初の戦
一五三五年
二年前、史実通りだと思うんだが弟が生まれた。
名前は【徳寿丸】。史実でいう小早川隆景で間違いないと思う。
小早川隆景は史実では小早川家に養子入りした後、元春と同じく毛利両川の片翼として主に山陽地方(播磨国・美作国・備前国・備中国・備後国・安芸国・周防国・長門国(現在でいう兵庫県南部・岡山県・広島県・山口県))の司令官として活躍している。小早川家は水軍を有していたらしくその水軍を生かして情報収集を行い、政務・外交に力を発揮していたらしい。確か豊臣政権下では五大老の一人にも任命されているなど全国的にも認められた武将だったのは間違いない。
ちなみに史実の元春は余程秀吉が嫌いだったのか早々に隠居を決め込んでいる。気持ちは分からんでもないけど時の権力者に対して少し浅慮じゃないかと思ったり思わなかったり。まあ、今目の前にいる弟がその隆景だと言われても一致しないがな。
「優しく抱くんですよ、鶴寿丸。落とさないように気をつけなさい」
「うん、分かった」
なんて可愛いんだろう。俺には眩しいくらいに可愛い。お袋から抱っこさせてもらいすやすや眠る徳寿丸を見て守りたいと思ったのは仕方ないと思う。歴史上の偉大な武将だとしても今の小早川隆景はかわいい赤ちゃんなのだ。
そして今年は毛利家にも動きがあった。まずは長年戦り合っていた宍戸家との婚姻だ。宍戸家って毛利家の家臣のイメージだったんだけどこの時代は敵対してたんだな。知らなかった。
宍戸家は同じ安芸国で大内家の庇護下にある国人だったのだが毛利とは仲が悪かったそうだ。そのため毛利が石見方面に出る際、どうしても邪魔になる。言わば目の上のたんこぶのような存在だ。
だが滅ぼすには骨が折れる。何せ当主の宍戸雅楽頭元源は勇将として近隣に武名を鳴らし、管領家である細川氏、播磨国の名門赤松氏、備後の国人衆のまとめ役である山内氏とも繋がりを持つ実力者だったからだ。
親父の元就は、このまま敵対するより味方にした方が理があると思ったのだろう。勇将の協力を得られるし滅ぼしたところで得られるものが少ない。
宍戸元源も元就を気に入ったこともあり石見の領地の一部、娘のしんと元源の孫である隆家に嫁がせることで協力関係を築くことに成功したのだ。親父はこのまま緩やかに宍戸家を支配下に置くつもりなのだろう。
ちなみにしんは俺の姉に当たり史実の【五龍局】と呼ばれる女性だ。
この姉が結構怖い。いや、顔は可愛らしいのだがかなり勝気な性格で、一つ年上なだけなのに俺を家来のように連れ回すのだ。あの吊り上がり気味の目でキッと睨まれると従わざるを得ない。
俺も一応姉貴に似た吊り上がった目つきなんだけどなぜか勝てない。姉貴自体は俺を可愛がってるつもりらしいのは分かるしこの年代の1歳差はデカいから逆らえる気がしないってのもある。そして両親はこのしん姉にかなり甘い。ぶっちゃけ溺愛である。まあ、これに関しては仕方ない事情がある。
少し長い話になるのだが、俺がまだ生まれる前に毛利はある一族を滅ぼしている。
石見にいた高橋氏という一族だ。この一族は元就の死んだ兄、興元の嫁の一族なのだ。この死んだ兄と高橋の姫の間には幸松丸という子がおり、元就はその高橋一族と共にこの幸松丸の後見をしていたのだった。
だったというのは、既にこの幸松丸自体も亡くなっているからである。死因はある戦の首実検で見た生首に衝撃を受け、そのまま気を病んでしまい亡くなってしまうというなんとも他人事とは思えない死に方をしている。分かるよ、俺も見たくないもん。
その幸松丸の後を継いだのが親父の元就で、当時、毛利家の内で絶大な権力と権勢を誇っていた高橋氏を自分の支配の邪魔になると確信していた元就は、一族仲が悪かった高橋氏内部に内紛を煽り、実際に起きた内紛を利用して滅ぼした。何とも稀代の謀将、親父らしい鮮やかな手際だ。ただその際に不幸が発生してしまう。
実は元就の長女を養女として高橋氏に差し出していたのだ。元就の兄が当主の間は良かったが敵対し、状況が変わったことによりその長女が高橋氏に殺されてしまっている。父が救おうとして救えなかったのか。あえて犠牲にしたのかは分からないが、父はこのことを相当悔いたらしくこの長女に注げなかった愛情を代わりにしん姉に注いでいるようだった。
罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない。実際はどういう心境だったのか分からないけどこれがもしわざと犠牲にしたのなら冷たいと思うし人でなしだとも思う。普段俺が見ている親父からは想像が出来ないけど。
だが隙を見せたらやられる戦国乱世には必要な冷徹さなんだと思う。下手をすれば滅びていたのは毛利家だった可能性だってあるわけだ。毛利家とて今は安芸国の国人衆の盟主程度にしか過ぎない。
俺もこの戦国を生き抜くためにはこのような判断が必要になることがあるのかな。嫌だなあ。嫌だけどきっと本来の元春なら出来るんだろうと思う。ならその代わりである俺もいざというときの為に今のうちから覚悟だけは固めておこう。
ちなみにこの亡くなった長女の話は毛利家の中で禁忌のような扱いになっており名前すら聞き出せなかった。歴史好きの俺としてはなんとなく名前を知りたかったが藪を突いて蛇どころか大蛇が出てきそうなこの話題を出すのは憚られた。そもそも興味本位で聞くには内容が重すぎる。ただただ会う事すら出来なかった姉貴の冥福を祈った。
とまあ、そんな理由もありなかなかに甘やかされて育ったしん姉が婚姻である。本当に大丈夫なのだろうかと心配になるが、当人であるしん姉は「私が毛利と宍戸の懸け橋になるわ!」と颯爽と輿に乗って去っていった。なんとも頼もしい限りである。でも姉貴がいなくなってちょっと寂しく思ったのは何だかんだで俺も振り回されんのが好きだったのかもしれない。
未来の兄である隆家は姉貴とは10も歳が離れているから何とか姉の手綱を上手く操ってほしいものだ。いややっぱ無理じゃねえかなあ。史実のしん姉は史実の俺の嫁、新庄局とバチバチやり合っていたと記録も残っていたらしいし尻に敷かれそうだ。最愛の娘と離れた親父とお袋は寂しそうだったな。俺と徳寿丸で元気づけよう。
ただこの目出度い婚礼も空気も束の間、毛利家にも戦の空気が漂ってきていた。
毛利と同じく大内家の庇護下にあった備後国の多賀山伯耆守通続が突如大内から離れて尼子に鞍替えしたのだ。親父はすぐさま、九州北部で戦を繰り広げている大内義隆に連絡し、多賀山討伐の許可を得ると軍を興した。
戦の空気に城内も緊迫感を増していく。現代に生きていた俺にとって初めての戦。俺自身が出る訳じゃないがそれでも緊張してくる。史実でもこんな戦あったのかな。あったとしても多分勝っているはずだ。でもそれでも戦である以上誰かが死ぬ可能性もあるんだよな。少なくとも前線で戦う兵達は被害が出るだろう。まさか親父がこんなところで死んだりなんかしないよな。大丈夫、大丈夫なはずだ。この時代って驚くほど死が身近だ。領民だって冬の寒さで死ぬことが普通にあるくらいだ。俺だって戦に出たらさくっと死ねる自信がある。そんな自信は要らないから最近始めた槍の鍛錬をしっかり身につけなければ。
「これより多賀山を攻める。美伊よ、子達を頼むぞ」
「殿、ご武運をお祈りしております。どうか、どうかご無事で」
「うむ、安心して待っておれ美伊。松寿よ。お前は毛利の嫡男、無いとは思うがもしもの時は皆を頼むぞ」
「…はい、父上もご武運を。家のことはお任せください」
親父が一人一人に声を掛けていく。お袋は気丈に微笑んで親父の武運を祈っているが心配オーラがひしひし漂っている。そりゃそうだよな。こんな頼もしい親父が死ぬなんて考えたくない。今の毛利は親父がいるから安定してるんだ。松寿兄貴も顔を強張らせているが責任を果たそうとする決意ある目をしている。まだこの頃は卑屈な感じはなさそうだ、親父も信用しているように見える。若いのに凄いな。兄貴優秀だしな。素人目だから詳しくは分かんないけど何でも勉学に武芸に細大漏らさずこなしているように見える。親父自慢の子なんだと思う。兄貴を見ていた親父の涼やかな目が今後は俺と隣の徳寿に向かってきた。
「鶴寿、徳寿よ、兄を支えよ。父からの吉報を待て」
「はい、ちちうえ。ごぶうんをおいのりしてます」
「親父、ご武運をお祈りしています。…こんなちっちゃい戦で死なないでくれよ、お願いだから生きて帰ってきてくれよ」
「こら!鶴寿!」
自分より小さな徳寿は慣れない言葉を懸命に紡いで父の無事を祈った。だが言った本人は、難しい言葉を間違えずに言えたことが誇らしいらしくご満悦の様子だ。いいな、俺もそんな心境で言いたかった。俺も親父の武運を祈った後、不安が胸をよぎってしまい思わず口を滑らせて余計なことを言ってしまった。不味いと思った時には既にて遅れですぐに兄貴から咎めるように声が響いた。兄の声にびくっと身を屈め恐る恐る親父の様子を見上げた。親父にも怒られると思ったんだがいつまでも雷は落ちてこない、あれと思って親父の顔を見たら戦を前にした男の顔がみるみる笑みに代わりそのまま吹き出した。
「ふはっ。そうか、鶴寿には小さき戦か。くっくっくっ、これは面白い。ならば父はさくっと戦を終わらせてくるとしよう、ははは!」
そう言って父は供回りを連れて、蓄えられた顎鬚を撫でながら揚々と笑い部屋から出て行った。足音が遠ざかっていく。どうやら俺がこの戦を小さいと言ったのが気に入ったらしい。
怒られなくて良かったとほっとしながら兄と母を見ればなんとも言えない残念な子を見るように溜息を吐かれた。視線が痛い。反省してごめんなさいと頭を下げた。
そして俺たち家族は城から出陣していく父の軍を見送った。
お袋はその軍を辛そうに見つめていた。親父が心配なんだろうな。親父とお袋は息子の俺から見てもすごい仲がいいもん。うんうん、両親が仲がいいのはいいことだ。でも本当に親父大丈夫かな。
兄貴はそんなお袋を労わるように背中をさすりながら同じように親父の軍を見つめている。まだ12歳くらいだろうに自分よりもお袋を慰めるなんてすごいな。気配り上手というか見習いたい。
出ていく兵は総勢1000人はいるらしい。縁を結んだ宍戸も400程援軍を差し出すようだ。相手の多賀山は400人程で城に籠っているらしいから、城攻めには3倍の兵数が必要といういわゆる定石というやつは満たしている。ただ戦は何万単位で戦り合うもんだと勝手に思っていたせいかその軍の数を聞いた時少ないと思ってしまった。でも国人同士の戦なんだからこんなもんかと思い直した。それに実際その数を目の当たりにすると圧倒される。こう一面に武装した人間が集まっていたら壮観だ。ライブなんかのイベントみたいな機会が無ければ1500人もの人間を一度に見ることなんてないだろうし。こうして大人数を改めてみたことが無かった。この人間たちがこれから殺し合いをしに行くんだと思うと背筋が寒くなる。
そんなことを考えながら俺は、俺よりも小さい徳寿丸と手を繋いで遠ざかる兵たちを見ている。
徳寿は何が起きてるのかまだ分からないんだろう。先ほど武運を祈っておきながら「ちちうえどこにいっちゃうの?」と不思議そうに俺を見上げてきた。さっきの祈りは何に祈ったのか。非道い奴だ。
「親父はな、俺達を守るために悪い奴をやっつけに行ったんだよ」
「やっつける?…ちちうえつおい?」
「強いぞ、きっと親父はやっつけて帰ってくるから、徳寿も俺と一緒に親父を応援しような」
「うん!とくじゅ、おうえんする!」
ちゃんと伝わってるかな。でも徳寿丸は自分なりに納得したのか、かっこいいヒーローを見るようにきらきらと目を輝かせながら離れていく軍勢に手を振っていた。
これが戦国男子の普通かは分からんが少なくとも怯えながら見送る俺よりは余程戦国武将に向いているだろう。そんなことを考えながら俺を含む残された者たちは小さくなっていく軍勢を見えなくなるまで見送っていた。
注意点
作中で鶴寿丸が小早川隆景を五大老の一人と認識していますが、実際は五大老には任じられておりません。五大老制度の前に小早川隆景は亡くなっています。あくまで五大老のような有力大名の一人として認識されていたのが、後世で五大老のくくりに入ってしまったようなので一応書き残しておきます。
ご指摘して下さった方感謝です。