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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文十二年(1543) 備中騒乱
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武将の片鱗

一五四三年  尼子(あまご)式部少輔(しきぶのしょう)誠久(まさひさ)



今、目の前に一人の男が膝をついていた。熊谷(くまがい)兵庫頭(ひょうごのかみ)信直(のぶなお)


吉田郡山城の戦の時に俺が相手をした男だ。この尼子にまで武名が聞こえてきた猛者。久しぶりに心が躍る相手だったなァ。

あの時は決着がつかなかったが今回は俺の勝ちだ。孫三郎(尼子豊久(あまごとよひさ))が指揮を執ってくれたおかげで思う存分楽しめた。


そんな心躍る相手に出会えても殺さなきゃならねェのが辛ェが、これも戦なんでな。悪く思わねェでくれや。

それにそろそろ夜が明けちまいそうだ。向こうの空がうっすら色が変わってきやがった。こいつを殺せただけで満足するしかねェか。


じゃあな。持っていた槍を横薙ぎに振ろうと構え、そのまま兵庫頭の首を落とそうと薙ごうとした瞬間だった。




凄まじい殺気が俺に向けられていることに気付き、思わず槍を止めて顔を上げた。その瞬間、頬を何かが掠めて、後ろから呻き声が聞こえやがった。呻き声を上げた兵は血を吹き、その首には矢が貫いていた。

続け様に一矢、二矢と矢の勢いは放たれるごとに威力が増している。一発目を槍で払い、二発目を避ける。なんて矢だ。誰が放ちやがった。この暗闇の中でどんな腕をしてやがる。


「新手か、テメェ!矢で俺を殺せると思うなァッ!!」


そう叫んだのも束の間、再び矢が放たれ、そして矢が放たれた方向から一人の槍武者が駆け寄ってくる。敵は夜目が利くのか的確に俺を狙ってきやがる。兵庫頭を盾にするように転がって避けると頭上から振りかぶった槍が勢いよく振り下ろされた。


「ハアァッ!!」


「クッ!」


体重乗っけてきやがった。なかなか重い一撃繰り出してくんじゃねェの。両手で槍を受け止めすぐさま相手の腹を目掛けて蹴りを入れようとしたが避けられる。そして俺が立ち上がろうとする度に何度となく槍が突き出された。兵庫頭以上か?

その兵庫頭は刈り損ねたがまァいい、仕方ねェ。

それよりもこいつだ。こいつもなかなかやりやがるじゃねェか。そして次々と兵が駆けてくるのが見えた。まさか戻ってきやがったか。


そしてガキが兵庫頭に駆け寄っていくのが見える。その手には弓を持ってやがる。あいつが俺を射抜こうとしてきたヤツ、あのデッケェ殺気をぶつけてきやがったヤツか。

それにあの丸離(まるはな)三引(みつひき)の家紋が入った兜。あいつが吉川少輔次郎か。


クハハッ、吉川ァ!この槍武者といいまだまだ楽しませてくれんのかァ!!いいないいなァ!!やっぱり毛利相手は最高じゃねェか!!


「良く来やがった吉川!!そうでなくっちゃ面白くねェ!!もっともっと俺と遊ぼうぜ!!」


「尼子の精鋭よ、掛かれ!!兄者の戦を盛り上げよ!!」


指揮を執っていた孫三郎の声で味方の兵が新たな敵兵に襲い掛かっていく。時間いっぱいまで付き合えや吉川!!





吉川(きっかわ)少輔次郎(しょうのじろう)元春(もとはる)




それは鶴首城まで後、半刻(一時間)程の時だった。

俺たちは敵兵に迫られることもなく順調に逃げおおせることが出来ていた。後ろで戦ってくれているだろう兵庫頭の部隊や孫四郎(今田経高(いまだつねたか))の部隊は心配だったが、それでもこの窮地から脱することが出来る。その安堵感が足を軽くしてくれていた。

三村兵は思った以上に優秀だった。備中は国人同士で頻繁に戦をしていたせいか三村の兵はこちらが思っていた以上に体力があったようだ。こちらの走る速さに問題なく付いて来てくれていたおかげもあり予想よりも早く城に着けそうだ。そう思っていた時だった。


全身を今まで感じたことのない悪寒が駆け抜けた。いったいこの感覚は何だ。何かに纏わり付かれている様な、戦場での殺気とは違う、全身を絡め取る様な不愉快で気持ちが悪い感覚。


前に進む度にその悪寒はどんどんと強くなるような気がした。足が重い。なんなんだよ。これなんなんだよ。今すぐ逃げなきゃなんねえのに、なんでこんなに気持ちが悪いんだよ。後ろが気になって仕方ない。そうだ、後ろが気になって仕方ないんだ。まさか敵が迫って来てんのか。孫四郎が、兵庫がやられちまったのか?


なんで、何でこんなに戻らなきゃいけない気がするんだ…!?くそ、逃げなきゃいけないのは分かってんのに身体が拒否するように足が重い。この気持ち悪さを無視できない。俺の拒絶を無視するように足が前に進まなくなり、そしてとうとう止まっちまった。本当にどうしちまったんだよ。


「次郎様!何を立ち止まっているんです!早く行かねば!ここは危険です!お分かりでしょう!?」


近くを一緒に走っていた刑部大輔(ぎょうぶたいふ)口羽通良(くちばみちよし))が立ち止まった俺に駆け寄ってくると俺の腕を掴んで引っ張り、再び走らせようとしてくる。


分かってんだよ!分かってんだけど…!

俺は俺の腕を掴む刑部大輔の手首を掴んだ。急に強く手首を掴まれた刑部大輔は驚いたようにこちらを見て怪訝そうにしている。おい、どうすんだよ。戻って何でもなかったらここに居る全員を危険に晒すことになるんだぞ。そんなの駄目に決まってる。そうだ駄目だ。駄目なのが分かってんのに…!あぁクソ!


「すまん、刑部…。戻ってくれないか…?」


「何を言っているのです次郎様!?今がどういう状況か分かっておいででしょう?孫四郎殿や兵庫頭殿が時間を稼いで下さっているのです!次郎様の逃げる時間を稼いで下さっているのですよ!?」


「分かってる!!分かってるんだよ!!俺が間違ってることは!俺も分かってる!でも今戻らないと良く分かんないけど後悔する気がするんだよ!後ろでなんか起きてる気がするんだよ!頼む!戻ってくれ!!」


「次郎様…、本気ですか…?」


刑部大輔が俺の正気を疑う様に見つめてくる。確かに俺は初陣で暴走した前科がある。だから疑われんのはしょうがない。でもこの気持ち悪さはきっと何かある筈なんだ。言葉にしてはっきりした。後悔する。これはきっと虫の知らせみたいななにかなんだ。こんな迷信じみたこと、俺だって信じられない。だけど行かなきゃきっと後悔する。俺は頭を下げることしか出来なかった。頼む刑部大輔、俺を戻らせてくれ…!


「行きましょう。少輔次郎様、刑部大輔殿」


思い掛けない所から肯定する言葉が飛び出した。下げていた頭を思わず上げる。声の主は源左衛門(石川久智(いしかわひさとも))だった。俺たちのやり取りを聞いていたんだろう。源左衛門はさらに口を開く。


「私もずっと後悔をしながらここまで駆けてきました。共に攻めるはずの我らが足を引っ張ってしまっている現状に甘んじてはいないかと。共に戦えたのではないのかと。私共は三村家の名を背負って出陣したのではないのかと。ずっとここまで自問自答を繰り返しながら駆けてきました。ですから、私共も戻り、共に戦いたいのです。少輔次郎様のその予感とやらは」


「源左衛門殿まで…」


源左衛門の言葉に三村勢が頷く。恐ろしいほどの結束だった。三村家は余程民に慕われているんだろう。俺の言ってることは明らかに無茶だ。それでも三村を背負って立つこの男たちは命を懸けて武名を残そうと俺の無茶を叶えてくれようとしていた。刑部大輔が困惑顔になる。そして大きなため息を一つ吐くと目が合った。


「俄かには理解しがたいですが、三村家の方々までそう仰られるのであれば私も覚悟を決めましょう。そして戻ると決めたのであれば我らは再び尼子への奇襲を行います。ですが一度は気付かれた奇襲です。再び気付かれることも考えられます。ですから三村家の方々は我々が攻撃した後に横合いからさらに尼子勢へ仕掛けて頂く。よろしいか?」


「刑部大輔殿、畏まった。万が一失敗した際は吉川勢だけでも退却して下され。我らが一兵になるまで足止めしてみせまする」


「いえ、ここまで来たら一蓮托生です。失敗は考えず行きましょう」


「刑部、すまん…!本当にすまん!」


「これで死んだら、恨みますからね?」


そう言って刑部大輔は苦笑した。こんな主で本当に申し訳ない。恨みを引き受けることくらいしか出来んが幾らでも恨んでくれ。


そして俺たちは途中で合流した孫四郎隊と共に引き返した。孫四郎たちは問題なく伏兵で敵を撃退できたらしい。

だが孫四郎たちと合流できても嫌な予感は一向に消えることが無かった。という事は兵庫頭か。戻る度に嫌な予感はどんどん強くなる。急げ急げと急かされているかのようだ。


三村兵は100ずつに分かれて森の方に姿を消した。伏兵として潜むためだ。指揮をするのは源左衛門と清水(しみず)備後守(びんごのかみ)宗則(むねのり)という男だ。恐らく史実の備中高松城の戦いで有名な清水宗治(しみずむねはる)の父親だと思う。


そして徐々に喚声が聞こえてくる。兵庫頭の部隊が尼子とやり合ってる音だ。あの嫌な予感はきっとこれのことなんだ。兵庫頭が危ないのか。尼子勢の松明の明りだろう。近づくにつれて森が明るく照らさせているのが見えた。死ぬな!兵庫、頼む、こんなところで死なないでくれ!


そして俺たちは(ようや)く戦場に到着する。兵庫頭は今まさに首を落とされようとしていた。敵は見覚えのある鬼の前立て。尼子式部少輔誠久か!その瞬間に血が沸いたのが分かった。


ふざけるな、俺の大事な家臣に何しようとしてやがる!!俺の大事な兵たちをよくも殺しやがったな!!背負っていた弓をすぐに構えて矢を放つ。俺の家臣から離れろ!!


「孫四郎、兵庫を頼む!!」


「承った!」


一矢、二矢、三矢、確実に敵の身体を、頭を、顔を捉えているのに当たらない。その間に俺は孫四郎を先に行かせる。正直、孫四郎が式部少輔にどれだけ食い下がれるかは分からない。だけど俺の軍で一番強いのは間違いなく孫四郎だった。俺の弓が当たらない以上孫四郎に任せるしかない。


「新手か、テメェ!矢で俺を殺せると思うなァッ!!」


兵庫頭から離れた式部少輔が吠える。

うるせえ!こちとら兵庫頭が救えればいいんだ。そして駆け出した孫四郎に続く様に吉川兵が声を上げながら尼子兵に挑んでいった。俺は急いで兵庫頭に駆け寄る。


抱きかかえた兵庫頭はボロボロだった。鎧は切り傷でいっぱい。至る所に血が滲んでいて泥だらけだった。兵庫頭ごめんな、こんなになるまで戦わせちまって。お願いだから死なないでくれ。俺は急いで兵庫頭を担ぐとその場から離れて兵庫頭を木に寄り掛からせた。


兵庫頭は口をパクパクさせて何かを言おうとしているが言葉にならないみたいだった。急いで腰から下げていた竹筒の栓を抜いて中に入っていた水を口にそっと流し込む。喉が動いているのが見て分かった。うっすら目が開く。


「じ、じ…ろう、さま…?なん、で…」


「兵庫、もう大丈夫だ。お前を助けに来た。ごめんな、こんなになるまで戦ってくれたんだな…。本当に、ごめん…っ」


こんなになるまで、兵庫頭は戦ってくれた。きっと俺たちが逃げる時間を稼ぐために命を懸けてくれてたんだろう。涙が止まらなかった。こうして俺が皆をここに連れてきたのは兵庫頭の決死の覚悟を踏みにじることかもしれない。でも俺は兵庫頭を死なせたくなかった。従軍してくれていた金瘡医(きんそうい)が駆け寄ってくる。


「頼む、診てやってくれ。兵庫頭を助けてやってくれ…!」


「はっ、全力を尽くしまする!」


特にわき腹から流れる出血が酷かった。金瘡医はすぐに兵庫頭の鎧と着物を脱がすと手当てを始めた。後は金瘡医に任せるしかない。俺が幼い頃から何となくの朧げな医療知識を教えていた金瘡医だ。革新的な知識ではないがそれでもその辺の適当な馬糞や尿を使った治療をするような奴じゃない。後はもう兵庫頭の生命力を信じるしかなかった。


「死ぬな兵庫!お前はまだ死ぬことは許さないからな!」


意識が朦朧としているのか視線が定まらない兵庫頭にそう怒鳴るように言うと兵庫頭は微かに口元を綻ばせようとしながら頷いた。笑ってくれようとしたのかもしれない。


後は、兵庫頭のもとに敵が行かないように俺も戦う。目から溢れる涙を乱暴に拭った。伝令で親父の元に知らせは送った。じきに援軍が来てくれるはずだ。それまで耐え切ってみせる。俺はそのまま刑部大輔に任せっきりだった戦場目掛けて走っていった。

【初登場武将】


清水備後守宗則   1510年。三村家陪臣。石川家家臣。清水宗治の父親。+20歳




いつもお読みいただき本当にありがとうございます。楽しんでいただけると自分としても嬉しい限りです。

活動報告にて少し今後のことを書かせて頂きました。もちろん必ずそうなるわけではありませんが、なってしまった場合は本当に申し訳ありません。

引き続き読者の皆様に支えられながら頑張っていきたいと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] どっちでも構わなかったと思います 登場人物の生死という物は 作者の選択によって決まる事で 読者には何も出来ないものですので 私は楽しんで読ませて頂いています!
[気になる点] 個人的には「はあ!?」の方でした。 ファンタジーならはい、ご都合主義って流せたと思うんですけどね。 何のために兵が命をかけたのかわからなくなっちゃいますし。
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