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  固い卵(その2)

「生きてる」


 応えるように、殻の中の存在がもう一度、「ぴぃ……」と弱々しく鳴いた。

 ラウルは慌てて卵を下ろし、自分の上着を脱いで包んだ。


「じゃない、卵包んでも」


 中の子は孵化同然だ。早く身体そのものを温めてやらないと、と卵の穴に指を掛ける。親指をそのまま入れても十分な穴が空いている。

 力を込めたが


「――ッッ、ぐぅおッ硬! かった!」


 ラウルは思わずまじまじと卵を見つめた。

 全く割れない。

 もう一度指をかけ、今度は全身の力を込めた。


「――ぅ、ぅぅおおおあ! え、何だこの卵!?」


 殻は確かに分厚いのだが、もう既に穴が空いているのにこんなに割れないことがあるだろうか。


 ラウルは一瞬躊躇したものの、すぐに道具袋の中から小ぶりの金槌とのみを取り出し、(のみ)の先端を上着の上に横たえた卵の、穴に当てた。


「お前、奥に行ってろ!」


 声をかけ、金槌を鑿に振り下ろす。

 一度、二度。

 それでも割れない殻に内心舌を巻きつつ、三度目、金槌を鋭く振り下ろした。


 ガキンッ、と派手な音がして、ようやく殻に皸が入る。

 生まれる時一体どうやって殻を破るのかと、そんな疑問を奥歯に噛み締めながらもラウルは殻に手をかけて力を込め、今度こそ卵を割った。


「冷たっ」


 ラウルは手のひらを見た。掴んだ殻の破片と


「氷――?」


 薄く張った氷。しゃりしゃりと手のひらで微かな音を鳴らし、溶けた。


 卵の中に、氷――、と持ち上げた卵から、滑り出る。

 ラウルの膝の上にぐったりと転がり出たのは、蜥蜴――


「……えっ」


 違う。

 首と尾が長い。

 鱗は真っ白だ。

 そして、空を飛ぶ為の翼。


 すぐに思い浮かべたのはキルセン村の竜舎だ。飛竜を卵から孵して育てている。


「――えと、飛竜の、子どもか……?」


 「ぴぃ」と弱々しい鳴き声に我に返り、ラウルは子飛竜を上着に包み込んだ。


 その時、ラウルの脳裏に小さな声が流れ込んだ。


 ――おかあさん


 思わずそっと抱きしめる。

 それから、声が響いたことに改めて驚いた。

 ラウルは人以外の声が聞こえる体質だが、鉱石などや例えば家具、植物に限られ、これまで動物の声を聞いたことはない。


 ともかく上着の中の小さな飛竜の仔を慰めるように撫でた。

 巣からどう運ばれたのか、本当なら殻を破って生まれたこの子を迎えるのは親だったはずだ。


「……冷え切ってる。飛竜って冷えて平気なのか? とりあえず温めた方がいいのか?」


 岸に熾していた火へと寄り、ラウルは子飛竜を抱えたまま火にあたった。


 改めて姿を眺める。ラウルの上着の中で、畳んだ翼に顔を埋めるように縮こまっている。

 体長は頭から尾まで、一尺五寸(約45cm)ほど。

 鱗は真っ白だが、竜舎で孵る飛竜も最初は色が薄いと言う。

 子飛竜は火の温もりにあたり、安堵しているように見えた。


 温まれば次に気にすべきは餌だ。どのくらい食べていないのだろう。


「孵化したてだと、餌は……」


 飛竜は雑食で食べられないものは少ないと聞くが、生まれたてなら柔らかいものがいい。

 ラウルは自分の鞄から昼の残りのパンとチーズ、蜂蜜酒を取り出した。

 焚き火の上に小さな鍋を置く。自分で打った鍋なので少し無骨だ。

 そこにパン、チーズを入れ、蜂蜜酒をひたひたに注いだ。


 しばらくすると蜂蜜酒が煮立ち始めた。チーズがとろけパンと絡み合う。蜂蜜の甘い香りが辺りに漂う。

 子飛竜がぴくりと頭をもたげる。


「匂いに誘われたかな? 食べられるといいけど」


 酒精を飛ばし、パンもチーズもとろとろにすると火からおろして焚き火のそばに置いた。

 木のお椀にほんの少し注ぎ入れ、今にも飛びつきそうな子飛竜を抱えて抑え、人肌程度に冷めるのを待った。


「もういいかな」


 意味が解ったのか、子飛竜は飛び出すようにお椀へ長い首を突っ込んだ。

 音を立ててお椀を揺らし、まだ不器用ながらも夢中になって食べている。

 懸命な姿に微笑ましさと心に灯るような温もりを覚え、ラウルは子飛竜の首を撫でた。


 お椀はあっという間に空になり、子飛竜が頭を巡らせもっと欲しいとラウルを見つめる。

 きらきらと期待に光る瞳は、殻の中から見えた時は濃い青だと思ったが、陽の光の下で見ると澄んだ空色だった。朱金の虹彩が見える。


「ちょっと待って」


 鍋の残りが程よく冷めているのを確認してもう一杯注ぐ。

 途端に首を突っ込んだ子飛竜に、ラウルは今度は声を出して笑った。


「お腹空いてたんだねぇ。まだあるからいっぱい食べな」


 子飛竜が一旦顔を上げ、了承なのか期待なのか、きらきらした目を向ける。

 合計五杯、食べ終えた時には小さな鍋はすっかり空で、それでも子飛竜は物足りなさそうだった。


「よく食べるなぁ。きっと大きくなるね」


 生まれたてながら足の大きさも立派だ。

 爪もまだおとなし目だが、立派な鉤爪になりそうだった。


 そういえば、とラウルは思い起こした。

 あれほど硬かった卵の殻に綺麗に空いていた幾つかの穴、あれはひょっとすると獣の爪が付けたものではないだろうか。子飛竜も大きくなればその位の爪になりそうだ。


「でもまさか、親が爪で穴は開けないよな」


 殻を破るのを手伝って、だとしたら無いこともないか。

 それとも獣が巣から卵を盗もうとしたか。


「うん……この子はどこから来たんだろう」


 ラウルは腕を組んで思案した。

 周りを見回しても、樹々の枝の向こうの空を見透かしても、やはり親らしき姿は見当たらない。

 状況からすると、川のもっと上の方から流されて来てしまったのだろう。


「どうするかな」


 巣に返してあげたいが、飛竜の巣がある場所は竜舎だけが知っている。飛竜の卵を密猟から防ぐ為だ。


 飛竜は重要な移動手段であり、許可を得た竜舎が卵から育てて人を乗せられるように整える。

 竜舎は所有する飛竜の(つがい)が産んだ卵を育てるか、森で卵を採取しに行くのだが、乱獲は固く禁止されていた。


 飛竜は春になると、一度に二個から四個の卵を産む。

 採取できるのはその中から一個だけ。そして森に入れるのもこの四月のひと月だけ。厳正な決まり事だ。

 破ればその竜舎は許可を取り消され、関わった者は牢へ直行で罪が軽くても五年は出られない。


 竜舎の職人は飛竜養育官とも呼ばれ、国が決まり事を整えている国家的重要職だった。

 おまけに飛竜の巣から卵を取ってくるのは命懸けの勇敢な仕事でもある。

 だから辺鄙なキルセン村に正式な竜舎があることは、村人達の誇りでもあった。


「取り敢えず、今日は家に連れて帰って、明日竜舎のボードガード親方にどうしたらいいか聞いてみよう」


 屈強なボードガードの姿を頼もしく思い浮かべて頷く。

 もしかして、エーリックの言っていた密猟者に巣が襲われたという可能性もあるかもしれない。情報を入れておかなくては。


 それから。



 "おかあさん"



 ラウルの脳裏に響いた声。

 通常生き物の声は聞こえないのに、とても強く、そして切なく届いた。


「お母さんに会いたいもんな」


 早くこの子を巣に帰してあげよう。

 見ればお腹が満たされて落ち着いたのか、ラウルの上着を躯の下に敷いて翼の下に首を突っ込み丸くなっている。


 健やかな寝息をたてる子飛竜を見つめ、ラウルは母の元に帰してあげたいという思いを一層強くした。






 荷物を担ぎ、子飛竜を上着ごと体の前に抱え、ラウルは薪に水をかけて火をしっかり消すと歩き出した。

 きりよせ川の川岸に沿ってしばらく降り、途中で森の中に入る。両側に水楢(みずなら)の木が続く古道を歩く。

 緩やかな風が肌をやさしく撫でる。揺れる梢。

 午後の四刻、もうそろそろ森の中には陽の光が届かなくなる頃合いだ。見上げる頭上の枝葉の間には青い空が垣間見える。


 鳥達が囀る声。短く澄んだ音を重ねて鳴くのはハイタカだろうか。

 珍しい拾い物をしたものの、いつも通りの森の爽やかな香気と穏やかさに浸りながら、ラウルは森の小径を歩いていった。





 ――その後を。


 小道に落ちた木の枝を踏む足音を極力抑えてごくゆっくりと、付かず離れず追いかける影があった。




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