鶴首城の戦い
一五四三年 毛利右馬頭元就
太陽が天高く上り真上から光を降り注ぐ中、尼子と庄の軍は姿を現した。尼子軍は陣を敷くなり、早々に鶴首城へ攻撃を開始する。恐らくどの程度反撃が来るのか確かめているのだろう。
昨晩の夜襲である程度主導権を握るつもりであったのだが。まさか破られ将兵を危機に晒す事になろうとはの。危うく大事な倅や優秀な将を失うところであった。
兵庫頭(熊谷信直)は未だ予断を許さぬがなんとか生きて欲しいものだ。
それに兵庫頭が死んでしまえば少輔次郎にどのような影響が出るか分からん。あの倅は自身の心を許した相手に対しての情が強すぎるからの。戦によって心が壊されることは往々にしてあるのだ。兵庫頭、頼むから死んでくれるなよ。
いつの間にやら儂も油断しておったのだろう。最近は物事が上手くいきすぎていたからであろうか。なんとも情けないことだの。
これ以上は吉川の軍に無理をさせることは出来ぬ。久しぶりに気張らねばなるまい。
我ら毛利軍は場城外より尼子軍を牽制し、攻撃する兵の数を削りながら、城攻めに集中させぬように何度も攻めかかっては引いてと繰り返した。弥六(粟屋元親)も太郎左衛門(渡辺通)もその辺は上手くやってのけるじゃろう。深入りをする必要はない。二人とも今回の戦がどういったものであるかをしっかり理解しておるからの。
敵を追い返すような無茶は今回はしなくてもいい。
可能な限り敵に嫌がらせをして時を稼ぐ。稼ぐだけで良かったのだ。だからこそ昨晩の敗戦は悔やまれる。主導権を握っておきたかった。尼子の新宮党の攻撃を甘く見ることは出来ぬ。だからこそ出端を挫いておきたかったが。それこそが儂の慢心であったのだろう。もう、無茶な真似はせぬ。確実に、無駄な被害を出さぬように万全を期す。
「少輔次郎(吉川元春)殿が心配ですか。義父上」
「弥三郎(宍戸隆家)か。ぬかったの、表情に出ておったか?」
「ええ、悔やんでいるのが私でも分かりました。珍しいですな」
陣幕の外から婿である弥三郎が入って来るなり儂にそう言った。どうやら表情に出ていたようじゃ。いかんの。
「ふう、戦であるから全てが全て上手くいくとは思うておらんがの。分かってはいた。分かってはいたことじゃがここで上手くいかぬとは思わなくてな。要らぬ被害が出てしまった。じゃが表情にまで出ていたとはの、気を抜き過ぎじゃな。これでは次郎のことを言えぬわ」
「義父上の仰る通り、全てが上手くはいきませぬ。被害は勿論ですが少輔次郎殿含め将は戻ってくることが出来ましたし最悪の事態は防げたことを喜びましょう。場合によっては完敗していた可能性も御座います」
「そうじゃな。おお、そうじゃ。弥三郎、戦況はどうなっておる」
「今のところ問題なく。尼子の方も攻め切れぬようです。鶴首城、中々の堅城ですな」
「ふむ、敵にくれてやるには勿体ないな」
「そうですな。ですが餌としては十分で御座いましょう」
「このまま時を稼げよ、弥三郎。さすれば上野介(志道広良)が上手くやってくれよう」
「はっ。太郎左衛門殿も弥六殿も分かっております。尼子に何度も上手いことやらせる訳には参りませぬ」
「頼む」
「はっ。お任せあれ」
後は長次郎(世鬼政親)からの知らせを待つばかりじゃな。上野介であれば上手くやってくれよう。紀伊守(尼子国久)よ。悪いが儂は恨みは忘れぬのでな。息子のやられた分はしっかりやり返させてもらうぞ。
そうやって攻城戦が始まってから十数日が経った頃、ようやく待っていた報告が儂の耳に届いた。
「殿」
「…長次郎か。其方が来たという事は」
「然り。上野介殿も直に此方へ参られますが先に知らせよと」
「良し、でかしたぞ上野介…!」
漸く。漸くじゃ。待っていた時が訪れた。この戦より尼子に大きな楔を打ち込む。毛利を潰さずにおいたこと、必ず後悔させてやるぞ。
尼子紀伊守国久
夜戦より戻ってきた倅たちは、というより式部少輔(尼子誠久)は満足げな顔をしていた。こやつの満足げな顔は必ずしも儂にとっての吉報ではない。
勝ちはしたのであろう。そもそも負けることの心配はしていないが。だが式部少輔がこういった顔をしているという事は恐らく楽しみを見つけたという事なのだ。
つまり敵将を狩るまでは至らなかったという事。狩っていればこの倅はもっとつまらなそうな顔をしていたはずだ。お気に入りの玩具に飽きた子供のようにな。
溜息を吐きたいところを何とか堪えて式部少輔の隣に控えていた次男の孫三郎(尼子豊久)に視線を移す。
「二人とも、ご苦労であったな。孫三郎、戦果はどうであった?」
「はっ。父上、吉川勢が再び伏兵を配していましたが兄者が事前に察知したおかげで大事には至らず伏兵隊をほぼ壊滅させることが出来ました。ですが将、熊谷兵庫頭を狩る寸前のところで吉川勢が舞い戻ってきてしまい、熊谷兵庫頭を狩るまでには至らず。朝日が上がったためこうして戻って参りました。敵の被害は百は超えておりましょう」
「ほう、それだけの兵を屠ったか。上出来だな」
逃げていただろう敵が何故戻ってきたのかは些か不可思議ではあるがそれでも敵をそれだけ屠ることが出来たのであれば十分な戦果であろう。贅沢を言えば熊谷兵庫頭を討ち取って欲しかった。あやつの名は我ら尼子の地にもそれなりに聞こえる勇将だ。討ち取ることが出来れば吉川の、毛利の力を多少なりともそぐことが出来たであろう。
だが功に焦ってこちらの被害を増やしては意味がないからな。こんなところであろう。
「親父、城攻めで吉川が出てきたらまた俺に相手させてくれよ。あの家はいいぜェ。強い奴が多い。楽しめそうだ」
先程の戦で随分猛ったのだろう。獰猛な笑みを浮かべた式部少輔がそう言った。ふう、少しこやつの熱を冷まさねばなるまいな。このまま猛ったまま戦場に出せば暴走しかねん。それに百も兵を失ったのであれば吉川も早々に大きい動きは出来ぬであろう。式部少輔を冷ますには丁度良いか。
「分かった。吉川が出てくるようであれば式部少輔に相手をさせてやろう。それまで休んでいるが良い。ご苦労だったな、式部少輔、孫三郎」
「おう、親父こそ楽しい戦をさせてくれてありがとよ」
「それでは失礼致します、父上」
そう言って式部少輔と孫三郎は陣幕から出ていった。夜通し戦に駆り出したからな。今日くらいは休ませてやらねば。
それにしても吉川か。暫くは名を落としていたがここでまた返り咲きおるか。余程優れた倅を入れたのか右馬頭。鬼吉川(吉川経基)の再来にならねば良いが。こうして考えるとますますあの戦で毛利を潰せなんだは悔やまれるな…。あそこで潰せていれば安芸国を支配し大内の伸長を妨げることが出来たであろうに。つくづく情けない。
なおさらこの戦は負けられぬ。物見の知らせによらば毛利は城から出て此方を牽制してくるようだ。此方の嫌がることを確実に突いてくるわ、毛利右馬頭め。ここはじっくり腹を据えるしかあるまい。
「城攻めを始めよ。三村がどの程度抵抗してくるか見極めい!」
儂の号令と共に出陣の太鼓が鳴らされる。
鶴首城はそれほど大きな規模の城ではないが守りは見るからに堅そうだ。
徐々に圧力を強めていくしか無かろう。毛利の方を先に潰したいが恐らくこちらが本腰で毛利軍を攻めればあの軍は逃げるであろうしな。そしてまた城攻めを再開すれば小蠅のように鬱陶しく仕掛けてくるのだろう。
では軍を別けるかと考えるがそれは愚策であろうな。此方の兵力にそれ程の余裕はない。全く、本当にいやらしい手を打ってくるもんじゃ。
城の兵糧にどの程度余裕があるかは分からんが毛利の援助がある以上楽観は出来そうにないな。やはり無理攻めであろうとも力で落とすしかないか。城内の兵力はそれ程でもないだろう。
三村の連中も以前から頑強に抵抗してきているだけあり意気軒高のようだ。だがこの士気の高さはちと不可解ではないか。
緒戦はこちらが制した。それは向こうも分かっていよう。毛利が城外にいるとはいえこちらを蹴散らせるほどの兵力では無い筈だ。ならば策があると警戒した方が良いか。あの右馬頭が相手であれば警戒しても無駄にはなるまい。
「美作守(河副久盛)を呼べ」
「はっ」
側に控えていた者に声を掛けるとすぐさま走り出し陣幕から出ていく。暫くすると美作守が姿を現した。
「何か御用ですかな、紀伊守殿」
「済まぬな、ちと頼みたいことがある」
「ほう、お聞きしましょう」
「三村の士気の高さがちと気になっての。毛利がなんぞ仕掛けてくるやもしれん。美作守にはそちらを警戒してもらえんか?」
「成程、確かに私も三村の事に関しては気になっていました。毛利が戦場に出張っていると怪しく感じるのも仕方ありませぬな」
「右馬頭はあらゆる手を用いてこちらの足を引っ張ってくるからな。無駄足に終わればよいが。頼まれてくれるか?」
「分かりました。何か毛利に動きがあればすぐさまお知らせ致しましょう。紀伊守殿が城攻めに集中出来るように此方で補助致します」
「うむ、頼む」
「はっ、では私はこのまま出ます。ご武運を」
美作守はうっすらと笑みを浮かべるとそのまま陣幕を出ていった。あやつに任せておけば手勢を率いて毛利の牽制を邪魔してくれるだろう。頼もしい男よ。
後はどの程度の時が必要になるか…。城攻めは昔から好きではない。若い頃はただ戦場で己の武を示すだけで良かった。
だがいつの頃からか責任が生じ、名を上げ身分が上がる度に自由を失っていったような気がする。とはいえ放り出す訳にもいかぬしな。
儂が隠居でもしてしまえば三郎(尼子詮久)はこれ幸いと新宮党に無理難題を押し付けてくるであろう。そして無理難題を押し付けられるのは儂の倅たちだ。そんなもの断固として認める訳にはいかぬ。…溜息が出そうじゃ。
いつからこのような窮屈な思いをするようになったのであろうな。生まれた家のせいか。ただ自由に戦場を駆けていたいだけなのだがな。
尼子孫三郎豊久
城を囲んでから日が昇っては沈み、また日が昇っては沈むさまを何度も見てきた。未だに鶴首城は堅牢さを保ったまま。三村の兵は士気高く城を防衛し続けており一向に落ちる気配を見せてはいなかった。
その不可解さに父上は毛利の企みを疑っておいでであったが肝心の毛利は未だにこちらに何か仕掛けてくることはなく、我らが鶴首城攻撃に集中出来ないように巧みに兵をぶつけてくる。
美作守殿が今は上手く往なして下さっているがそれでも無傷という訳では無い。少しずつだが負傷者が増えている。毛利とて同じであろうが何故毛利はあれほどまで走り回れるのであろう。
兄者は城攻めをあまり好まれない。だから指揮は専ら私が請け負っている。今も城攻めの指揮を執る私の横で退屈そうに槍を抱えながら大口を開けて欠伸をする始末だ。
兄者は強敵と争うことこそ最上の戦だと考えているんだろう。だからその強敵とぶつかることがない城攻めは退屈だと思っているようだった。
ただ、私はそれでよいと思っている。兄者が生き生きと、それでいて輝ける場所は間違いなく野戦だ。
鋭い切っ先のように戦場を駆け抜ける兄者の姿に鳥肌が立った。獰猛な獣の様に敵に襲い掛かり敵兵を次々突き殺す様に心が震えた。これこそが近隣を恐れさせる尼子新宮党の武威。その様を初陣の時から一番近くで見ていた。兄者が私にとっての憧れであり、最も身近な英雄の姿だった。
幼い頃に聞かせてもらった数多の英雄の話と遜色ない兄者の姿を間近で見れるならどんな辛苦も厭わなかった。
父上も若い頃は兄者の様に戦場で暴れまわりその武名を大いに上げていたようだが、私が初陣を迎えた頃は既に今の様に指揮を取る事に集中されており、話に聞く姿は一度として見たことはない。
だが戦場で父の名がどれ程恐れられていたかは数々の戦場に出陣して知ることが出来た。
私はそのような父や兄と共に戦えることを光栄に思う。新宮党の兵たちも思いは同じだろう。それだけの誇りが我々にはある。
だからこそ我々と相対しておきながらも我らの名に怯まず今もこうして抵抗する三村や毛利が忌々しい。早く我らに膝を屈せば良いものを。それともやはり父上が仰るように何か策があるのか。だがそれを仕掛けてくる様子もない。
まさか再び大内を動かしたのではないか?こうして我等新宮党が備中で戦をしているうちに石見国から出雲国に攻められればたとえ難攻不落と讃えられた我らが本城、月山富田城も危ういのではないか?所詮は毛利にすら勝てなかった当主、我等の従兄弟でもある三郎が耐えきれる筈もない。
「兄者、まさか毛利は大内が動くのを待っているのではありませぬか?」
考えれば考えるほどにそうではないかという思いが強くなる。思わず隣で退屈そうに床几に座る兄者に疑問をぶつけてみた。
「アァ?大内が来たところで別に問題ねェだろ」
兄者は横目でちらりと私を見るがすぐに視線を虚空に戻して投げやりに呟く。そんな小さいこと気にするなと言いたげだ。
「ですがこうして我らは今備中におります。もし本当に大内が出雲に攻め込んできたとしたらあの三郎では耐えきれませぬうぐっ!?」
そう私が言った瞬間、兄者の槍の柄が私の兜にゴンと落ちてきた。兄者は軽く振ったのであろうが芯まで響くような痛みが走った。何故私は殴られたのだろう。兄者はこちらをチラリと睨んだがすぐに視線を元に戻した。城を見ているようだ。
「何故私は今殴られたのですか」
時折兄者は私に対してこのように無言で殴る。叱られているのかもしれぬが理由を話してくれないのだ。それでは直しようがない。今回も兄者は何も仰ってはくれないようだ。
「兄者」
「孫三郎、あまり三郎を侮んな。あいつは舐めていい奴じゃねェ」
再び催促すると兄者はぼそりとそう呟かれた。だが納得できる回答ではない。父上を含めて尼子の中には当主三郎を批判する声は決して小さくない。一体兄者は何故三郎などを庇うのか。
「兄者、仰る意味が分かりませぬ。三郎など」
そう言葉を重ねようとしたところ、我等の陣幕に兵が駆け込んできた。何事かあったらしい。やはり大内か!
「ご注進!ご注進に御座います!紀伊守殿より戦を止めよと急ぎご命令に御座いまする!」
やはり出雲で何かあったのだ。大内が動き、対処出来ぬ三郎が急ぎこちらに援軍を求めたのであろう。
「やはり大内が動いたか!」
「は?あ、いえ、違いまする!」
ん?違う?いったいどういう事だ?大内でないなら何故戦を止める必要がある。まさか我等新宮党がこれ以上功を上げぬように足を引っ張ろうという事か!
「ではどういう事か!」
「幕府より停戦せよとの命が下りました!間もなく幕府の御使者様が此方に参られます!ですから攻撃を止めよと。紀伊守様からもその様に伺っておりまする。そして出雲国の殿からも直に使いが来るであろうと」
「何だと?」
何故ここで幕府が出てくる。一体何が起きているというのだ…。




