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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文十二年(1543) 備中騒乱
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元就と美伊

一五四三年  毛利美伊(もうりみい)



今年もまた無事に誰欠けることもなく新年を迎えることが出来ました。とても喜ばしいことです。


去年は愛する息子たちがそれぞれに兵を率いて大内家の援軍として九州の大友家と戦をしました。しかも殿抜きで。心配で仕方ありませんでした。

乱世ですから仕方がないことは分かっています。ですが息子たちが心配になってしまう事を止めることは出来ません。母として頼りない姿を見せるわけにはいきませんから気丈に振舞って見せはしましたが。


殿、少輔次郎(しょうのじろう)様(毛利元就(もうりもとなり))に嫁ぎ既に三十年。その間に何度となく殿の出陣を見送ってきましたがこれは一生慣れることが無いのかもしれませんね。

それが息子たちであればなおのこと。私が自分のお腹を痛めて産んだ愛しい子達です。殿とはまた違う不安感があります。女は祈ることしか出来ませんから歯痒い思いをします。そのせい、という訳ではありませんが、私のこなさなければならない事も滞っています。此方も早く片付けなければならないのに心配で手に付きませんでした。


ですが息子たちが戦に出ている最中に娘のおしんが郡山(こおりやま)城に遊びに来てくれ、私の寂しさや心配を和らげてくれました。幼かったおしんはこうして会いに来る度に美しく成長した姿を見せてくれます。相変わらず気の強そうなつり目ですが。次郎(吉川元春(きっかわもとはる))と同じ目です。不思議ですね。私も殿もつり上がってはいないのですが。

…ああ、亡くなった御祖父様(おじいさま)(吉川経基(つねもと))に似ているかもしれませんね。御祖父様もつり上がった目をしていました。


そんなおしんはやはりとても気が強い子です。此度の戦も笑っていました。




「はあ…」


「お母様、また溜息が出てるわよ?心配なのは分かるけどそんなに眉間に皺を寄せていては老けちゃうわ」


「…私は溜息を吐いていましたか?」


「ええ、それはもう。盛大な溜息を吐いてたわ。そんなに心配しなくても大丈夫よお母様。お兄様たちは必ず帰ってくるんだから」


「何故そこまではっきりと言い切れるのです?戦は何が起こるか分からないものなのですよ」


「何故って。だって毛利は強いもの。それにもし危ない戦ならお父様も出陣しているはずでしょう?行かなかったってことはきっとお兄様たちだけで問題ないからよ。ふふ、だからね、私は何も心配して無いわ」


そう言っておしんは朗らかに笑うのです。そうまで信じられるおしんが羨ましく思います。ですがその笑顔を見ているだけで心が軽くなったように思いました。そのおかげで恙なく過ごせたのですからおしんには感謝しなければなりませんね。



そうしておしんと共に過ごしているうちにこの安芸国でも謀反が起こりました。ですがこの謀反はすぐに鎮圧されました。これは殿の罠だったようです。

城内では謀反を起こした河内守(かわちのかみ)井上元兼(いのうえもとかね))は憐れまれる程でした。一時期は毛利家中でも実力者と言われるほどの者だったのに。ですが今の毛利家には反抗的な存在は必要ありませんからね。河内守は過去に殿の所領を横領したり、家中でも横柄な態度を取っていたものです。私もあの者が嫌いでしたがあまりにも憐れでその最後を聞いた時は同情してしまいました。

殿は井上党の中に内通者を作り計画は全て筒抜けだったと後で教えて下さいました。ですから河内守は兵をあげたにも関わらず逆に殿に攻められ、内通者に裏切られてあっという間に首を斬られてしまったそうです。



そうして安芸国が落ち着きを取り戻した頃に息子たちは無事に帰って来てくれました。擦り傷切り傷はあれど大きな怪我もなく無事に帰ってきた三人の姿を見ることが出来て安堵しました。三人は身支度を整えた後、殿に報告を済ませてから私の部屋に三人で来てくれました。何処となく頼もしくなったように感じます。最初に三郎が話してくれました。


「母上、初陣を無事に果たすことが出来ました。勝つことは出来ませんでしたが落ち着いて指揮を執ることが出来たのですよ!」


「三郎、おめでとう。無事に初陣を飾れましたね。小早川家の当主としてこれからも励むのですよ」


三郎(小早川隆景)は此度が初陣だったので心配していました。ですが今、嬉しそうに話してくれています。元服してもまだまだ可愛らしい三郎の頭に手を伸ばしてそっとその髪に触れます。そのまま撫でると照れたように微笑んでくれました。


三郎は母である私が驚くほど負の感情を表に出しません。殿は肝が太いと感心しておられますが、三郎は表情を隠すのが上手いだけです。三人の中で一番賢いあの子は心配を掛けたくないのか驚いたり悲しんだり怒ったり、そう言った感情を持っても表情に出さない子に育ちました。母の前で位は弱音を吐いてくれても良いのにと思わないでもないですが男の子というのは皆そうなのでしょう。


次に話し始めたのは次郎。先日までおしんが一緒に居たせいか次郎の目を見るとおしんを思い出します。


「ただいまお袋。あ、いや、母上、無事に帰還致しました」


次郎は相変わらずの口調のようです。何度注意しても直そうとしません。公の場ではしっかり話せているようですから大目に見てあげましょう。


「いいえ、構いませんよ次郎、いつも通り話して。それよりも私は無茶をしたことの方が心配です。話は聞いておりますからきっと仕方なかったのだとは思いますが」


「お袋を心配させちまうのは悪いとは思ってるけどよ、兄貴や三郎、俺の大事なもんが危なくなったら俺は絶対無茶しちまうよ。でも絶対生きてお袋の元に帰ってくるって約束するからさ」


「…仕方ありませんね。絶対に、約束ですよ?これからも吉川家の当主として励みなさい」


「はい。必ずや約束は守ります。絶対に」


この子は三人の中で一番変わった子です。ですが三人の中で一番優しい子でもあります。本人も言っていましたがきっと私たち家族に何かあればこの子はきっと無茶をするのは目に見えています。きっと自分の身を犠牲にしてまでも。本当は自分を大事にもして欲しいのですが。きっと言ってもこの子は聞かないのでしょうね。本当に仕方のない子。


三郎と同じようにその頭に手を伸ばそうとしたら避けられてしまいました。私は悲しい顔をします。そうすると顔を赤らめながら眉間に皺を寄せ、それでも仕方なさそうに次郎は頭を差し出してくることを知っているのです。

でもこの子も今では立派に吉川家の当主として働く身。これが最後かもしれませんね。心の中で母の我が儘に付き合わせてごめんなさいね、と謝りながらそっと撫でました。


次郎が下がると最後は太郎の番です。この子も随分と頼もしくなりました。若い時の殿を思い出します。


「無事に毛利家の総大将としての任を果たすことが出来ました。母上もお元気そうで何よりです」


「太郎、総大将の任、ご苦労様でした。弟二人を連れての任は大変でしたでしょう」


「いえ、二人とも、頼りになる弟たちですから。ですが私の肩に掛かる将兵全ての命を預かる重みを感じました。父上の感じているだろうその重圧を感じることが出来たように思います」


「きっと殿も貴方に期待していることと思います。いつかは殿が背負う荷を貴方が背負うのです。負けてはなりませんよ」


「はい、今は少しでも父上の荷を軽く出来るようにこれからも精進したいと思います」


幼い頃は何処か不安げで頼りなかった太郎も今ではすっかり次期当主としての顔をするようになりました。その成長が嬉しくもあり、私の手から巣立ったようで寂しくもあります。ふと下二人と同じ様に手を伸ばそうかと思いましたがこの子は既に婚約者のいる身です。伸ばし掛けた手を太郎の手の上に触れます。


「二人の兄として、そして毛利家を継ぐ者として、太郎も励みなさい」


「はい、必ずや」


そうして三人は部屋から出ていきました。さて、私も三人に負けないように務めを果たさねばなりません。この時間ですと殿は私室に留めておかれているはず。心配事が無くなった今こそ。今日こそは殿を逃がしません。




案の定、殿は私室に居ました。一緒に居るのは上野介(こうずけのすけ)志道広良(しじひろよし))ですね。上野介はしっかりと役目を果たしてくれたようです。


私の姿を確認した殿は察したのか上野介を睨んでいます。


「上野介、まさか其方裏切ったか!?」


「はて、人聞きの悪いことを仰います。儂はただお話したいことがあり、それを伝えただけで御座いますがの」


そう言ってのけた上野介は「ほっほっほ」と楽しそうに笑い声を上げました。殿もまさか唯一無二の信頼する家臣が私の味方をするとは思っていなかったのでしょう。甘いですよ殿。この問題は毛利家全ての問題なのです。


「む、急に腹が…。これは拙い。厠に行かねば」


「逃がしませぬ殿。嘘なのは分かってますよ」


「ぐぬう」


これが本当に近隣に恐れられ、名を轟かせる謀将の姿でしょうか?あまりのお粗末な嘘に思わず笑ってしまいそうになりますが、隙を与えてはするりと逃げてしまう恐れがあります。決して目を逸らしません。するとようやく観念したのか、殿はそれはもう深い深い溜息を吐きながら先ほどまで座っていた場所にもう一度腰を下ろしました。私は殿と向かい合う様にして腰を下ろします。上野介は私たちに深く頭を下げると立ち上がって部屋から出ていきます。夫婦の間を邪魔することを(いと)うたのでしょう。その心遣いが嬉しく思います。これなら殿も取り繕わずに済み本心を話しやすいでしょう。


「いい加減諦めて下さいませ。側室を娶るだけでは御座いませんか」


「嫌じゃ、儂には美伊がおる。それだけで十分じゃ」


…本当にいつまで経ってもこの方は。ここまではっきり言われてしまうと胸が暖かくなりますし、私も照れてしまいそうになりますが、それとこれとは話が別です。

この三十年、私はずっとこの方に愛されてきたと思います。私も殿、少輔次郎様を愛し、子宝にも恵まれました。ですが私ももう子を成せる歳ではありません。これから更に拡大する毛利家にはまだまだ御子が必要なのです。


「殿のお気持ちは本当に嬉しゅう御座いますがなりませぬ」


「美伊は儂が他の女と寝ても良いと申すのか?」


殿は拗ねたようにそう呟きました。先ほどもそうですが、いつまで経っても子供のような可愛らしい所があります。確かにそう言われてしまうと弱いのですが…。私だってこの方をいつまでも独占していたい。ですが、ここは心を鬼にしてでも納得して貰わねばなりません。


「私は長年、少輔次郎様のご寵愛を独り占めさせて頂きました。女としてとても幸せでしたわ」


「だったら」


「ですが今の毛利家はさらに大きくなるのでしょう?貴方がこれからも大きくなさるのでしょう?でしたら御子が必要なのは、少輔次郎様もお分かりの筈です」


「ぐぬ…それは、そうじゃが」


「それに、私が悋気(りんき)を起こしていると思われても良いのですか?」


「何?そんなことを言うやつがおるのか。名を言え。儂が叩き斬ってくれる!」


「馬鹿なことを言わないで下さいませ!いずれそうなってもおかしくはないという事です。もう」


「むう、すまん」


かっと目を見開いて刀の鯉口に指を添えながら立ち上がろうとする殿を慌てて引き止めます。嬉しいですが少しは冷静になってもらいたいものです。再び腰を落とした殿の手を両手で包み込むようにそっと握りました。ごつごつとした温かな大きな手。この手には私を含む毛利家全てが乗っています。私一人が独占していい手ではありません。


「私のことで怒って下さるのは嬉しいですがいくら何でも物騒すぎます。これだけ私は愛されているのです。今更側室の一人や二人増えたところで受け入れる度量くらい私にもあります。側室を私も可愛がり、率いていく覚悟を私は既にしているのです」


「…」


殿の視線が揺れます。殿とて分かってはいるのです。ただ感情がついてきていないだけ。そのついてきていない感情は私が掬い上げなければなりません。少輔次郎様の正室は私しかいないのですから。


「殿には女の一人や二人を愛する度量は無いのですか?私が愛する少輔次郎は、そのような器の小さな男なのですか?」


発破をかけるように伝えると目が合います。優しげな瞳が揺れています。暫く見つめ合うと殿は深く目を閉じられました。私が包み込んでいた手が動き、そっと握り返してくれました。再び殿が目を開きました。そして深く息を吐かれました。


「其方が儂の正室、儂の一番愛する妻だ。それだけは譲れぬ」


「存じております。ですがその大きな愛を少しでもやってくる側室に捧げてあげて下さいませ」


「儂も覚悟を決めた。やってくる側室が不憫な思いをせぬように善処する。だから、美伊も気に掛けてやってくれ」


「勿論ですわ。私は殿の妻なのですから」


「うむ」


殿もようやく認めて下さった。表情はまだいまいち優れませんが一先ずは良かった。

御役目を果たすことが出来ました。側室としてやってくる弾正忠(だんじょうのちゅう)乃美隆興(のみたかおき))の妹の(みつ)は可愛らしい素直な娘だった。きっと殿も気に入って下さるでしょうし私としても上手くやっていくことが出来るでしょう。

光自身も嬉しそうにしていました。乃美家も毛利家との縁を深めたがっていますし乃美家が仕える三郎への良き援護にもなりましょう。



ふう、女の戦いも楽ではありませんね。

【新登場人物】


乃美光  1526年生。小早川家臣、乃美隆興の妹。毛利元就の側室となる。+4歳



【補足】


必要かどうか分かりませんが、分かり辛さを解消するための補足です。

本筋にはほとんど関係ありませんので読み飛ばしていただいても大丈夫です。


美伊にとって少輔次郎は二人います。元就と元春ですね。

作中、元就は右馬頭と呼ばれていますが、美伊にとっての元就はいつまでも少輔次郎です。


戦国時代の面倒なところは同じ名前が頻発する点です。元春も少輔次郎と名付けられています。これはその家の伝統のようなものです。避けることも考えたのですが雰囲気を壊しそうなので…。

ですがさすがに読んでいると混乱するので元就は殿、もしくは少輔次郎様。元春は次郎呼びとさせていただきます。


以上補足でした。いつもお読みいただきありがとうございます!

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