8 If Winter comes, can Spring be/幕開け(その1)
七か月に及ぶ長い戦いが終わり、新たな年を迎えると、ようやくロッソの街も以前の賑わいを取り戻し始めた。
ラウルは十九歳になっていた。
戦勝に国中が沸き、ふた月後の五月に新王の即位を控え、国内が上向きになる期待がロッソの住民達の上にも見て取ることができる。
戦後の復興に向け、農業税や人頭税の減税が行われ、新たな農地開墾にあたっては五年間税が免除されると布告された。
オーランド子爵領は相変わらず苦しい状況から抜け出せずにいたが、ラウルもレイノルドもこれをきっかけに領内が豊かになり、父達の関係が改善してくれるのではないかと強い期待を持っていた。
だがラウルが――父や、おそらく叔父も願ったようには、ならなかった。
農地の回復が遅れていることに加え、魔獣の被害や戦乱により物流が停滞していたことで、くらがり森から伐採していた木材の売り上げが目に見えて落ちた。
戦乱の中、この地を所領する公爵が離反し、半年以上に渡り不在となっていた。問題を伯爵に訴え、伯爵から侯爵、侯爵を通じて公爵へ、というのが通常の流れであり平時においてはやや冗長さを覚えるものでもあったが、その流れが様々な要因の中、一年近く停滞、混乱してしまった。
オーランド子爵は王都から遠い北東の果てにある。そういった地方へも目を行き渡らせるための仕組みが、王の権限の公爵への移譲だ。
雲の上の王や公爵の治領など一見関係ないように見えて、やはりオーランド子爵領にも影を落としていたのだ。
税収は期待通りに戻らず、領地の経営は厳しいまま日ばかりが経つ。
父と叔父の間の亀裂は深まる一方に思えた。
そうこうしている間に、オーランド子爵領にとっては逆の決定打となる施策が打たれた。
これまで飛竜が唯一その手段だった空の移動。その新たな移送手段――
飛空艇とその航路の開発だ。
幼い国王が、自らの治世の第一歩として打ち出した変革だった。
寄港地はまず試験的に、東西南北の主要街道沿いに設定された。
オーランド子爵領のロッソ、そしてキルセン村は主要街道を一本外れていた為、イル・ノーへ初来航した飛空艇の船体の輝かしい姿を、ほんの遠くの空にさえ目にすることがなかった。
ただ、オーランド子爵領に限らず、飛空艇の影響を受けた土地は国内の至る所に生じた。
新陽二年、新王は飛空挺によって経済基盤が変わる地域への対応策として、二つの施策を打ち出した。
一つ目は、飛空挺による航行利益の二割を当該地域へ配分すること。
飛空挺の経済効果は目覚ましく、オーランド子爵領も、林業に受けた打撃分の七割近くを補填することができた。
二つ目に、新たな事業への支援だ。
新事業に取り組むことにより生じる経費の五分の三までを五年に渡り国が助成する制度で、まず国へ事業を提案して了承を得ることと、事業の経過や課題、知見を共有すること、五年間国による監査を受けることが条件となっていた。
深夜、ラウルは寝苦しくて目を覚ました。
水を飲みに一階へ降り、ふと、足を止める。
廊下の奥――居間から、父と叔父の言い争う声がしている。
押さえてはいるが、二人の声はこれまで聞いてきた以上に厳しく、張り詰めたものだった。
ラウルは床板を鳴らさないよう、そっと居間の扉に近付いた。
「新事業に取り組むべきだ、兄さん。王都の支援を受けて、方向性の転換を図らなければ」
「駄目だ」
「兄さん」
詰め寄るようなセルゲイの声に、抑えた父の声が返る。
「何度も言わせるな。私もそれは考えた。だがもともと資源の少ないオーランドにとって、賭けに近い」
「賭けでも何でもこれまでと違ったことをやらなければ、何も変わらないだろう! 王都の補償があるんだぞ! 今――」
「領民を賭けで飢えの危険に晒せるか!」
弾き返すような声に、セルゲイが束の間黙り込む。
ラウルは扉の傍から動けなかった。仲裁に入ることも、立ち去ることもできない。
ややあって、セルゲイは声を押し出した。
「兄さんのその弱気な姿勢が、既に領民を飢えに晒している。つくづく軽蔑するよ」
声に篭った響きはこれまで聞いたこともないほど無機質で、ラウルは腹の底が冷たくなるように感じた。
二人の間の亀裂は、これほどまでに開いていたのだ。
足音が近付き、扉が開く。
セルゲイは扉の横に立ち竦んでいたラウルに気付いて一瞬驚いた――苦い表情を浮かべたが、何も言わずそのまま廊下を歩いて階段へ消えた。
その、数日後だっただろう。
「ラウル。イル・ノーに行くことになった」
レイノルドが訪ねて来て、そう言った。
「イル・ノー? 何でいきなり」
ロッソから最も近い東の基幹街道の都市だが、馬で二日も離れている。
「父さんが、今日発つって」
今日。
それほど急に。
ラウルは帰る答えを予想していたが、尋ねた。
「いつ帰ってくるんだ?」
「――」
ほんの少しの間黙り、レイノルドは小さく「帰らない」と言った。
予想通りの答えだ。
ここひと月ほどの父と叔父の確執は、埋めようがないと思えるものだった。
それでも、話をしていればいつかは、と、期待していた。
あの夜の言い争いが、決定打になってしまったのか。
「俺はここに残りたいって言ったけど――、許されなかった。後継ぎだからって」
まるで十年前の気弱だった頃に戻ったように、レイノルドは俯いている。
「ラウル、俺」
俯いて伏せた顔がちょうどラウルの目線の下にある。
「……仕方がないよ」
ラウルは何とか平静を保ち、声を押し出した。
レイノルドがゆっくり顔を上げる。
「レイノルドが一番に支えなきゃいけないのは、セルゲイ叔父さんだ。それに父さん達は少し、距離を置いてお互いを見た方がいいのかもしれない」
レイノルドはしばらくの間、口を閉ざしていた。
もう一度、声を聞いたとき、ラウルは自分が言葉を間違ったと、そう思った。
「ラウルは、俺がいなくても淋しくないんだな」
「そんなこと」
「エ、エーリックも、アデルもいるから――ラウルを支えるのは、俺じゃなくてもいいんだ」
「レイ、違うよ、そんなわけない」
二人でオーランドを支えようと、そう誓い合った。
ラウルは今でもそう思っている。
ただ、レイノルドはそれきり口を閉ざしてラウルの前を去ると、その日の内にイル・ノーへ移り、ラウルの元を訪ねて来なくなった。