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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文一三年(1544) 尼子の魔の手
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鉢屋衆


一五四四年 尼子(あまご)民部少輔(みんぶのしょう)|詮久(あきひさ)



従五位下(じゅごいのげ)民部少輔(みんぶのしょう)

敬愛する父が生前に名乗っていた官位だ。それをついに私が名乗ることになった。この名を背負ったことでまた父の背中に一歩近づいたように思う。

得る過程に思う事が無い訳でもなかったが、それでも感慨深いものだ。


今回の官位を得るにあたって私たちは敢えて幕府を通して朝廷に官位を求めた。

本当は朝廷に直奏(じきそう)して官位を得ても良かったのだ。

だが伊豆守(いずのかみ)佐世清宗(させきよむね))が『幕府との関係をここで改善しておいた方がいい』という進言に一利も二利もあると敢えて幕府を通して献金を行い官位を得ることにした。

来るべき毛利との戦の際に、以前の様に毛利によって幕府を利用されては堪らない。それにいざとなればこちらから幕府を動かしてしまうことも出来るのだ。


力を失いつつある幕府などを当てにすることに釈然としないものを感じはするが、それでも幕府の権威は侮りがたい。必要以上に経費は掛かったがそれも毛利を潰すことが出来れば取り戻せるのだ。出し渋っている場合では無いだろう。こうして幕府との繋がりを維持しておくことで毛利への牽制になる。


得るものも得たため早々に出雲への帰路に就こうという時、伊豆守が一人の男を引き連れて私の部屋に来た。その男の正体が分かり思わず顰めそうになった表情を元に戻した。

鉢屋(はちや)弥之三郎(やのさぶろう)経景(つねかげ)。鉢屋衆の頭であるこの男が私は好きでは無かった。

祖父の代から仕えている鉢屋衆の頭目。この男はその二代目らしい。その顔は眉目秀麗で何とも言えない薄気味悪い色香を放っている。そして表情は一つ動かさない木偶人形のような何とも気味の悪い男だった。


既に祖父に仕えていた初代弥之三郎は跡目をこの男に継いでいるらしいがその初代弥之三郎自身は別に動いているらしい。まあ、そんなことはどうでもいいか。


「お時間を頂きましたこと、感謝致しまする」


私の前に腰を落ち着かせた伊豆守がそう口を開くと、そこからさらに後方に座った弥之三郎も共に頭を下げた。私は弥之三郎をなるべく視界に入れぬよう伊豆守に視線を移した。


「なに構わん。して伊豆守、何かあったか?」


「はい。鉢屋衆の知らせによれば現在、和泉国の堺にて毛利の次男が滞在しているように御座います」


毛利の次男?確か吉川家に養子入りしたはずだったか。大して重要な事とは思えぬが。私は伊豆守に話を進める様に『それで』と小さく返す。


「はっ、鉢屋衆の調べによれば、どうもその次男、少輔次郎が今の毛利家の躍進の一助となっているようなのです」


「…私の記憶が正しければ毛利の次男は確か齢二十も超えておらぬはずであったと認識しているが、そのような小僧がか?」


「はっ、俄かに信じがたく私自身も調べてみました。変わり者のようで御座いますが領民には慕われているようでいくつもの話を聞くことが出来ました。どうやら随分前から出雲でも売られております石鹸なる物を開発したのもその少輔次郎のようで、他にも毛利領内で行われている施策にいくつも関わっているらしいのです」


「出鱈目ではないのか?その話が真であれば毛利家の次男は神童ということになるが。信じられぬ…。それで、その少輔次郎とやらがなんだというのだ?…まさか、とは思うが」


「お察し頂きました通りかと…」


「能うるのか」


私はそこで初めて伊豆守の後ろへと視線を移した。弥之三郎の表情には変化がなくただ私へと視線を移し


「能うるかどうかは分かりませぬ」


「何だと?ならば何故暗殺などという話を私に持ってきた?」


「面白う御座います故」


「…っ」


その歯に衣着せぬ言い様と、今まで全く変化の無かった人形のような顔つきにニタリとした笑みが張り付き思わず眉間に皺が寄る。

またこれか。鉢屋衆の悪癖が出た。だからこの者たちを私は嫌いなのだ。面白いだと?ふざけるな。そもそも遊びでは無い。祖父も何故このような者たちを重用したのか。

乱破など我等の命令に従い動いていれば良いではないか。それを面白いだと?虫唾が走る。


私の機嫌を察したのか伊豆守が口を開いた。


「殿、一先ず御気をお鎮め下され。物言いは問題御座いますがここで毛利の子倅を消すことが出来れば少なくとも吉川家の動きは鈍くなりまする。噂が事実なれば毛利の気勢を削ぐことも叶いましょう。それに失敗したところで大勢に影響は御座いますまい。私は試してみる価値はあると思いまする」


「…分かった。好きにするが良い。下がれ」


「はっ、ご許可頂き感謝致しまする。それでは、失礼致します」


言葉と共に二人が頭を下げている様を横目に見ていた。この手の話、そして鉢屋衆をこの目に映したくなかった。視線をそのまま外へと向ける。先ほどまでは晴れていた気がしたが、私の気分を察したように今はぼんやりと曇ってきたような気がした。


身動ぐ音と共に足音が部屋から出ていくのを耳に聞きながら私は下がった気分を慰める様に父が吹いていた笛の音を思い出していた。




一五四四年  鉢屋(はちや)弥之三郎(やのさぶろう)経景(つねかげ)




「いい加減、愛想というものを身に付けてはくれないか?」


殿のいる部屋から出て暫くすると伊豆守がそう言った。その表情には呆れがありありと浮かんでいる。


「下らぬ任務に付き合わされたのだ。我等に合った任務を与え続けてくれれば嫌でも愛想が良くなるだろうさ」


「…仕方あるまい。興國院(こうこくいん)尼子経久(あまごつねひさ))様亡き後の尼子家は不安定だったのだ。それは目を光らせていた其方らが詳しかろう」


俺の言いたいことを伊豆守はしっかりと汲み取ってくれたらしい。俺の言う下らぬ任務とは毛利との戦、そして前当主であり俺達鉢屋衆を重用してくれた興國院様を失った尼子家内部の監視任務の事だ。だがこんな任務は過去に受けたことが無かった。


退屈な、何の面白みもない本当に退屈な仕事だった。


「必要だったことは理解している。だから仕事はしっかりこなした」


吐息を漏らしてから一応は同意しているようにそう告げた。

伊豆守の言いたいことは分かる。

確かにあそこで内側に目を向けなければ今頃、尼子家は民部少輔様と紀伊守(尼子国久(あまごくにひさ))との間で家督争いが起こっていただろう。


とはいえそれは雇われている俺達には関係のないこと。俺達は雇われてはいるが尼子家の家臣では無い。

今思えば興國院様は俺達が心躍る様な仕事をさせてくれた。自分たちが戦況を左右する様な、表に記録が残らなくとも確かに俺達鉢屋衆が動いたのだろうと思わせるような。

だからこそ俺達は協力を惜しまなかったのだ。



俺達鉢屋衆は過去に興國院様に誘われた。



当時の俺達、鉢屋衆は今の尼子家が本拠を置く月山山麓に住まい、正月や祭り、祝いの席で舞を舞う芸能の一族だった。だがそれはあくまで仮の姿。

過去を遡れば我等鉢屋衆は平将門に付き従っていた一族の末裔だ。表向きには舞に勤しむ一族に見えただろうが、それでも俺達は再び表舞台で自分たちの力を活かす場を求めていた。

そんな折に声を掛けてきたのが生前の興國院様だった。


『儂と共に国盗りをしてみないか?』


親父を口説いた、それが興國院様の言葉だったそうだ。

当時の尼子家は京極家の意向に逆らい守護代の職を剥奪されたばかり。それでも興國院様は下克上を成し遂げようと牙を磨き、爪を研いでいた。

そんな時に興國院様は俺達鉢屋衆に声を掛けてきたのだ。


当時、親父の代だった鉢屋衆は大いに喜んだそうだ。

それはそうだ。この出雲国に落ち延びてから有余年、腕を磨きつつもその腕を生かす場がなかったのだから。

そしてその鍛えていた実力は十分に発揮され月山富田城は尼子家が支配することになった。


話を聞いただけで羨ましい思いだ。俺達のような影に生きる人間が存分に実力を発揮して表でのうのうと我が物顔で偉ぶる武士を狩ることが出来るのだから。


俺も、俺の代でもきっと。

そう思っていたのだがな。どうやら今代の尼子家では面白い仕事が出来ないのかとも落胆していたが。


「だからこそ、今回の暗殺には其方らの提案を指示したのだ。小駒ではある。だが歩が金に変わることもあるだろう。厄介になる前に潰さねば」


一人思考に落ちていたところを隣を歩いていた伊豆守の言葉で浮上させられた。

伊豆守も律儀な事だ。俺達に対して頭ごなしに言わぬ分別があるしこうして協力もしてくれる。

無論、尼子家の為になると踏んだからであろうが。


「伊豆守には感謝している。久しぶりにこちらの息抜きをさせてもらえそうだ」


「息抜き、な。其方らも大概だな。まあ良い。先ほども伝えたように成功するにせよ失敗するにせよこちらにはそれ程困らぬ。無論成功するに越したことはないが。良い知らせを期待するとしよう」


『ではな』と一言残して去っていく伊豆守の後姿を見送ってから俺も再び歩き始める。




屋敷から出ると既に日の光は傾き橙色に染まる空は徐々に青を濃くしていた。

夏も過ぎ、そろそろ日の長さも短くなってくるだろう。

茹だる様な暑い日々も徐々に涼しい風が吹くようになっている。門を抜けて暫くすると道の真ん中に見覚えのある姿を認めた。それは狐の面を付けた、一風変わった姿。

俺の子だった。


「お前か。何の用だ」


「どうであったか親父殿?」


そのまま気にせず歩いているとすれ違い間際そう呟かれる。面の下から発せられたせいかくぐもった声が聞こえた。

表情は見えないまでもこいつが何のことを言っているかはすぐに分かった。

今しがた、殿へと許可を貰った暗殺の件である。

当然か。そもそもこの暗殺の提案をしたのは外ならぬこいつなのだから。

足を止めることなく問いの答えを相手に告げる。


「ああ、許可は下りた。お前の希望通りにな」


目線を合わせることなく手短にそう伝えると、面の下から笑う声が聞こえた。どうやらまだ話があるのか後ろに付いてきている気配があった。


「…ほほ、ほほほ。そうかそうか。潔癖な殿のこと、もしや許可が下りぬかと危惧しておったがそうか。許可は下りたか。ほほほ、重畳重畳」



恐らくは今も自身が見つけた獲物を狩る瞬間を想像でもしているんだろう。肩越しに後ろを見れば中空を見上げながらその特徴的な笑い声を上げている。

だが次の瞬間、こちらに視線を戻すと実の父親である自分に対しても遠慮なく殺気を飛ばしてきた。


「親父殿。まさかとは思うがその暗殺の命令、儂に下してくれるのであろうの?」


これまでもこいつは武士の命を狩ってきた。尼子家中の粛清もこいつが狩った命は少なくない。

だがその暗殺自体はこいつが望んだことではない。あくまで尼子家の意向に沿ってだ。そもそもこいつは自分が殺したいと思った相手しか殺したがらない癖があった。しかもその命の取り合いすら遊びと言って憚らない。


一族の中でも特に変わり者。だがその業前は一族の中でも傑出している。

隠居した俺の親父に鍛えられたからだろう。その口調も、特徴的な笑い方も親父にますます似て来ていた。

慣れているとはいえ平気で親にすら殺意を向けてくる厄介者だ。

今まで望まない任務に縛っていた分、そろそろ息抜きは必要だろう。興味のない有象無象を殺したことで鬱憤が溜まっていることは容易に想像できる。


「最初からお前が提案してきたことだ。それに殿はそれ程今回の暗殺に重きを置いてはおらん。好きにしろ」


「ほほほ、流石は親父殿。話が分かるのう。だが重く見ておらぬか。勿体無いの。あの吉川の子倅が毛利を躍進させた源であるのにの。殿の目は曇っているらしい」


「…ふう。口を慎め。一応とはいえ主筋だ」


「一応、ほほ、一応の。ではでは、儂は早速堺に向かいましょう。ではの、親父殿」




『ほほ、ほほほ』と笑い声が遠ざかってく。さて上手く殺めてくれればよいが。






【新登場人物】


鉢屋弥之三郎経景  1506年生。鉢屋衆現当主。尼子家に雇われているが忠誠心は無い。+24歳


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― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
[良い点] お帰りなさい!!待ってました!
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