赤名峠の戦い(3)
一五四五年 粟屋弥六元親
飛騨守(国司元相)殿の姿が見えん。まさか討たれたか?
いや、まだ討たれていない!だいぶ数を減らしているようだが国司家の家紋、七宝に反り花角の旗を立てた纏まった集団が必死の抵抗をしていた。飛騨守殿が討たれていれば抵抗も出来ていないだろう。少なくとも飛騨守殿は生きている筈。
危うい所であった。もう少し遅れていれば飛騨守殿が討たれ突破される際の際だったようだ。だが間に合った。
「飛騨守殿を死なせるなよ!者どもこのまま突撃せよ!」
『応オオオォォl』
共に駆けていた兵達と一緒に目前の敵に向かって勢いのままにぶつかっていく。だがこの狭い戦場では少数と言えど軍の入れ替えは難しい。国司隊の損耗も激しいようだ。纏まって上手く入れ替わってくれるといいが。いや、共に長く毛利家に忠義を尽くしてきた儂らだ。歴戦の飛騨守殿ならばこちらの意図を理解してくれるに違いない。
こちら側には死体も傷付いた味方の兵も転がっていない。つまりはそれだけ味方は押され続けているという事だ。恐らく傷付き動けなくなった兵達の命は敵の後続に狩られているだろう。奥歯に力が入る。拙い状況だとは理解していたが想定よりも更に悪い。
「我が名は毛利家臣粟屋弥六元親!雑兵どもよ、我が首獲れるならば掛かって参れ!」
大きく声を張り上げて敵の注意を引く。侍首だと分かれば雑兵の目をこちらに向けることが出来るだろう。その分国司隊が楽を出来る筈。援軍が来たことも飛騨守殿も分かってくれるはずだ。
狙い通りに敵兵の圧力がこちらに寄ってくる。飛騨守殿の小勢は敵から剥がれやすくなっただろう。チラと一瞬国司隊のいた方に視線を移せば隙を突いたのだろう、下がっていくのが見えた。意図が通じていたようだ。殿をしているのは飛騨守殿本人だろうか。相変わらず年老いた身で随分と無茶をする。
だがこの山名の軍の死に物狂いの攻撃はなんなのだ。山名が何故ここまでこの戦に死力を尽くす。この戦は尼子の戦であろうに。恐らく手を組んだのだろうが、元は敵同士なのだ、これほど死力を尽くす理由は山名にはない筈だ。気味が悪い。
突き出された敵の槍を持っていた槍で振り払う。振り払われよろめいた敵兵の首元目掛けて槍を突き刺す。粗悪な胴丸しか装備出来ていない、恐らく招集された農民なのだろう。日に焼けて浅黒くなった首元が血に染まっていく。
途端に崩れると思いきやその兵は残った力を振り絞るように刺さった儂の槍を掴もうとしてきおった。呼吸する度にゴポッと口から血が溢れる。ただの農民がこれ程の抵抗をしてくるのか。ただの農民がするような目ではない。このままでは敵に槍を掴まれ体勢を崩す。
「くっ!」
鐙に置いた足に力を込めて両手で槍を握り直し、こちらの体勢を崩される前に槍を引き抜く。それでも死にかけた農兵は儂を追い縋るように持っていた槍をこちらに投げてきた。力が既に入らないのだろう。勢いのないその槍を払い落とした頃にはその兵の姿は他の兵に紛れて消えていた。
危ないところだった。死ぬ間際まで攻撃してくるとは。やはり山名軍の様子が明らかにおかしい。この粘り強さはなんだ
。まるでそちらが攻められているかのような。まさか押し返しきれないのか!山を越えてきたなら体力が削られているはず。なのにここまで強いのか。うまくない、訓練を重ねている兵たちも動揺している。
「踏み止まれ!我等の国を守るのだ!敵に踏み荒らさせてはならん!」
敵の雰囲気に呑まれかけている兵達に叱咤する。儂の声に兵達もここで戦う理由を思い出したのだろう、再び激しく押し合い始める。
敵の異様な不気味な強さに兵達もたじろぎ腰が引けたように警戒し始めるのも分かる。それほどに今相対している軍はおかしい。だが我等が抜かれれば国が荒らされるのだ。ここで共に戦っている兵達の家族も慰み者にされ奴隷として売られるかもしれん。我等が抑え込むしかないのだ。冬が到来すれば敵も遠征し続けられないだろう。だが、やはり敵の圧力は尋常ではない…!
このまま冬が来るのを待てるのか?敵の攻撃は初戦とは打って変わり激しいものになっていくだろう。こちらは当初の予定以上に軍を損耗させられているだろう。
それにこのまま山名らしき敵軍に楔を打ち込まれたままここで抵抗されれば兵の少ないこちらが力尽きるのが早いのではないのか?
ちっ!迷っている暇はない、今も現にじりじりと押されているのだ。目の前に集中しろ。
一五四五年 毛利右馬頭元就
「尼子の狙いはこれであったか」
儂の呟きに婿の弥三郎(宍戸隆家)の唸るような声が響く。数日前に太郎と話していた儂の杞憂がこのような形で実現することになるとは。首元に鋭い刃を突き付けられたような寒々しさを感じる。
飛騨守(国司元相)が素早く対応し、二陣の弥六(粟屋元親)が動いたことで手当ては出来たが。それでも敵の勢いは強いらしく苦戦している。思った以上に山名軍の攻撃は激しいらしい。死兵のようだという声もあるらしい。
尼子勢は山名の伏兵に合わせて遮二無二押してきたために国司の倅(国司元武)が突破されかけたが寸でのところで三郎(小早川隆景)が横槍を入れたおかげで尼子の足を止め勢いを削ぐことに成功した。それでも飛騨守と弥六の軍が抜かれるようなことになれば後方を脅かされた兵達の心が折れる。
小早川隊が前線に出てしまったために本谷山中腹の陣が空いてしまっている。穴を埋めるために三陣の式部大輔(坂元貞)を動かさざるを得なくなったのも痛い。兵力は尼子の方が圧倒的に多いのだ。まさかあの深い山を越えてくるような無謀な攻撃を加えてくるとは。我ら毛利の状況は未だ薄氷の上を歩いているに等しい。
国司隊から送られてきた伝令の助兵衛(国司元熈)はこの陣に留めておいた。『今すぐにでも父上の元へ!』と戻ろうとしたが、元服を済ませたばかりで初陣も済ませていないと聞く。
恐らく飛騨守が逃がすために伝令を命じたのであろうことはすぐに分かった。飛騨守の想いを無碍にすることは出来ぬ。それに助兵衛の背格好は今はいない次郎にどことなく似ている。尚更死なすわけにはいかなかった。
幸い苦戦してはいるが救援は間に合った。飛騨守も右京亮も討ち死にするような事態は避けることが出来ている。
「敵は山名で間違いないのだな?」
「はっ、山名で間違いありません。それと四つ菱の家紋も確認しております。恐らくは武田かと」
「武田…」
太郎の問いに情報の取り纏めをしていた左京亮(赤川元保)が素早く返答する。上野介(志道広良)に郡山城の留守居を任せているため此度の戦では情報の集約を任せているが悪くない。元々無駄を嫌う男だったが情報の取捨選択が早いため重要な情報を纏めるのが上手いこの男は戦中の錯綜する情報を纏めるにはうってつけであった。
それにしても武田か…。
「山城守(武田国信)じゃの。どうやら尼子は因幡を捨ててでも我等を潰すことを優先したようじゃな。思い切ったことをするものよ」
「…つまり因幡の返還を条件にこの援軍を引き出させたと」
太郎もなかなか察しが良くなった。
「恐らくの。因縁の敵である尼子に頭を下げられて右衛門督(山名祐豊)もさぞや気分がよかったことであろうな。因幡返還で争いを収めるだけで釣り合いは取れたであろうがまさか援軍まで差し出してくるとは。尼子にうまく乗せられたか、更に恩を着せようとしたか。余計なことをしてくれる」
「ですが殿、此度出てきた山城守といえば確か因幡守護の山名左馬助(山名久通)の家老。言わば右衛門督の敵です。山名家が出す援軍にしては不適当なのでは御座いますまいか?」
弥三郎が良く分からないとでも言いたげに口元を拳で隠すように考えている。弥三郎も随分と各地の情勢に詳しくなったようじゃ。最近は太郎と共に動くことが増えているおかげで頼りになる婿になってきたわ。
「逆じゃ。最も適当であろうよ。右衛門督からすれば山城守は死んだとしても構わんのだ。敵だからの。むしろ戦場で死んで来いとでも思ったかもしれん。援軍を出して恩を着せ、尼子が勝てば強く出れる。負けても山城守が死ぬだけじゃ。裏切らぬように家族が人質にでも取られているのであろう。山城守の跡継ぎは確か次郎と同じくらいの齢の筈。大事な跡継ぎじゃろう。山城守は嫌でも従わざるを得ぬ。それがたとえ反故にされる可能性があってもな」
兵が思った以上に多かったのも当然よな。山名を味方に引き込めば山名に対して残しておかなければならない兵をこちらに回すことが出来るのだから。それに山城守も死に物狂いで襲い掛かってくるはずよ。ここで忠誠を示さねば家が滅ぶのだから。兵が死力を尽くしているというのはそれだけ山城守が慕われているのか、督戦しているのか。どちらにしても戦いたい相手ではない。こちらに予想以上の被害が出る。
「成程…」
納得したように頷く弥三郎と入れ替わるように太郎の呟くような声が漏れる。
「では左馬助は今頃…」
「恐らくは討たれておろう。本家に逆らう分家など邪魔にしかならん。儂も四郎(相合元綱)をそれで討たざるを得なくなった」
「父上…」
四郎は頼りになるはずの弟だった。それを尼子の亀井秀綱に誑かされて謀反を起こそうとした。あの時のことは今思い出しても心を暗くする。
「あの頃から変わっておらん。尼子も随分と酷薄なことをする」
太郎が眉根を寄せながら頷くのが見える。尼子の酷薄さに憤りを感じているのだろう。四郎を討つ前年に太郎は生まれた。抱っこされた記憶は残っておらんだろうが今義経と呼ばれた弟を太郎はそれなりに敬意を抱いてくれている。それ以外にも尼子には苦しめられてきたからの。
それに太郎の資質は基本的に清廉潔白だからな。必要性は理解出来ていても酷薄な行為、謀略は避けれるならば避けようとするだろう。今の世には得難い資質だ。
三郎辺りが太郎の影を担ってくれれば良いのだが。儂も人のことは言えんか。儂自身も謀略に手を染めておるのは周知の通り。その酷薄さを倅にも求めておるのだからの。じゃが酷薄さも今の世には必要だ。
「万が一、山城守が国司隊、粟屋隊を突破してくる可能性もあります。父上、その時はお願い致します」
「うむ、それで良い」
「ここがこの戦の分水嶺となりましょう。場合によっては夜戦の覚悟もせねばならん。皆も左様に心得よ」
太郎も覚悟を決めたようだ。太郎の言う通りここがこの戦の趨勢を決める局面なのは間違いない。ここを毛利家が抑えきれるか、はたまた尼子山名が我等を押し切るか。
もし万が一この戦で負けるようなことがあれば大内家に助力を得なければならなくなる。その際、毛利の当主は老い先短い儂よりも大内と縁深い太郎が当主の方が都合が良いじゃろう。その為ならば儂の命など尼子にくれてやるわ。大事は毛利が生き残ることだ。
だが危機的状況にあるが頼みの綱は残っている。その為にも儂と太郎の本軍は余力を残しておきたい。毛利が力尽きる前に…。
毛利の矢は既に放たれ尼子の首を狙って飛んでおるぞ。
頼むぞ次郎。
一五四五年 吉川少輔次郎元春
「漸く着きましたな」
鬱蒼とした木々の隙間から山を見上げていた。そこだけ小高い山のように高くなっているおかげで見上げる山を見るのに苦労はしなかった。
隣で、一緒に見上げる勘助(山本春幸)が呟きに小さく頷く。すぐ後ろには権兵衛(佐東金時)が控えてくれている。
「ああ、やっとだ。だが急がなきゃならん。角都敵の兵の状況は?」
すぐそばで木の根元に腰掛けながら琵琶の弦を撥で弾く笠を被った坊主に確認するように声を掛ける。ベベンッとこの場に似合わない心地よい琵琶の音を響かせ顔を上げると傘の下は目元を大きな布で隠した角都がこれまたこの場に似合わない耳心地のいい声で教えてくれる。
「もぬけの殻、という程では御座いませんが少なくとも出撃出来るような兵力はありませんなあ。可能な限り兵を集めていったようで」
蓄えられた仙人のような髭を扱きながら『ふぇっふぇっふぇっ』と胡散臭く笑うも声がいいせいか胡散臭く聞こえないから不思議だ。隣で勘助も苦笑している。
「重ね重ねありがとな角都。俺達はこのまま攻めるが、角都は町に戻るか?戻るなら町に入る前まで兵を付けるぞ」
「お優しゅうございますなあ。ですが無用にて。あっしはここで次郎様の戦を最前列で見物させてもらうよ」
「また会えるか?」
「そりゃあもう。勝てばまた会えるでしょうなあ」
髭に隠れた口元がにやりと弧を描く。そして再び『ふぇっふぇっふぇっ』と大笑する角都に思わずつられて笑い声が漏れた。
「ふはっ、違いねえや。なら勝たなきゃな」
「ご武運を祈ってるよ、次郎様」
「ありがとよ、そんじゃ行ってくる」
琵琶の音色を背中に聞きながら小高い山から下りると見慣れた顔がいくつも並んでいた。漸くだ。漸く戻ってきた。
「さあ、お前等、戦を始めるぞ」
『応!!』
次郎三郎(熊谷高直)が愛馬の疾風号を曳いて来てくれた。鞍に跨り見下ろすとこれからまた一緒に戦う俺の兵達の顔が見れた。持っている槍に力が入る。
「出撃する!目指すは…」
持っていた槍を目標へと向ける。
「月山富田城だ!!吉川軍、出るぞ!!」
『応オオオォォォ!!』
【初登場武将】
山名右衛門督祐豊 1511年生。四職家と云われる名門山名家の当主。+19年
山名左馬助久通 1493年生。因幡守護家。尼子家の支配下にあったが和睦の条件で殺される。+37年
武田山城守国信 1518年生。因幡山名家家老。山名本家に家族を質に取られ都合良く使われる。+12年
角都 年齢不詳。盲目の琵琶法師。世鬼衆に並ぶ諜報組織、座頭衆の中心人物。




