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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文一四年(1545) 尼子激闘
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赤名峠の戦い


一五四五年 毛利安芸守(もうりあきのかみ)隆元(たかもと)



「それで、現状は?」


私と父で片膝を付いている伝令と対面する。前線の状況を伝えに来たようだ。今この陣幕には私と父の二人だけ。本格的なぶつかり合いはまだ始まっていないため家臣達はそれぞれの陣幕に戻りいつ出撃してもいいように準備をしているだろう。


「はっ、前線では矢を撃ち合うことに終始し未だにぶつかり合ってはおりませぬ。飛騨守(ひだのかみ)国司元相(くにしもとすけ))様が先に峠の道を塞ぎ、少輔三郎(しょうのさぶろう)小早川隆景(こばやかわたかかげ))様が高所から牽制する事で敵も思う様に寄せることが出来ていないようで御座います」


「ふむ、初戦は上手く尼子の首根っこを抑えられたようじゃの」


「そのようですね、父上。…分かっているとは思うが決して深追いはせず飛騨守と三郎にはこのまま敵を牽制することに終始せよと伝えよ。ここより先、安芸国には足を踏み入れることは許さぬと」


「は、畏まりました。それでは失礼致します」


その報告に一先ず安堵する。父上の言う通り上手く機先を制することが出来た。国境に見張りを配していたおかげで早くに尼子の動きに気付くことが出来たのが大きいだろう。そのおかげで敵が大軍を集めている間に敵の領地まで出ることが出来た。国境の村がいくつか襲われてしまったのが腹立たしいがそれは欲張りすぎか。この戦のどさくさに紛れて賊が襲ってきた村もあるようだ。


それに毛利の兵は八割方、常備兵を揃えている。戦と治安を維持するために集められた専門の兵達だ。練兵を常に行えるおかげで精兵として仕上がってきていると聞く。

まだ全ての兵を雇い切れてはいないがそれでも尼子よりも間違いなく我ら毛利の方が兵を集めるのに苦労はしないし早く済む。全軍をこの常備兵に出来れば今よりも早くなるだろう。


とはいえこの常備兵も鍛え具合では間違いなく精兵と言えるが、中にはこの戦が初めての兵達もそれなりの数いる。

最近は安芸に賊が現れなくなった影響で人を殺すことが出来るのかどうかを確かめる術もない。田畑を荒らす害獣を駆除させることで命を奪えるかを確かめてはいる。だが獣と人は違うからな。農民上がりの者も獣程度なら狩ったことがあるものも多い。飛騨守は戦に慣れているからそれほど心配はしていないが、三郎は大丈夫だろうか…。まだそれほど多くの戦を経験してきている訳では無いからな。


前線への指示を出し終えると伝令は深く頭を下げて陣幕より去っていった。

此度の戦で何よりも重要なことは尼子を安芸国に入れずに時間を稼ぐこと。戦慣れしていない兵たちが逸って勝手をされてはこの戦が壊れかねん。たとえ臆病と言われようともこの赤名峠の地の利を生かして尼子の足を止めねばならん。


「このまま尼子が手を(こまね)いていてくれれば良いが、期待薄じゃの。それで、この後の動きはどうする安芸守?」


顎に蓄えられた髭を撫でながら父がこちらを見ている。

…またこれだ。この戦での総大将を私としてから父上は事あるごとにどうするのかを私に委ねてくる。大将としてどうするのか、それを見ているのだろう。慣れなければいけない事なのであろうが何とも気が重いことだ。

それに父の後継者としての資質を求められているのだと家臣達の目からも伝わってくる。これも私を憂鬱にさせる。家臣達も恐らく、いや、間違いなく父と比較しているだろう。毛利家次期当主の戦場での力量はあるか。


父は国人領主の次男という立場から紆余曲折ありながらも毛利家の当主となり、こうして毛利家とその家臣達を導いてきた。家臣達も父の采配には心服している。

私も父と同じように家臣達からの心服を得られるのだろうか。その事を思うと不安で堪らなくなる。

…いや、弱気になるな!また昔の自分に戻るつもりか!毛利を生かすも殺すも私次第、この重荷を父は背負ってきたのだろう。ならば私もしっかりと背負いきらなくては。


「現状はこのままで。今は無理に動くことなく尼子の出方を見まする」


平静を装って声を出したつもりだったが、震えてはいなかっただろうか?そしてこの判断は正しいのだろうか。

…正しい筈だ。我ら毛利はこの赤名峠を先に制することが出来た。安芸に入るためにはここを突破しなければならない。今、尼子と対峙している前線を指揮する飛騨守は私が最も信頼する将だ。力量も申し分ない。それに、三郎も高所を確保し尼子を牽制している。

二陣三陣と峠の道は厚く守れている。このまま尼子の足を止めさえすれば勝てるのだ。必要以上に恐れる必要はない。


…いかんな。気を抜くと幼い頃の私がひょっこり顔を出す。こうと決めたのだ。ならばもう迷ってはいられない。私が、この毛利を継ぐ者なのだから。





一五四五年  毛利右馬頭(もうりうまのかみ)元就(もとなり)



「ふむ、そうじゃの」


(わし)の返事を聞くと太郎(毛利隆元)は隠しているのであろうがホッとしたように表情が和らぐのが分かった。本人は必死に表情に出さぬように努めているのであろうが幼い頃から見ていた儂には手に取るように分かった。

太郎の傅役であった上野介(志道広良(しじひろよし))や飛騨守も今の太郎を見れば分かってしまうだろうの。

まだまだ当主として経験が足りぬがそれでも当主たらんとする態度は及第点じゃな。今も懸命に勤めておるのだ。それに幼い頃のひ弱さは無くなっておる。後は自信さえ付けば態度も大分落ち着くであろう。


「安芸守、いや、太郎。そう儂の顔を伺わずとも良い。お前はよくやっておる。そしてこの戦の総大将なのだ。思うがままにやっていい」


改めて息子に声を掛けると意外そうに目を丸くした後、慌てて頭を下げてきた。


「…あ、ありがとうございます」


何時ぞやの太郎の言葉通りかもしれぬ。確かに儂はあまり褒めるようなことを息子たちに掛けてこなかったように思う。求めるものが大きすぎるだろうか。だが太郎なればそれだけの能力はあるのだ。ならば自信を付けさせるためにもこれからはしっかりと褒めてやらねばな。

儂の目から見ても息子たち、特に太郎は次郎がいなくなってからも精力的に動いているのだ。


「どうせなら儂ですら手駒として使っても良いのだ」


「それは、また」


儂の言葉を冗談と受け取ったのか太郎が苦笑いを浮かべる。


「冗談ではないぞ。今は飛騨守を中心に峠を上手く塞いでおる故上手く尼子勢を抑えておるが不測の事態とあらば儂も遠慮なく使え」


首根っこを抑えはしたが良い状況とも言えんしの。国を守るためとはいえこちらは出雲側に出過ぎておる。視界の先に見えるは尼子十旗(あまごじっき)の一人、赤穴(あかな)備中守(びっちゅうのかみ)光清(みつきよ)が守る赤穴(あかな)瀬戸山城(せとやまじょう)

現状、我等毛利の勢いが増してきているおかげでこちらから接触しても邪険にされるようなことは無くなったが、まあ寝返りまではしてくれんじゃろうな。現に今は攻められておるからの。


それに尼子の動きも気になる。兵の数も思ったより多いのも些か不思議よな。

一万五千が多少の誇張だとして実際は一万程度であろうがそれでも多い。何処から兵を捻出した?だが世鬼からの報告でも一万はいるという。訝しいの。

儂の言葉に佇まいを正した太郎が顎に手を置いて考えるように俯く。


「何か気になる事でもございますか。確かに尼子の動きが鈍いように感じはしますが」


「杞憂であればよいがの。尼子の動きが些か妙じゃ。時間は我々毛利に味方しておる。なれば遮二無二攻めかかってきてもおかしくはないのじゃ。じゃがそれも無く小競り合いばかりではの、些か拍子抜けというものよ」


「我等が出端(でばな)を挫いたから、という事では無いのでしょうか」


太郎が尼子に対しての警戒を厳としていたために此度の状況が生まれている。確かにその線がないとも言えぬが。


「であればなおのこと形振り構ってはいられぬのではないか?冬が迫っておるのだ。尼子が冬の戦も覚悟しているのか、それとも何か策があるのか。策があるのであれば油断は出来ん。油断出来るほど甘い戦でもないしの」


「確かに。分かりました。心に留めておきます。そのような状況にまずしないようにせねばなりませんな」


「ふ、違いないの」


とはいえいくら覚悟していても予期せぬことが起こり得るのが戦よ。儂も場合によっては前線に出る必要があるかもしれぬな。



一五四五年  山中(やまなか)三河守(みかわのかみ)満幸(みつゆき)



味方と敵の兵の喚声が陣幕の外、この本陣にも聞こえてきた。開戦してよりここ数日は矢合わせや言葉合戦に終始していたが今日はとうとうぶつかったようだ。だがまだ声は遠い。簡単に近づかれても困るが。

このまま声が遠ざかっていけば良い。それはつまり味方が敵を押し優勢でいるといるという事だ。


だが今回は場所が悪い。まさかこの狭い赤名峠でぶつかり合う事になろうとは。いや、むしろこの赤名峠でぶつかることは毛利にとっては計算通りなのだろう。ここでならば尼子は大軍を展開し活かすすることが出来ぬ。


「それにしても、毛利がここまで迅速に兵を出してくるとは思いませんでしたな」


戦場の音に耳を傾けていると殿(尼子詮久(あまごあきひさ))の近くにいた伊豆守(いずのかみ)佐世清宗(させきよむね))殿が訝し気に声を漏らした。

まさにその通りだった。当初こちらの予定では毛利領の奥深くまで攻め込み戦う予定であったのだ。


「恐らくは毛利が銭で兵を雇っているからだろう。わざわざ民を徴兵する必要が無いからこのように早く動くことが出来る。金儲けに余念がない毛利家らしい厭らしさよ」


殿の言葉に方々から嘲笑するような声が漏れる。油断している訳では無いが、殿はどうも敵を嘲る癖がお有りだ。それも敵憎しの気持ちからきているのであろうがそれがいつ油断に変わるのか分からん。今一度気を引き締めて頂かなくては。


「ですが殿、その素早い動きによってこちらはこの赤名峠で捕捉されました」


「分かっている三河守」


私が言い募ろうと更に口を開くと殿に掌を差し出され制止されてしまった。


「その銭兵のせいで我等はこの赤名峠で捕捉されたと言いたいのだろう。分かっている。だから強がりくらいは許せ。…羨ましかったのだな」


「殿…」


「毛利との戦で尼子は石見(いわみ)と銀山を大内家に掠め取られた。あの銀があれば美保関(みほのせき)との収益を合わせて私も銭で兵を雇う事を真似ることが出来た。毛利の真似事など業腹だがそれでもあのやり方は銭さえ用意出来れば有益であることは間違いないのだ。それを思うとな」


あまり心の内を語られぬ殿が珍しくも呟かれた言葉に思わず我等は顔を見合わせた。まさか殿は弱気になっておられるのだろうか。

我等の様子を殿も察したのであろう、殿が自嘲気味に小さく笑みをこぼす。


「ふ、戦の最中に言う事では無かったな。忘れてくれ」


「いえ、そのようなことは御座いませぬ。この戦に勝ち、毛利を滅ぼすことが出来れば瀬戸内海を使うことが出来ます。それを以て今仰られたことをなさればよろしいでは御座いませぬか」


「…そうだな。少し弱気になっていたようだ。許せ」


「殿…」


やはり殿とて不安なのか。それも仕方がない。相手は亡き興國院(こうこくいん)尼子経久(あまごつねひさ))様さえ警戒した毛利元就なのだ。一国人からここまで形振り構わず成り上がってきている奴にどれだけ警戒していても策に嵌っていることがあるほどの男。

だが殿、尼子詮久様が毛利元就に劣っているとは思わぬ。


「勝ちまする。その為に我等も形振り構わずにこうして開戦したのではありませぬか」


私の言葉に僅かに俯いていた殿が顔を上げて見返す。本陣に詰めている我らが皆頷くと殿は意を決したように頬をパンと叩いた。


「そう、だな。…そうだった。済まぬ。情けない姿を見せた。もう迷っている時ではないな」


「はっ」


「ここで勝ち、新たに尼子の名を日ノ本に轟かせる。それが父への手向けとなろう」


「千代様にも良い報告が出来ますな」


伊豆守殿がぼそりと呟く。ぼそりと呟いた割にその顔にはどこかいたずら小僧のような意地悪い笑みが浮かんでいた。


「ふ、そうだな。代償を高く払った分、しっかりと勝ちに行く。家族にも良い報告が出来るようにな」


殿が何とも言えぬ顔を浮かべた後、ふっと気を抜いたように笑みをこぼす。殿がこのように無邪気な笑みを浮かべたのを初めて見た気がした。恐らく奥方のことが頭を過ったのであろう。ご夫婦仲は頗る良好だ。場の空気が明るくなる。


「ですが本当に頼りになるでしょうか」


どうしても殿に勝利を差し上げたい。それなのにまさかあの者たちの手を借りなければならぬのが腹立たしい。


「三河守の危惧は尤もだがもう済んだことだ。それに役に立たずとも良い。毛利の目を逸らせれば十分よ。この戦に勝ち毛利を滅ぼせば取り返せる。問題は毛利なのだ。そこを見誤れば我らが滅ぶ。油断は出来ぬが代償分は働いてもらわねばな」


「は、出過ぎたことを申しました」


「良い、お主の心配も理解している」


そんな時に陣幕の外から人が入ってきた。殿の小姓だ。


「能登守(亀井秀綱(かめいひでつな))様が御使者をお連れしました」


「噂をすれば、か。出迎えの用意を。さて、愛想よく振舞うとしようか」


この殿がここまでの決断をして戦を動かそうとしているのだ。何としてもこの戦、何としても勝たねば。




【新登場人物】


亀井秀綱 1471年生。尼子家家老。過去に毛利元就の弟を籠絡し毛利家分裂を謀った老臣。+59歳

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― 新着の感想 ―
[一言] 待ってました!更新お疲れ様です! これからも楽しみです
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