帰国の宴
一五四四年 吉川少輔次郎元春
「今日まで皆、慣れぬ地での護衛ご苦労だった!今宵は無礼講、無事に新たな武器を購入出来た祝いの席だ。楽しんでいってくれ!」
「「有難う御座いまする!」」
俺の掛け声にその場は一斉にワッと明るくなりそれぞれ座る席に置いてある膳から食事やら飲酒が始まった。
堺の町での最後の夜。俺は今回の旅に伴った家臣達を労うために酒の席を用意した。新しい縁を持てた事、そして目当ての火縄銃を手に入れることが出来た祝いの席だ。
俺の我が儘でこんな遠くまで付き合わせて家臣達も随分と苦労を掛けちまったしこれくらいでもしてやらないと家臣達も仕え甲斐がないだろう。
与四郎殿(田中宗易)が『今後の付き合いも御座いますので』と火縄銃を多少ではあるが安く売ってくれたためその浮いた銭をこうして皆の慰労のために使った訳だ。
兵たちには随分負担を掛けちゃったからなぁ。というのも堺の町自体は治安がいいのだが、それはあくまで住民にとってであり俺達武士にとってはそれなりに気の張る場所だった。
与次郎(世鬼政時)の報告によると、どうも俺達を嗅ぎ回ってる連中がいるらしい。恐らく、というよりほぼ間違いなく尼子家お抱えの鉢屋衆だと思う。現在表立って毛利家と敵対してるのは尼子家位だし。
以前までの鉢屋衆の目や動きは尼子家中に向いていたんだが獅子身中の虫となり得る新宮党を消したことによりその目は外、つまり敵対関係である毛利家へと向けられたんだろう。
でもさ、何で安芸だけじゃなく俺達まで嗅ぎ回ってんだよ。俺はなるべく親父(毛利元就)や兄貴(毛利隆元)の影に隠れて施策に関わってきたつもりだったんだけど。
いや、考えが甘いか。俺も吉川家の当主という立場にいる以上は隠しきれるもんじゃないし、そもそも中国地方限定だが吉川家の笑う兵たちはそれなりに恐怖の対象、ヤバい連中として認知され始めている。この際だから部隊に名前でも付けたらどうかな。
鬼吉川と恐れられた曾祖父様(吉川経基)に肖って笑鬼隊とでも名付けようか。武田家の赤備えみたいに吉川家恐怖の象徴になってくれれば敵を威圧することが出来るかもしれん。うん、そうしよう。
きっかけが俺の当主に推戴されてからな訳だから怪しまれるのも当然なのかもしんないな。
表だって見られてるって分かる訳じゃないから直接気になる訳では無いけど、それでも見られてるって思うと怖いもんだ。ストーカー被害に遭ってるみたいな気分。
それに何度かこの屋敷にも侵入しようとした形跡もあるらしい。何かを探ろうとしたのか、それとも俺の命を狙おうとしたのか。どっちにしたって嫌な感じだ。
とはいえまさか俺自身が命を狙われる立場になるなんてなぁ。
与次郎の動きを見てると忍びの連中って手練れてくると結構人間離れしてるような動きするんだよな。パルクール…だっけか。色んな所を身軽に移動してたりするし。
そんな訳でこの慰労会はそう言った俺達のストレスの捌け口に都合が良かった。
さて、そろそろ皆に酒を注ぎに回るかな。
親父は正月や戦勝祝いの席なんかで家臣達に酒や餅を直接振舞う。
親父曰く。国人領主の集合体の頃、毛利家がこの集合体の頭として振舞う為に始めたらしい。それでも徐々に毛利家自体に力を持ち国人領主達を家臣化させてきたため、今では家臣達を直接労ってやりたいという思いからやり続けているそうだ。
細かく気遣いしいな親父らしい。
とはいえ親父から同じように振舞えと言われたわけじゃないんだが兄貴も親父を見習って同じように振舞い始めた事から、俺や三郎も『だったらこのまま毛利家の伝統にしちゃおうか』と話し、こうして酒の席では直接その場の家臣一人一人に酒を注いで回るようになったわけだ。とはいえここは毛利家の領地ってわけじゃ無いから酒の量はそれほど多くない。それに毛利領で量産している清酒じゃないから気持ちよく酔える程度だ。
「ちゃんと飯食ってるか権兵衛?遠慮せずにしっかり楽しめよ?」
「次郎様、申し訳ねえだ。頂くだよ」
粗方家臣や兵たちに直接酒を振舞い終えいつも俺の身を身体を張って守ってくれている権兵衛(佐東金時)の番になった。
権兵衛は良く食うし、それに酒にもかなり強い。この程度の酒じゃ酔いもしないだろう。
俺が酒瓶を見せると言葉通り申し訳無さげながらもそっと器を差し出してきた。その器に酒をそっとにごり酒を注ぐと権兵衛は一息に飲み干す。
権兵衛の飲み食いする姿は本当に美味しそうに食ったり飲んでくれるからこっちも嬉しくなってくる。
権兵衛が飲み干すのを見ていると飲み終わった権兵衛がぼそりと呟いた。
「上方の料理も美味えけど、おらはやっぱり家の飯が食いてえですだ」
「そうだなぁ。あ、そうだ。前に山中訓練の時に権兵衛が猪を丸焼きにした料理作ってくれただろ。帰ったら久しぶりに作ってくんないか?」
「次郎様もだか?同じもんをおらも食いてえと思ってたとこだぁ。家に帰ったら早速作りますだよ」
「本当か?ははっ、楽しみが増えたな!どうせならまた皆で山中訓練するか」
「んだ、こうして皆で食う飯は美味えかんな。おらも楽しみにしてますだ」
俺がまだ毛利家に居た頃、俺直轄の部隊は良く山中に籠って訓練していた。
訓練がてら田畑を荒らす鹿や猪も狩ってたんだが、そんな時に権兵衛が作ってくれたのが猪の丸焼きだった。
皮を剥ぎ、内臓を出した猪の腹の中に雑穀や香草、塩なんかを入れて蒸し焼くなんとも豪快な料理だ。あれは本当に美味かったもんなぁ。
「失礼、何やら随分と美味しそうな話ですな。あたしもご相伴に預かることは可能で?」
二人で思い出話をしているとその話を聞いていたのか九郎左衛門(堀立直正)がニコニコしながら話に入ってきた。
九郎左衛門の身分は武士ではあるものの毛利家中での立ち位置は安芸国の商人衆を纏める立場だ。本人自体も銭好きなため戦よりも商いに時間を使いたがる変わった男だ。
銭回りが言い分、良いものを食べる機会も多いのだろう。
こういった食べ物関係の話にはよく食い付いてくる。
「九郎左衛門も今回は苦労掛けちまったな。さ、飲んでくれ。それで、九郎左衛門も山中訓練に同行するんなら勿論食えるだろうよ」
「おっとっと、こいつはすいやせんね次郎様。その山中訓練ってのがあたしには分からんのですが、どういったものなんで?」
俺が酒瓶を傾けると嬉々としてその酒を飲み干す九郎左衛門に山中訓練の話を聞かせることにした。
「山中訓練ってのは文字通りだ。山の中に数日籠って走り回る。俺達が帰国する頃は田んぼも実ってるだろうし、その田畑を荒らす害獣もそれなりに姿を現すだろうからな。その狩りも並行して行うのが山中訓練だ。日中は歩き通しの走り通し。熊なんかにも遭遇する可能性があるから気を引き締めて掛からんとなんねえ訳だ」
「あー…、なる、ほど」
俺の話を聞いて想像したんだろう。期待するような笑みが固まり九郎左衛門の顔色があからさまに悪くなる。
「だけどな、それだけの苦労をした後に食う猪の丸焼きは本当に絶品な訳よ。外はこんがり焼けて香草と一緒に焼くから香ばしい匂いが食欲をそそるし一口肉を噛めばじゅわりと溢れ出る肉汁。その肉汁をたっぷり吸った雑穀が美味いのなんのって」
顔色を悪くした九郎左衛門を揶揄うようににやにや笑いながらわざとその時の感想を告げた後権兵衛に『なー?』と同意を求めると、権兵衛も調子を合わせて『へい!次郎様!』とこちらは邪気のない満面の笑みで返事を返す。
「だーっ!分かりましたよ、あたしも参加しますわ。そこまで美味そうに話されちゃ叶いませんや。あたしも武士ですからね、たまには身体を動かさにゃ鈍っちまう」
「お、いいぞ九郎左衛門。大歓迎だ。…お前も分かってるだろうが家中では商売することに対して抵抗感のある奴はまだまだ多いからな。特に九郎左衛門はやり玉に挙げられる可能性も高い。そう言った意味でもうちの訓練に参加するのは悪い話じゃねえと思う。その分美味い飯食わせてやるからさ」
「成程、やはり家中でも小うるさい連中はいますか。ご教授助かりますわ。であれば尚更参加しませんとな」
「兄貴が中心になって家中の空気を変えようとしてはいるが長年の染み付いたやり方は早々に抜けないだろうしな。無いとは思うが九郎左衛門の活動に支障をきたす足の引っ張り行為があれば兄貴や俺にすぐ相談してくれ。必ず対処するからさ」
「いやはや、有り難い申し出ではありますがね。その程度で庇ってもらってちゃ余計な僻みを買いかねませんや。なあに、こっちとて武士の端くれ、慣れたもんですよ」
「心強えじゃんか九郎左衛門。これからもどんどん稼いでもらうから頼むぞ」
「ははっ、お任せ下さいな」
やっぱりこうして騒ぐのは楽しい。家臣達と笑い合って過ごすのはいいもんだ。
俺は権兵衛と九郎左衛門の元から離れ、次に勘助(山本春幸)の元へ歩いていく。勘助は特に誰かと話すでもなく一人でしっぽりと飲んでいた。
特に誰かと話すのが嫌いだとかそういう訳では無いんだけど、普段の飲みの席では大体叔父上が飲みの相手だったからな。とはいえ老年に差し掛かりつつある勘助が一人気ままに酒を煽る様はなかなか絵になる。
「勘助、一人だが楽しめてるか?」
「次郎様。はい、こういった騒がしい中にいるだけでも楽しいものです。次郎様も皆への対応大変だったでしょう。一杯だけでも飲まれますか?」
「他ならぬ勘助からの誘いだ。頂くとすっかな」
最初の乾杯の時以外は普段飲まないようにしているけどたまに位なら構わないだろうと杯を勘助に差し出すとそっと酒が注がれる。代わりに俺も勘助の杯に注ぐとお互い見合わせたように杯を掲げてから喉に流し込んだ。
「ふう、こうして濁酒を久々に飲みましたが随分と舌が肥えてしまったようです。安芸の清酒が恋しくなってしまう。放浪している時分では濁酒すら贅沢だったのですが」
そう言って勘助は自嘲するように杯を眺めながら小さく笑う。
「今まで勘助は苦労してきたんだ。これくらいの贅沢くらい誰も咎めんだろう」
「ふふ、そう言って頂けると助かりまする。苦労して身に付けたものは必ず御恩としてお返しさせて頂きたく」
「おう、期待してる。…本当なら与次郎達にも振舞ってやりたかったんだがなぁ」
ぼやく様に呟きながら今も恐らく敵の様子を確認するために動いてるだろう世鬼衆の事を考えていた。
「鉢屋衆に動きがあったのであれば対応せざるを得ますまい。戻ってきた時に改めて労って差し上げればよろしいかと」
「様子見も終わったか、それとも諦めたか。大部分が撤退したそうだが」
ここ数日でこちらを伺う監視の目は少なくなっていたらしい。世鬼衆はその鉢屋衆の動きをしっかりと確認するため与次郎を中心に後を追っている。
場合によっては暗闘が繰り広げられる恐れもあるためそれなりの人数が動いてるだろう。
「ここで大きく動けば堺の会合衆、延いては細川家が動かぬとも限りませぬ。…とはいえ細川家もなにやらキナ臭くなって参りましたな」
状況に憂いている中、勘助が話を変える様に別の話題に触れた。
「細川と三好の関係か?」
「然り。三好伊賀守(三好利長)と同じ一族の三好宗三(三好政長)の対立が徐々に大きくなってきております。この対立に細川当主、左京大夫(細川晴元)は対応せずにいるとか。一度火を噴けば畿内は大きく燃え上がりましょう。明日燃え上がったとしても不思議ではありませぬ」
堺に来て改めて畿内の様子を自分たちでも調べたが予想以上に落ち着かない。今勘助が指摘したように管領細川家は火種が燻ぶっているし家中の纏まりも殆どないに等しい。
分かっていたことだが改めて勘助から聞かされると小さく溜息が漏れた。
「国の中心で火種とは、つくづく争いの世の中ってのは嫌だねぇ。…直に世鬼衆が情報を持って帰ってくるだろう。鉢屋衆が問題ないようなら予定通り明日帰国だな」
「御意に御座いまする」
勘助は小さく頭を下げた。
「ま、一先ずは楽しめ。今日は巷で流行っている阿国座を呼んだんだ」
「阿国座ですか。畿内で随分と騒がれているらしいですな。出雲大社の勧進の為に諸国を回っているとか」
「そうそう。兵たちにはいい余興になるだろう」
そう勘助と話しながらちらと権兵衛と狩りの話をしている九郎左衛門に目配せをした。今話題に出した阿国座を呼ぶためだ。勧進巡業している内に畿内で話題に上がり始めた阿国座は今、ちょっとした流行りものになりつつある。
「出雲ですか。大丈夫でしょうか。鉢屋衆も元は芸能の家だったとか」
出雲国と聞けばまず真っ先に尼子家と鉢屋衆が頭を過る。勘助も思案気に首を傾げた。
俺自身もそこに関して不安を感じたため九郎左衛門に一座の長や座員に聞き取りをさせた。
「九郎左衛門に手配させる際に身元は調べさせた。一座の人間に怪しい素姓のものは確認できなかったそうだ。ここ最近は人の入れ替わりもない。まず大丈夫だろう」
「そうでしたか。要らぬ心配でしたな。と、どうやら来たようですぞ」
勘助の言葉に首をそちらに向けると音を奏でる奏者の男が4人程部屋に入ってきた。
奏者の男たちはそれぞれの楽器を手に部屋の隅に並ぶと囃子太鼓に笛の音が響き始める。すると巫女装束を纏った踊り手と思われる女が3人がその音に合わせて部屋の外から躍りながら中央へと移動する。そしてそのまま踊り続けていた。
暫くすると『ほう』と感嘆の吐息がそこかしこから漏れ出る。太鼓の緩やかなリズムに、空気を心地よく震わせる微風の様な笛の音が聴いていて気持ちがいい。
そして中央で踊っている巫女たちはそれぞれ仮面を被り扇子を嫋やかに揺らしている。身体を回転させると上からは追っている千早が優雅に尾を引いていた。その神聖な美しさに騒がしかった空気は落ち着きその姿に見惚れる様に見入っていた。
巫女舞というんだったか。なるほどな、屋敷で舞わせているせいで極々小規模になっているがそれでも美しいのだ。勧進の際に見ればもっと綺麗なんだろう。
思わず俺も口から吐息が漏れた。特に中央の狐面の巫女の動きが綺麗だ。軸がしっかりとしてるのか動きにブレがない。
頭をそっと傾けると髪に刺さった飾りのついた簪がさらりと揺れる。そんな細やかな動作一つ一つが女性的だった。
巫女舞も佳境に向かっているのか奏者の奏でる音も徐々に盛り上がり巫女たちの動きも大きくなる。
そんなときだった。
中央で踊っていた巫女の一人が殺気と共に俺へと向かってきていた。
【新登場人物】
細川左京大夫晴元 1514年生。管領・細川京兆家の17代目当主。+16歳
三好伊賀守利長 1522年生。細川家家臣。後の三好長慶。同じ一族の三好政長と政争の真っ最中。
三好越後守政長 1508年生。細川家家臣。利長と同じ三好一族。主筋の利長と政争中。




