月山富田城攻め
一五四五年 今田孫四郎経高
城攻めが始まった。大手門を我々の本陣とし、そこで軍議が開かれた。上座に座る次郎(吉川元春)様の顔色はいいようだった。進軍中も不調は無かった。本当に問題ないのだろう。
それに前に比べて戦の際に常にあった張り詰めたような雰囲気が無くなったように思える。敵を侮っている訳では無いようだが、余裕があるのだろうか。どことなく曾祖父(吉川経基)様を思い出させた。
今でも次郎様が生きているという事が夢なのではないかと思ってしまう。それだけ吉川家は混乱していた。次郎様の前の当主、従兄弟であった次郎三郎(吉川興経)は戦が強いだけで言葉に一貫性がなく何とも頼りない男だった。
だからこそ国を富ませてくれる次郎様に拙者たち吉川の人間は喜んでお仕えすることが出来た。お若いながら人柄も良く拙者たち家臣に対しても気に掛けてくれている。お仕えしやすい方だ。
これから吉川家は曾祖父様の時代のように大きく名を上げることが出来ると父上(吉川経世)は良く仰っていた。そんなときのこの凶事。衝撃は大きかったし悲しかった。
本当に生きていて下さって良かった。
とはいえだ。拙者には今回の謀に関しては蚊帳の外だった。父上も兄上(市川経好)も知っておいでであったにも拘らずだ。それが不満だ。
何故教えてくれなかったのか問うても『面に出さずに隠し通せたか?』と言われてしまえば返す言葉もない。だから納得はした。拙者に謀は合わんのだろう。だが悔しい。
拙者は信じてもらえなかったのではないかという不安が無い訳では無い。だが役割が違うのだと無理矢理自分を納得させた。
それにあの時は兄上を不当に責めてしまった。今冷静になっていれば確かに兄上の態度は不自然ではあった。だが吉川家の中でも兄上は特に次郎様を信頼している。だから渋っているとばかり…。確かに次郎様は御立派だ。拙者よりも年若いのに拙者とは比べ物にならんほど御立派な大将を務めておられる。でも次郎様の跡を兄上が継いだとしてもきっと立派に吉川家の当主を務められたはずだとあの時は思っていた。
いや、うだうだ考えても無駄だ。このもやもやした気持ちは全て敵にぶつけ鬱憤を晴らさせてもらおう。
「者共!拙者に続け!」
拙者の掛け声で一斉に兵達が駆け上がっていく。兵達は目の前にある門を破壊するためひと塊になって大きな太い木を持ち突撃していく。他の兵は左右と上部に盾を構えて敵からの攻撃を防いでいた。
今回の進軍は攻城戦の道具を何ひとつ持ってくることが出来なかった。今持っている盾代わりの木の塊も途中で拵えた急造品だ。かなり重いが矢を浴びせかけられるよりはマシだろう。
拙者たち吉川軍は山での訓練を積みながら木工作業にも従事していたのだ。あの時は何の役に立つのだと嫌々付き合っていたが、いざこうして実際に活かされるのを目の当たりにするとやっていて良かったとしみじみ思う。この戦が終わったらもっと真面目に作業もこなそう。
ドゴォォォォンと最初の一撃が目の前の城門にぶつかる。ミシミシと軋むような音は響くもびくともしていないようだ。なかなか時間が掛かるだろう。だが大手門に比べれば大したことではない。このまま繰り返す。
この山城の中腹には大きく拓かれた場所が広がっているそうだ。そこが第一の目標地点になる。この門に辿り着くまでにも幾つか曲輪があったが敵の姿は一度として見なかった。余程守備兵が少ないのだろう。いちいち城門を攻略しなくて済むのは楽でいい。だがここは違う。敵の兵力が集中したせいで反撃も激しい。
だがこの中腹の拠点にはこことは別に他にも二か所、出入口がありそれぞれ平左衛門尉(宇喜多就家)と兵庫頭(熊谷信直)殿が攻めているだろう。
三か所から同時に攻撃を加えているため敵の攻撃も分散されている。次郎様は特にどうしろという指示がなかった。期せずして誰が先に中腹を攻略出来るか競い合う形になったが恐らく次郎様はわざと競い合う形にしたのではないかと思う。
面白い。ここで信頼を勝ち取る為に激しく攻め立てねば。最初に敵の曲輪を落とすのは拙者たち今田隊だ。
「宇喜多隊、熊谷隊に負けるなお前たち!この戦に勝ったら褒美はたっぷりだぞ!拙者に続け!!」
おっと、笑顔を忘れていた。吉川軍は笑ってこそだ。笑いながら戦うと不思議と恐怖心が薄れる。
「さあ笑えお前たち!はははっ!尼子の兵何するものぞ!城門を突き破れ!!」
一五四五年 宇山飛騨守久兼
大手門近くにはためく吉川の旗に最初は目を疑い、攻めて来る前に一度姿を現した敵の大将の姿で今回の戦が全て敵の罠であったことを理解した。
あの顔は吉田郡山城攻めの際に見たことのある顔だ。随分と大人びてきたがあの鋭い目は幼かったあの時分と何も変わらん。間違いない。吉川少輔次郎元春。血狂い次郎とも呼ばれている毛利の次男坊だ。
健在だとでも言いたげに不敵に笑い生意気にも矢文なんぞ射かけてきおって。何が『これより、月山富田城は毛利が貰い受け候』だ。小癪な。この城を落とせるものなら落としてみよ。
残念だが鉢屋衆は吉川元春を殺し損ねたのだ。
だがそれを隠して我等を陥れようとしたのだろう。自分の息子の死すら利用する右馬頭(毛利元就)にゾッとする。近隣を巻き込み盛大な葬儀をしてまで我等を陥れる策を仕込んでいたか。
だが赤名峠でぶつかった殿は毛利軍を圧しているとこの城が攻められる前に早馬で情報が届いた。
守兵はわずか三百程度。なれど敵も見る限り五百は超えていないはず。それに見れば兵糧などないに等しい様子。
全てを守り切るのは無理だと判断しこの山中御殿に守兵を集中させたのは正解であった。おかげでこの兵力差なら守りきれる見込みが付いた。殿に任されたこの月山富田城。落とさせるわけにはいかぬ。
ここまで辿り着き大手門を占拠したことは褒めよう。だがここまでだ。時は我等に味方している。ここで吉川軍を抑えている間に殿が毛利本軍を圧し潰す。さすれば今目の前にいる吉川軍など霧散するわ。
だが、この目の前にいる吉川の兵達はどこかおかしい。
大手門を放棄した際には攻城戦のための装備は何ひとつ無かったはず。だというのに正面から攻めて来る兵達は歪な盾を手に、どこから持ってきたのか巨木を担いで城門を破壊しようとして来ている。
右側から攻めてきている軍は盾は正面ほどではないが代わりに梯子のようなものまで持って城壁を乗り越えようとして来るものまでいる始末。一体こやつらは何をしているのか。これまでの戦と何ひとつ違う。まさか今用意したのか?この短時間に?右方を守る遠江守(湯原久信)であれば問題ないと思うが。
唯一の救いは左側の攻撃が散漫としていることか。こちらを攻める気がまるで感じられぬ。どうやら左軍が吉川の穴だな。守将の駿河守(中井久包)殿も拍子抜けしておろうな。
さて、左の凡将よりも正面だ。特に攻撃が苛烈だ。何とかしたいが…。
「伝令!駿河守様より、左方はある程度放置で構わぬとのこと。兵をそちらに回す故使ってほしいと!」
「ふっ、流石は駿河守殿よ!よし、守兵を幾らかこちらへ動かすぞ!伝令走らせよ!」
「はっ!」
こちらの意を汲んだかのように駿河守殿から兵が送られてきた。ありがたいことだ。戦の機微を掴んでおられる。伝令が走りその後、送られてきた守兵を正面と右方へと再配置させる。これで吉川も手詰まりよ。
朝から始まったこの攻防も既に昼になろうとしている。こちらの狙い通り、厚みを増した守兵の矢が雨のように敵へと降り注ぎ正面も右方も攻めの手が緩み始めた。矢なら武器庫に幾らでも備えられている。無礼な客人にたっぷりと馳走してやらねばな。自然と笑みが浮かぶ。
「ははっ!他愛なし!この程度でこの城を落とそうなどと百年早いわ!毛利の子倅め!」
私の声が戦場に響く。当然目の前の敵将にも声は届いたのだろう。矢雨に怯み、下がりかけていた一団が再び遮二無二攻撃を仕掛けてきた。何やら喚いておるわ。
「はははっ、聞こえん聞こえん!」
気付けば中天を差していた日の光が西へと沈み始めていた。この調子なら問題は無さそうだ。じきに吉川も下がるだろう。
その時、バンッ!と何か聞き慣れぬ爆発音が左方から幾つも響いた。
「何事だ!?」
周りの兵の声を掛けたが誰も事態を把握出来ていない。当然か、不味い、何か嫌な予感がする。
「物見を向かわせい!急げ!」
「はっ!」
駆けて行った物見が帰ってくるのはそれほど時間は掛からなかった。だがその焦り様は…。
「お味方苦戦しております!左門は混乱しており急ぎ救援を送らねば突破されかねません!」
「何故だ!?駿河守殿はどうした!!」
「駿河守殿は先ほどの音で討ち死に!兵達が妖術使いだと恐慌に陥っております!」
くっ!一体何が起きたというのだ。先ほどの大きな音で隙を突いたように敵の攻勢が再び激しくなってきている。このままでは左門から崩れる…。敵が一気に流れ込んでくるだろう。兵を退くしかないのか。
「私が左門に出る!伝令!遠江守に本丸まで兵を引くよう伝えろ!山中御殿は放棄する!」
まさか一手でこれ程盤上を引っ繰り返されるのか。何としても兵達を本丸に収容せねば。
【新登場人物】
湯原遠江守久信 1522年生。尼子家家老。史実の牛尾久信。+8歳
中井駿河守久包 1498年生。尼子家家老。尼子詮久の傅役。+32歳
いつも百万一心の先駆けをお読み頂きありがとうございます!
活動報告の方で更新予定を記載しておりますので興味のある方はお読み下さい。
また非常に心苦しいのですが、少し匙加減に困っていることがありますので読者の皆様のご意見を頂けると助かります。




