その頃、元春は
一五四四年 尼子式部少輔誠久
小姓に案内されて奴らが出ていった。条件だけを見て言えば俺たちが随分と有利な同盟に見えるだろう。なにせ貢ぎ物を貰った上での同盟だからな。
だが、気に入らねえなァ、気に入らねェ。
随分と見せつけてくれるじゃねェか。ここまで地力を見せつけられると一層清々しい気がしてくるぜ。
「あれが右馬頭(毛利元就)殿の跡取りの安芸守(毛利隆元)殿ですか。種類は違えどやはりあの男の息子ですな。こちらの意図を察した上で利用することを考えたのでしょう。謀の匂いがちらつきます。これはこちらに財力を見せつける為でしょうか」
美作守(河副久盛)も感じ取ったか。
「だろうなァ。戦場だけじゃねぇ。平時からでも虎視眈々と狙ってきてるのが分かる。尼子本家だけじゃなく俺たちも標的として見られている可能性があるな」
二人で話していると遠くから足音が聞こえてきた。音は二つ。恐らく弟たちだろう。
閉められていた襖が開くと案の定、弟の孫三郎(尼子豊久)と小四郎(尼子敬久)が立っていた。
小四郎は参加できなかったのが納得出来なかったのか憮然としており、その様子を孫三郎が苦笑して見ていた。多分だがぐちぐち文句を言う小四郎の話を聞かされていたんだろう。
「兄者、結果はどうだったんだよ」
先ほどまで毛利の連中が座っていた場所にどかりと座った小四郎は開口一番に言った。孫三郎はすぐさま『おい小四郎、その口調は止めろと言っているだろう』と窘めるが孫三郎自身も今回の会談がどうなったのか気になるのか座った途端に視線をこちらに向けてきた。
「結果だけを言や同盟は締結された」
「ちっ、なんだよ。やっぱ締結すんのか。兄者なら話を引っ繰り返してくれると思ったのによ」
「馬鹿者、状況を考えろ小四郎。それが叶わぬことは前にも話し合っただろう」
「…分かってる、分かってるけどよぉ…」
小四郎はこの中で一番年が若いせいか納得がいかないらしく拗ねたように唇を尖らせた。だが理解はしているのだろう。それ以上の文句は口にしなかった。
「お前らの気持ちも分かるが抑えろ。でなきゃ俺たちも親父の後を追う事になるぞ。それだけは避けなきゃならねェ。それが俺たちが親父に託された義務だ。分かってるな、孫三郎、小四郎」
「…分かったよ」
「分かりました。それで、毛利は如何でしたか?」
小四郎は不承不承頷き、孫三郎もそれに続いて頷いた後、今回の会談の状況を知りたがった。孫三郎自身は参加させても良かったんだが小四郎が暴走すんのを抑える役目を負ってくれたからな。まァ、当の小四郎は既に興味を失ったのか一人立ち上がった。美作守が気を遣って小四郎に問い掛けるが小四郎は既に興味なさげだ。
「小四郎様は内容を聞かれないので?」
「聞いても分かんねぇしいいわ。鍛錬してくる」
そう言って小四郎は部屋から出ていった。小せえ頃から強い男になりたがった小四郎は親父が死んで更に鍛錬に打ち込むようになった。今では小四郎の相手が出来る人間も大分少なって来ているほどの上達ぶりだ。俺が今のまま大将として戦に臨むんだったら先駆けはあいつに委ねることになるだろう。
「…行ってしまいましたな。あいつも少しは考える力を養ってもらいたいものですが」
「孫三郎様、小四郎様は未だに心の整理がついておらぬのでしょう。鍛錬に打ち込むことでいずれは迷いも振り切れましょう」
「だといいがな、美作守」
孫三郎と美作守は心配そうに小四郎の背中を暫く目で追っていたが見えなくなった頃に視線をこちらに戻してきた。
「安芸守が出てきた」
「…跡継ぎので御座いますか」
「あぁ、脇の甘そうな顔だがあれも父親の右馬頭同様に厄介そうな男だ。まァ、同盟に関して言やァ兵糧や武具を供出してくれるってよ」
「ほう、では毛利は我等を恐れて?」
兵糧と武具の供出と聞いて孫三郎は喜色を露わにした。だよな。これだけ聞けば毛利が俺たちを恐れて物資と引き換えに同盟の念押しをしたと考えるだろう。
「そうだったら良かったのですが」
「違うのか美作守?」
ぼそりと美作守が呟くと孫三郎は怪訝そうに美作守を見た。美作守は苦笑いを浮かべている。
「毛利にとって武具や兵糧をこちらに渡すことは痛痒にもならねェんだろうさ」
「殿が吹っ掛けたのですよ。意趣返しの為に。ですが安芸守殿は特に気にした様子もなく物資の供出を決定されました。困っている我等を助けたい一心だと」
「まさか…。今の毛利はそれほどまでに力を付けていると?」
俺達の言葉を聞いて孫三郎は愕然としたように目を見開いた。兵糧は一年以上この城に籠れる程の量を送ってくれるってんだから本当に豪気なもんだ。世間じゃ不作だ、冷害だって米が採れない場合だってあんのによ。あるところにはあるってか。
「どうやらそうみたいだな。格下だと侮ったツケだなこりゃ。もし三郎(尼子詮久)が今も毛利を格下だって侮ってんなら尼子本家は喰われンだろうな」
話しているだけで嫌になってくる。胡坐をかいていた足を投げ出すように俺は足を伸ばした。俺の本家が喰われるという言葉に美作守も孫三郎も神妙な顔つきになり切なげに溜息を洩らした。この心境に至らせることが安芸守の狙いだってんなら本当に恐ろしい男なのかも知れねェな。
毛利右馬頭元就
「殿、おじい…、いえ、上野介(志道広良)殿がお見えになられました」
襖が開き、幼い童がそう声を掛けてきた。持っていた筆を手元に置くと凝った肩を解す様に回しながら返事をする。
「おお、そうか。部屋に通してくれ」
「かしこまりました!」
「金太郎、白湯も用意してくれるか?」
「ご案内しましたらお持ちいたします!」
「うむうむ」
快活な声と共に上野介の孫である金太郎が部屋から出ていくとすぐに上野介を伴って部屋に戻ってきた。上野介は孫の動きを注意深く見ているようじゃの。可愛い孫とはいえ甘やかしたりはせぬという事なのだろう。
上野介の薫陶を受けた金太郎は今年で九つだったか。幼いながらに気の利く童じゃ。今年に入ってから児小姓として儂の側で雑用を任しているが使い勝手が良く本人も素直なところが可愛いの。いずれは儂の息子たちと共に毛利家で活躍してくれることじゃろう。
案内された上野介も満足のいく様子だったらしく小さく頷くと儂と向かい合う様に座った。金太郎は儂の言いつけ通り白湯を用意しに再び部屋から出るとすぐに湯飲みを二つ持ってきてくれた。
「ありがとの、金太郎。しばし下がっておれ」
「はっ、失礼いたします!」
祖父である上野介がそう声を掛けると嬉しそうに表情を綻ばせながら部屋から出ていった。
「孫はしっかりと働けておりますかの?」
「見れば分かるであろう。幼いながらによく働いてくれておるよ。流石の上野介も孫はやはり心配か?」
「倅の大事な忘れ形見に御座いますからな」
「太郎三郎(志道広長)か。あれも気持ちのいい男であったの」
しばし儂と上野介の間に静けさが訪れた。こうして失った者たちを偲ぶ時間があっても良いだろう。太郎三郎は上野介に似た有能な男であったの。病で死なねば今は一線で活躍していたであろう。誠に惜しい男であった。
「倅も草葉の陰から喜んでおりましょう。倅を悲しませぬ為にも我等は今出来うることをこなしませんと」
「うむ、生きている儂らは失った者たちの分まで生きねばならぬからの。それでは話を聞かせてもらおうかの」
上野介には座頭衆と世鬼衆から各地の情報を纏めさせていた。その情報を元に今後の謀略の網を広げていくことになる。あまり皆には聞かせられぬ話よな。
「良い報告と悪い報告が御座いますがどちらから?」
「勿体ぶるのう。であるならば先に良い報告とやらを聞かせてもらおうかの」
上野介はニヤリと笑いながらこうやって時折揶揄う様に勿体ぶることがある。火急の事であればすぐに知らせてくるであろうから今回の悪い報告とやらはまだ深刻な状況では無いという事なのであろう。
「ほっほっほ、申し訳御座らぬ。では良い報告から始めましょうかの。長次郎(世鬼政親)からの報告ですが、どうも備中国(現在の岡山県西部)の庄備中守(庄為資)は尼子家からの独立を狙っておるようですな。同様に三村紀伊守(三村家親)殿からも庄家が密かに軍備を増強している動きがあると知らせてきています」
「庄家は尼子新宮党に付いたのではなかったか?尼子本家との戦の為という可能性は?」
「であれば密かに動くことはないでしょう」
「ふむ…、尼子紀伊守(尼子国久)という重石が無くなったせいで新宮党も頼りにならぬと見たか」
「それもありますが備中守自身も以前より備中国を自分のものにという野心があったように御座いますの」
確かに悪い報告ではない。三村家と熾烈な領土争いを繰り返していた庄家は元より毛利家に降ることを良しとしていなかった。今降れば三村家の下に置かれることは目に見えているからの。
尼子新宮党の元におればこちらも手出しできなかったが独立してしまえばわざわざ義理立てする必要もないであろう。
「なれば長次郎に伝えよ。庄家の独立を煽れとな。毛利も尼子も新宮党も互いにこの先の争いに執心しているから独立するなら今だと備中国内に噂をばら撒いておけば庄家家中でもその噂を鵜呑みにした者どもが騒ぎ始めるであろう。三村家にはそのまま庄家の動向に注視せよと。備中奪還の機会は近いとな」
「ほっほ、見事な御思案ですな。早速手配致しましょう。ですがこの謀が実を結ぶには尼子家との決戦に勝利せねば絵に描いた餅となりかねませんぞ」
上野介は釘を差す様にそう指摘してきた。まさにその通りよ。儂等毛利家のみちはまだまだ先へと進んでおる。備中での謀を役立たせるためにも負けられぬの。
「分かっておるよ上野介。その為には尼子にもしっかりとした布石を打たねばなるまいな」
小さな失敗や兵庫頭(熊谷信直)があわや討ち死しかけるといったことはあったものの毛利家全体を見れば概ね上手く回っておる。それ故の忠言であろう。慢心はするなと。慢心など出来うるものか。今こうして我等は大国であった尼子を打ち滅ぼそうとしておるのだ。そして日ノ本全体を見れば国の中心たる幕府が傾きかけておる。
それを考えれば慢心など出来ようはずもない。
儂が慢心していないと理解したのか上野介は深く頷いた。
「それで、悪い報告と言うのは?」
「はっ、座頭衆からの報告で尼子家中に内応を仕掛けていた件ですが、実は状況がよろしくありませぬ」
「と、言うと」
「一時は綻びがあったのですが、どうやら三郎が上手く家中を取り込んだようで隙が無くなりました。我等とは休戦中という事もありましょう。再び状況が動き毛利家有利となれば動く家も現れると思いますが現状は見込みなしと言わざるを得ませぬな」
「上野介が言う様に我等との戦に敗北し前当主の経久公が亡くなったことでだいぶ浮ついていたように思うが、これほど早く落ち着くものか?新宮党を追い散らしたからかの?」
「それは何とも。現在調査しておりますのでしばし猶予を頂けませぬか?」
些か腑に落ちぬ状況じゃ。確かに我等もこうして積極的に動いている以上尼子とてボケっとしていた訳では無いのは分かるがこうも手早く落ち着かせたのか。
上野介は申し訳なさげに頭を下げた。上野介が悪い訳では無いのだがの。
「良い良い。それは構わぬから頭を上げよ上野介。内応が上手くいかぬのであれば攻め口を考え直さねばならぬからな、儂も考えてみよう」
「ははっ」
「それよりも其方は太郎(毛利隆元)の件を聞いたか?」
「新宮党残党への物資の件で御座いますか?詳しくは聞いておりませぬが一応は聞いておりますぞ」
ふむ、相変わらず耳が早い。上野介とて仕事を抱えて忙しくしていた筈なのだがの。話して驚く顔を見たかったのじゃが。つまらぬ。
顔に出ていたのか上野介がくすくすと笑い始めた。不味い不味い。次郎(吉川元春)の百面相が移ったやも知れぬ。一つ咳払いをしてから口を開いた。
「式部少輔が吹っ掛けてきたようじゃの。当初の予定にはないこと故、飛騨守(国司元相)が困惑していたところを太郎が上手く切り返したようじゃ」
「太郎様もやりますな。最近は殿の跡取りとして確実に実績を上げておりまする。毛利家中の物資関連で一番詳しいのも太郎様に御座いましょう」
上野介は幼い頃、傅役の一人として太郎の養育に関わっていたためかその活躍が嬉しいようで頻りに頷いた。
「うむ、幼き頃は不安であったがようも成長してくれたものよ。尼子を滅ぼした暁には家督を譲ろうと思うておる」
「太郎様の御年は二十を超えましたか。少し早い気も致しまするが」
「暫くは儂が後見すれば問題は無かろう。それよりも儂は表側より裏から動いた方が動きやすいのかもしれぬ」
「ふ、確かに」
儂の言葉の意図を察したのか上野介が遠慮もなく噴き出した。そこは家臣として否定の言葉を言うものでは無いか?と思わないでもないが上野介がそのような遠慮をする筈がないかと思い直す。今更こやつに遜られても不気味じゃしの。
太郎の気質は儂とは違う。その本質には必ず優しさがある。今回のように敵を上手く謀ってもその本質は救う事であって敵を貶めるものでは無い。この気質は当主となることでさらに輝くであろう。
逆に儂は隠居の身となることで表に立つ必要が無くなる。太郎が採らぬ謀も儂が行えるであろう。
この謀の才は太郎よりも三郎(小早川隆景)の方が適任であろうな。あやつも穏やかであるが感情を排して合理的に物事を進めたがる。そして儂の謀に一番興味を示し、共感したのも三郎であった。あやつなれば喜んで敵を貶めるじゃろう。
儂の亡き後、謀関係を継ぐのは三郎に任せ、太郎には毛利家を明るく照らしていてもらいたいものじゃ。そして次郎がその武力を以て太郎の照らす先を切り開き、三郎が陰から太郎を支える。次代はこの三柱を基本に毛利家が動くこととなろう。兄弟仲も乱世では珍しいほど良い。願わくば長生きをして倅たちの活躍を見ていたいものじゃ。養生せねばならんの。
「そういえば、次郎様が上方へ向かわれたように御座いますの」
儂が倅たちの未来に楽しみを見出しているところに上野介が思い出したように膝を叩いた。
「うむ、休戦している今の内に動いておきたいそうじゃ。なんでも欲しいものがあるとか」
「今度は何をするおつもりでしょうかの?」
「毛利にとって利となる事であることは間違いないと思うがの。どうも突拍子のないことじゃからなぁ。儂にもどうなるかは分からぬ」
「今頃は三郎様と一緒に舟の上ですな」
「三郎は今、瀬戸内の海賊衆との交渉に力を入れておるからな。途中までは一緒じゃろう」
次郎もそうじゃが三郎も自分の好きなことをちょいちょい仕事中に挟むの。三郎は海と船が好きじゃし、次郎は食い物と新し物好きじゃ。しかもそれが毛利家の利に絡むように交えてくるから質が悪い。利になる以上文句も言えぬし。儂も隠居した暁には旅にでも出ようかの。
「駄目ですぞ」
「まだ何も言っておらんのじゃが?」
「羨ましそうな顔をしておりましたが?」
「…知らぬ」
はぁ、遊びで外に出ている訳では無いにせよ倅たちが羨ましいわ…。




