赤名峠の戦い(2)
一五四五年 国司飛騨守元相
「皆の者踏ん張れい!!今日もまた追い払ってやろうぞ!!」
『応!!応!!』
ここ数日、尼子軍の圧力が急激に強まってきておる。数日前まで矢合わせに終始していたことが嘘のように雑兵どもが殺到してきていた。敵陣にはためくのは新月の家紋。山中。
とはいえこちらの主力は既に大半が常備兵に切り替わった兵どもよ。この程度の圧力、屁の突っ張りにもならぬわ。
「はははっ!尼子の者共らよ、この程度の攻撃が精一杯とは情けない!我が国司の陣を抜けられぬと知れぃ!」
馬上から敵兵へ挑発するように笑い声を上げれば、更に圧力が増してくるのが分かる。ふん、いくらでも押してくるが良い。この程度でへばる程、軟な鍛え方を我が旗下に施しておらんわ。
最前線を見れば倅の右京亮(国司元武)が馬上から槍を振り回し敵を屠りながらしっかりと周りの兵に指示を飛ばしているのが見える。立派な男に育ったものだ。
兵達は槍をぶつけ合い、振り下ろし合い、激しくぶつかり合い喊声を上げている。耐えるだけで良いのであれば何日でも耐えられるのだ。このまま尼子からの単調な攻撃をいなし続け、相手の勢いが落ちてきた頃に反撃をすれば今日も問題なく撃退出来るだろう。山中家の現当主は智勇に優れていると聞くがまさかここまで一辺倒に攻めて来るだけとはな。まあ、この狭い場所では力押ししか出来ぬか。地の利は我等にある。
「父上、順調ですね」
「うむ、これも安芸守(毛利隆元)様が早急に尼子の動きに気付けたおかげよ。好所を先に制することが出来たわ。だが戦中に笑みを見せるものでは無いぞ」
「申し訳ありませぬ」
此度の戦には初陣の次男の助兵衛(国司元熈)を伴っていた。まだまだ鎧に着られておるわ。だが人の生き死にを目の当たりにしても怯えている様子はない。
もう数日、尼子の勢いが落ちてきた頃に右京亮のもとに送れば危なげなく初陣を飾れよう。その助兵衛が儂の隣で喜色を浮かべながら声を掛けてきた。怯えられるよりは良いが燥ぐでないわ。まだまだ子供よな。だが助兵衛の言う通り、まさに順調そのものよ。
この戦は、恐れ多くも傅役を務めさせて頂いた太郎様が初めて総大将となった重要な戦。殿がすぐ側で支えているとはいえ、その太郎様の総大将としての大事な一歩目を黒星で飾るわけにはいかん。気合が違うわ。
それに左側は神戸川が流れており、更に川向こうの本谷山の中腹では御三男様(小早川隆景)が陣を張り儂と連動して尼子を牽制してくれている。後続に矢を撃ちかけてくれているおかげで圧力がこちらに集中せぬようにしてくれているおかげで随分と負担を減らしてくれている。
右側は武名ヶ平山を始め山々が連なっているお陰で敵の攻撃は前方からのみを警戒していれば良い。
御次男様(吉川元春)が亡くなられたは誠に残念至極ではあるがこの戦で守り勝つことが出来れば尼子の武名を更に失墜させることが出来るであろう。尼子に勝つことで御次男様の無念を晴らす。
その為にも負けられぬ。
「それにしても父上、今日は些か尼子の勢いが強う御座いませぬか?」
「…確かに」
ふむ、確かに今日はなかなか粘るではないか。日が中天に差し掛かり始める頃には敵の体力が無くなり及び腰になってくる頃なのだがな。訝しく思っているところに大音声が右側から響く。空気を震わせるような法螺貝の音。こちらに圧力を掛けてくるような太鼓の音。
「者ども掛かれ!死力を尽くせェェ!!」
「応オオオオォォォォ!!」
それは突然の事だった。所々に紅葉した山林に突如として旗が幾つも現れるやこちらに向かって来ていた。
こちらの兵に緊張と動揺が走るのが分かる。
「ち、父上、あの旗は?!何故…」
助兵衛の悲鳴のような声を聞きながら信じられない光景に頭の中で空白が出来た。
「…儂とて分からぬっ!何故山名がここに居る!何故こちらに向かってくるのだ!」
はためくのは五七桐七葉根笹。そしてもう一つはためくのは見覚えのない四つの菱形。
ええい、これは拙い。右側の備えはほぼ無きに等しい。まさかあの深い山を移動してきたとでもいうのか?道などないのだぞ。それとも地元の者にしか分からぬ道でもあるのか、それを案内する者がいたか。尼子領であることを甘く見たか。山に軍の気配など一切無かったではないか。それに尼子と山名は因幡を巡って争っていたのではないのか。
分からぬ。分からぬが…、今は分からずとも良い。慌てている時ではないのだ。敵が現れたなら対処するしかない。頭を切り替えねば。
「ええい、慌てる暇もない!伝令!右京亮の元へ走れ!このまま前線を維持!右側より現れた敵は儂が当たる故、動揺を抑えよと!それと二陣の弥六(粟屋元親)殿に援護を!」
「直ちに!」
近くに控えていた近習達が駆けていく。
「助兵衛!お前は本陣に向かえ!武名ヶ平山方面より山名と思しき敵が現れた、救援求むと!良いな!」
「父上!私も共に参ります!」
「まだ初陣も済ませていない小童など足手纏いになるわ!時は一刻を争う、早う行け!」
儂の怒鳴り声に兜の下の表情が悔しげに歪むのが見える。この状況では助兵衛の事を気にして戦っている余裕は無いだろう。場合によっては右京亮も儂も討ち死にする恐れがある。せめて助兵衛だけでも生きてもらわねばなるまい。
「…必ず戻ります。父上ご武運を」
そう言い残して助兵衛は馬首を返すと勢いよく本陣の方へ駆け出して行った。これで良い。儂や右京亮が討たれたとて、少なくとも国司家は繋がる。儂があの山名と思しき軍の足を止めることが出来れば右京亮の前線が落ち着ける時間を作れる。
「皆の者!これより右側より現れた名ばかりの名家の足を止めに行く!命を掛けよ!儂に続け!」
「応!」
旗下の兵達もまだ戸惑いから解放されていない。当然か。殿より預かった兵の数は五百、そのうちの四百は右京亮の元にあり儂の手元には百しかおらぬ。手綱を握り率先して駆け出す。まずは兵達が迷いを振り切るように儂が先に動かねば。
ここ数日の単調な攻めは山間の伏兵を隠すためだったのだろう。まんまと嵌められたわ。幸運なのは尼子勢とかち合っているおかげで矢が飛んでこないことくらいか。ふん、慰めにもならん。
敵の数は旗の数から多く見ても五百位か。いや、正確に分からぬ以上、かなり被害が出るだろう。だが二陣の弥六殿がすぐに此方の援護に動いてくれるはず。
どこかで尼子を甘く見ていた。甘く見させられていたのかもしれぬ。だが我等がここを食い止めさえすれば殿が、太郎様が必ず方策を出して下さるはずだ。
まだまだ死ねぬ。太郎様の御雄姿を見るまでは死ねぬのだ。
「敵とぶつかるぞ!槍構えい!!敵に押し込まれるでないぞ!!」
一五四五年 小早川少輔三郎隆景
「あ、あれは山名家の旗では御座いませぬか。だが何故奴らが。尼子とは因幡国で争っていた筈」
今の声は弾正(乃美隆興)でしたか。弾正の声にも焦りの色がはっきりと出ているのが分かります。それも当然か。私も今見ている状況を拒否したいほどに動揺している。
「どのような手を打ったのかは分かりませんが、今見たままが事実であれば和睦したのでしょう。…信じられませんが」
弾正の言う通り、尼子と山名は因幡国を争う因縁の中。手を結ぶことなど本来はあり得ない筈。ですが…。いや。今この問答に意味はありませんね。
突然の法螺貝の音が川向うから聞こえ、何だとそちらを見た瞬間突如として現れた山名家の旗を持つ軍が現れ今にも国司隊に襲い掛からんと迫って来ていた。既に寒さを感じる晩秋にも関わらず背中にじわりと嫌な汗が伝うのを感じます。
前線の総指揮を執っていた飛騨守がいた陣が対処するために動いたようですが明らかに兵が足りていません。敵の数はここから見る限り五百以上いるように見えます。このままでは前線が崩壊してしまう。惚けている場合ではありません。先ずは我々だけでも落ち着かねば。戦は何が起こるか分からない。大友との戦でそれを知ったではありませんか。
「皆、落ち着きましょう。対応しているのは飛騨守です。今すぐ崩されるようなことはありません」
声が震えそうになるのを懸命に堪えながら皆に声を掛けます。我に返ったように皆の視線がこちらへと戻りました。皆が頷きます。
「とはいえそれでも急がねばなりません。策を。我等はどのように動くべきですか」
私はこの局面を捌ける手立てが浮かびません。太郎兄上なら、次郎兄上ならこの局面でも何か策が浮かぶのでしょうか。力量の無い自分が腹立たしくはありますがそれでも私は小早川の当主。
せめて小早川勢がどう動くことが最上かを決断しなければ。足りないものはこれから吸収すればいい。その次を得るためにも動かなければ。
ありがたいことに父と兄からはある程度の裁量はいただいています。当初の指示のままこの場に留まっていていい場面では無いのは明らか。軍を動かすには問題にはならないでしょう。暫くの思案の時間の後、陣内を見回すと最初に弾正と目が合いました。私が発言を
「三郎様、ここからでは我等は山名を相手にするには時間が掛かりすぎます。ですから山名の対処は兄君様本隊に任せ我等は前線を支えるために下山し前線の尼子に圧力を加えることが今出来る最上ではないかと愚考致しますぞ」
弾正の言葉に何人も頷く姿が見えます。
「お待ち下され!全軍で動くのは危険では御座いませんか。このまま三郎様はこの陣に留まっていただき軍を二つに分けて動いた方が良いのではありませぬか?」
弾正の言の後、すかさず内蔵丞(児玉就方)が異を示します。その目は明らかに私を心配しているようでした。毛利家では既に次兄である次郎兄上が亡くなっているからでしょう。内蔵丞が私の身を案じてくれているのだと分かります。確かに内蔵丞の言にも一理あります。
ですが。
「内蔵丞、私の身を案じてくれてありがとう御座います。ですが尼子が此方へも何か策を施している可能性も否定出来ません。いたずらに軍を別けて各個撃破されてはいよいよ止めになりましょう。これより私たち小早川勢は全軍を以て下山し尼子の猛攻を凌ぐ国司勢の前線を援護します」
「はっ、畏まりました」
「左近允、先陣は任せます」
「畏まりましてございます」
「頼りにしています」
「はっ!」
私の出した命令に皆が応えるとすぐさま準備が始まります。内蔵丞も納得したように私に小さく目礼すると陣を出ていきました。後ろに控えていた新四郎(乃美宗勝)にも役目を伝えなければ。
「新四郎、父上と兄上の元に向かって下さい。これより小早川隊は下山して国司隊の援護に入ると」
「畏まりました。…三郎様、ご武運を」
「うん、ありがとう新四郎。お前も気を付けるんですよ」
「はっ」
新四郎も私の心配をしてくれているのか不安げに私を見てから動き出しました。
これが尼子の底力なのでしょうか。まさか盤面をここまでひっくり返されるなんて。いくら私たちが前線を支えても国司隊が突破されればそのまま毛利は詰みます。父上と兄上が何とかして下さらねば…。
もう一度新手が出てきた戦場に目を移すと山名軍と飛騨守の小勢がぶつかった所でした。山を下ってきた勢いが強くだいぶ押し込まれているようでした。
いえ、今は私に出来ることをしましょう。
「陣触れを!小早川隊出ます。法螺貝吹け!」
【新登場武将】
国司右京亮元武 1518年生。国司元相の嫡男。父と共に隆元を支える。隆元とは幼馴染。+12歳
国司助兵衛元熈 1531年生。国司元相の次男。赤名峠の戦いが初陣。-1歳




