あの日を思い出す
一五四三年 尼子紀伊守国久
美作国を出て備中に入り、中津井辺りで夜を迎えることとなった。周りの兵たちが陣幕を張り野営の準備に入り始める。此度の戦は庄家への救援が目的ではあるが、そんなことはどうでも良い。儂の目的は毛利への復讐だ。
尼子の最精鋭である我ら新宮党が一国人である毛利に泥を塗られたことは許し難い。あの吉田郡山の戦とて三郎(尼子詮久)が腑抜けた采配をしていなければもっと戦えたはずなのだ。何故我らが負けねばならん。兵の数では勝っていたのだ。
亀のように籠っていた毛利の目の前で大内の援軍を叩き潰してやれば毛利は落とせたのだ。それをむざむざ無駄にしおって。おかげで叔父上は戦死した。口煩い叔父ではあったが嫌いではなかった。この新宮党は叔父が作ったもの。必ず敵を討ってみせねば。
鬼神、雲州の狼とまで恐れられた死んだ父上も老いで目が曇ったのだろう。所詮はお気に入りの兄貴の血筋を残したかっただけの跡目よ。全く気に食わぬ。それに三郎の時折見せるあの目、あの冷たい視線が気に入らぬ。誰のおかげでその席に座れていると思っているのだ。身の程を弁えぬ小僧が。
まあ良いわ。この戦で毛利を下すことが出来れば愚かな三郎でも気付くであろう。この新宮党の強さをな。その為にも明日からの戦は勝たねばならぬ。今宵は早く休まねばな。
「親父、入るぜ」
そろそろ休もうかというときに倅の式部少輔(尼子誠久)が姿を現した。このような遅い時間にいったい何の用だ。先に休んでいたはずだが。…いや、この顔。また何か感じたか?
「いったい何の用だ、式部よ」
「何かよ、嫌ァなモンを感じるんだ親父、敵かもしんねェ」
「勘か」
「ああ、勘だ。理由なんて無ェが肌がひりつくんだよ」
自分の腕を撫でながら、獣が獲物を前にした時のように鋭い歯を覗かせて笑う。ただの勘だと一笑に付すことは簡単だ。だが勘だと甘く見てはならぬ。この倅は妙に勘がいい。特に戦場でのこやつの勘に救われたことは何度もあった。ひょっとしたら何か儂では分からぬ何かを感じておるのやもしれぬ。今回も警戒が必要なのやもしれぬ。
「間違いないのだな?」
「ンなモン知るかよ。言っただろ勘だってよォ」
それはそうか。ふ、馬鹿な確認をした。夜襲がないならそれでも良い。見張りから知らせはないが兵たちを起こすとしようか。何なら敵の夜襲部隊を返り討ちにしてもいい。
「分かった。お前は自分の軍に戻れ。敵が来たらば喰らい付き殺してやれ」
「へへっ、そいつァいいな。久しぶりの戦、楽しんでくるぜ親父」
持っていた槍で体を解す様にさも軽く振り回してニヤリと笑みを浮かべた倅は陣幕から出て行った。まったく。我が倅ながら頼もしいものよ。戦狂いと評判ではあるがそれの何が悪い。この戦国の世では力が全てよ。無いものはある場所から奪えばよい。さて儂も馳走の準備をしようか。
「誰かある。兵を起こして参れ。敵が来るとな。だが騒ぐなよ。気取られぬようにせよ」
「はっ」
側に仕えていた兵が慌ただしく走り出す。小細工が好きな毛利らしい手よ。だが今回は仇となったな。罠に掛かったのが自分たちだと分かった時、奴らはどんな顔をするであろうか。今から楽しみじゃ。まずは手始めに新宮党の力を見せ付けてやるわ。
吉川少輔次郎元春
三村紀伊守(三村家親)が付けてくれた源左衛門(石川久智)という男が、孫四郎(今田経高)と一緒に先陣を買って出てくれた。
俺はこの源左衛門という武将を聞いたことが無かった。俺が無知なだけかもしれないけど。
でもこうして未来で有名じゃなくても優秀な武将は幾らでもいるもんだと感心する。
それにさすが地元という事もあり源左衛門はこの暗い山林でも迷うことなく目的地に向かっているようだ。物見をこまめに出しながら確実に進軍している。
夜襲を行うのは吉川軍が300、三村勢が200の合計500だ。あまり大人数だとバレてしまう可能性があるためこの人数での決行となる。勘助(山本春幸)と次郎三郎(熊谷高直)は鶴首城でお留守番だ。勘助は足が悪いから奇襲には付いてこれない。次郎三郎は兵糧の管理の仕事がある。だから他の200の兵と一緒に残してきた。
さて、夜襲が上手くいくといいんだけど。
こうやって暗い山林を進軍していると初陣のことを思い出す。あの時も月明かりと松明の光を頼りに佐東銀山城の搦め手を目指して今みたいに真っ暗な中を必死に進軍したんだ。
あれから4年か。あっという間だったな。
「こうして山林を進軍すると次郎様の初陣を思い出しますな」
同じことを考えていたのだろう、刑部大輔(口羽通良)もそう話し掛けてきた。思わず笑みが零れる。
「俺も同じことを考えてたよ刑部。だけどあの時よりは冷静だし、足も全然疲れてないぞ」
「そうでなくては困りますぞ、次郎様」
俺と刑部大輔の話を聞いていたんだろう。側に一緒にいた兵庫頭(熊谷信直)が揶揄うようにそう言ってきた。奇しくもあの初陣に出陣していた俺の最側近の二人だ。やっぱりこの二人が側にいると安心するわ。これから夜襲を掛けるのに三人で笑い声を上げた。
「ですが、次郎様が成長されたのは確かに御座いまする。無茶をされるのはあまり変わりませぬがな」
「相変わらず意地悪だな兵庫。これからはなるべく無茶はしないようにするって」
「それが本当であれば我々も安心して見ていられるのですがな。時折、左近允(福原貞俊)が羨ましくなります」
お、こいつ相変わらずさらりと俺を弄ってきやがるな。本気で言われたら凹むけど刑部の表情は暗い中でも分かるほどにやけている。兵庫までしれっと頷いてやがる。ちくしょ、無茶してる自覚はあるから反論出来ねえな。
「仕え辛い主で悪かったな刑部。なんなら三郎付きに代えてもらうか?」
「はは、三郎様も良いですがね。私は次郎様のもとで働く方が性に合っておりますれば、無用に御座います」
「ふん、ならこれからもこき使ってやるから覚悟しろよ刑部、兵庫」
「ぬ、儂もで御座いますか?」
「当然だ、頼りにしてるからな」
「そう言われてしまうと頑張らねばなるまいな。刑部殿」
「そうですな、私らがしっかりお支え致しましょう」
「うん、そいじゃそろそろ話は止めておくか」
何だかんだ俺に対して遠慮がない二人だけどそれでも俺に付いて来てくれてんだから有難いもんだ。そんな風に敵陣を目指しながら歩を進めていると何か動きがあったらしく前方から伝令が駆け寄ってきた。
宇喜多軍の又三郎(長船貞親)だ。孫四郎の軍にいる平左衛門尉(宇喜多就家)が出してくれたんだろう。確か歳は俺の一つ上で平左衛門尉と同い年だったか。真面目そうな秀才君といった雰囲気だ。
「伝令に御座います。物見が尼子の軍を発見致しました。ここから半刻(1時間)ほど先で休息を取っている模様です」
「うむ、ご苦労だったな又三郎。敵はこちらに気付いている様子だったか?」
「見張りは立っているそうですが尼子の陣は静かだったと言っておりました。恐らく気付いていないように思われます」
「そうか、有難う又三郎。孫四郎の陣に戻って伝えてくれ。引き続き物見を出して探れと。松明の灯かりは敵に気取られる可能性があるから消して進軍し、敵の陣が目視出来るようになったら一度止まれと伝えてくれるか?」
「引き続き物見を出すこと。松明は消すこと。陣が目視出来るようになったら止まること、ですね。畏まりました。必ず伝えます。それでは失礼致します」
わざわざ復唱して確認してくるところが初々しくて可愛いな。宇喜多の配下で一番真面目だったのが又三郎だ。平内(岡家利)は勇猛で血気盛ん。又左衛門(花房正幸)が変わり者で弓が得意、だったかな。成長すればきっと三人とも平左衛門尉を支えてくれるだろう。その為にも負けないようにしないとな。
そこから更に進んだ辺りで夜襲軍の足が止まった。先を見ると森の木がうっすらと明るいのが分かる。この時代は街灯なんて無いから明るいと目立つんだよな。とはいえ明るくしないと野生動物に襲われたりすることもあるらしいから明るくせざるを得ないんだろうけど。だが夜襲を掛けるとなればいい目印だ。まだ空も暗いままだ。夜が明ける前に一当てしたい。
「前方に伝えてくれ。このまま突撃しろと。大声を張り上げて笑いながら大軍がいるように見せて混乱させろ。油断すんなよ。敵の方が数は圧倒的に多いんだ。一当てしたら混乱のどさくさに紛れてすぐに引くぞ、行け」
「はっ」
そう言って伝令が駆け去っていく。すると軍の足が速くなった。前方から笑い声と叫び声が響く。俺達も一斉に走り出した。敵陣の灯かりがどんどんと近付いてくる。
「吉川軍の夜襲を味合わせてやれ!!笑え吉川兵!掛かれ掛かれ!!」
「オオォォオォォォオ!!」
俺の掛け声とともに声を張り上げて周りも駆け出していく。
だが様子がおかしい。前方の声から先程の威勢は急激に無くなり困惑しているように聞こえる。ここは敵の悲鳴が聞こえるところだろう。何でお前たちが困惑し、て……まさか!?
嫌な予感に背中にぶわっと汗をかく。前方から伝令が駆けてきた。おいおいおい、嫌だ聞きたくない。嘘だろ!?
「伝令!敵の陣内はもぬけの殻!尼子軍の姿はありませぬ!!」
「拙い!!尼子に嵌められた!!夜襲がバレてやがる!!」
やっぱりじゃねーかよ!!そう叫んだのも束の間、俺たちの向かい側、陣の向こう側から喚声が上がった。
お読み頂いた皆様申し訳御座いません。忙しくて確りいつものボリュームを描き切ることが出来ませんでした。ただ毎日更新を切らせたくなかったため、キリのいい所までで一度投稿させて頂きます。
中途半端で申し訳ありません。この後、日が変わった0時に続きを投稿するつもりです。それでお許し下され、お許し下され。
明日からは通常通りのボリュームでなんとか投稿出来ると思います。




