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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文一三年(1544) 尼子の魔の手
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慶事


一五四四年  吉川(きっかわ)少輔次郎(しょうのじろう)元春(もとはる)



新年を迎え、毛利家では二つの慶事があった。去年はクソ忙しかったし、死にかけたからな。慶事からのスタートが切れるってのは景気がいいもんだ。


一つは親父の側室、皆から乃美(のみ)の方と呼ばれている乃美光(のみみつ)殿が無事に出産したことだ。性別は女の子で、名を松と名付けられた。とても大きな声で泣く元気な子らしい。


らしいというのはまだ俺が会ったことが無いからだ。

新年を迎えてから暫くしてから生まれた子で新年の挨拶を済ませた後だったため、まだ俺は妹を見ることが出来ていなかった。

『早く会いてえよー』と家臣たちにぼやいてはいたんだが、主に勘助(かんすけ)山本春幸(やまもとはるゆき))や叔父上の式部少輔(しきぶのしょう)吉川経世(きっかわつねよ))に『忙しいのに我が儘はなりませぬ』と叱られた。


兵庫頭(ひょうごのかみ)熊谷信直(くまがいのぶなお))が、まだ復帰出来ていないため俺のお目付け役のような役割を二人が担っているらしい。兵庫頭は割と目溢ししてくれてたんだけどな。二人は厳しいんだ。

でもその兵庫頭もぼちぼち復帰出来そうと次郎三郎(熊谷高直(くまがいたかなお))からは聞いている。ようやく身体を自由に動かせるようになったようだ。この忙しさが落ち着いたらまた様子を見に行かないとな。なんだかんだで一番付き合いが長い兵庫頭が一緒に居てくれないと落ち着かん。


新年は新年で挨拶を受けたりといろいろ忙しく、また、もう一つの慶事のこともありなかなか吉田郡山城に足を運ぶことが出来ずにいた。


だがその我慢もようやく解かれる。もう一つの慶事がすぐそこまで迫っているわけだ。俺もこれから吉田郡山城に出発しねーと。祝いの品の準備も完了だ。


「準備はよろしいですか、次郎様」


「おう、刑部(ぎょうぶ)。それじゃ進発するか。祝いの品の準備は問題ないか?」


「抜かりなく。それにしても立て続けに目出とう御座いますな」


「全くだ。毎日がこんな幸せな日々だけだったらいいのになあ」


「そのような日を迎えられるように今は頑張り時に御座いましょう」


「そうだな、叔父上。さ、俺たちも出発しよう」


供には刑部大輔(ぎょうぶたいふ)口羽通良(くちばみちよし))と叔父の式部少輔(しきぶのしょう)吉川経世(きっかわつねよ))、平左衛門尉(へいざえもんのじょう)宇喜多就家(うきたなりいえ))、兵庫頭の代わりに次郎三郎を連れていくことになる。なにせ毛利家総力を挙げての祝いの席だからな。


もう一つの慶事は兄貴、安芸守隆元(あきのかみたかもと)の祝言だ。いよいよ大内家重臣の内藤(ないとう)下野守(しもつけのかみ)興盛(おきもり)の三女、あやや殿が毛利家に大内家の養女として嫁いでくるわけだ。


最初は養女でいいのか?と思ったりもしたんだが実の娘を貰うよりも有意義らしい。直系の娘だと気を遣うのだそうだ。


あやや殿は大内家で最も力のある重臣、内藤家の娘だ。

内藤家は代々大内家に仕えてきた重臣中の重臣。当然だが大内家中の影響力は強い。当主がそれなりに気を回す必要がある程の家だ。

毛利家が大内家と敵対関係にならない限りあやや殿を通して内藤家に、そして大内家に色々と便宜を図ってくれるだろう。それに大内家と直接血が繋がるわけじゃない。過度に大内家に引っ張られることも無い。


特に兄貴は内藤興盛や当主、大内義隆(おおうちよしたか)に大層気に入られているらしく、またあやや殿自身も聡明で大内義隆に可愛がられていたこともあり、嫁入りの為だけに大内家からは5000人の兵が動員され、それはもう華やかな祝言になると噂になっている。



また、相手が大内家だったこともありこの祝言を祝う客の多さもこれまでの毛利家では考えられない規模なのだそうだ。

大内家からはあやや殿の父親である内藤興盛、それと頭崎城攻めの際に共に戦い、毛利家に百万一心の言葉をくれた弘中三河守(ひろなかみかわのかみ)隆包(たかかね)、それに大内家の跡取りである大内周防介(おおうちすおうのすけ)晴持(はるもち)様といった錚々たる面々がわざわざこの祝言に来てくれるのだそうだ。


特に周防介様の参加は本来有り得ないことだ。いくら対等の同盟となったとはいえ周防介様は大内家の跡取り。つい最近まで傘下にいた毛利家の婚姻にわざわざ参加する必要など本来は無いのだ。


だが、そこは周防介様が参加を希望したらしい。兄貴と周防介様は他家の人間にも関わらずこの乱世では珍しいほどに仲が良かった。周防介様は自分の言葉で友を祝いたいと養父である太宰大弐様を説得したようだ。

俺としても不遜ではあるが、九州の戦で命をかけて戦い合った戦友という意識が強くあるためそう言った心使いを示してくれる周防介様は好感が持てる。


他にも酒作りで縁深くなった厳島神社の神主である佐伯景教(さえきかげのり)殿や、安芸国を中心に商いを営んでいる、九郎左衛門(くろうさえもん)堀立直正(ほたてなおまさ))を中心とした商人衆などが参加するそうだ。これだけでも驚きなのだがさらに驚くべきことは幕臣や公家からも人が来たことだ。


幕臣は昨年の備中国(びっちゅうのくに)でお世話になった三淵大和守(みつぶちやまとのかみ)晴員(はるかず)殿が公方様の名代として参加してくれる。


そして公家からは三条(さんじょう)内大臣(ないだいじん)公頼(きんより)様というビッグネームだ。三条公頼といえば娘が武田晴信(たけだはるのぶ)本願寺顕如(ほんがんじけんにょ)に嫁ぐことで有名だ。

現に二女、いわゆる三条の方は既に武田晴信に嫁いでいるそうだ。この辺と繋がりを持てれば甲斐の武田家と毛利家を繋ぐことが出来るかもしれない。

毛利家は甲斐武田家の同族である安芸武田家を滅ぼしているが既に何世代もの間に血が分かれた家だ。先祖が同じだけの別家と認識しているだろうしそこまでの影響は無い筈。

今回の婚姻は政治的に色々な意味を持ち始めている。


そんな政治的な色合いの強いこの婚姻だが当の本人たちは喜んでいるそうだ。

大内家に人質に出されていた兄貴はそこで内藤興盛に気に入られ、興盛自身は家で良くあやや殿に兄貴の話をしていたらしい。そして兄貴は既に大内家で顔合わせをしたらしくお互いに好意を持ったそうだ。政略結婚ではあるが本人たち的には恋愛結婚っぽいな。羨ましい限りだ。


「若様の御婚姻。既に安芸国内では大いに噂されております。楽しみに御座いますな」


「そうだな、いよいよ兄貴が嫁を持つのだと思うと上手くやれるのかと心配になってくる。兄貴は初心(うぶ)だからな」


「弟の次郎様がそれを心配なさるのですか」


「俺が兄貴を揶揄える、兄貴唯一の弱点だからな」


馬に揺られながら俺がニヤリと笑うと皆が楽しそうに笑いだした。こうして笑い合えるのはやはり慶事が続いてるおかげだろう。

それにしても、あーあ、羨ましい。俺だって男だから生涯の伴侶が欲しい。何人もの女性に囲まれてなんてのは勘弁だ。一人の女性と仲睦まじく、それこそ史実の吉川元春のように生涯に1人の女性と一生を過ごしたい。

とはいえぼちぼち家中でも俺の嫁探しがは水面下で始まってるっぽいしどうなんだかなー。この時代の普通とはいえ顔も知らない相手と結婚なんて想像もつかねーや。史実とは随分と歴史が変わってるから俺の相手も変わりそうだな。

実際の兵庫頭の娘って会ったこと無いんだよな。何回か屋敷にお邪魔してるんだが。どんな人なんだろう?いや、興味本位だけで見たいってのも失礼な話だな。

せめて姉貴のしんみたいなお転婆娘だけは勘弁だぞ。


あー、なんか自分の結婚なんて考えてたらモヤモヤしてきた。止め止め。そんなことより兄貴の祝言と、可愛い妹に会える事を考えよう。待ってろよまだ見ぬ妹の松よ。お兄ちゃんが今会いに行くからな!







尼子(あまご)式部少輔(しきぶのしょう)誠久(まさひさ)



ようやくこの美作国(みまさかのくに)(現在の岡山県北部)、林野城(はやしのじょう)(現在の岡山県美作市の城)での暮らしに慣れてきた。遠征でこの地に滞在することはあっても住まいを移したことはほとんど無かったからな。


最初の追撃以来、三郎(尼子詮久(あまごあきひさ))からの攻撃は今のところ無いと言っていい。これは俺たちを甘く見ているのか、それともほかに何か狙いがあるのか。この辺は分かんねェな。あいつのことは良く分かんねェ。何を見てるんだか、何がしたいんだか。まァ、今となっちゃもうどうでもいい話だァな。


それよりも問題はこの後だ。

先日、毛利家より予想通り使者が来た。同盟の打診だ。

小四郎(尼子敬久(あまごたかひさ))辺りは『誰が毛利家と同盟なんか結べるか!』と騒いでやがったが状況として毛利家を無視するわけにもいかねェ。

現状、尼子本家と毛利家両方を相手に出来るほどの地力はこの美作国には無ェからな。

感情的なもんは理解できんだけどよ。孫三郎(尼子豊久(あまごとよひさ))が骨を折ってくれたから今は小四郎も落ち着いたが。理解はしても納得はしてねェだろうな。


だが、今の俺たちを渦巻く状況で最も味方として頼りになりそうなのは毛利家だ。なにせ尼子本家は今や俺たち新宮党にとって怨敵だからな。帰参したいなんて考えている奴はこの家にはいねェだろう。

それだけ親父のこの新宮党での求心力があったってことだな。


今は休戦しているとはいえ本家との関係が険悪な毛利家は後ろ盾としては申し分ねェだろう。毛利と繋がることが出来れば大内との関係を持つことも出来る。両家とも尼子家として見れば(しのぎ)を削った家だが敵対していた家との和睦や同盟なんてのはその時々の状況によって変わんだ。家を残すためなら何だってやってやらなきゃよ。


それに大国尼子と言われてもここ数年でじわじわと力を落としてやがる。

正直、力の差は既に毛利と五分五分だろう。それほどまでに毛利の躍進は凄まじいと言わざるを得ねェ。少し前までは格下と侮っていた毛利なんだがな。盛者必衰ってか。ハッ、下らねェな。


小四郎じゃねェが、この同盟の打診に思う事がない訳じゃねェ。恐らく抑えに回ってくれた孫三郎も気持ち的には小四郎と同じだったろうさ。

あいつの場合、俺や小四郎とは違い親父(尼子国久(あまごくにひさ))の死を一番間近で感じてやがったはずだ。今でこそ立ち直っちゃいるが親父を殺した三郎、それにそういう状況に陥れてきやがった毛利に恨みを抱いてても不思議じゃねェ。


この件に関しては一応美作守(みまさかのかみ)川副久盛(かわぞえひさもり))含め全員で意思の統一はした。後は向こうの条件次第だ。

とはいえすんなりとこの同盟に従うってのもなァ…。さてさて、どう出てくんだ?


「殿、毛利家の使者殿をお連れ致しました」


殿…ねェ。呼ばれ慣れない呼び方に思わず溜息が出る。尼子本家と完全に袂を別ち、この美作国に来てから美作守や弟たちからもそう呼ばれるようになった。

殿なんて柄じゃねェんだが。今だって必死こいて俺たちが生き残る為にどうすりゃいいかを考えてんだ。こんな面倒臭ェこと、一刻も早く手放してやりてェがそうもいかんしな。ハァ、好き勝手に生きていいんじゃねェのかよ親父。あの世で会ったらぶん殴ってやるからな。


「おう、入れ」


俺の声に反応するように使者の対応をしていた美作守が使者と共に部屋に入ってきた。

使者の顔は見たことがある。中々戦巧者な顔をした男だ。もう一人は見覚えがない。戦とは無縁そうな笑みを浮かべた優男が美作守と共に入ってきた。後ろにくっついた優男は知らねえが、その使者の顔を見た瞬間に自分の中で最近感じてこなかった火が燃えるのを感じた。


「テメェ、国司飛騨守(くにしひだのかみ)国司元相(くにしもとすけ))か?」


「いかにも、戦場でお会いした以来に御座いまする。お久しゅう御座いますな、尼子式部少輔様」


やっぱりか。吉田郡山城の大手門を守護していた男だ。

距離もあったし兜を被っていたから良く顔を見たわけじゃねェが雰囲気はあの時と変わりゃしねェ。この男を使者に寄こしやがるとは気が利くじゃねェかよ毛利。

目の前に座った飛騨守は戦場に響かせていた低い声でそう言い返してくると不敵な笑みを浮かべてきやがった。流石と思わせるいい度胸だ。本当にいい男を寄こしてきやがった。自然と俺の口元が上がっていく。


戦場とはまた違ったひりつく感覚。他家とのやり取りもまた違う戦場なんだな。面白いじゃねェの。

互いに笑みを浮かべそのうちどちらともなく笑い声が上がった。







【新登場人物】


毛利松  1544年生。毛利元就と乃美光の間に生まれた子で3女。-14歳

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