悲痛と結末
一五四五年 尼子民部少輔詮久
一瞬何が起きたのか分からなかった。中軍から味方全軍の指揮を取っていた私の耳に突然右から味方の兵の怯える様な慄く様な喚声が響き、私や私の護衛の為に周りにいた兵達は一斉に声のする方に視線を送る。
そして気付けば地面が揺れているのではと思う程、馬蹄が駆ける音が徐々に近付いてくるようだった。そして間違いなく正体不明の騎馬隊がこちらに向かって来ていた。敵からも喊声が聴こえる。
まさか後方からこちらを追っていた敵の軍が追いついたのかと疑ったが、距離的にまだ到着するには早すぎた。まだ太陽は高い位置にある。追い付くならば夕方くらいだったはずだ。
ではどこの部隊が?何を見落として…、否、そんなことよりも正体不明の部隊の対応だ。こちらに迷うことなく来ているという事は間違いなく敵なのだ。対応せねば。こちらまで届くのにまだ時はある。馬群はそれほど大きくない。
「皆落ち着け!槍を構えて馬の足を止めよ!!敵の数は決して多くはないぞ!!」
そう声を上げて味方の兵を落ち着かせようとする。だが、指示さえあれば慌てていても動き始める筈の兵達に動きが出なかった。何故だ。何が起きている!急がねばすぐそこまで迫っているのに…!
「ええい!何をしている!いつまで呆けているつもりだ!!敵だ!!このままでは喰われるぞ!!」
そう叫んで漸く徐々に兵が動き始めるが既に手遅れだった。正体不明の部隊はこちらの予想よりも圧倒的に早く既にそこまで来ていた。そしてそこで味方が何故すぐに動けなくなったのかを悟る。
私の目に飛び込んできたのは我等尼子家と同じ平四つ目結の家紋が入った旗指物だった。
新宮党。
堕ちた、私の手で堕としたとはいえ奴等はかつては尼子家最強と謳われた最精鋭の部隊だった。
その強さを兵達は知っていた。過去に頼りとしていたその部隊が今、こちらに牙を剥けている。だから兵達は恐怖して委縮し動けなくなったのだろう。
そう頭では冷静に状況を見ているつもりだったが、目に飛び込んできた先頭を走っていた心底嫌っていた男のせいで一瞬で理性の箍が外れていく。
見にした瞬間に視界が真っ赤になったのかと錯覚するほどの激情が身体を支配した。
「式部少輔!!貴様ぁぁぁあ!!」
見落としていたのはこいつだった。
尼子式部少輔誠久。
我等尼子家の美作国を不当に占領しながらもそこで逼塞していた筈の元新宮党の忌々しい生き残り。塵芥に等しいと捨て置いた男だ。
この戦に参加する様子を見せずにいたはずだ。兵を集めるでもなくただただそこにいるだけで動きを見せなかった。どうせ奴に当主の役割は務まらぬ、いずれ勝手に自滅すると思っていたその男が何故ここにいる!
式部少輔の部隊はそのまま防備を固めきれなかった我等の部隊に凄まじい勢いで突っ込んでくる。
そして間違いなく私を目標にして突っ込んできていた。
「殿お引きを!!敵の勢いが強すぎます!このままでは殿が敵に飲み込まれまする!!お引きを!!お引きを!!」
護衛の兵達が私の馬の手綱を取り引かせようと試みる。
「何故だ!!何故私があの男から逃げなければならんのだ!!離せ!!」
あの男から逃げることだけは認められなかった。許せなかった。
いつも私の邪魔をする。何故、何の苦労も知らないあの男だけが好き放題に、身勝手に生きられるのだ。
私が尼子家の当主として薫陶を受ける中、御祖父様(尼子経久)には甘える事すら出来ず、式部少輔は…、孫四郎は少し剣術が出来ただけでも御祖父様に褒められる。同じ孫なのに。
周りもそうだ『流石は紀伊守(尼子国久)様の御嫡男よ』と褒めそやす。気に入らなかった。気に入らなかったが、それでも私はいずれ父の跡を継ぐのだと。そのために歯を食いしばって耐えてきたのだ。なのにお前は!
いつもそうだ。子供の頃から共に武技を学んでもお前の方が上手かった。そしてその度にお前は私をつまらなそうに、見下すように見るのだ。そして今もお前は私の邪魔をしようと!!
「殿を失う訳には参りませぬ!!御免!!」
「やめろ!!ぐっ!!くそぉぉぉぉ!!」
その場に居続けようと踏み止まっていると護衛の兵達に無理矢理馬上から引きずり降ろされた。
そのまま抵抗する私を強引に後方まで下げられる。
私のいた場所は次の瞬間には騎馬隊が蹂躙するように駆け抜けていった。駆け抜ける間際、先頭を走っていた孫四郎と目が合う。やはりつまらなそうに私を見下ろしていた。
そして騎馬隊が駆け抜けていく。
駆け抜けた後の味方のいた場所は見るも無残な有様だった。蹴散らされた者も居るだろう。踏み潰された者も居るのだろう。運よく助かってもそのあまりの恐怖に腑抜けたように呆然自失としている者も居る。私が先程迄乗っていた馬も姿が見えない。騎馬隊に飲み込まれたのか騎馬隊と共に駆けていったのか。
激高していた感情が落ち着いてくる。
だが人的被害はそれ程ではない。問題なのはあの孫四郎、新宮党への畏怖からくる委縮だ。どうすればいい。
「殿!急ぎ陣を整えませんと!また敵が戻ってきます!!」
「分かっているっ!!」
見れば孫四郎の騎馬隊はこちらと距離を空けるとそこでぐるりと半円を描く様に向きを変えて再びこちらへ戻ってこようとしているようだった。このままここにいても中軍は私の周り以外恐慌状態でまともに機能しない。いくら声を掛けても何人が反応出来るか。
兵の一人が新たな馬を持ってくる。すぐさま鐙に足を掛けて鞍に跨った。
「後続と合流し騎馬隊に備える!一度後方へ引くぞ!!」
馬上から呼び掛けると護衛の兵達以外にも反応を示す兵達がまだ多くいた。孫四郎が去っていった方を見ると再びこちらへ駆けてこようとしているのが見えた。
一五四五年 佐世伊豆守清宗
「何が起きたというのだ!」
後方の異様な喚声に只ならぬものを感じて近くにいた兵に声を掛ける。だが私も見えなかったのだ。周りにいた兵も戸惑うばかりだ。だが後方の兵達の奥から一人こちらに駆け寄ってくる者がいた。
「我等尼子家と同じ家紋が書かれた旗指物を差す騎馬の部隊がお味方に突撃してきました!」
「何だと!?」
どういう事だ。まさかまた味方の裏切りか。いや、裏切りだとして尼子家の家紋を持てる部隊は殿以外に…、まさか!?
「うおおおぉぉぉぉぉお!!」
私が気付いたと同時に牛にも似た大音声と共に大きな巨体がぶつかってくる。
突然の不意討ちに吹き飛ばされた身体の体勢を整えるため足を踏ん張らせようとしたがグキリと骨が嫌な音を鳴らす。
「ぐうっ!?」
「殿!」
先程、後方の様子を伝えてくれた私の家臣の心配する様な声が聞こえたがその声はすぐに敵の兵が動き出したことによってかき消される。こちらが戸惑っているのをよそに敵は既に先程の混乱からは復帰したらしい。やはり敵の援軍だったのだと理解する。しかもよりによって美作に追い払った新宮党残党の兵が出張ってくるとは。戦端が開かれるまで美作は全く動きを見せなかった。毛利からの使者のやり取りはあった筈だ。にもかかわらず動かなかった故に意識から外していた。この不意討ちの為にわざと動きを見せなかったという事か…。
一気にその場が騒がしくなる。特に敵方の士気が跳ね上がったかのようだった。
一方こちらは未だに動揺が抜け切れていない。否応なく対応が迫られ、なし崩しに敵と干戈を交えているだけだ。先程迄の優勢だった雰囲気は吹き飛ばされたと言って良い。
見れば、先ほどまで虫の息だった佐東金時が立っていた。相も変わらず息も絶え絶えだがそれでも視線はこちらへとはっきりとした殺意を向けて来ていた。
私自身もだいぶ体力を削られていたらしい。まさか足を負傷してしまうとは。足を地面に付く度に右足首から、頭にまで響く様な激痛が走る。先程のように踏ん張ることも出来ない。もうこの目の前の男の攻撃を受け止めるどころかいなすことも出来ないだろう。
「殿をお守りしろ!!」
そんな時に数人の兵士が駆け寄ってくる。私の身を案じて一部の味方の兵が敵との間に割って入り身を呈して盾となってくれるらしい。
だが敵もそれをおいそれと見逃してはくれなかった。新手なのだろう。新たに現れた敵兵達が盾となろうと間に入ってきた兵に襲い掛かり再び私と佐東金時の間には妨げるものが無くなった。
遠くから『権兵衛!』と呼ぶ声が聞こえてきた。チラと見れば吉川の小僧がこの視界にも映る程度にまで近付いて来ているのが見えた。恐らく先程間に入ってきた新手は吉川の小僧の手の者なのだろう。随分と家臣を大事にする男のようだ。噂では血に狂ったような狂児だと聞いたが噂は噂なのだな。だがまだここまでは辿り着けないようだ。兵達が阻んでいるのだろう。
主に名前を呼ばれても相手も逃げ出す気はないらしい。聞こえていないのか、それとも聞こえていて敢えて無視しているのか。どちらでも構わぬ。当初の目的通りこの男を殺して吉川の小僧の心に傷を負わせてくれるだけ。
敵は持っていた斧を両手で握って半身になり刃を後ろに向けてじりじりと距離を伺っている。渾身の一撃で私を殺すつもりなのだろう。
私も右足を庇いながら槍を構え直す。次の一撃で仕留め切らなければ私が死ぬだろう。
「さあ、殺ろうか。佐東金時…」
そう相手に呟くと金時も小さく頷いた。もう既に喋る力も残っていないのだろう。それも当然か。
何故だか分からぬが笑みが零れた。
後方の混乱からしても状況はまたこちらに分の悪いことになったのだろう。
私自身、追い詰められておかしくなったのかもしれん。だが、今この瞬間だけは、佐東金時と対峙し鎬を削ることを楽しいと思う私がいた。
周りの喧騒も気にならない程に集中していた。相手の一挙手一投足全てに神経を集中させる。
金時が動き出した。何処にそんな力が残っていたのかと思う程の勢いで駆けてくる。だがこちらは右足が使えないのだ。相手からこちらに近付いてきてくれるなら有難い。
瞬間、相手が自分の身で隠す様に両手で握られていた斧が動く。だがまだ私の身に届くほどの距離ではない。では何故だ?
その答えはすぐに判明する。投げたのだ。空気を切り裂き、唸る様に斧が私の身体目掛けて投擲されたのだ。何という事だ。己の身を守るための武器を投げてまで私の命を狙うとは…!
だが私にはそれがしっかりと見えていた。その剛腕から放たれた斧だ。凄まじい勢いでこちらへと向かってくるが手から離れてしまった分、一度弾いて逸らしてしまえば力で押し負けるようなことにはならない。狙っていたのはこれだったのだろうが残念だったな。
驚嘆させられたがここまでだ。冷静に穂先の対極にある柄の先で斧の軌道を逸らす様にぶつけた。
ガツッ!と柄の先から音が響く。斧の勢いで柄の先が斬り折られてしまったらしい。投擲された斧とは思えぬ威力だ。だがそれで相手の攻撃は終わりだ。
勝った。
勝利を確信した。後は斧を弾く際に振り上げた槍を引いてその大きな身体を貫けばこの勝負私の勝ちだ。もう相手には持っている武器は無い。持っていた斧は既に弾いて行く先も知らない。
腰から下げている斧は初戦に刃を壊してこの鎧を裂けるほどの威力を残していないだろう。
勝ったのだ。
引いた槍を相手の身体目掛けて勢いよく穿つ。
「さらばだ、佐東金時!!」
それでも相手は最後まで抵抗しようと腰にぶら下がった破損している斧を手に持って抗戦しようとしてきた。最後まで戦おうとするその意気は天晴れ。農民上がりとはもう呼べぬ。せめて私の記憶の中に刻んでおこう。
木の割れる音が響く。両手で持っていた槍が平衡を失ったように不安定になる。何が起きた。
視線を手元に送ると私の両手の間で槍の柄が綺麗に斬られていた。
何故。
視線を相手に戻す。下から振り上げるようにして振るった斧の刃は一つも破損をしていなかった。
何故。
そう自分に問うも答えがある訳もない。
下から振り上げられた斧の刃が私の身体を切り裂いた。
空が見えた。綺麗な青空だ。
そのまま仰向けに倒れる。
空は綺麗なままだった。
「殿ーーーーーっ!!」
遠くで私の事を呼ぶ声が聞こえたような気がした。すまん、私は破れてしまったようだ。家臣には面目ないことをした。
私に近付いてくる足音が聞こえ視界に影が映った。足取りは重い。先程まで戦っていた相手だ。私を斬った男。佐東金時。私を見ていた。
「斧は、いつ…持、ち……た…?」
何時持ち替えたのか聞いたつもりだった。だがうまく言葉にならない。
息をしようとすると上手く出来ず噎せた。臓腑にも奴の刃は届いたのだろう。噎せた咳と共に血が噴き出した。
ああ、これはもう助からんなぁ。
「…最後に、お前ぇと向き合った時だぁ。お前ぇに、気付かれねぇ、よう持ち替えた」
金時にはちゃんと聞き取れたらしい。静かな声でそう答えてくれた。奴も息絶え絶えだった。
ああ、そうか。だからわざと半身になっていたのだな。考えた上でのあの構えだったのだな。投げた時点で奴の狙いは終わったのだと見切りを付けたが早計だったようだ。
農民上がりだと馬鹿にしていて、そんなことをしてくるとは夢にも思わなかった。はは…っ、負けるのも道理よな。
「首、取れ…。金時、お前の、手柄、だ…」
最期の力を振り絞り声を出した。今度ははっきりと言葉に出来ただろう。金時が頷くのが見えた。持っていた斧が太陽に反射する。私の血で濡れた赤い斧だ。
だが、その斧が振り下ろされることは無かった。金時の姿が視線から消える。次いで聞こえてきたのは味方の兵と思しき声だった。
「殿を守れ!!首を守れ!!」
どうやら私の首を守る為に無理して敵から抜け出してきたのだろう。失礼な奴らだ。私はまだ、死んでいないのだがな…。
「殿!殿!」
私のことを覗き込む顔が見えた。先程、状況を伝えてくれた家臣だ。武運よく生き永らえていてくれたようだ。その顔は今にも泣き出しそうなほどだ。だが私の視界もぼやけてきた。そろそろ死ぬようだ。だがせめて。
「…殿、に。…ゴフッ、もう、し、わ…い、と」
最期の最期に言葉が出なくなるとは…。詰めが甘い。だからこの戦も、殿に勝利を齎せられなかったのだろうなぁ…。申し訳ないと伝わっただろうか?
「…確と、確とお伝えしたしまする…!」
ちゃんと家臣には私の言葉が届いただろうか。もう相手の顔も見えない。笑みを浮かべられただろうか。
ああ、殿、せめて…貴方だけ、でも……。
お読みいただきありがとうございました。
一つの勝負の決着となります。
また明日も更新致します。引き続きお楽しみ下さい。




