8 If Winter comes, can Spring be/幕開け(その2)
新王の御世も即位から三年を過ぎて安定を取り戻し、荒れた農地も次第に回復していく。新たな施策により以前より豊かさを増す土地も増えていた。
だがその新たな風をオーランド子爵領へ呼び込むことはできなかった。
あの夜以来父は塞ぎ込むことが多くなり、ラウルが二十二歳の頃には昼間から頻繁に酒を飲むようになった。
目はいつもどこか遠いところを見据え、身体を気遣う母の言葉も、ラウル達の心配も素通りしていくようだった。
周囲の意見に耳を傾けず、今この時の救済策と成果に固執した。
それが叶うには問題が多すぎる。それでまた酒量が増える。
そうした中であっても、父が子供たちには笑顔を見せていたことが、ラウルの心の中に今も残っている。
ただその笑みも、遠くに感じられたが。
ふと、父は酒の酔いに任せ、ラウルに洩らしたことがある。
――領地を陛下に返上しようと考えている
ラウルは息を呑むほど驚いたが、反面、それも良いのではないかと思った。
国王の直轄地になれば、この土地も豊かになるかもしれない。
父の感じていた焦りと苦悩と限界に対し、ラウルは何も、何一つ、解決する手段を持っていなかった。
その意志はただの思いつきではなく、いつからか、心に期していたのだろう。
父はセルゲイがイル・ノーへと移って初めて、自分から弟を訪ねた。
ただその話し合いはやはり上手くいかなかったのだろう、戻った父の酒量は目に見えて増すようになった。
「父が亡くなったのは、その年の九月の終わり頃、まだ暑さが残る日でした」
父がセルゲイを訪ねた、一月ほど後だ。
ラウルは顔を上げ、暗い窓の外へ視線を向けた。耳を傾ける。
「もう日が短くなり始めてたんですが、午前中雨がかなり降ったんで、夕方ごろ馬に乗って父は近隣の畑の見回りに行きました。従僕が一人ついて」
父が出て半刻ばかりした頃、また雨が降り出した。
空はあっという間に掻き曇り、束の間、目を開けていられないくらいの豪雨になった。
ラウルは父が心配で、エーリックに母とアデラードの側についているよう頼むと、まだ雨足の収まらない中を探しに出かけようとしていた。
馬を街門まで引き出したところで、従僕がずぶ濡れの泥まみれになりながら駆けてくる姿が見えた。
父が伴って出た従僕だ。
――ラウル様
ずぶ濡れになって身体を冷やした以上に、従僕の顔は青ざめ張り詰めていた。
息を切らし、寒さと恐怖と驚き――衝撃にか、呂律も怪しい。
――御館様が、お、お父上が、水路に、落ちられて
ラウルが駆けつけた時には、周囲の住民達の手で草の上に引き上げられていたが、父の呼吸は止まっていた。
「だいぶ水を飲んだみたいです。雨で斜面が滑りやすくなってたせいで、足を滑らせて」
水嵩が増していて、早い流れに数十間流された。
アデラードがどれほど泣いただろう。
母アンナは顔を強張らせながら、泣きじゃくるアデラードを抱きしめ背中を撫ぜていた。
エーリックは涙を滲ませた目で唇を噛み締め、母と妹に寄り添っていた。
窓の外の光が滲む。
十月に入ってすぐ、アルバート・ヴォルフ・オーランド子爵の葬儀が行われた。
二か月の喪が明けたのち、ラウルは爵位を継ぐことになる。
その重責が心に重くのしかかった。
父が、父と叔父が苦労して、それでも上向かなかった領地を、自分がどうにかできるのか。
誰の協力を得られるのか。
ラウルは二十二歳。エーリックは十四歳、アデラードはまだ八歳だ。
母と弟妹を、使用人達を、領地を、そこに住む人達を、ラウルが支え、食べさせていかなければならない。
血の気が下がり、目がまわる感覚。
(レイ)
従兄弟の顔が浮かんだが、ロッソとイル・ノーは馬で二日の距離にあり、もう三か月近くレイノルドとは顔を合わせていなかった。
葬儀でもラウルは喪主として忙しく、二人だけで話す時間が取れなかった。
レイノルドとだけではなく、最も頼りにすべき叔父のセルゲイとでさえ。
セルゲイはラウルと二人になるのを意図して避けているようだった。