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14 影

 

 

 ラウルは藪に伏せ、息を殺していた。

 森の中は涼しいとはいえ季節は夏、額にじわりと滲んだ汗が玉をつくって伝い、目頭に落ちる。


 何度か目を瞬き、汗を逃す。

 ラウルは唸った。


 ああ、俺、いったい何をやっているんだろう――

 


『これはお前の特訓だ』

 


 何故?!

 

 藪蚊に喰われたふくらはぎが痒い。服の上から刺してくんな。

 朝、爽やかに楽しく法術について学んでいたはずが、昼、こうして地面に突っ伏して藪蚊に喰われている。


 今ラウルが直面しているのは狩の特訓だった。

 グイドとレイノルドと()()()()()()()獲物を追い込んでくるのを待ち伏せしているのだ。

 

 おかしくない……?

 オルビーィスはここに一緒にいる側じゃない?

 

 とは言えラウルはもう何度目かになるすっかり諦め切ったため息を吐きながら、腹ばいになり両脚を投げ出す格好でヴァースを右手に掴み顔の前に横たえるようにして、周囲から獲物の気配が起こるのを待っていた。


 なかなか獲物が見つからないのか、潜んでからもう半刻くらい経っている。


「この辺りはいないのかなぁ」


 とラウルは小さく呟いた。

 兎か、鹿。

 できれば兎。


「鹿まで。鹿までですよー」


 熊とかやめてくださいねー熊とかー

 熊とか出たらグイドさんとレイノルドで何とかしてくださいねー

 オルビーィスは自分より小さいものを狙おうねー


『おせぇなぁー』


 とヴァースもラウルの手の中でじりじりしている、ようだ。


「そうだねー」


 首筋に一筋、汗が伝う。

 蚊が鼻先にとまりそうになり、右手でばちんと叩いた。


 取り逃した。

 鼻が痛い。

 蚊はまだ周囲を回っている。


「うう」


 羽音が憎い。


「ヴァースぅ。蚊を退治してぇー」

『俺様はそんなことのためには動かねぇー』


 何と言っても名剣宝剣至宝の国宝剣である俺様をご主人の周りを飛ぶ蚊ごときで動かせるなどと思ってもらっては云々


 その間にラウルは苦心の末ばちんと自分の頬を引っ叩き、何とか蚊を退治した。


 ヴァースが『俺様の価値』というものをひと通り語り終えると、また周囲は静かになった。


 森には時折樹々が身を揺する音と鳥の声だけで、茂みの音だとか足音だとか、待っている変化は感じられない。


「もう、今日は終わりで良くないかなぁ」


 もう充分身を隠す訓練になったと思う。

 這ったまま蚊も叩けた。


「――」


 少し考え、ラウルは頷いた。


「よし」


 終了で。


『何が良しだー』


 ヴァースが呆れた時だ。


 ふと、鳥の声が止んだ。


 一斉に枝から飛び立つ、羽ばたきの音。

 そして風だけが流れた。


 右手の中で、ヴァースが振動した。


『来るぞ、ご主人ー』

「え、来るって、ようやく」


 グイド達が、と剣の柄を握り直したラウルだが、ヴァースの言葉は予想とはまるで違った。


『耳塞げー』

「え……?」

 

 森が一瞬、無音になった。


 鼓膜がカンと張るような。

 

 次いで。

 耳を――いや

 全身を、冷たい音が叩いた。


 

 ヒィィィィィィ――

 


 身体を起こしかけていたラウルは、全身が凍るような感覚にやや這いつくばる格好のまま身を固めた。

 細く硬質な、硝子に爪を立てた時に似た。


「こ、声――?」


 悲鳴?


 この地面から湧き起こるのか、樹々の間を彷徨い滲み出るのか。

 細く、高い。


 まるで別の世界から響いてくるような。



 ヒィィィィィィ――



『近くなったなー』


 身を伏せるか、起こすか。

 どちらに、という思考は虚しかった。


「か……」


 身体が、動かない。


「ヴァ」


 喉が見えない手で掴まれたみたいだ。


『ご主人? どうした、ご主人』

「――」


 声も出ない。

 背中に凍る手が張り付くような悪寒。

 意味の知れない不安――

 

 懸命に凝らした、視界の先。

 奇妙なものがあった。

 ゆらゆらと何かが揺れている。


 風に揺れる、黒い布のようなもの――


(ち、違う……)


 その形を捉え、ぞっとした。

 人のような影だ。


 三間(約9m)ほど先の、重なり合う木立の中に、樹々の影に溶け込み、誰かが立っていた。

 三、いや、四人。


(人――?)


 脳裡に過ったのはきりふり山の蛇怪だが、次の瞬きで脚があることを確認した。


 グイド達ではない。

 誰か、この辺りの住人か。

 他の狩人か。

 密猟者。


(違う)


 ()()()()()

 初めから奇妙だと感じていたではないか。


 言うなれば、それらはただ、地面に落ちた影のような――


 影が揺れる。

 動く。半ば伏せたままのラウルへと。

 足元を中心に振り子のように身を揺らしながら、それはするすると近付いた。


 陽の光に晒された影には、顔が無い。


(――ヴァース!)


 ヴァースを握った右腕だけが動いた。


 剣が影を斬ると見え――、ヴァースの白刃はそのまま影を突っ切った。


「!」


 ラウルは信じられない思いで右手の先を見つめた。 

『こいつは――、拙いぞ』


 ヴァースの声はいつになく低い。

 気付けば、四体の影は伏せているラウルの周りをぐるりと囲んでいる。


「うわ」


 強烈な、恐怖、いや、不安が全身を捉え、縛る。

 影がぐうっと伸びる。七尺(約210cm)はありそうだ。


 影が四方から腕を伸ばす。だらりと垂らされていた腕は、植物の蔦のよう。

 身構えることもできず、腕が身体に触れた。


 腕はひどく冷たかった。

 その冷気が身体に流れ込む。

 骨まで凍っていくような感覚。

 肺が停止し、呼吸が全て奪われる感覚。


 ラウルの身体にもう一つ、音が流れ込んだ。


 それはぶつぶつと呟くような音。

 泡立つ沼で泥が弾ける音に似た、途切れなく、微かな。


  無数の虫が這い上がる騒めきにも聞こえ、肌に伝わるむず痒さに思わず自分の腕を見る。

 幸い何もない。


(ただの音)


 その音に、()が混じった。



 ――タ


 ――キ……



 弾ける騒めきだったそれは、言葉になった。



 ――北

 

 ――北

 ――北


(何だ――)


 ――でてきたよ


 ――でてきた


 ――深いところにいたよ


 ――くらいところにいたよ


 ――でてきた



 ――ひろがるよ

 

 

 何かが圧倒的に流れ込んできて、全身を縛る。

 身体が冷える。

 真冬のように寒い。



 ――きぼうだ


 ――ぜつぼうだ


 ――かわる


 ――きぼうだ


 ――ぜつぼうだ


 ――あんねい



 声は子供のようであり底知れなさがあり、いくつもの存在が混じり合っていて、どこか、うまく言えない歪さがあった。



 ――すくい


 ――どく



 ――ひろがるよ――




 影達が、花弁が閉じるようにラウルの上に身を屈めていく。


 心臓が凍りそうだ。


(――やばい、これは死――)




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