備中騒乱
一五四三年 吉川少輔次郎元春
椎茸栽培に関しては一先ず出来ることはやったと思う。
式部少輔の叔父上(吉川経世)達が俺の先回りをして椎茸栽培場の周囲を塀で囲う手配をしてくれていたおかげで、今は関係者以外立ち入り禁止の場所になった。
常備兵が交代制で昼夜見張りが立ち、親父が世鬼衆を5人も回してくれたおかげでそいつらも敵の忍びから情報を守るために動いてくれた。
今のところ間者の姿は確認出来ていないみたいだけど、このまま椎茸栽培が順調に進み売り物として市場に出ればすぐに怪しまれるだろう。用心するに越したことは無い筈。
だけど、本当に椎茸が出来るかは分からないのが現状だ。水を多くあげたり逆に少なくしたり、積極的に日に当てたり、当てない物を作ったりと色々栽培環境を変えてやってみるつもりだけど果たしてしっかり生えてくれるか…。
管理は少輔七郎(市川経好)が見てくれるそうだ。椎茸探しからずっと俺と一緒に行動をしているうちにこうした調べごとが楽しいことに気付いたらしい。最初は消極的だったんだけど、ミイラ取りがミイラになったってやつかな。
逆に少輔七郎の弟の孫四郎(今田経高)は毒キノコにやられたため栽培場の中には滅多に入ってこない。さすがに見回りの時はしっかりやってくれるが茸を見ると身体がざわざわするそうだ。
それと椎茸栽培は一先ず5年と期限が決められた。栽培することが出来れば金を生んでくれるが出来なければただ人手が必要なだけのものになってしまう。銭はこの栽培場を囲う塀くらいでそれ程かからなかった。これは常備兵の存在のおかげだ。一般人が同じことをやったら人手を雇うだけで大変なことになっただろう。ある程度事前に金稼ぎをしといてよかった。最初に手を出していたらすぐに素寒貧になってたよきっと。
そうして椎茸栽培がひと段落つき俺たちは通常業務に戻った。
椎茸に追われていて気付かなかったが、いつの間にか夏が近づいていて外では蝉の鳴き声が聞こえてくる。
三村紀伊守家親
「庄備中守(庄為資)、兵を集め始めたように御座います。また、尼子家への援軍も要請している模様。…やはり来ましたな、殿」
「予想していたがな、こちらも援軍を頼むしかなかろう」
源左衛門(石川久智)がそう告げた。収穫を終え兵糧の心配が無くなったことで動き出したのだろう。分かっていたことだ。特に驚きはない。
予てより誼を通じていた毛利家に援軍を乞う使者を出してこちらも戦の準備を始めなければならん。
尼子家が安芸国(現在の広島県の西部)の右馬頭様(毛利元就)に敗北した。そのおかげで尼子家から庄家への助力が無くなり勢いが弱まった。好機だったのだ。これから我らも毛利家の様に雄飛するのだと思っていた。それなのに。
尼子が安芸国での敗北を取り返さんとこの備中国(現在の岡山県西部)に注力を始めたため流れが変わってしまった。庄家への助力は以前にも増して厚くなり、我等は再び劣勢に陥り備後国(現在の広島県東部)まで勢力を拡大していた毛利家を頼るしか道は無かった。
内心忸怩たる思いが無い訳ではない。だがこのまま滅ぼされる訳にはいかなかった。例え同じ国人領主から成り上がった毛利家に頼ってでも。だが、何故こうも毛利家と三村家は差が出来てしまったのだ。
「悔やんでおられますか?」
声に反応して顔を上げると気遣わしげな表情で源左衛門がこちらを見ていた。『毛利に頼るべし』と最初に進言したのは源左衛門だった。『成り上がることを成した家には勢いがある。その勢いを以て尼子と庄を押し返すべし』そう源左衛門は言った。家のことを思って源左衛門はそう言ってくれたのを知っているがそれでも、そのことを気にしているのだろう。思わず苦笑が漏れる。
「いや、どちらにせよ既に我等の独力で押し返せる事態ではなくなってしまったのだ。こうするのが最適だっただろう。悔やむとすればこのような事態になるまで手を打てなかった我が非力さよ」
「殿・・・」
恐らく右馬頭様と私の違いはそこにあるのだろう。右馬頭様は敵の動きに対応する力があり、私にはそれが無かった。無念だが、そう考えると諦めがついた。今まで物資の援助を受けていたが、この援軍を乞えば確実に毛利の傘下に入ることになるだろう。ならばその中で三村を大きくしなければならん。三村家を支えてくれて来た者たちの為、その為ならば私の夢など捨てても惜しくはない。
「ふ、そのような顔をするな源左衛門。生きてこそ希望もあろう。ここで右馬頭様に我ら三村の力を見せることが出来れば、毛利の中で大きくなることも出来よう」
「毛利家は決して仕えにくい家では御座いませぬ。私も粉骨砕身お働き致します」
「うむ、では我らも戦の準備を始めるとしようか」
「はっ」
毛利に下ると言ってもどの程度力を有しているのか。尼子を撃退したとはいえ大内家の力を借りてだ。備後はすんなり毛利家に下ったということは力はあるはず。従うとは決めたが、私たちの救援に毛利家はどれだけの力を割いてくれるか。それによってはこちらの身の振り方も考えなければならん。
山内新左衛門尉直通
「そろそろ参られる頃ですかのう?」
「うむ、そろそろでしょう」
「お、来たのではありませぬか?」
そう言って伯耆守殿(多賀山通続)が指を差す方に儂と能登守殿(桂元澄)も視線を移した。その先には人の群れともいえる影がこちらに迫っていた。どうやら殿が率いる毛利軍が来たようだ。近づいてくる軍の中から馬に乗った武将が出てくる。2人いるようだ。その二人が馬上から下りるとこちらに近づいてきた目を凝らすとそれが殿とそのご子息、少輔次郎様であることが分かった。殿は我等に気付くと軽やかに手を上げてこちらに近づいてきた。頭を下げて出迎えた。
「正月以来であるな。皆の者」
「はっ。殿、少輔次郎様。お久しぶりに御座います」
代表して能登守殿が口を開く。その表情には特に憂いはない。この戦、自信がおありのようだ。少輔次郎様も武辺に優れることで知られる。今は穏やかな笑みを浮かべているが、戦ではその笑顔は高笑いに代わり前線で槍を振るう程の激しさを見せるそうじゃ。幼いながらになんとも頼もしい限りよ。
以前から伸長著しい毛利家であったがあの大国尼子を撃退してからその力はさらに増大した。誼を結んでいた儂はすぐさま毛利に従う決心をした。その判断は間違ってはおらんかったようだの。
「新左衛門尉、息災であったか?」
「殿、年寄り扱いはしないで下され。儂はまだまだ隠居する気は御座いませぬぞ。こうして殿の元で戦が出来る日を楽しみにしておりました。まだまだ若い者には負けられませぬ」
「はっはっは、これはすまんかった。新左衛門尉は遥か昔、大陸で活躍した武将、黄漢升のようじゃな。此度の活躍期待しておるぞ」
「お任せ下され」
相も変わらずこちらをその気にさせるのが上手いお方じゃ。だが満更でもないの。大陸が三国に分かたれた時代の武将に例えられれば悪い気はせぬ。
かつては敵対していた伯耆守殿や殿の腹心、能登守殿も声を掛けてもらい嬉しそうにしておる。
こうして長く生きておる儂じゃが、今目の前にいる右馬頭様は先代の大内当主の義興公や、先日亡くなった尼子経久公のような大きさを感じさせる男じゃ。儂ら国人はこの双眸で主とする者をしっかりと見極めねばならぬ。
そして儂は上手く勝ち馬に乗れたように思う。まだまだ尼子に比べれば小国ではあるが、大内とも密な関係を築く毛利家は今後益々大きゅうなろう。ならば儂ら備後の国人衆もその後を追ってしっかりと活躍せねばなるまい。
品治郡(現在の広島県福山市辺り)で毛利本軍と合流した我々備後軍はおよそ二千の兵を率いてきておる。
殿に臣従した折、石鹸の製造方法と鶴式農耕法、そして銭で兵を養う常備兵という考えを伝授して頂いたおかげで備後国も豊かさを感じられることが多くなった。
銭の収入を我ら武士が考えることに関しては抵抗があったが隣国でその銭の力を見せられ、そしてその銭を得る術を教われば答えは自ずと決まっていた。まだ全軍が常備兵とすることは出来ておらんが、少しずつ増やしていかねばの。
毛利軍は三千ほどか。三村家は凡そ千五百程かの。総勢六千五百か。備後国内で国衆が争っていた戦とは比べ物にならぬな。
「殿、尼子勢の援軍はどの程度かは御存じでしょうか?」
「うむ、報告によると六千程度のようだ、新左衛門尉。一度勝ったとはいえやはり尼子、侮れぬ大きさよ」
「因幡国(現在の鳥取県東部)にも出兵していたと聞きましたが」
「因幡国には三郎(尼子詮久)自身が指揮を執ったようじゃ伯耆守。山名は分が悪いの。因幡は尼子の支配下に戻ってしまったわ。もう少し気張ってくれれば良かったのじゃがな」
かつては名門として、応仁の乱では西軍の総大将でもあった山名家も今では国衆を纏めきれなくなり、また分家で因幡守護家の左馬助(山名誠通)が尼子に通じたせいで斜陽の一途を辿っていた。
だが、そうか。因幡が落ちるか。一時は但馬守護家の右衛門督(山名祐豊)が勢いを盛り返していたのじゃがの。栄枯盛衰とはこの事よな。
「こたびも尼子三郎自ら兵を挙げたのですか?」
「いや、庄家への援軍は新宮党じゃ。紀伊守(尼子国久)と式部少輔(尼子誠久)の親子よ。尼子最強の戦闘集団じゃ。血が滾るわ。それにこの次郎率いる吉川兵が目にもの見せてくれるようじゃ」
そう言って能登守殿の疑問に答えた殿は獰猛な笑みを浮かべた。恐れも無いようじゃ。大将が恐れていなければその分、下の者が安心して戦える。それに先の大友の戦では次郎様が率いた吉川軍が周防介様(大内晴持)をお救いしたことはこの備後にも伝わって来ておった。次郎様も笑みを深められている。ますます以て頼もしい。やはり勝ち馬に乗ることが出来たのだと確信した。
吉川少輔次郎元春
備後勢と合流したことで再び軍が動き出した。目指す先は三村家の居城、鶴首城(現在の岡山県高梁市辺り)だ。この時代ってまだ居城が松山城じゃないんだよな。松山城は現代では現存十二天守の一つに数えられる城だったから見てみたかった。
そういや新左衛門尉たちの期待するような眼差しが痛かった。顔が引き攣りそうになるのを必死に隠した。表情を隠すのって予想以上に辛いもんだと初めて知ったわ。俺って余程今まで表情を垂れ流しにしてたんだなあ。
それにしても親父もなんで余計なことを言うんだよ。いや、確かに今回の戦は俺から立候補もしたし、その分頑張るつもりではいたさ。
でもさ、吉川軍が見物だと言ったのは三郎だ。俺じゃないぞ。目にもの見せてやるなんて一言も言ってない。こんなことになるならあの時に否定しとけばよかった。これで何が何でも奮戦しなければならない。最初から手が抜ける戦なんてないけど備後国人たちが目を見張る活躍しなきゃ。
でも相手って新宮党なんだよな。あれだろ、吉田郡山城の籠城戦の時に兵庫頭(熊谷信直)をボロボロにした戦狂い。あの手の戦馬鹿の相手すると被害が多くて嫌なんだよ。
あの時より俺たちは精強なのは間違いない。前よりも確実にいい勝負が出来るだろう。でも式部少輔の戦場での言動を察するにいい勝負をすればするほど燃えるような気持ちのいい馬鹿そうだったもんなぁ。味方ならさぞ頼もしいだろうけど敵だったら結構悪夢だな。金で雇えばいいとは言っても手塩にかけて育てた大事なうちの兵士だ。新参だってある程度顔を知ってるから死なれると辛いんだよ。頼むから皆死なないでくれよ。
あ、今度式部少輔が出てきたら孫四郎をぶつけるか。最近じゃ兵庫頭にも勝つくらいに腕を上げてきてるし、戦関連では頼りになる男だ。茸の件で軽挙妄動も控えるようになったしいいかもしれん。
今回叔父上と少輔七郎は留守居だから俺の側には刑部大輔(口羽通良)と勘助(山本春幸)に付いてもらって、次郎三郎(熊谷高直)は今回兵庫と一緒にしよう。熊谷家の嫡男だからな。武功も立てさせてしっかり跡継ぎの地位を固めてもらわないと。
平左衛門尉(宇喜多就家)たちは今回は孫四郎付きだな。さすが史実で宇喜多家を初期から支えてた家臣たちだ。俺と同い年くらいでも既に優秀さを見せている。本人たちも前線を希望していたから兵庫の指揮とは違う孫四郎のイケイケドンドンな戦っぷりを味わうのもいい経験になるだろう。
恐らく野戦になるだろう。今回は吉田郡山城の鉄壁ともいえる守りはない。俺たちが援軍だから当然大内の援軍もない。気を引き締めて掛からねえと。
【初登場武将】
三村紀伊守家親 1518年生。備中国の国人領主。備中統一を目指したが敢え無く断念。毛利に下る。+12歳
庄備中守為資 1478年年。備中国の国人領主。早くから尼子に頼り三村氏を駆逐しようと手を回す。+52歳
石川源左衛門久智 1509年生。三村家家臣。早くから三村家に従い、忠義を尽くす。+21歳
【史実との違い】
『吉田郡山城の戦い』で名を落とした尼子詮久ですが史実ではその後、『月山富田城の戦い』で攻めてきた大内毛利軍を撃退したことで再び名を上げ、領地の支配を強めます。
ですがこの世界ではその月山富田城の戦いが発生しなかったため尼子詮久は積極的に外征を行いました。
そのため、戦国大名として成り上がる筈だった三村家と名門山名家が割を食う事になりました。備中は尼子派の庄家、因幡では鞍替えした山名誠通が存在したため真っ先に標的にされています。




