椎茸の報告
一五四三年 吉川少輔次郎元春
孫四郎(今田経高)は酷い目にあったがどちらかと言うと身から出た錆というか、自業自得なので仕方ない。今はすっかり回復していつも通りに見回りや常備兵の訓練を行っているからもう大丈夫だろう。
ただ残念なことに茸自体が苦手になってしまったらしく椎茸事業には関わってくれなくなってしまった。
でもこればっかりは仕方ない。あの時の孫四郎はこの世の終わりを迎えたかのように辛そうにしてたし、権兵衛の背中に乗ったまま、戯言の様に『おゆるしください、おゆるしください』と何かに許しを乞うていた姿を見た俺としては同情してしまい無理をさせようとは思わなかった。
とは言え、中々の数が採集することが出来た。この中のいくつかは毒キノコかもしれないが椎茸も多くあるだろう。
俺は早速、籠ごとの茸を1つずつ軽犯罪を犯して捕まった者たちに食わせた。
この軽犯罪者は食い逃げだったり街中で暴れたような者たちだ。治安は良くなってきたがこういった輩が国外からたまに入ってくる。そういった者たちを今回は利用させてもらう。
人を使ってこんな実験なんて出来ればしたくなかったがこのくらいしか俺には調べる方法が思いつかなかった。
その代わりにこの刑を受けたら他に罰は与えず釈放することを約束している。また毒キノコに中った場合は手厚い看護も約束している。
さすがに黙って食わせるのだけは気が引けたため立候補制で行った。残念ながら全員参加だったが。でもその分効率よく実験を終えることが出来た。
結果としてはやはり毒キノコは混じっていた。報告では数人、孫四郎と同じ嘔吐や下痢、他にも腹痛、中には景色が青白く見えるなんていう症状も出た。死者は出ることが無かったため、毒キノコ被害者は看病されたのちに国外に釈放された。釈放先は主に出雲国方面だ。少しでも尼子家に迷惑が掛かれば有難い。
そんなわけでようやく安全と無事を確認できた椎茸を、準備した林で栽培が始まった。とは言えどのような場所が正解なのか分からない。
とりあえず椎茸が主に生えていた場所は適度に木漏れ日が差し込むような風通しのいい場所だった。地面も程よく湿っていたためきっとそんな場所が椎茸にはいいんだと思う。多分。
間伐が終わった森はいい感じも木が間引かれているため日差しも差し込むし風通しもいい。とはいえ燦燦と太陽の降り注ぐ環境の方が成長する可能性もあるから木がない場所にもいくつか椎茸の菌を付着させた木を置いておくことにした。
菌は切ってきたつるばみやこならの木の原木を3尺程(約90cm)位の長さに切ったものを無造作にいくつか傷をつけて椎茸の笠の裏から胞子を付着させただけの簡単なやり方だ。これがそもそも正解なのかが分からない。
とりあえず手分けして片っ端から同じように菌を付着させたものを増やしそのまま林の中や太陽の下で野ざらしにしたり、とにかく色々試してみるしかない。これも一応記録として紙にやり方なんかは書き残させてある。後はもう神に祈るのみだ。どうか上手くいきますように。
そうやって一先ず準備を終えてから吉田郡山城に向かった。親父への報告のためだ。
一応、椎茸栽培出来るか試してみるとは親父に伝えてはいるがまだ実際に会っての報告はしていない。
俺が吉川家に養子入りしてからは吉川領内であればある程度自由に実験をしていいとは言われているから、準備が整った時点でこうして会いに来たわけだ。恐らく兄貴も今回は報告に同席してるはずだから俺の素性は隠しながら報告しないとな。そうだ、お袋にも挨拶しよう。
「正月以来だな、次郎。息災か?」
「おう、兄貴。兄貴も元気そうだな。親父はなんかやつれてないか?まさか病気か?それとも側室か?」
「後者じゃ。言わせるでないわ馬鹿者が。やはり若い女子相手はしんどいの」
吉田郡山城に到着してすぐに親父の私室に案内された。5日くらい前から連絡はしてたから当然か。部屋には兄貴も一緒にいて親父と話していたようだ。俺の顔を見るといつもの柔らかな笑みで迎えてくれた。
親父は、どうも新しい側室にしっかり搾られちまってるようだ。なんだかんだで親父も40歳超えてるからなあ。でも史実じゃ60位まで子作りしてたんだから大丈夫だろ。一先ず病気じゃないなら問題なしだな。
「なんだ、なら心配する必要は無さそうだな。弟か妹楽しみにしてるからよ」
「少しは心配したらどうじゃ親不孝者め」
「父上も次郎もそのくらいにして下さい。昼間から話すような内容では御座いませぬ」
「はあ、太郎は相変わらず初心じゃの。もうすぐ嫁を娶るのに大丈夫か?」
「私のことは良いのです!」
親父と軽口を叩き合っていると兄貴に止められた。本当にこういう話題弱いよなあ兄貴。余計な口出しするから親父に標的にされちゃうんだよ。
「いや、でも真面目な話じゃがどうも光が出来たかもしれん。月のものが来ておらぬようじゃ」
「え、それ本当か?」
「まだ確証はないがの。出来ておれば搾られた甲斐があるというものよ」
「父上、おめでとう御座います」
「親父、おめでとう御座います。楽しみだなあ、弟でも妹でも嬉しいな」
「太郎も次郎も有難う。そうじゃの、どちらにせよ健康で生まれて来てくれればそれで良い。儂ら武士は命を多く奪いながら生きておるからの。せめて新たに生まれて来てくれる命は慈しみたいものよ。太郎も室を迎えたら励めよ。その子が新たな毛利の担い手になるのだからな」
「はっ」
そっか、新しい弟か妹か。本当にちゃんと生まれて来てくれればいいけど。こういう時って何かしてあげた方がいいのかな。親父の側室なんだから俺が何かしてあげんのはおかしいか?ちょっと家臣たちに相談してみるか。
「それでは本題に入ろうかの。次郎、またもや其方は予想外の事をしようとしておるようじゃな」
「そうだ次郎。私も父上も大層驚いたのだぞ。我々武士が椎茸を栽培出来るか試すなど聞いたことがない。いや、お前であるからこそ納得はしたし、実際に出来たのであればそれは毛利に大きな恵みを齎してくれるであろうが。実際どうなのだ?」
親父はニヤリと楽しそうに笑みを浮かべ兄貴は今でも驚いている、というより信じ切れてないって顔をしながら顔を寄せてきた。あまり大っぴらに話せる内容じゃないからな。声も自然と小さくなる。
「いや、正直言って今回に関しては全く予想が立たないんだ。栽培自体は出来ると思う。やり方さえ確立されればって話だけど」
とりあえず俺は、森山で椎茸探しをしたことから、実際に栽培するためになにをやってみたのかを親父と兄貴に説明した。二人とも腕を組みながら話を聞いてくれている。こうして並んでみると二人は親子だなあと感じる。仕草が似ている。話が終わると兄貴が眉間に皺を寄せて唸り始めた。
「んー、これは可能な限り隠した方が良いのではありませぬか父上?話を聞くに次郎はだいぶ大規模な実験を行っているように聞こえたのですが」
「太郎もか。奇遇じゃの。儂もじゃ。まさか最初からこれ程まで本気で取り組むとは思わなかった。当主になった其方を甘く見たのう」
「いや、だって椎茸すげー金になるんだぞ?もし成功すれば日ノ本ひっくり返せんじゃねえか?ならやるだろう。それにやり方が全く分からねえんだからありとあらゆる方法を試すべきだ。自然に生えている以上必ず育つ方法があって、それを見付けさえすれば人間の手で栽培出来る。その為には規模を大きくやるべきだ。そうだろう親父、兄貴」
親父も兄貴も俺の今までの実験を見てきてるからな。だけど二人とも甘いって。やるんなら確実にモノにしたいんだ。俺は絶対成功させたい。そして朧気でも椎茸が栽培できるって知ってる俺が絶対にやらなきゃいけないことだと俺は思ってる。これはきっと毛利家に生まれ変わった俺にしか出来ないことだ。だったら吉川の財政が傾かない限り徹底的に俺はやる。やってみせる。二人の顔を交互に見た。
「次郎の言う通りじゃな。確かに其方の言う通りじゃ。…だが次郎。そこまで分かっていながら対策しておらぬのは甘いと言わざるを得んぞ」
「…どういう意味だ親父?対策?」
「太郎、其方は分かるか?」
俺の言葉に納得を見せた親父だが視線が鋭い。まるで責められているみたいだ。いや、実際責められているんだろう。だが何が悪いのか俺には皆目見当がつかなかった。俺は親父に聞き返すと親父はその質問を兄貴に託した。兄貴は最近生やし、整え始めた髭を撫でながら少し考えると口を開いた。
「先ほども申しましたが隠すべきでしょう。もし椎茸栽培の手段を他国の密偵に探られた場合の危険性は綿花や茶畑の比ではありません。敵国の密偵に対して対策が一切出来ていない事が問題だと思いまする」
「うむ。太郎の言う通りよ。次郎、椎茸は金になる。人の手で栽培出来るようになれば其方の言う通り日ノ本すら動かせる力となるだろう。それが分かっていながら他国に対して何か対策はしたのか。そこまでの規模で遣るからには相応に他国から気付かれぬように手を回すべきじゃ。違うかの?」
…そういう事か。椎茸栽培に夢中になり過ぎていて、敵国からその情報を盗まれる事なんて一切頭に過らなかった。親父や兄貴の言ってる通りだ。俺はまだ甘い。全然甘い。油断大敵なのに。大内が毛利のことも詳しく調べていることを知ってたのに。気付けばぎりっと歯噛みしていた。
「申し訳ありませぬ。椎茸の栽培に夢中になり過ぎて失念しておりました…」
「次郎、あまり気に病むな。私たちも予想していなかったのだ。一人の人間が全てを見て行う事など簡単には出来ぬ。気付いたのであれば次から気を付ければよい。だが同じ失敗だけは繰り返してはならぬがな」
不甲斐なさと悔しさを感じながら謝罪すると兄貴の声が聞こえる。顔を上げるとこちらを気遣うようにみながらそう言ってくれた。兄貴の言葉に頷いた親父も表情を崩すと同じように口を開く。
「次郎、其方は幼いながらに次から次へと毛利に新しい力を与えてくれる。戦場でも立派に戦果を上げている。其方は既に毛利の力の一つじゃ。だがな、そのことを甘く見てはならん。目聡いものは恐らく急激に力を付けてきている毛利を警戒している。その警戒は其方を既に注目しておるかもしれん。その事、忘れるでないぞ」
「…兄上、父上。ご教授いただきありがとうございます」
こうやって認めてもらえることが嬉しい。しっかり指摘して、叱ってくれることが有難い。全てを完璧には出来ないかもしれないけどそれでも同じミスは繰り返さないようにしっかり自分に刻み込まないと。
「とは言え、これから毛利も大きくなれば全てを一人で抱え込むことは出来ぬであろう。得手不得手もあるしの。ならば儂らが互いに支え合えれば良い。儂らは家族なのだからな。今回は次郎であったが、次回は太郎かもしれぬし三郎かもしれぬ。儂の可能性だってなくはない。その時、儂らがそれぞれ支え合えばよいのじゃ。それに儂らには頼もしい家臣たちも居る。皆が皆、力を合わせることこそが百万一心であろう」
「はい、父上」
「次郎、世鬼衆を数人手配する。耳目に長けた者たちだ。今回の椎茸は必ず秘せよ。吉川の常備兵にも警戒を怠らせぬようにな」
「はい、有難う御座います!」
こうして、親父と兄貴に報告を終え、帰る前にお袋に挨拶した。お袋の部屋には親父の側室の光が一緒に居た。まだ確定ではないらしいからおめでとうとは言えないが仲良くやっているようで良かった。
それにしても俺が警戒される日が来る…か。まだ実感がないから分からない。けど実感がないからって注意しなくていい訳じゃないよな。これまで以上に身の回りに注意が必要なのかもしれない。安芸国は親父が掌握しているからほぼ安心だと思うが、それでも戦国武将が自分の居城で暗殺されたなんてことは結構ある。
徳川家康の爺ちゃんの松平清康だったり織田信長の叔父の織田信光だったり。うん、やっぱり気を付けよう。息苦しい生活になりそうだが命あっての物種だ。そんなことを考えながら小倉山城へと馬に揺られながら戻った。
そして城に戻ると思い掛けない報告があった。俺の私室には今、叔父の式部少輔(吉川経世)と少輔七郎(市川経好)と勘助(山本春幸)が目の前に座っている。叔父上が代表して話し始めた。
「今回の椎茸について勘助殿と倅から指摘がありましてな。生憎と次郎様が居ませんでしたが、火急のことかと判断致しましたので本来あってはならぬことに御座いますが儂が責任を以て、先に手配させて頂きました」
式部少輔は俺が吉川の当主になってから公の場では率先して俺に対して遜ってくれる。そうやって吉川家の重臣である式部少輔が俺に対応してくれたから吉川家全体が俺を小僧と侮ることなく、俺もスムーズに吉川家に入ることが出来た。式部少輔は吉川家が不利益になるようなことをするとは思わない。そんな式部少輔を俺は信頼しているから多分大丈夫だと思うが。とにかく話を聞いてみないと。
「それで、何を手配したんだ?」
「二人は他国からの間者の存在を危惧しておられましてな。次郎様が居られぬ故、儂に相談しに来たのです。儂もそのことを案じておりました。だから二人の危惧は尤もな事だと。ですので、外から窺うことが出来ぬように常備兵たちに椎茸栽培場の周りに壁を作らせております。こうすれば侵入も防げますし出入口を一つに絞れば間者からも守り易かろうと思いましてな。ですが次郎様の許可を得ずに行ったことに変わりはありませぬ。それ故こうして謝罪をしに参りました。お気に召さぬ事であれば、儂を罰して頂きたく」
「申し訳御座いませぬ。早急に手を打つべきだと判断し勝手を致しました」
「父上共々、罰を与えて下さいませ」
そう言って式部少輔、少輔七郎、勘助は床に頭を張り付けて謝罪をしてきた。いや、謝らなきゃいけないのは俺の方だよ。俺が何も言わなかったからこうして皆が気を利かせてくれたんじゃないか。
「叔父上、七郎、勘助。お前たちが謝らなきゃいけない事なんて何ひとつない。むしろ良くやってくれた。ありがとう三人とも。謝らねばならないのは俺の方だ。こうして命令違反をさせてまで気を回してもらって本当に申し訳なかった」
「頭を上げなされ、次郎様。家臣が主に気を回すのは当然に御座いましょう。もし次郎様に不足があるのであればそれを補うのが我らの役目。ですからこれからも我らを頼って下され」
「…っ。勿論だ。お前たちを頼らせてもらう。これからも俺を支えてくれ」
「お任せ下され。次郎様」
「これからもお支え致しまする」
「その為に私は少輔次郎様の元に馳せ参じたのです」
うう、なんで皆そんなに優しくしてくれんだよ…。泣きそうになるじゃんか。俺の不足分をこうして家臣たちが補ってくれる。今はまだ未熟な俺だけど、きっと成長してみせるから。お前たちが誇れる立派な大将になってみせるからもう少しだけ待っててくれ。




