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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
享禄三年(1530)~天文七年(1538) 幼少期
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傷だらけの牢人

一五三五年 大林(おおばやし)源助(げんすけ)幸次(ゆきつぐ)



何故こんなことになったのだろう。城の一室で待っている最中に何度もそう思った。






元服してすぐに諸国を巡る旅に出た。東海から畿内、四国から九州、そして今中国まで来ている。様々な知識を身に着け自分なりに究められたと思っている。

途中で賊なんかにも襲われ片目を失い片足も怪我をしたが後悔はしていない。かけがえのないものを身に着けることが出来たのだからそれで良かった。だから駿河に帰りそろそろ仕官をと考え、中国地方を見て回っている途中で立ち寄った。


安芸国、ここは伸長著しい国人がいると聞き立ち寄った。会いたいと思った。だが残念ながらその主、毛利様は備後の多賀山(たかのやま)何某(なにがし)との戦に出てしまわれたとのことだった。惜しいが仕方ない。それに会ってくれるか確信があった訳でもないのだ。


だからとりあえず城下を見て回り、どんな方なのか話を聞こうと逗留(とうりゅう)し始めた。特に何か目の引くものがあるわけではない。強いて言えば町が他に比べて賑やかだということか。

それに民たちの表情も明るい。どうやら毛利様は善政を敷いているようだった。民が明るいということはそこの領主がしっかりと政務にも目を向けているということだ。ますます会いたくなるがこればかりはな。


後は城の防備か。一国人の城にしては立派な構えをしていた。だがまだ足りぬ。

射手を増やすために大手門の横に曲輪を増やしてはどうか。九州の博多湾で石築地(いしついじ)といわれる防塁を見た。元寇の際に築いた(へい)らしい。あれを城作りにも活かせるのではないか。様々な案が頭に浮かんでは消えていく。いかん、考えたところで試す機会などないのだ。


城下では毛利様の話を聞いた。幼いころに両親を失い継室に育てられただとか、家臣の井上何某に領地を奪われ苦労されただとか。弟君と家督争いをして今の立場に付いた等、かなり苦労をしているのが分かった。だがそんななかでも諦めず、不屈の心と謀略を駆使してこの地を安定させ今では安芸国人の盟主になったそうだ。謀略を駆使する主。なんとも仕え甲斐がありそうな方だ。ますます悔やまれるな。


またその御子息も聡明らしい。嫡男松寿丸(しょうじゅまる)様は既に父と共に政務の手伝いをしており仁の心を持つ心優しい方。次男の鶴寿丸(つるじゅまる)様は武芸に秀でているが変わったところがあるらしい。三男徳寿丸(とくじゅまる)様は見目麗(みめうるわ)しく、この方も知恵付きが早いのだそうだ。毛利はますます安泰だと民たちが話してくれた。


そんな風にして暫く逗留していてそろそろまた旅立とうかというとき、声が掛かった。何でも吉田郡山(よしだこおりやま)城の主、その次男様が私に会いたいと言っているそうだ。噂にあった変わった次男様だ。旅の最中、たまにこういうことがあった。


大概は暇つぶしのため、私を見世物のような扱いをしたり「大言壮語を吐くな」と罵られるようなことばかり。こんな風体であるし、軍学を究めたと偽らずに言っている。それが(うそぶ)いているように聞こえるらしくどうも気に食わないのだろう。だから今回もその類だろうと思った。正直気は進まぬ。だが断ることは出来ない。断りでもすれば最悪殺されてしまう可能性もあるのだ。


だからこうして登城して今部屋で待たされていた。

すぐに湯呑が差し出される。それだけでも有難かった。得体の知れない相手だ。ただ待たされることの方が圧倒的に多い。

湯呑に入った冷たい水を一口飲んだ。そうしているとようやく呼び出した相手が姿を現す。慌てて頭を下げた。


「面を上げよ」と幼い声が頭上から聞こえた。言葉に従い頭を上げて驚く。本当にまだ幼子なのだ。気の強そうなつり気味の目は楽しそうに笑っている。だが嫌な感じはしない。(あざけ)るような色がない。連れの者の方がこちらを警戒する有様だ。

むしろこちらの反応の方が正解だろう。だが本当に自分に会いたかったのだと伝わってきた。嬉しいが何故という疑問の方が強い。なるほど、これが変わっていると言われる所以(ゆえん)だろうか。


「旅の途中にお呼び立てしてしまい申し訳ありませぬ。私の名は毛利鶴寿丸と申します」


「あ、いや、これは失礼をば。私の名は大林源助と申しまする。三河国(みかわのくに)牛窪(うしくぼ)城主牧野(まきの)氏の家臣、大林勘左衛門(かんざえもん)の養子に入っておりましたが今はこうして諸国を旅しておりまする」


いかん、見すぎていて挨拶を先にされてしまった。無礼を急いで謝るが特に気にしてはいないようで私の出生を興味深そうに聞いている。目がきらきらと輝くような純真な瞳に見られて少しこそばゆくもある。そして年齢の割にはしっかりとした話し方をしていた。


「もし良かったら源助殿が今まで見たもの聞いたもの、興味を持ったものなど聞かせて欲しいのです。教えては下さいませんか?」


「私の話などでよろしければ」


そうして私は今まで見てきたもの、興味深かったもの、各地の情勢などを話した。幼子には難しい話ではあっただろうが鶴寿丸様は真剣に耳を傾け、時折こちらにも質問をしてくるほどだ。確かにこれは聡明だろう。しっかりこちらの話も理解されておられるのだ。それに毛利を大きくしたい。そのための案を既に考えているとの事だ。この幼子の頭の中にはどんなことが考えられているのだろう。


話しているのが楽しい。こんな気持ちになったのは久方ぶりだった。楽しかったせいか城を眺めていた際に思いついた吉田郡山城の防衛強化の話も聞いてもらった。

だが話した後にまずいと気付いた。城の防備は最高機密になるものだ。おいそれと他人が口を出していいものではない。楽しさから口を滑らせてしまった。すぐに頭を下げて無礼を謝罪した。


「申し訳御座いませぬ。差し出がましいことを口にしてしまいました」


「いえ、構いませぬ。大事なことを伺いました。父が戻りましたら話したいと思います。有難う御座います」


「いえ、そんな。私のようなものに頭を下げるのは止めてくださいませ」


お付きの者も鶴寿丸様に頭を下げてはならぬと叱っていたが、鶴寿丸様は不満そうだ。「助言をくれたのだからお礼を言って何が悪い」そう口にされた。これが普段の口調か?


「失礼、もし話し言葉を変えておられるのならば私は気にしませぬ。普段通りに話してください」


「あ、ほらー、バレちまったじゃんか。せっかく取り繕ってたのに。でも、その、源助。こんなんなのにいいのか?」


「ふふ、構いませぬ。その方が鶴寿丸様には自然かと」


「そっか?んー、頑張ったんだけどな。それじゃこのまま話させてもらうな」


素に戻った鶴寿丸様がニヤッと悪戯小僧のように笑った。しっかり外面を作れていた先ほどとはまるで印象が違いおかしかった。二人で笑った。

その後も日が暮れるまで話をさせてもらった。夕食もどうかと聞かれたがさすがに遠慮した。これ以上厚意に甘えても返せるものがない。


「そんでさ、源助は駿河に帰るんだろう。無理にとは言わないが毛利家に残ってくれないか?」


一緒にお前と毛利を大きくしたい。最後にそんなことを言われた。正直そんなことを言われたのは初めてで嬉しかった。なんとも心揺さぶられる。だが私は大林家を継がねばならなかった。


「お誘い大変うれしく思いますが申し訳ございませぬ。私は大林の家を継がねばならぬ身。誠に有り難いお誘いなれどご容赦くだされ」


「んー、そうだよな。すまん。無理をお願いした。だがもし向こうに帰って辛いことがあったら毛利家を思い出してくれ。毛利家は必ず大きくなる。だから源助が助けを求めるなら必ず手を差し伸べる。だから絶対遠慮なんかしないでくれ」


「はっ、重ね重ねご厚意感謝致します。もし、私が報われぬ時は頼らせて頂きまする。まあ、そんなことが無い方が私としては助かるのですが」


「ふはっ、確かにその通りだ。すまん、失礼なことを言った」


「いえ、鶴寿丸様の言葉、決して忘れませぬ」


そう言って会見は終わった。帰りに幾ばくかの路銀と服を渡された。最後までなんとも有難いことよ。この地を去るのが寂しくなるな。そう思える土地に出会えるのは私にとって希少だった。また会いたい。幼子の鶴寿丸様の成長が楽しみだ。さあ、そろそろ出発しよう。












一五三五年(天文四年



親父が出陣してからしばらくのこと、諸国を旅して回っているという男の噂を耳にした。曰く、その男は肌は黒く傷だらけ、左目を失い隻眼で、片足を引きずるように不自由、されど喧嘩は滅法強く、口も回るという。旅人であるにも関わらず兵法を会得した、城作り、陣取りを究めたと嘯いているそうだ。名を大林源助幸次というらしい。


これってあいつじゃないのかな。武田の軍師の山本勘助。若いころは西日本を旅して回ったっていうし。すごいなあ、こんな田舎にまでわざわざ旅をしてくれるなんて。会いたいなぁ、会いたい。なんならうちに仕官してくんないかな。とそう思い、迎えに行かせるために人を送った。来てくれるといいんだが。



そんな訳で今目の前には大林源助がいる。本当に来てくれるとは思わなかった。

噂の通り旅をして回っているせいか日に焼けた肌に隻眼。手作りなのか少しでも見栄えをよくするためか丸く綺麗に削られた木の板を眼帯代わりに使っていた。着ている服は一張羅なのだろうが旅の最中で擦り切れてしまったせいかみすぼらしい。これも旅のせいだろう。話に聞く山本勘助像にぴったりだ。やっぱりこの人が山本勘助なんだと思う。いやー、なんか興奮する。


当の本人はこちらを観察するようにじっとこちらを見ている。何故ここに呼ばれたのか不審に思っているのだろう。そんな表情だ。残念だな源助。自慢じゃないが俺は何も考えていない。ただ歴史上の偉人に会いたいだけ。ついでに仲良くなりたいだけ。そして旅の話を聞きたいだけだ。丁寧に接してもてなしちゃうぞ。


姿のみすぼらしさに似合わない言葉の流暢さ、細かなところまで見ているその各地の情勢の詳しさに驚いた。源助自身は俺を子供だと思って最初は分かりやすく話してくれてたんだが話し込んでいくうちにどんどんと熱を帯びていった。島津は内戦でひどい有様らしい、直接見に行ったが殺伐としていて長居が出来なかったと話してくれた。楽しいな、粗野な見た目なのに話し方は理知的だし見た目で損してると思う。


一応誘ってはみたんだけどな、駿河に帰るらしい。

引き止めたかったが理由がない。帰っても大林家にはもう子供生まれてるよ。今川家には仕えられないよなんて今5歳児の子供が言っても信じてもらえないし気持ち悪いし無礼だろう。だから素直に見送った。路銀と新しい服も渡した。すごく喜んでくれてたな。そうだ、手紙のやり取りもしよう。繋がりだけ維持していれば有益な情報とか東海方面の情勢とか知れるかもしれない。少しずつ遠ざかっていく背中を見送りながらそんなことを思った。




【初登場武将】



大林源助幸次  1500年生。史実の山本晴幸。諸国を武者修行中。+30歳

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