宣戦布告
次の日にはリンドブルムはエスタに対し宣戦を布告された。
このニュースは一瞬で国中を驚かした。破竹の勢いで国力を拡大し続けてきたエスタに逆らうのは得策ではないと他の国は思ったようだ。かなり少ない数の国がリンドブルムに味方してくれることになった。多くの国は中立を宣言した。いくつかの国は強国であるリンドブルムを憎らしく思ったのであろうか、エスタに協力する国もおおくあった。
国力は単純兵力でエスタ連合六十万人、リンドブルム連合の兵力が五十万人とリンドブルムがやや不利であった。
リンドブルムは平野の中での世界最大の都市だということから全方位を守ることは無理であることは自明の理であった。そのため最終的には市街戦になることを恐れた人々は疎開を進めていった。
開戦のきっかけとなった日、僕らはシド公と長い話をした。シド公は三百年前から伝わる記録により、僕らがこの世界に訪れることを知っていたということを白状した。他にも僕の魔法の正体を知っていた。しかし、興味深いことに歴史は、ずれてきているとシド公は言った。
三百年前、岩永が親しくしていたのはシド公の十二代前の先祖だった。彼は岩永の伝えてきた歴史をきちんと書き留めていた。しかしその中ではエスタはドール公国を攻め落としてはなかった。さらにこの戦争のことも書かれてはおらず、僕らは訪れたのちに無事に帰ったと記述されているのみであった。
「すまない、私の思い違いだ。」
シド公は僕らに頭を下げる。
「ツクヨミの薬の資料を完全に抹消することはできなかった。科学に対する好奇心に負けてしまったのだ。結局、私も私の先代も岩永の待ってきたそちらの世界の資料を残し続けてしまった。それをどこかからスタイン国王は手に入れたに違いない……。」
岩永もすまなそうに頭を下げる。
「僕が将来この世界にウイルスを持ち込んだことが間違いだった……。ウイルスを隠さないで破棄していればこのようなことにはならなかったのに。俺もウイルスの惜しさに捨てることができなかったのか。」
ゆっくりうなずくシド公。
「君らを騙すつもりはなかったが、私は君らの未来を知ったつもりでいた。私の見込み違いだ。」
そういったシド公は僕らに頭を下げる。
ここは、リンドブルム郊外の道。クルーに乗ってきた僕とマリー。この通りは海が近く風に塩のにおいがする。少し高い丘の上で僕はマリーにすべてを伝える決心をした。夜の散歩をしようという名目で少し遠くまで出かけていった僕ら。
歩きながら僕は慎重に言葉をひとつひとつ選んでいった。僕がこっちの世界にきた原因だということ。岩永がもたらした薬がこの世界に災厄をもたらしていること。
「で、だからなに。夜中の散歩にそんな話をしてどうしたの。」
少しむくれるマリー。マリーはその話について全く驚きもせず歩き続ける。
公にはこの戦争はエスタのリンドブルムへの侵攻ということになっていた。
「女の子と夜中に歩いていて戦争の話はないんじゃないの。」
マリーはちょっと不機嫌だ。
「ヨウイチは優しいのね。でもね、それはたまに人を傷つけるの。」
僕はマリーの言っている意味が分からなかった。
「僕は、マリーに僕のすべてを知ってほしかったんだ。」
ちいさな声が僕ののどから出てくる。
こんなはずではなかったのに。
マリーはクスッと笑う。僕の目線は自分の足下しか見てはいない。
「しってるわ。」
マリーは僕の歩調に足音をあわせる。まるで、無邪気に遊んでいるようだ。
「ヨウイチは特別な存在だって知ってるわ。誰よりも優しい人。それがヨウイチよ。私にとっても、この世界にとっても特別な存在。この乾いた大地に水を巻きにきた人物だわ。」
マリーはふと立ち止まる。足下の土をひとすくいとり僕の目の前に手を伸ばしてくる。
「ヨウイチは私の世界に水をまいてくれた。次はこの世界に水をまく番だわ。」
僕は足を止めマリーの目を見つめる。
マリーの差し出した手の下に僕は手の平を上に向けて出す。マリーがさらさらと落としてくる乾いた砂は僕の手に吸い込まれてくる。
「マリー、ありがとう。」
「どういたしまして。」
今日一番の笑顔で答えてくれる。僕に水をまいてくれたのはマリーのほうだった。
「手を出して。」
僕は砂を落として右手を出す。砂が僕の手のひらからこぼれていく。
マリーは左手を出して僕の手を握る。
僕の体がこわばる。
「ちょっと、マリー。」
同じ部屋で生活していても手を握られたのは始めての経験だった。
「ヨウイチの世界では手は握らないの。」
マリーは僕の目を覗き込んでくる。
「いやそんなことはないけど……。」
女の子と手を握るなんて小学校以来だった。
「じゃあ、手を握らせて。戦争になったらもう握れないかもしれないから。」
僕の心は揺らぐ。涼しい風が僕らの間を吹きぬける。
大剣を振るマリーの手は女の子の手とは思えないぐらいマメやタコがあった。しかし、その手にマリーの脈動を感じる。
「僕と約束して。」
マリーはぎゅっと僕の手を握っている。力強く握りしめるマリーの手は暖かかった。
「また全てが終わったら二人で手を握ろう。」
びっくりした顔をするマリー。そしてほほには一筋の涙。マリーの白い肌に月明かりが映る。空には大きな満月。もう秋だ。この世界にも月は存在した。
僕の手を握っている手は力強い。
そしてかよわい。
ついに最前線では戦闘が始まった。エスタ連合軍がやや推しているものの一進一退の攻防戦を国境付近で繰り返している。
岩永は自分がもたらしたものがこの世界に戦いをもたらしているということで悩む所があるようだ。
前線で戦っている兵の数はリンドブルム連合軍十二万対エスタ連合軍十五万である。
僕らは忙しくなりマリーのもとで騎士団の訓練と再編成に追われていた。
そんなある日、岩永から宿に一本の電話が入った。
「もしもし、要一か。ちょっと俺の研究室に来てくれないか。」
岩永の声は珍しく、暗い。特に開戦してからは人がかわったようにしゃべらなくなった。僕はことわる理由もないと思い城に急ぐ。
城の中は戦時中ということもあり物々しい雰因気である。鎧をかぶった兵士があちらこちらに見受けられる。
中庭では戦場に送り込まれる兵士の激励会が行われている。一対彼らのうち何人が無事に帰ってくるのか。僕は胸を痛める。
岩永の研究室へと続く扉を僕は思い切りよく開ける。
「きてくれたか。」
岩永の風貌はやつれている。服はしわくちゃであり、ひげは伸びっぱなしである。航空祭のときの岩永よりも倍ぐらい汚く感じる。
研究室には刺激臭が漂っている。空気も心なしか黄色く色づいているように見える。
岩永は僕の目の前に四つのガラス管を見せた。ひとつは黄色の色のついた気体が入っており、残りは透明な液体が入っていた。
「これは何だと思う。」
岩永は疲れた目をして僕に聞いてくる。
「黄色の気体の入ったやつは塩素か?」
僕は答えてやる。塩素以外は見当もつかない。
「正解だ。残りはクロロアセトフェノン、ジフェニルシアノアルシン、ジフェニルクロロアルシンだ。」
岩永の目は笑っていない。
「それがどうにかしたのか。」
僕は岩永が言いたいことが全く想像につかない。
「なあ、要一。俺はこの世界に災いをもたらしただろ。その責任を俺は取らなくてはいけないとは思わないか。」
岩永はよく意味の分からないことを聞いてくる。
「これらの薬品は過去に毒性は低いものの化学兵器としてつかわれたことのあるものだ。」
僕は全てを悟った。岩永は毒ガスを戦闘でつかおうとしているのだ。
「やめておけ。岩永。それくらい俺でも知っているぞ。それをつかったらお前はこの戦争を起こした元凶のみならず、この世界で永久に汚名を残すことになる。」
岩永は声を荒げる。
「それぐらい知っている。化学兵器は後遺症が残る可能性があるということも、大量破壊兵器と呼ばれているということも。だから毒性の低いものを選んでいるのに。俺はこの戦争において勝たねばならないんだ。」
岩永の悲痛の叫び声。それは獣が叫んでいるように聞こえる。
「だからといって、岩永が……傷つくのは耐えられないさ……。」
「なぜだ、親友のお前にも理解されない。俺にはわかる。このリンドブルムは守りにくい地形にあると。ツクヨミの薬は渡す訳にはいかないんだ。未来の俺がつかわなかったことからもわかる。あれは世の中に出してはいけない。手段にかまってはいけないんだ。」
岩永は怒りに身を任せる。
岩永の気持ちがひしひしと伝わる。
「わかった。親友としてひとつだけ願いを聞いてくれ。」
岩永はこちらをにらむように眺めてくる。
「催涙ガスをつかってくれ。毒ガスのたぐいはつかわないでくれ。お前の頭脳なら簡単だろ。」
岩永はうなずく。そして重い口を開く。
「通常の戦闘ではつかわないことを約束しよう。しかし、スタイン国王が城にまでを手に入れたら俺はこの城に仕掛けた五トンのトリニトロトルエンと自爆する。」
岩永の覚悟は本物だった。
「おまえは逃げてくれ。」
岩永は悲しそうな目を僕に向ける。
「俺には全てを終わらせる責任がある。」
全てを知った岩永の微笑みは悲しくそして僕が始めて見たものだった。
「岩永にだけは責任を取らせないさ。この世界に来たのは僕が原因だ。だいたいお前は全知全能の神だろ。」
かすかに笑ってそうだな、と言う岩永。
戦争は僕らの心をも蝕んでいく。
「スタイン国王の秩序を乱す暴挙はとても許しがたいものである。」
それから十日後シド国王は全国民に向けて、政見放送を行った。
「我々の自由を乱す武力による侵略は私たちにとっての挑戦である。この世界を巻き込んでの大戦は我々の世界に真の平和とはなにかを問いかけるものであろう。」
拡声器による声は国中に響く。
リンドブルムの中心部ではリンドブルムの軍四十万人が集結している。
「これが最後の決戦となるであろう。」
シド国王の演説は続く。
「我々はこの世界に平和をもたらすために戦っているのである。」
僕はマリーと一緒にこの演説を聴いている。
「我々は勝たねばならない、真の自由と平和を目指して。」
マリーは僕の手を握ってくる。
「本当の平和とはこの戦いを超えた所にあるのだ。流れる血によってしか手に入れられ得ない平和は存在する。家族のため、愛する人のため、そして国のため君達の力を貸してほしい。」
国中にわき起こる歓喜の声。しかし僕には悲しみの声しか聞こえない。
シド国王の声は空に高く高く吸い込まれていく。