008 シロネ 1
生まれはどこかも分かりませんが、いつの間にか親はいなくて、いつの間にか1人で生きていて、気付いたら旅芸人一座に拾われて下働きをしていました。
そこで歌や芸を見ているうちになんとなく覚え、座員の衣装を洗濯している時に何気なく歌っていたら座長に聞かれていて、そしたら吟遊詩人として改めて一座の一員になれました。
はじめは楽器を奏でながら歌うのは大変でした。それでも数年も経てば自在に音を奏でることは出来たし歌も上達し、お金をたくさん貰えるようになりました。
すると座長に演劇をしてみないかと言われました。とても嬉しかったです。演劇は一座の花形です。
吟遊詩人は一座の宣伝をするいわば前座です。昼間は下働きをしつつ時間を見つけては街の広場で歌い、夜は酒場で一座の宣伝をし、一座の公演時は前座を務めます。
けれど演劇の役者は違います。
付き人が付き、演劇に没頭できます。
いつの間にか歌も演奏も好きになっていたワタシ。
舞台袖から一座の演劇を見るのも好きでした。
美しい衣装を身に纏い、お芝居をして歌を歌って観客を虜にする。
役者になってからは、それはそれは楽しかったです。
いつの間にか好きになっていた歌や演劇に没頭できたのですから。
たくさんの歌を覚え、たくさんの役を演じ、たくさんの人を魅了出来たと思います。
一座も国内では一番人気となり、豪商や貴族に呼ばれることも多くなりました。
そのうちに外国や他大陸からの依頼も増え、忙しい日々を送っていました。
そんな時、座長が大きくてやりがいのある仕事が入ったと喜んでいました。
中央大陸と呼ばれる、年中あたたかい気候の大きな大陸で、その大陸の中でも中央に当たる宗教国家の影響がとても強い大陸。
その大陸では演劇という娯楽が少ないと言うのです。
そんな大陸に我ら一座が他大陸で流行りの演劇を広めようと言う壮大な仕事です。
たまたま中央大陸から出てきていた貴族がワタシたちの演劇を見て感動したらしく、座長に話をしたと言うのです。
それからすぐに移動し、中央大陸で公演を行い、一部の客の反応に違和感を覚えながら、それでもいつも満員御礼の興行でした。
他大陸で出会ったこの大陸の貴族に案内されつつ行った興行は恙無く行われ、どこへ行っても同じような反応をする一部の客に不思議に思いながら、きっと観たこともない演劇という珍妙なモノにどう反応していいかわからないのだろうと、一座で話し合い、演劇の題目を変えてみたり、小道具を変えてみたり、セリフを多少変えてみたりしても反応は思っていたものと違うものでした。
笑顔は見せてくれるものの、どこか普通の笑顔と違う。
平民と思える客のほとんどは心から楽しんでくれているようでしたが、一部の上流階級の人達の反応は得体の知れない笑みを浮かべての観劇でした。
そのうちその気持ちの悪い感じの笑顔の正体に気付きましたが、その時には全てが遅かったのです。
罠でした。
常軌を逸した、手の込んだ罠だったのです。
獣人をおびき寄せ、じわじわと追い詰め逃げられないようにしてからなぶりものにする。
ワタシたちの一座は、彼ら貴族にとってすれば格好の獲物でした。
獲物が必死に人族を喜ばせるために演劇をする様はある意味では革新的に楽しい見世物だったのでしょう。
その滑稽な様をこの大陸の一部の客たちは笑いものにしていたのです。
貴族や豪商だけの集まりで演劇を披露してほしいと言われ、緊張しつつも演劇をしている最中、大勢の観客のいる中でワタシたちは狩られ、その場の見世物として非道の限りを尽くされ、それでも生きていた、ワタシを含め数人の一座の者たちも貴族の家に連れていかれ、酒の肴に痛めつけられ、動かなくなったところで奴隷商に売られました。
その頃には一座の座員はワタシだけになっていました。
奴隷商に売られた後も、死ぬに死ねない隷属の呪いを掛けられます。
五感はほとんど機能していませんでしたが、その呪いを掛けられたのは認識出来ました。
隷属の呪い…それは奴隷として主人と契約しない限り死ねなくなる呪いです。
飲まず食わずでも呪いの魔法によって生かされ続けます。
体が腐ろうとも虫が湧こうとも。
地獄でした。
そんな状況でも呪いによって生かされ、狂うことも出来ません。ただただ苦痛の日々。
こんな状態の奴隷を買ったところで契約した直後から隷属の呪いの効果は失われていき、数分もしないうちに死んでしまう奴隷を誰が買うのでしょう。
よほどの物好きか、何も知らない子供か。
そんな中、どのくらい経ったかわからないですが、ワタシは買われました。
体に契約の奴隷紋を刻まれ、主となるモノの血を受け入れさせられ、魂を繋がれ、離れないようにされます。
目も耳も鼻も利きませんが、主の存在だけがわかるようになります。
何故かそれだけでホッと出来るような。
やっと死ねるとか、全てから解放されるとか、主を得たらそう思えるだろうと思っていた感情とは違う、不思議な感情でした。
それと同時に、隷属の呪いが薄れていくのを感じます。
このままではあといくらもしないうちに主と別れることになる。この安らいだ気持ちが消えてしまうのだなと思うと、とても悲しくなりました。
それでもこの一瞬でも、最後に主という存在と繋がれたことへの満足感もありました。
最後の最後で救われた、満ち足りた感じです。
これでワタシは死ぬんです。
報われぬ、無念の死をとげた一座の仲間達の許へ行けます。
長く苦痛を味わった分、最後にほんの少し安らぎを得ることができたのはちょっとだけ自慢になりますかね?
奴隷紋の契約に縛られ、主の移動に合わせて体を引き摺る。
薄れゆく隷属の呪いの効果に怯えながら、文字通り血肉を削っての移動です。
その時、魔法を感知しました。
それも持続的な回復魔法です。
それが何故かワタシにも、その周囲数人にもかけられている様子。
不思議に思いつつ、だんだんと意識が遠くなります。それでも体は主から離れまいと主の気配を追い続けます。
移動が終わったのでしょう。
主がワタシの傍にいるのが分かります。遠ざかることもありません。
魔法がいくつか使われた事が感覚でわかります。
あ、これはワタシの主の魔力…
そう感じた途端に視界が開けました。
視界だけではなく、さまざまな感覚が蘇ります。
見えます、聞こえます、匂いもわかります、痛くもないし、苦しくもないし、心も体も軽いです。
実際この目で自分の体を見ても、失われた指も片脚も片腕も付いています。
見えるのだからきっと抉り取られた目も元通りになっているのでしょう。
顔に触れれば皮膚も普通の人と同じような、もしかしたらそれ以上に綺麗な状態になっています。
髪は…燃やされる前の、疎らとなった一番長かった髪の長さまで伸びています。
これだったら整えればなんとか見れる姿となりましょう。
これは…これが、ワタシの主の魔法?
そうとしか思えないのですが、あまりの奇跡に驚きと喜びと感謝と敬意と他に色々な感情がごちゃまぜになってどう反応していいかわかりません。
そこでハッと気づきます。ワタシの主は…
主の気配に視線を向けたその先―――
あぁ、わかります、この方がワタシの主なのです。
人族、なのでしょうか?
纏う雰囲気は安らかでとてもあたたかく、それでいてとても不思議です。
顔立ちは美しいとは言えませんが、中性的で整っています。男性とも女性とも言えない顔立ちであり、背格好であり、雰囲気があります。
その不思議な雰囲気にずっと見ていたくなるような感覚になります。
見た目の特徴は人族なのに、人間の大きさの妖精族にも見えてしまいます。
でも妖精族は不思議な雰囲気もありますが、もっと独特な雰囲気もあります。
もしかしたら私の主は人族と妖精族のミックスなのでしょうか?
主に目を奪われていると、主の仲間と思しき方が、ワタシと同じ奴隷の、アレは…兎人族ですね。その兎人族の少女に声を掛けます。
主より小柄で可愛らしい見目ですが、少年とわかる姿と声です。屈託なく奴隷に声をかける様はなんだか眩しいです。
この御方が兎人族の主となった御方なのでしょう。
もうひと方は主より背が高く、やせ形の、こちらは美しく且つ顔も声も優しげな少年。
柔和な雰囲気を纏わせていますが、それでいて冷静に周囲に気を配っている感じも見受けられます。
主を見ていたい気持ちを抑え、ワタシはこの状況を把握するためにさらに周囲に目をやりますと、なんと鬼人族がいました。
あの屈強なる鬼人族が奴隷としてそこに居るのは驚きです。
しかし驚いている暇もなく、小柄で可愛らしい少年が水だと言う透明な入れ物に入った物をワタシたち奴隷それぞれにくれました。
不思議な感触の、ビンよりも柔らかな素材で出来たビンに入った、どこまでも無色透明な水です。
塵一つ入っている様子がありません。
それを長身でやせ気味の美しい少年が全部飲んでいいと言います。
そう言われてから、ワタシはとても喉が渇いている事に気付きました。
どのくらい水を飲んでなかったでしょうか。わかりません。
とても久々な事であることは確かです。
小柄で可愛らしい少年が不思議な水ビンの栓と思われる物を開けてくれ、飲むように勧められるともう我慢できませんでした。
無我夢中で飲みます。
飲んだ水は無味無臭なのにとてもまろやかで軽い口当たり、なにやら甘く感じてしまうほどとても美味しいです。
とても高価な水だとはわかりますが、それでも飲む事をやめられません。
体が水を欲しているのが分かります。
飲んだそばから水が体中に沁み渡ります。
水はあっという間になくなりました。
全部飲んでも良いと言われましたがさすがにこんな貴重な水を全て飲んでしまったのは拙い気がします。
それに主のお仲間は飲んでいいと言っていましたが、ワタシの主は何も言っていません。
どうしましょう。
でも飲めたという事は奴隷紋に引っ掛かることはなかったのでしょう。
恐る恐る主に視線を向けましたが、主はこちらを見ていません。仲間の様子を眺め、話を聞いています。
ワタシが焦っていると、主以外の少年二人が話し合い、兎人族と鬼人族の奴隷紋の設定をどんどん軽くしていっている様子。
それに倣い、ワタシの主もワタシの奴隷紋の設定を最低条件まで軽くしてしまいました。
ワタシと主のつながりが、とても細いものとなってしまいます。
とても悲しくてとても不安な気持ちになります。
あまりの事に呆けていると、兎人族の少女がビクビクしながらも呆れたように自らの主に声を掛けます。
一度でも主に声を掛けられ、返事を求められたので会話に踏み込めたのでしょう。
なんだか羨ましいです。
兎人族の少女の声に応えたのはその主人ではない、長身の美しい少年でした。
この中で彼がリーダー的存在なのでしょうか。
彼が鬼人族の主のようですが、それだけではなくワタシと兎人族の奴隷も管理するのでしょうか?
ワタシの主は仮の主なのでしょうか?
だとしたらこれもまた悲しいです。
しかも彼の話す内容もとても信じられないような話です。
主を守らなくても、身の危険を感じたら逃げても良いと言うではありませんか。
そんな思考が状況に追いつけないでいるのに、更なる追い打ちのごとく目の前にパンだと言う物を差し出されました。
初めて見る形状ですが、パンと言われたからにはパンなのでしょう。
匂いもそれに近いものを感じます。
毒などは入っていなさそうですが、無味無臭の水を持っている御方たちですから、無味無臭の毒を持っていてもおかしくないです。
けど、魔法で治したばかりのまだ使い勝手の残っているワタシたちを毒殺しますでしょうか?
もしかしたらこの国の人族ならそれもあり得るのでしょうか。
体を治して喜ばせてからの毒殺です。
あり得ます。
けど、この人達はそんな人達ではないと直感的には思えます。
大丈夫だと思えると、今度は急激に腹が空いてきました。
目の前にあるパンが気になって仕方がありません。
まずはパンを差し出した可愛らしい少年を主に持つ兎人族が、意を決してパンを受け取り、かじります。
すると驚いた表情をしてから物凄い勢いで貪るように食べ始めます。
私もパンを食べてもいいのか今回こそは主に視線を向けて同意を得ようと思ったのですが、ワタシの主は私ではなく兎人族の子の食べっぷりに驚きつつ生温かい視線を送っています。
そんな主を見て、どうしたものかと視線を彷徨わせていたら兎人族の主の少年と目が合い、食べるように勧められました。
空腹もあって勧められるままにパンを口に入れました。
とても柔らかく、すぐに噛み切れてしまいました。
甘くて香ばしくてあっという間に口の中から無くなります。
すぐに飲めてしまうので、どんどん食べられます。
先ほど飲んだような高価な水もまた貰えました。
食べたこともない不思議でおいしいパンを口に詰め込めるだけ詰め込みながら食べて、ついさっきまで飲んだこともない汲みたての澄んだわき水のような美味しい水を夢中になって飲みました。
頭の中はパニックでしたが、体はとても正直に食欲を満たしていきます。
後が怖いですが、止められませんでした。
不思議な袋に入った最後の一枚のパンを口にくわえたときです。
なんと初めて主と目が合いました。
もしかしたら初めて主がワタシという存在を見た瞬間かもしれません。
あまりの嬉しさにチビりそうになりました。
現状の自分の行動のあまりのひどさに血の気が引いていくのが分かります。
「す、すみません! あ、えっと」
ワタシ、と言いかけて一瞬、頭の中でブレーキがかかりました。
ワタシの鼻を以ってしても現状では主の性別がわかりません。
主は奴隷に何を望んでいるわけでもないようですし、興味もなさそうです。
主の雰囲気から察するに、主は自分と合わない奴隷であったたなら早々にあの長身の美しい少年に任せてしまいそうです。
少年たちと主の雰囲気から察しても、奴隷の交換などあり得そうです。
なんでかわかりませんが、そんなの嫌です。
奴隷なんて身分になってしまって、主になった人になんでこんなことを思えてしまうのか不思議でしょうがありません。
ですが主と離れるのがとても怖く思えます。
直感ですが、これは奴隷紋の影響とかではないように思えます。
主の奴隷になった時のあの安息感と充足感。
これからこの御方に仕えられると思えた高揚感が一瞬にして消えてしまうかもしれない。
その時のワタシは、どのような心持ちで生きていくのでしょう?
そんなこと、怖すぎて考えられない。
とにかく、主の好みを探って、主の好みに合わせて自分を作ろう。
何年も役者を続けてきたんです。
“主の役に立つ奴隷”
を演じれば、主好みの奴隷になれるかもしれません。
はじめは性別的な事は出さずに、感謝と謙虚さと活きの良さをアピールします。
ここでワタシの使い勝手の良さを主にアピールできればずっとおそばに置いてもらえるかもしれませんから。
「自分、シロネと言います! 自分、さっきまで何も見えなくて、微かに感じ取れた魔力から考えると、ご主人様が自分等治してくれたんですよね!? ありがとうございました! それに、奴隷紋の設定緩和や食事も!」
本当はもっと太く奴隷紋で主と繋がっていたかったですが、緩和されたらされたで、主の役に立てそうな事はたくさんあります。
主達を守らなくてもいいと言われましたが、その言い方だと、守ってもそれはそれでいいという考え方も出来ます。
命令違反にはなりません。
ワタシはワタシの主を全力でお守りしたいです。
と意気込んでいたら、
「あ、はい…」
と言いながら主が物凄く引いた感じの視線を向け、四歩ワタシから離れてしまいました。
初めて主の声を聞きました!
感動しました!
けどそれだけでは性別がわかりませんでした。
初めて主の声を聞けた喜びと、性別不詳のもやもやと、ワタシの態度で主を引かせてしまったことへの絶望感でワタシは大混乱です。
主との距離感がなんとなく察せられます。
ワタシの主は、うるさいのが苦手で、人に近づかれるのも苦手なようです。よく見れば少年たちとも絶妙な距離感を保っているようにも見えます。
手を伸ばして届かない距離。
かと言って他人よりは気安く、仲良さげに付き合える雰囲気を出しているのでそれほど遠く思えない距離です。
ワタシの大失敗な気合いの入ったお礼と自己紹介に続いて鬼人族が武骨な感謝を述べ、そのあとに続いて兎人族の少女も慌てて挨拶をする。
鬼人族の言葉には落ち着いた対応をしていた主だったが、兎人族の少女にはワタシにしたとの同じような態度を取った。
主達は女が苦手?
とも思いましたがワタシはまだ女感を出していません。
奴隷商でワタシの性別を知った可能性もありますが、ワタシが主に声をかけるまでは普通だった事を考えると、主はうるさい感じが苦手なのかもしれません。
少年たちを見ても、無口なわけでもなく、むしろ男子としては賑やかな感じさえします。
その雰囲気に馴染んでいることから、主は賑やかなのは大丈夫でも大きな声や勢いを苦手とするのかもしれないです。
ワタシの予測通り、兎人族の主である小柄な可愛らしい少年が、ワタシの主と、鬼人族の主である長身の美しい少年の苦手なタイプを教えてくれました。
「あー、すまん。こっち二人、グイグイ行かれると引くタイプなんだわ」
と。
グイグイ行くというのはなんと説明すればいいかは分かりませんが、なんとなくわかりました。
そしてそれさえ気をつければ主とうまくやっていけるかもしれません。
これからの指針が出来た気がします。
「ついでにオレはハルト、コイツがマモル、あんたらの怪我を治したのがこのセージな」
ハルト様の紹介に合わせてマモル様とワタシの主、セージ様が会釈をしてくれました。
ワタシの主はセージ様。
セージ様。
主の事を知る毎に胸の奥がじんわりとあたたかくなります。
同時に、この御方をお守りしたいという気概が高まります。
こんな事、今まで思ったこともなかったです。奴隷というものになると主にこのような感情を抱くようになるのでしょうか?
それにしてもやはり名前を聞いてもワタシの主は性別不詳ですね。
お二人との気安い感じからすると男の子…男性?でしょうか。
よく考えて見れば見るほど年齢まで不詳な気がします。
しかしハルト様とマモル様の、セージ様に対する気の遣い方は女性に対するモノのような?
セージ様…マモル様と同い年くらいの少女に見えなくもないですね。
どうしましょう。
セージ様を見れば見るほどますます混乱してきました。
混乱しつつもセージ様を見ていたら、物凄く気まずそうに顔を背けられてしまいました。
不快な思いをさせてしまいました!
全力で謝り倒したいですが、それも絶対セージ様は嫌がるはずなのでもどかしいです。
これは何かで挽回します!なのでセージ様、もう少しこのシロネをどうかおそばに置いて下さい!