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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文十二年(1543) 備中騒乱
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先を見据えて

一五四三年 毛利右馬頭(もうりうまのかみ)元就(もとなり)



尼子紀伊守(あまごきいのかみ)国久(くにひさ)龍泉寺(りゅうせんじ)から去っていった。

儂は未だに会談をしていた部屋で座っていた。鈍器で頭を殴られたかと思う程、紀伊守の殺気は鋭く重いものだった。掌にはじっとりと汗で湿っている。強張っていた緊張を解く様に一度大きく息を吐く。


殺されてもおかしくは無かった。紀伊守が本家を優先して儂を斬る可能性もなくは無かった。だからこその緊張だった。だが、賭けに勝ったようじゃ。緊張を顔に出さず、あくまで余裕ある態度を出し続けていたが、今思い出しても身震いする。


そんな時に此方に駆け寄ってくる足音が一つ。その後を幾つかの足音が追って来ていた。


「親父!大丈夫だったか?!」


襖が乱暴に開くと同時に甲冑姿の息子、少輔次郎(しょうのじろう)吉川元春(きっかわもとはる))が声を張り上げながら部屋に入ってきた。どうやら儂を心配して急いで駆け付けてくれたようだ。ふふ、可愛い奴よ。だが緊張がそれでだいぶ薄れたようだ。足がじんわりと熱が戻ってくるのを感じる。


「心配を掛けたの。だが儂は賭けに勝ったようじゃ」


「良かった…。すっげー冷や冷やしたぞ親父。本当に無茶しないでくれよ…」


「ははっ、悪かった悪かった」


次郎も気張っていたのか儂の無事が確認出来ると力が抜けたようにその場に座り込む。その様子が愛らしく次郎の頭を撫でた。

そして後から紀伊守(三村家親(みむらいえちか))殿、弥六(やろく)粟屋元親(あわやもとちか))、太郎左衛門(渡辺通(わたなべかよう))、そして上野介(こうずけのすけ)志道広良(しじひろよし))が入ってきた。そして情けなく座り込んだ息子を見て驚いたように声を上げた。


「少輔次郎様!どうなさったので!?」


「いや、すまん弥六。安心したら身体の力が抜けちまって…」


「驚かさないで下され。何かあったのかと驚きましたぞ」


「仕方ないだろ。あんな怒声聞いたら心配にもなる」


本来危なかったはずの儂に慰められるように頭を撫でられる次郎を見ればそれは驚くじゃろうな。ばつが悪そうに視線を逸らした次郎はよっこいせ、と爺臭い掛け声を呟きながら座り直す。


安心したように皆が車座(くるまざ)になって腰を下ろした。皆も儂が心配だったのか緊張気味だった表情に安堵の色が差す。勝算があったからこその会談であったが、我ながら確かに無茶をしてしまったの。


「そのご様子から見ると、尼子紀伊との会談は上手くいったようですな、殿」


「うむ、弥六よ。上々であったわ。血の気の多い人間だと思っていたが、年を重ねて随分思慮深くなったようだの。現状をよく理解しておった。血の気の多いままであれば斬られていたかもしれぬ。だがそれも上手く皮を被っているだけかもしれんがの。一度激高した際の殺気は以前とは比べ物にならぬほどであった。儂ですら漏らし掛けたわ」


「ほほっ、呆けるにはまだ早う御座いまするぞ」


「そうよな、上野介。さすがにまだ呆ける訳にはいかぬ。まだまだ毛利はこれからだからの」


上野介が儂を揶揄うように笑った。儂よりも遥かに年上の上野介に言われたくは無いの。それに確かに呆けてはおれぬ。毛利が大きくなれるかどうかの瀬戸際だからの。次はどこか落ち着きのない三村紀伊守殿が口を開く。


「尼子紀伊はいかがで御座いましたか?」


「本人も尼子三郎(尼子詮久(あまごあきひさ))から良く思われておらんことは分かっておったようじゃ紀伊守殿。だからこそ儂の言葉は奴の頭に深く刻まれたであろう。三郎は元々、家中の親族衆を快く思っておらんことは座頭衆からの情報で分かっていたからの。後は世鬼衆が尼子領で噂をばら撒けば激突は必至であろう。今はまだ紀伊守殿以下、三村家の者たちには不便を掛けるが」


「なんの。我等は右馬頭様、毛利家に賭けたので御座います。それに耐え凌ぐことには慣れております。未来を思えば何ほどのことも御座らん」


「うむ、必ず三村家には悔いの残る結果にはさせぬ故、安心して下され」


今回の戦では三村家には囮のような役目を負わせてしまった。だが三村家は不満も言わずに毛利に付き合うてくれたことを無碍(むげ)には出来ぬ。尼子に勝利した暁にはそれ相応に施す必要があろう。


それに三村家が今回の戦で思った以上にやることが分かった。なればこちらの戦力の一つとしてしっかり縁を結ぶことも考えねばの。確か紀伊守殿の息子はまだ四つか五つ辺りであったか。


今、(みつ)の腹にいる子が娘であれば嫁がせることも考えるか。娘でなくとも家臣の娘を養女にして嫁がせても良いしの。そんなことを考えていると太郎左衛門が次に口を開いた。


(ようや)く、尼子を喰らう準備が整いましたな、殿」


「うむ、まだ油断は出来ぬがな。今度は我ら毛利が尼子を攻める番よ、太郎左衛門。停戦期間の一年で我らも準備を整え、尼子の足元を崩し毛利の物とせねばならぬ。でなければいつまでも我らは脅威に晒されることとなろう。皆の者、もう少しの辛抱だぞ」


「はっ」


この場はそれでお開きとなった。それにいつまでも幕臣の方々を放置するわけにはいかぬからの。利用した分はしっかり感謝の気持ちを込めて歓待せねばなるまい。お礼言上に再び京へ誰かを派遣せねばならんな。



鶴首城を借りてささやかな宴を催し、幕臣方を歓待し終えた。明日には幕臣方も京へと帰ろう。

儂は縁側で夜空をぼうっと眺めていると部屋に次郎が姿を現した。戦もひと心地つき、身体を洗ったのだろう。三村にも石鹸は流してあったからな。さっぱりとした顔をしていた。


「どうかしたか、次郎」


「少し親父と話がしたくてな、少しいいか?」


「ああ、構わぬよ」


次郎は遠慮がちに部屋に入ってきた。そして儂の隣に座ると一緒に儂と空を見上げた。


「兵庫頭が意識を取り戻したよ。今はまだ安静にしていなきゃなんないけど飯も問題なく食えてるし、ひとまずは大丈夫だと思う」


「そうか、それは良かった。あやつがおらぬと次郎の暴走を止められぬからの」


「あ、ひでぇよ親父」


そうして二人で声を出して笑った。こうして次郎と笑えるのも戦を無事に終えることが出来たからだ。だが今回は本当に肝を冷やした。


「尼子は」


「うん?」


次郎が再び口を開いた。だがどこか歯切れの悪い物言いだ。儂が聞き直すと次郎が再び口を開く。


「尼子は本当に二分されるかな」


「恐らくな。それに二分してもらわなければ困る。その為に座頭衆には尼子に張り付かせておったのだ。それにこれから世鬼衆を使って分裂を煽る。元から尼子は円満ではないのだ。経久公が居れば分からなかったがの。綻びがあるならばそこを容赦なく突かねば生き残れぬ」


「…もし親父が、尼子家の立場だったら」


「儂は斬るよ。申し訳ないと思ってもそうせねばならぬ。それが出来ねば当主は務まらぬ。人としては最低であろう。だがそれが出来ねばならぬのだ。尼子三郎にせよ、尼子紀伊にせよ敵に付け入らせる隙をそもそも作るべきではなかったのだ。和解するか、出来ないのであれば粛清するしかない。次郎、其方(そなた)には冷たく聞こえるであろうが、心のどこかに留めておけよ」


儂の言葉を聞いた次郎は悲しげに表情を歪める。それも仕方なかろうな。

儂は弟の相合四郎(あいおうしろう)元網(もとつな)を尼子の謀略により討たざるを得なかった。


勇猛な、頼りになる弟だった。仲が良かった。だが、それでも毛利を保つためにはそうするしか無かった。今でも、あの時、四郎としっかり話をしておけば良かったと悔やまない日は無い。だから次郎の悲しみが分からない訳じゃない。


「それが嫌なら外だけでなく、中にも目を向けよ。家中で不満を持っている者はいないか。不満があるならばどうやってそれを無くすか。無くせぬならどう和らげるか。考えねばならん。それはある意味粛清するよりも困難ではあるがな」


「分かった。…やっぱり戦国の世界は厳しいな」


「…そうじゃな」


ぼそりと呟いた次郎の言葉に胸がぎゅっと締め付けられたような痛みを感じた。恐らく前世の記憶と比べてしまったのだろう。なんて声を掛けてやればよいのか言葉が詰まる。大した言葉を掛けてやれないことがこんなにももどかしいとはの。せめて理解は出来なくても寄り添ってやりたいと思った。その逞しくなったとはいえ小さな背中に手を添えると優しく撫でた。すると次郎は笑みを浮かべて口を開いた。


「でも、頑張るよ、親父。こうして生まれた以上、しっかりと生き切ってみせる」


「うむ、儂はずっと、次郎を含む子らを見守っておるよ」


「ん、それが一番心強い」


せめてこの子らが幸せに暮らしていける世界を作ってやりたいと思うが、これもなかなか難しいの。一歩一歩確実に、他国に脅かされぬために我ら自身が大きくなるしかあるまい。





尼子(あまご)紀伊守(きいのかみ)国久(くにひさ)



既に事は動き出していると考えた方がいい。儂も備えねばならぬ。

毛利右馬頭元就との会談を終えて尼子の陣に戻る。式部少輔(しきぶのしょう)尼子誠久(あまごまさひさ))、孫三郎(尼子豊久(あまごとよひさ))ら倅たち、美作守(みまさかのかみ)河副久盛(かわぞえひさもり))、そして(しょう)備中守(びっちゅうのかみ)為資(ためすけ)が待っていた。


儂の表情に気付いたのだろう。美作守が此方を気遣うように駆け寄ってきた。


「一体どうなさったのですか。紀伊守殿」


「美作守、毛利に嵌められたようだ」


儂は、和睦交渉の際にあった一連の流れを四人に説明した。反応は三者三様だ。神妙にしている孫三郎、興味なさげな式部少輔、目を閉じて黙って聞いている美作守。


そして特に狼狽えているのは備中守だ。戦に勝利し備中国を任せてもらえると思ったのだろう、それがこれから尼子家中で内戦がある可能性を聞かされたのだ。しかもその可能性はほぼほぼ間違いないだろう。狼狽えるのも仕方あるまいか。


「こ、これでは何故戦をし、勝ったか分からぬではありますまいか!」


独力で勝てなかった男が何を偉そうに。そう思わないでも無かったが口にはしなかった。今は少しでも戦力が必要だ。ならばここで取り込んでおく必要がある。


これまで三郎は直轄地を増やし本家の力を強めようと動いていた。我等を潰そうと言うのもその一環だろう。ならば備中も例外では無い筈だ。


「すまないな、備中守。だがどちらに付くか悩んでいる時間は無いぞ」


「…二分を防ぐように立ち回ることは出来ませぬのか?」


「難しいだろう」


強国だった尼子だから備中は庄家の元で纏まれると思っていたのだろう。だがその尼子が揺れる現状を備中守は認められないようだ。その声にはどこか縋る様な響きが含まれていた。

儂とてその手段があるのならば知りたい。だが今となってはもう無理だろう。儂や式部少輔ら倅が腹を斬れば済む話であろうがその気にはなれぬ。不忠者なのだろうが。だがせめて備中守をこちらに引き寄せる。


「三郎が勝てばこれまで以上に尼子家中の権力を自分の元に集めようとするだろう。そしてそれはこの備中でも同じことだ。これまでの様に尼子の名のもとに自由に出来ると思わない方が良い。何が言いたいかは分かるな?」


「…紀伊守殿に御味方すれば、備中は任せて下さいますのか?」


狼狽えていた備中守が徐々に落ち着きを取り戻す。頭の中で自身が利益を得るために計算をしているのだろう。そうだ、儂に付かなければお前は損をするぞ。それに毛利に寝返ることも出来ぬだろう。既に三村家が毛利に付いているのだ。今から毛利に寝返れば三村家の下に付く事になろう。実際は勝利している備中守には耐えられぬ屈辱に感じるはずだ。だからこそ備中守は儂に付かざるを得ない。


「ああ、いいだろう。なんなら証文を書いても良い」


「…分かりました。儂も腹を括りましょう。いざと言うとき、庄家は紀伊守様に御味方致す」


「うむ、期待しているぞ。備中守」


「はっ。それでは儂は備中国を纏まるために動こうと思いまする。ご武運を」


そう言って備中守は陣幕を出ていった。これで備中は抑えただろう。だが警戒はしておかねばならぬ。約束した分は優遇してやらねばならん。締めるにしてもまずは生き残らなければ。

美作守に視線を送った。まだ目を閉じている。


「美作守。お前はどうする?」


美作守は元々尼子家そのものに忠義を尽くしてくれている。そして個人的な付き合いもある美作守に味方をしてもらいたいが、付き合いが長い分強制するのは憚られた。儂の問いかけに美作守は静かに目を開けた。


「…これからの尼子家を案じておりました。ですが、今の殿のやり様には私も思うところがあります。それにこれまでの紀伊守殿との友誼(ゆうぎ)無碍(むげ)には出来ませぬ。私含む美作国はいざと言うとき、紀伊守殿に御味方致しましょう」


「すまんな、美作守」


「なんの、気遣われますな。これも運命なのでしょう」


運命か。何とも皮肉なものじゃな。大きくなったことで増長したのが尼子の運の尽きか。


「式部少輔、孫三郎。お主等も覚悟しておけ。一度、月山富田城には報告に戻らねばならんがその後は新宮谷にて様子を窺う事となろう」


「父上、何とかならぬのでしょうか。毛利の流言ではないのですか?」


「可能性が無い訳では無い。むしろ流言であることを儂も信じたい。だが心当たりがあるのも事実だ。だからこそ対策が必要となる。でなければ本当に三郎が我々の排除に動いた際にただ殺されるのを待つだけとなってしまう。そうであろう、孫三郎?」


「それは、そうで御座いますが…」


まだ信じ切れぬのであろう。それはそうだ。勝ったつもりがこのような策を仕掛けられていたなどと考えれる程、孫三郎は成熟してはいない。それに比べて式部少輔は落ち着いている。いや、何も考えていないのか。その表情からは何も読み取れなかった。こやつがこのような表情をするとは。


「式部少輔も良いか?」


何も言おうとしない式部少輔の考えが気になり、催促するように聞き直した。


「なァ、親父。どうせ月山富田城に戻るんだったらよ。この際、三郎を殺しちまおうぜ」


「お、お前は何という事を…」


真顔で、式部少輔がとんでもないことを言い始めた。その言葉に心が震える。この震えは歓喜か、それとも恐怖か。殺られる前に殺る。確かに道理ではある。


「このまま争うんならよ。三郎を早めに殺しといたほうがいい。そうじゃねェか親父?」


式部少輔の提案が酷く魅力的に聞こえた。だが殺るにしても理由はあるのか。正当化できる大義名分がない。


「お前の言いたいことは分かる。だが大義名分がない以上認められぬ」


「理由なんてなくてもいいじゃねェかよ親父。そんな悠長なこと言ってる場合か?」


「争うにしても正当化できる理由が無ければ人は納得せぬのだ、式部少輔」


「…ッチ」


式部少輔は不服そうに、でも言葉が見つからないのか舌打ちを一つすると閉口した。だがこの場から去ろうとしないところを見ると一応は本人も納得してはいるのだろう。でなければこやつは当たり散らしながら去るであろうからな。


さて、ひとまずは出雲国に帰るとするか。…正直、気が重い。だが、我らが生き残るためにはやらねばなるまいな…。後、一月二月で年が明ける。嫌な年明けとなりそうじゃな…。

いつもお読みいただきありがとうございます。

またブックマーク、評価、感想と読者様からの応援を頂き感謝しています!


また、誤字脱字報告をして下さる方々、いつもご迷惑をお掛けしています。ありがとうございます。

これからも『百万一心の先駆け』が皆様に楽しんで頂けるように頑張っていきます。

楽しいと思っていただけましたら感想やブックマーク、評価をしていただけると嬉しいです。


引き続きこれからもよろしくお願い致します!

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