけて腰掛け、冑を脱いでくつろぎながらそう尋ねた。
端正な面に浮かべた笑みがこんな時でも爽やかだ。
「いやあ、正直、結構膝にきてます。普段動かないから。セレスティこそ、鎧を着ているし辛くないですか」
「着たままひたすら歩くのは慣れていますし」
と、伯爵家の四男らしからぬ返事が返る。
「レイノルド殿も、少しお疲れのようですね」
「お心遣い有難うございます。まだそれほど疲れてはおりません。俺はこいつよりも鍛えてますから」
セレスティが伯爵家の四男と聞いた後は、レイノルドは礼儀正しく接している。
四男で爵位は関係なく、もう既に家を離れている、とセレスティは説明していたが、その辺がきっちりとしている、或いは砕けられないのがレイノルドだ。
それにしても態度が違うな。
「レイノルド殿の剣はかのフェムルト殿の作だとか。あの方のお名前は私の育った街でも耳にしておりました。失礼ながら、拝見してもよろしいでしょうか」
「お望みなら」
レイノルドは剣帯から剣の鞘ごと外し、セレスティへと手渡した。
おずおずと頬を赤らめる。
「か、代わりにと言ってはなんですが、そのノウムという剣、少し見せていただいても――」
「当然です。そもそもこちらはラウルからお借りしているものですから」
二人は剣を交換し、じっくりたっぷりと眺め始めた。
ほお、とかふむ、とか唸りながら刃先がどうの、鉄の肌がどうの、柄の握り具合がどうの、振った時の遠心力のかかり具合がどうのと熱心に言葉を交わしている。
しばらくの間は鍛剣に役立つかと真面目に聞いていたが、
「――うん」
ラウルはひとつ頷き、グイドを振り返った。
「グイドさん、朝いたものの気配はまだありますか」
リズリーアとヴィルリーアが、もぐもぐと昼食を食べていた口元を止める。
(栗鼠かな?)
微笑ましさを覚えたが、グイドの言葉にそれも押しやられた。
「気配は感じない。だが、付いて来てると考えて行動したほうがいいだろうな」
「そ――そうですね……っ、当然ですっ」
胸を一度叩いたつもりが、拳がぶれて三度くらい自分に打撃を打ち込んだ。
うう。こわい。
「登って行く以上、自分達から逃げ道を狭くしてってるようなもんだ」
「う」
「いずれは戦う場面が出てくる」
と、グイドはこともなげに言った。
「あ、あたし、ちゃんとみんなを回復できるように準備してるからね!」
「ぼ、ぼ、僕は、今度は、風切りを唱えますから……っ」
二人は手にしていたパンを膝に下ろし、お互いの目を力強く見交わしている。
「がんばろうねっ」
「まあ、頼りにしてるぜ」
「あーっ、おじさん信じてないでしょっ」
「信じてるさ。この先法術の重要性は格段に増すだろうからな。お前さん達が必須だ」
返したグイドの声は冗談めかしていながら、二人の法術を必要とする場面が必ず出てくると、そういう予想を含んでいるように思えた。
(気を張っておかなきゃな)
ラウルは肩に一度力を込めて、それを抜いた。血が巡る。
「ほれ、さっさと昼飯を済ませちまえ」
「おじさんこそ」
「俺はもう食った」
えっ、とかいつの間に?! とかリズリーアがそれでまた騒いでいる間にも、グイドは視線を周囲へと巡らせている。
ラウルは立ち上がった。
「グイドさん、矢はあと何本ありますか」
「十六だな。狼の時回収できなかった」
用意した二十本中、十六本。
グイドならばそれでも充分だろうか。
それでも、グイドの矢にだけ頼っているわけにもいかない。
「朝のヤツが追ってきた時の為に、俺たち何か――」
がさ、と、下草を鳴らす音がした。
ラウルの視線の先、グイド達の後方。
茂みが揺れている。
「グイドさ――」
茂みを割って現れた黒い影。
双子が同時に立ち上がる。さっとリズリーアがヴィルリーアの前に出た。
グイドは既に弓に矢を番えて影へ向け、ラウルのすぐ後ろでセレスティとレイノルドも剣を抜き立ち上がった。
黒い影が地を這うように突進してくる。
低い位置、四つ脚、長い尾、灰色の鱗――
「と、蜥蜴――?!」
全長は一間(約3m)近い。
セレスティが地面を蹴り瞬きの間に前へ出た。双子の前だ。
突進する蜥蜴に振り下ろそうとした剣が、グイドの声に寸前で止まる。
「待て! そいつは逃げてる!」
セレスティが剣の柄を引く。
蜥蜴はセレスティの足元をすり抜け、短い脚で驚くべき速さで走り抜けた。
ここにいる人間は彼等の獲物にはならないのか――見向きもしない。
下草を揺らす音はまだ続いている。
それに気付いてラウルが視線を戻した先、次々に――、霧の中から大蜥蜴が飛び出し、休憩していた場を駆け抜ける。
霧から現れ、霧の中へ消えていく。重い足音、長い尾が地面でこすれ枯葉や土を撒き散らす。
その数、十頭を超えている。
「な、何が――」
『ご主人――』
ヴァースの声と、衝撃が一緒だった。脚に蜥蜴がぶつかった。
次に浮遊感。
「ラウル!」
伸ばした手は差し伸べられた手を掴めず、足が空を掻く。
霧の中に、落ちる。
次の瞬間、背中から地面に落ち、そのままラウルは斜面を二、三間、滑り落ちた。