帰郷
「では今から二人を元の世界に返す。」
シド国王の声で僕らの前にザックス大将が大きな鏡を持ってくる。
「この鏡をくぐればもとの世界に帰ることができる。」
僕らは城の大広間でもとの世界に帰る準備をしている。
「君らのいた世界とこちらの世界をつなげる唯一の道具だ。」
シド国王は僕らの方に一歩踏み出す。
シド公は僕の手を握る。
「本当に君には感謝している。どうか元気で。」
その手に残したものは一つの小さな袋。
「故郷に帰って私たちのことを思い出したときに袋を開いてくれ。」
軽いが確かな存在感を残すその袋を僕はポケットに入れる。
シド公は横に一歩を踏み出し岩永の手を握ろうと手を伸ばす。
岩永はその手をつかもうとしない。
「どうしたのかね。」
シド公は怪訝そうな顔をする。
岩永の顔は少し下向きで表情を読ませない。
その場に静かな沈黙が走る。
口を開く岩永。空気を二、三回飲み言葉がその口から出てくる。
「……俺は……この世界に残ります。」
岩永は僕の方に顔を向ける。
僕らの旅立ちを見送ろうとしていた人々はみな驚愕の表情を出す。
「いいよな、要一。」
僕は岩永の目を見る。いつもの科学を実験しているときの真剣な目である。
「いいのかね、イワナガ。次に元の世界に帰る機会は君が生きているうちには来ないかもしれない。」
シド公は困惑した表情をする。しかし、僕の耳には『私にはそちらの方がいろいろ楽しいがな。』とかなんとか聞こえた。シド国王もちゃっかりものである。
岩永は目線をそらさずに僕の目を見ている。
僕はゆっくりとうなずく。
岩永が手を伸ばしてくる。
「要一、すまんな。ずっと考えていたが、やっぱりもとの世界には帰らないことにした。また悲劇を繰り返す訳にはいけないのさ。俺がいなければそちらの世界ではツクヨミの薬はできないだろ。」
僕の開きかけた口を岩永が制止する。
「お前はもとの世界に帰らなくちゃだめだ。全知全能の俺が言うんだから間違いはない。
僕は開きかけた口を一回閉じる。そして改めてがっちりとその手を握りしめる。
「お前の人生さ、好きに生きればいい。ただ、お前がいないと寂しくなる。」
と僕は言う。
あれ、目から汗が出てくる。
視界がぼやけるな。
突然目が悪くなったのか。
そんな訳はないな。
素直に認めよう。
岩永も目から汗が出ている。
「かっこ良く別れるつもりだったんだけど。」
岩永は今更なことを言う。
「これを……。」
岩永は手紙を手渡す。
「恥ずかしいから元の世界で読んでくれ。」
岩永は少しはにかんできびすを返す。そして一歩下がる。
鏡が光を放つ。
僕は鏡に向かって一歩を踏み出す。
レミイの泣き声が聞こえる。
後ろを向いて
「おにいちゃん、バイバイ。ヒック。」
レミイはドナさんのスカートをつかんでいる。涙でスカートには大きなしみが付いている。あーあ、ぐちゃぐちゃだ。
ドナさんがその横でレミイの頭をなでている。
シド公は僕にうなずいている。
岩永は僕の方をじっと見ている。
その顔には決意と別離の悲しみ。
横に顔を移すと、マリー。
マリーは髪を下ろしている。風がマリーの髪をなびかせる。
出会ったときと同じようにかわいい顔を僕の方に向けてくる。
窓からはいってくる月の光がマリーにかかる。
目線が僕と会う。
微笑みを返すマリー。
大きく口を開けるマリー。
「またね!」
「おう。」
僕は手を振り上げ鏡の境界を踏み越える。
もう後ろは振り返らない……。