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6 If Winter comes, can Spring be /冬の日(その1)

 

「待ってよラウル、置いてかないでよぅ」


 雪を蹴立てる栗毛の馬の蹄。

 跳ね上がった雪が晴れた空から注ぐ陽光をその都度、きらきらと拡散する。


 ラウルは馬の手綱を緩め、遅れているレイノルドを待った。もうレイノルドも十一歳だというのに、何だかいつまでも気弱で微笑ましい。


「レイ、そんなに馬にしがみつくように乗っちゃダメだよ。背筋を伸ばして、歩行に身体を合わせて」

「そんなこと言ったって、僕ラウルみたいに乗れないもん」


 ようやく追い付いてきたレイノルドは息を白く切らし、茶金の髪が数筋、汗で額に張り付いている。

 ラウルの父とレイノルドの父が兄弟だ。顔は男前と評判の彼の父セルゲイによく似ていて、陽に透けると明るい金に見える鳶色の髪、そして青い瞳は彼の母譲りだ。


「雪だし、乗りにくいし」

「雪だって、馬に合わせればそんなに変わらないよ。だいじょうぶ」

「ラウルは一月生まれだから、雪もだいじょうぶなんだ」

「へぇぇ。じゃあレイは五月生まれだから、五月になったら俺より上手くなるんだね」


 唇を尖らせたレイノルドを見てまた笑う。

 ラウルはこの一月で十二歳になった。レイノルドより一年とちょっと、年上だ。


「じゃあラウルは、あぶみとか手綱の声が聞こえるから、上手く乗れるんだ」

「そうかなぁ」


 ラウルは微笑んだ。


「いいな、ラウル」


 そうかな? と、これは心底思ったが口にはしない。

 触れたものが何でも喋ったら結構困る。物はいろいろな記憶を蓄えているものだ。


 今は自分で耳を塞ぐ術を心得ているが、幼い頃は怖くて、でも誰もラウルと同じ体験をしてくれなくてしょっちゅう泣いた。


「でもさ、レイも聞こえるかもしれないよ。耳を澄ませてみればさ」


 唇を尖らせたまま、それでもレイノルドはほんのりと期待を込めて首を傾ける。


「――聞こえない」

「ふふ。じゃあ俺が教えてあげよう」


 手を伸ばし、レイノルドの手綱に触れる。


「なんて言ってる?」


 レイノルドが不安と期待に身体を乗り出す。


「手綱氏はこう言ってる」


 ちょっと勿体ぶってみせ、ラウルは悪戯っぽく笑い、声色を変えた。


「『馬を怖がらせないようにって乗ってるのはレイの優しさだ。でも馬は、もうちょっと元気に走りたいって言ってる』――って」

「本当に?」

「ホントだよ」


 ぱあっとレイノルドの顔に笑みが広がる。


「じゃあ僕、もう少しがんばるよ」

「うん。もう少し走ろう」


 そう言って微笑み返し、ラウルはレイノルドの手綱から手を離すと、右手に広がる湖を指差した。


「レイ、父さん達が手を振ってる」


 湖といっても広めの池に近い。冬が長いこの地では、一月には毎年厚い氷を張った。

 指差した先で、ラウルの父アルバートと母アンナ、レイノルドの父セルゲイと母マルグレーテ、それから四歳になるラウルの弟エーリックが手を振っている。

 ラウルとレイノルドも大きく何度も手を振り返した。


 氷の上では父達の他にもたくさんの人が、靴底に細長い鉄の刃を付けた靴で氷の上を滑り楽しんでいる。

 笑い声が風に乗って流れ、凍った湖面は晴れた空から注ぐ陽の光を全体に受けて、目を細めなければいられないほど白く眩しかった。





 ロッソの辺りは国の東北東の端に位置していて、秋から春にかけては乾燥して寒い日が多かった。特に一、二月は雪が良く降る。

 その日も雪が降り積もる畑の中の道を、ラウルとレイノルドは父や叔父と一緒に歩いていた。近くの村の雪祭りに家族ででかけた帰りだった。


 ラウルとレイノルドが雪道を歩きたいと主張して、母達と五歳のエーリックは馬車で先にロッソの館へ戻った。

 父達が難しい言葉で領地経営を語り合いながら歩いているのを、背中に誇らしく感じつつ、二人は時折り駆け出しては雪を投げ合った。薄曇りの空に笑い声が弾けて溶ける。


 ラウルは十三歳、レイノルドは十二歳。レイノルドはまだラウルより小指一本ぶんほど背も低く、何よりこの歳の一つ年上は体格や力に明確な差があった。

 ラウルの投げる雪玉はレイノルドに届くけれどレイノルドのものはラウルの足元に落ちてしまい、次第にレイノルドは半べそをかきはじめた。


「ラウルばっかり雪玉が届いて、くやしい」


 涙を滲ませ、頬を膨らませる。


「手が大きいから、雪玉だって大きいしさ」


 雪の冷たさで真っ赤になった指を、悔しさを表してぎゅっと握り込んでいる。

 父と叔父は飛び交っていた雪玉が無くなったのに気付いていたが、いつものことだと足を止めて見守っている。


 ラウルは笑ってレイノルドに近付いた。雪の上に長靴の跡が点々とつく。

 道の左右には雪に覆われた畑が広がり、その少し先にこんもりとした常緑樹の林があった。林の樹々も雪を被っている。


「わかったわかった。じゃあ、このくらいの距離でどう?」


 四、五歩下がり、右手を開いてレイノルドに向ける。


「それに俺は、右手だけにするよ」


 むう、とレイノルドの唇が尖った。


「そんなの、つまんない。手を抜くとか、そんなの」


 言ってくるりと背中を向けて早足に歩き出す。

 機嫌を損ねてしまった。


「レイ」


 ラウルはレイノルドを追いかけて、彼に並ぼうとした。


「ごめんね、手を抜くとか、そんなつもりじゃなくて――」

「ラウル!」


 父の声と同時に、白い影がラウルの視界を遮った。

 雪の中からいきなり現れた。


「レイ!」


 ラウルは咄嗟にレイノルドを突き飛ばした。

 いきなり現れたそれがラウルに覆い被さり、もろともに雪道に倒れる。


 低く、身を震わすような唸り声。生臭く熱を持った息。

 鋭い牙が見えた。灰白の毛並み。


 狼。





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