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くらがり森の迷剣(へっぽこ)鍛冶師ときりふり山の伝説の竜になりたい子竜  作者: 雅◆
第1部 第2章 ラウルと小竜 村へ行く
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3 母に会う

 

 細い窓の下に置かれた背負い籠と、そこに立て掛けた剣へ一度視線を向けたが、母アンナはそれについては何も触れなかった。無かったものとしたようだ。


「本当に貴方は、全然顔を見せないで、私がどれほど心配していると思っているの」


 母と低い卓を挟み、斜めに向かい合って座る。


 母と弟のエーリック、妹のアデラードの三人は、キルセン村東側の外れにある小さな館に暮らしていた。

 オーランド子爵家の所有でラウルの父が生前、狩りをするために良く滞在していたものだ。

 叔父はこの館一つだけ、ラウルの母――アンナのために残した。


 日中エーリックは働きに出て、アデラードはエーリックが送り迎えし昼過ぎまで村の手習い所に勉強に行っている。


「もっと頻繁に顔を見せてちょうだい。貴方はこの家の家長なのですよ」


 栗色の柔らかな髪に灰色の瞳。


 自分の母であり、かつ、こうして面と向かって相対しているのに御伽噺の登場人物のような印象を受けるのは、整った小造りの面立ちと、今も尚あどけなさを感じさせる微笑みが不自然さを感じさせず、加えて、その瞳がどこか夢見るような雰囲気を含んでいるからだ。


 母アンナはラウルの父の遠縁で、ラウルの父とは異なり裕福な子爵家に生まれた。

 何不自由なく育ち、十八歳で『本家』であるラウルの父に嫁いできた。

 十九でラウルを産み、エーリックとアデラード、三人の子ども達を育ててきた。


 家が傾き、夫が酒に逃げ、苦労が無かったわけではない。その中でもアンナのどことなく少女のような印象は崩れなかった。

 夫を失い、それまで住んでいた城館もなし崩しに手放して、このキルセン村に移り住んできてからも。

 生活に窮していても。


 三人の子供達の中では、エーリックが母に良く似ていて、ただこの少女然とした雰囲気は母独特のものだ。


「すみません。本当に日が開いてしまいました」


 ラウルは素直に頭を下げ、親不孝を詫びた。

 卓に置かれた陶器の茶碗から香りよく漂うのは、林檎の香りを含んだ紅茶だ。


 アンナが輿入れの際伴った古くからの侍女が、この館にも供をしてくれていた。

 それから家のことをあれこれと行なってくれる従僕が一人。

 どちらももう六十歳を過ぎている。


 加えて、料理人が一人。これはアンナの生家が手当した。とは言え生家は兄が継いでいて、彼の二人目の妻とアンナとは折り合いが悪い。


「エーリックが小屋に来てくれるのに甘えてしまって。私の立場だとあまり、森を出て大っぴらに歩き回るのも、憚られるのもあって」


 母の前は何となく緊張する。幼い頃はただ甘えていたのだが。

 怒るわけでも、(なじ)るわけでもない。ただ毎回切々と訴えかけてくる内容に、ラウルは応えきれないのだ。


「私も、鍛治を早く活計(たつき)にして母上や弟達の助けになれるよう、整えたくて、つい夢中に」

「ラウル」


 おー。

 この答えは不正解だ。


「貴方の本分は何なのですか」


 春の陽だまりを思わせる灰色の瞳が、じっとラウルを見つめてくる。


「ほ、本分。ええと……」

「背筋を伸ばして」

「は――、はい」


 隅のほつれた麻布を張った椅子の上で、ラウルは改めて背筋を伸ばした。


「言葉は明瞭に」

「はい」


 語尾の響きは優しくふわふわとたおやかに、言葉が飛んでくる。


「お父様のあとを継ぐのはラウル、貴方です。貴方の本分はけっして鍛治ではありません」


 怒っている。

 あまり表情に変化はないが、叱られる時の時の口調だ。


「オーランド家を再興することが、貴方の役目なのですよ」


 母アンナがこの二年、ずっと言い続けていることだ。母がそう願う気持ちはわかる、けれど。


「――お言葉ですが、母上。家は、もう継がれています。私はもう」

(セルゲイ)は正統な継承者ではありません」


 柔らかな花のような瞳のまま。


「略奪者です」


 自分の鼓動が跳ねるのが分かった。




 あの時――



 ラウルは、叔父(セルゲイ)が落とした手帳を拾い上げようとした。


『触るな!』


 叔父はラウルの手から手帳をひったくった。



 その時向けられた目。その色。

 手帳から、一瞬流れてきた声――

 ああ、でも。


 ()()()()()()()()()()()

 あるべきではない。




「――」


 逃げている。

 いつも。


「貴方があの森に暮らすのも、セルゲイが勝手に決めたこと。何故そんな勝手な決めごとに従う必要がありますか」


 ラウルが一人、くらがり森に暮らすことは、家族がこの館に暮らすための条件だった。アンナは当然、それを理解している。


 その上で言う母の想いを、ラウルもまた理解している。


「ラウル。貴方は本当に、レイノルドとの決闘の場に遅れたの?」


 何度目の問いだろう。


「――それは、本当だよ。意図してじゃないけど」


 アンナは静かに息を零した。


「貴方がお父様の汚名を(すす)がず、家を再興しないで、一体誰がそれをするのですか」


 離れたところにある細い窓から、陽の光が差し込んでいる。

 古ぼけた絨毯の、褪せた赤い色。

 窓が細く少ない古い造りの館は、昼間でも薄暗い。


 室内の空気さえ埃を舞い散らせてくすんでいるように思えるが、それでもかつて――ラウルの記憶にはないが、この館も華やかだった時があるのだ。


 黙り込んだラウルをしばらく見つめ、アンナはまた柔らかな空気を取り戻した。


「ラウル」


 ふわりと、少女のような。

 これはこれで居た堪れない。


「エーリックやアデラードの為にも、貴方がオーランド家を再興してちょうだい。それから貴方ももう二十四。しっかりしたところのお嬢さんを貰って、オーランドの血筋を継がなくては」


 うっ、とラウルは心の中で胸を押さえた。


 欲しい。

 心底欲しい。

 まずお付き合いする相手が欲しい。

 好みはええと、誠実な癒し系です。


 けど俺が残念なやつなので無理だと思います。色々。


「エーリックだってそう。でも貴方がいつまでも結婚しないのでは、次男が先に結婚はできないでしょう。エーリックも、由緒正しいオーランドの次男が生活のために雑貨屋なんかで働いて。エーリックには貴方の補佐として、まだまだ学問や、領地経営を学んで欲しいのに」


(ごめん、エーリック)


 流れ矢が飛んだ。


「エーリックは優秀だし、時間があれば俺も教えるし、自分でも学んでるって」

「それに」


 ううっ。

 次に来る言葉がわかる。

 ラウルにはこの言葉が、一番ずしりとくる。


「兄として、家長として、アデラードに品位のある相応しい結婚をさせてあげたくはないの?」

「――それは、俺も責任を持って考えたいと」

「アデラードももう十歳よ。本当なら家庭教師をつけて、園遊会や舞踏会での所作や踊り方を学ぶ年頃なのに、今のままでは」


 駄目だ。撤収だ。

 アデラードの話で攻められたら躱しきれない。


「すみません、母さ――母上、今日は竜舎に行く予定なんです。ボードガード親方に話したいことがあって」


 アンナは繊細な眉をそっと寄せた。


「まあラウル。もう行ってしまうの。久しぶりに会ったのよ。まだ話をしたいことがたくさんあるのに。母さまと話をするよりも大切なことがあるのですか。大体貴方は」


『まーまー母上ー、ほどほどにしといてやれよー』

「ひッ!」


 そっち方面を完全に油断していたラウルは椅子の上で飛び上がった。「ちょっ」


 アンナが目を見開き、辺りを見回す。


「いまのは、何……?」

『ご主人、困っちゃってるぜー、なあオルー』

「ぴぃ!」

「わぁあ! か、母さん、これは何でもなくて」

「貴方、その剣……それと、何の鳴き声?」


 母の目が籠と剣に据えられ、恐ろしいものを見るように見開き震えている。


「ラウル」


 ラウルはヴァースを掴み、ヴァースを立てかけていた籠を掴み、


「すみません、また来ます!」


 脱兎のごとくラウルは母の前から退却した。





 早足で館を離れつつ、右手に持ったヴァースを睨む。小声で苦情を申し立てた。


「困るよヴァース。母さんの前じゃ喋らないでくれって言ったよね?!」

『いやぁ、なかなかの母ちゃんだなーと思ってさー』


 思ってさー、じゃない。


「オルビーィスもね、俺がいいと言うまで、静かにしていてね。見つかったら連れて行かれちゃう。いいかい?」


 籠の中から微かな声でぴぃ、と返る。

 語尾が下がっているあたり反省している様子で可愛い。

 とは言え。


「村にいるほんのわずかな間が怖い……」


 森に帰りたい。

 早いところ用事を済ませなければ。


 そうこうしている内に、ボードガード竜舎の大きな赤い屋根が見えてきた。



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