13 借りる
「この国の法術体系は、大きく分けて四つあるの」
リズリーアの指先が歩きながら中空に四つの光る模様を描く。
法術の知識のないラウルには詳細は分からないが、それぞれが法術の形態とやらの象徴なのだろう。
特訓の旅に出立して二日目の朝、朝食を済ませて森の中をそぞろ歩きだしたところだ。
「大地」
「風あるいは空」
「水」
「火」
それぞれ趣きの異なる模様。
表されたそれは花弁を幾つも備えた花のようで、すぐに空気に溶けていくのも散る花を思わせた。
「四つの系統全てはこの世界を基盤にしてるの」
「竜の系統も同じだな」
と言ったレイノルドに
「うん、そうだね」
とリズリーアが頷き
「四竜と呼ばれる竜はその時によってちょっと違うみたいだけど、今は地竜、風竜、黒竜、それから赤竜だから」
竜の名前に合わせて細い指先を四回振った。
「四竜か。黒竜、風竜は今『空位』だったか。すぐにも次が出てくるのだろうか」
レイノルドがいつの間にか随分竜に詳しい。
(さてはレイ、オルーが可愛くて密かに勉強を……)
愛い奴。
「どうなんだろうな。風竜は三百年空位だったと思われてたが、実際は骸の状態で存在していた――復活したと言った方がいいか」
レイノルドに答えたのはグイドだ。
「とは言えアーセンの奴の話じゃ、空位になったからと言って次がすぐ現れるものでもないようだ。そもそも時間感覚が人間とは違うだろう。骸になって存在しているってのが、もう俺達には理解の及ばない話だ」
竜舎のアーセン・ボードガードは飛竜だけではなく竜についても学んでいる。
(ボードガード親方に聞いてみたい)
ラウルは傍らを飛んでいるオルビーィスを見た。
今日はラウルの肩の高さを、昨日よりも滑らかに、歩行速度に合わせてゆっくり飛んでいる。
うんうん。
昨日はフラフラしていたけど、昨日よりも成長している。
オルビーィスは成長が早いなぁ。
「やっぱり次の四竜の一つに、オルビーィスが」
期待が膨らむ。
『かもなー。可能性はあるぜー』
オルビーィスが「きゅう!」と鳴いた。
――なる!
と。
うんうん。
うんうん。
「ヴァースが言うならきっとなれるね!」
リズリーアがぴょんと跳び、ヴィルリーアに背中から抱きつく。
「楽しみだねー、ヴィリ。オルーが四竜って呼ばれるところ見たい。ヴィリは?」
「うん。僕も見たい」
「長生きしようね! ぜったい、二人で見よう!」
「何百年生きるつもりだ」
からかう口調のグイドに「大丈夫!」とリズリーアは大真面目に人差し指を立てた。
「アルジマール院長は、三百歳越してるんだから」
「三百?」
レイノルドが目を剥く。
わかる。
「アルジマール院長って、王都の?」
「そう、王立法術院、第十代院長アルジマール! この国随一の大法術士! あたしもアルジマール院長みたいになりたいんだ。あ、最初の目標は母様だけど」
『そのアルジマールってすげえ奴なのかー』
「すごい人なんだよー」
「大戦で、西海の古王ナジャルを倒すために何重もの陣を重ねて構成したのが法術士達の間では語り種です」
ヴィルリーアが心なしか紅潮させた頬を上げる。
いつもより口調も滑らかだ。
「大規模な捕縛陣と転位陣を、それこそ一つ張るだけでも上位の法術士が複数人かかるものを、たった一人で組み上げて連動させたんです」
「法陣円の規模が百間(約300m)近くあって、それを二種三重、だっけ」
リズリーアがヴィルリーアへ小首を傾げる。
「そう! そうなんだ! 捕縛陣一つ、転位陣一つ、ただでさえ繊細で緻密な陣を必要とするのに、それを幾重にも――。本当に、本当にすごいんだ、アルジマール院長は!」
普段引っ込み思案なヴィルリーアが杖を両手で力強く握り前のめりに声を出した姿に、ラウルは驚きと微笑ましさを覚えた。
(ヴィリは本当に、法術が好きなんだなぁ)
二人が憧れるアルジマール院長という人物を想像する。
三百年を経た大法術士だ。
おそらく重ねた歳月が現れた、深い落ち着きに満ちた人物に違いない。
整えられた白髪に、皺を刻みながらも矍鑠とした姿、声。
裾を引く長い法衣。手にした杖は荒削りで武骨なようで、底知れない力を秘めている。
しかし人の身で三百歳を越しているのだとは。
改めて法術の底知れなさを感じた。
「ヴィリの方がアルジマール院長に憧れてるんだ。あたしヴィリはきっと院長みたいになれると思ってる」
うんうん。
うんうん。
「いつかそんなヴィリの姿を見たいなあ。そうなったら俺、王都に会いに行くよ」
ラウルは腕組みし、深く頷いた。
「本当ですか!?」
ヴィリが頬を染める。
「うん、きっとね」
楽しみだ。とても。
ラウルは嬉しそうなヴィリの様子をもっと見たくて、もう少し法術のことを尋ねようと思った。
「法術の基礎はこの世界だって言ってたよね。世界ってそれはどう言うこと?」
リズリーアとヴィルリーアは顔を見合わせた。
基礎的なことを聞き過ぎただろうか。
ヴィルリーアが思い出すように頬の下に指を当てる。
「ええと、僕が母に最初に教わったのは、『借りる』ということです」
法術というのは無からは生まれないから、と続けた。
「その場にある――、ええと、力だったり、素材だったり、記憶だったり……えと、そういうものを借りて、使わせてもらうんです」
「土とか小石、岩、樹木とか、空気とか水とか、光とか。今ここにある世界の恵みを借りるの」
「わたしたち、この世界に支えられているんだよ」とリズリーアが嬉しそうに言う。
「狩猟と考え方は大きく変わらないな」
グイドも興味深そうだ。
森の中で、草原で、川や湖で。
陽の光、雨、風、雪。
その場にあるものを活かしながら。
「世界かぁ」
その考えは包み込むように温かい。
自分がここにいていいと言われているみたいだ。
『世界にってことは、俺様に支えられてるってことかー。敬えー崇めろー奉れー』
ヴァースは意味がわからない。
「私たちまだちょっぴりしか借りられないけど、これからたくさん経験積んで、どーんと借りられるようになるんだ」
両腕を空へ大きく広げ、リズリーアは弾けるように笑った。
うんうん。
オルビーィスが真似をして翼を広げて見せる。
うんうん。
うんうん。
ラウルは一瞬、どこまでも広がる空の中にいる感覚を覚えた。
ああ、きっと君は、とても優雅に強く、成長していく。
あの空に抱かれるみたいに。
「だからラウル、今回も頑張ろうね!」
う。
う。
法術の話に集中していたラウルは慌てて首を巡らせた。
たった今まで双子に向いていた視線がラウルに集中している。
「そっ、それでリズ、君たちの得意な法術は」
「ラウル、そろそろいくぞ」
グイドが肩に手を置く。
何か力強い。
「えっ、いやぁ、今日、まだ何も出現してないですし、きりふり山と違って魔獣とかでてこないこんな平穏な森ですし、食糧には十分ですし、俺達世界に生かされてるんですし、無理に狩る必要なんて」
「この先村がある。まだ行程は長い、狩ったものを必需品に交換できる」
うう。
うう。
「い、いやいや、そんな長く、オルーも疲れちゃいますし、皆さんも」
レイノルドがグイドの横に立つ。
「ラウル。これはお前の特訓だ」
ううん!
ううん!