備中攻めに向けて
一五四二年 吉川少輔次郎元春
感激してくれてる勘助を見ながらちょっぴり良心がチクリとする。俺としても好意から勘助に【春】の字をプレゼントした訳だけど勿論好意だけじゃない。ちょっとした狙いもある。
牢人である勘助がいきなりこんなに厚遇されればひょっとしたら他にも有名な武将が噂を聞きつけてうちに来てくれるかもしれないって欲目がちょっとある。勘助をダシに使って悪いけどそんな狙いもあるんだよ。何だっけ。中国のことわざみたいなやつに何とかより始めよ。みたいな格言があったアレだ。それのパクリ。まあ、まだ毛利も吉川もあがり始まったばかりの家だからな。すぐに効果は出ないだろうが。だからごめんな勘助。好意8割欲目2割くらいだから許してくれ。話を変えよう。
「さて、そんじゃ勘助には少しばかり今後の吉川家の方針を話しておく。まだ色々情報が足りないだろうしな」
「は、よろしくお願い致します」
「大友の戦も無事、とは言えないけどなんとか終わったし、これから毛利は再び東に向けて勢力を拡大していくことになる。刑部(口羽通良)、地図持ってきてくれ」
「分かりました」
刑部は慣れた様子で部屋の片隅に丸められていた安芸国(現在の広島県西部)を中心にしたここら周辺のことが簡単に描かれている地図を持ってくると床に広げた。
ちなみにこの地図は刑部のお手製だ。色々各地を飛び回っているから刑部はこういった情報に詳しい。現代の地図とは比べ物にならないけどそれでも便利だ。
世鬼衆とかこういう地図作ってもらえないかな。地形とか知りたい。まあ今はいいか。
三人で地図を覗き込む。俺は扇子を懐から取り出すと安芸から備後、備中へと扇子の先を滑らせた。
「まず手始めに、俺たち毛利は今後、備中に手を出す。備後は新左衛門尉(山内直通)のおかげでだいぶ纏まってきたからな。刑部の【通】の字は新左衛門尉からの偏諱だろ?」
「その通りです!私が無理を言って授けて頂きました」
「ほう、そのような経緯があったのですな」
「んでだ、親父の元に三村家から救援要請が来てるんだと。この救援を期に三村を毛利の支配下に置き、尼子派の庄家を滅ぼして備中を毛利の勢力下に置くのが狙いだ。今回は俺から親父にお願いしたから備中の戦には俺も参加させてくれるだろう。俺から戦に出たいなんて言う日が来るとは俺自身も思わなかったけどな」
「珍しいですね、次郎様が自分から戦に参加したいなんて言うなんて。血狂い次郎が目を覚ましましたかあ痛ぁっ!?」
言ってくるとは思っていたがやはり刑部は乗っかってきたため扇子で額を叩いた。ぺちんといい音が鳴り刑部の悲鳴が響く。いい気味だ。人を厨二病みたいに言いやがって。この時代に厨二病なんて概念ないけど。
「え!?あ、あの、刑部大輔殿は大丈夫なのですか?それに私も少輔次郎様は戦がお嫌いだと聞いていましたが」
「ああ、刑部はいつものことだ。最初は難しいかもしれんが気にするな。勘助にも近いうちに慣れてもらうぞ。特殊だと思うがこれが吉川家の空気だからな。勘助も慣れてきたら刑部が揶揄ってくるから気を付けろ。今は猫被ってるだけだぞ」
「は、はあ」
呆気に取られている勘助には悪いが俺が緩いせいか家臣たちは俺に容赦がない。緩い自覚はあるけど今更きびきび出来んしなあ。まあ、いざと言うときはめちゃめちゃ頼りになるし、この空気感が俺は好きだが、初めてだときっと慣れないだろうな。重ね重ねごめんな勘助。さ、いつの間にか復活していた刑部も疑問に感じてるみたいだしちゃんと説明しておこう。
「今回の大友との戦は俺にとって悔しく、怖い戦だった。怖いってのは人が目の前で死ぬのが怖いとかそういう単純な恐怖じゃなくってな。あー、何て言えばいいか。大友家の戸次鑑連にいい様にやられてな。長引いていたら今頃俺はここに居なかっただろう。それぐらい戸次軍は強かった」
「それ程ですか。言ってはなんですが吉川軍とてかなり精強です、それ以上という事ですか?」
「それ以上だ刑部。兵数もあるだろうがそもそも戸次鑑連自身に俺が手も足も出なかったんだよ。権兵衛に救われた。きっと戸次鑑連以外にも他の国には凄まじい武将がいるだろう。そん時に俺が負けて、そのせいで国が、領民が、家族が苦しむのなんて俺には我慢できない。たとえ戦が怖くても、俺が戦ってその大事なもんが守れるんならその方がいい。その方がましだ。ずっとずっとましだ。怖さだって我慢してみせる。失う方が俺にとっては怖いんだ。そういう怖さを俺はもう味わいたくない。だからおれは備中の戦に参加する。もっと戦のことを学ばねえとならん。きっとまた戸次鑑連並みの武将と戦うときだってあるはずだ。また手玉に取られる訳にはいかねえ。…そういう訳だ、刑部、勘助。納得してくれるか?」
「はい、良く、分かりました。茶化していい内容では御座いませんでした。申し訳御座いませぬ」
「御立派な心構えと存じます」
「気にすんなよ刑部。俺とお前の仲だ。それに勘助も来て早々付き合わせて悪いな。勿論、俺一人息巻いたって出来ることなんか限られてるのは分かってる。だから二人にも協力してもらうぞ。二人だけじゃない。叔父上(吉川経世)に兵庫(熊谷信直)、孫四郎(今田経高)に少輔七郎、次郎三郎(熊谷高直)、平左衛門(宇喜多就家)たち宇喜多勢。みんなの協力が必要だ。だからまた俺の無茶に付き合わせちまうけど。お願い出来るか?」
「その為の我々ですよ、次郎様」
「私も及ばずながら、何処までも付いて行きます」
「ん、有難う、本当に有難う二人とも。これはまた評定の際に皆にも話す。今後の展望だけは二人から徐々に広めておいてくれ」
「はっ」
こんな俺なんかには本当に勿体ない家臣たちだ。無理をさせた分、もっともっと俺も出世して、皆にはいい思いさせてやらなきゃな。そうでもしなきゃ命かけて俺に付き合ってくれてる皆に申し訳ない。その為にも俺自身がもっと強くならなきゃ。でも複雑だよな。兵を率いる為には皆を戦に駆り出さなきゃいけないんだから。本末転倒になってる気がする。でも個人技鍛えただけじゃ戦が上手くなるわけじゃないし。都合よくいかねえな。
「少輔次郎様、それで、戦は何時頃から始まりそうなのでしょうか?」
「んあ?ああ、そうだな勘助。備中の戦はすぐに始まるわけじゃない。この辺も雪がちらついてきてるからな。年が明けて雪解け後にすぐ始まんのか、それとも農閑期までは休戦すんのか。何とも言えないな。さすがに今回の大義名分は三村家の救援だからさ。俺たちから一気呵成に攻め込むわけにもいかねえだろうし」
また考え事してたせいで変な声出ちまった。あー、こういうところも直さなきゃ。本当に課題多いな。
「三村家は毛利の傘下に下ることを納得しますでしょうか?」
「刑部大輔殿、納得せざるを得んでしょう。聞くに三村家は今は劣勢なのでしょう。独力で撃退できないのであれば何処かに縋るしかない。それくらい三村家も分かっておる筈です。国人衆はそうやってお家を守るしかないのですから」
「勘助の言う通りだな。毛利家だって状況によって大内と尼子を天秤に掛けてこうして成り上がってきたんだ。もしここで三村家が駄々を捏ねるようなら庄家を滅ぼした後に三村家を潰せばいい。そうなって欲しくはないけどな」
史実でも三村家は毛利家の傘下に入ってるからきっと大丈夫なはず。それに史実で三村家当主を暗殺した平左衛門たち宇喜多家は吉川家でいい子にしてるんだ。毛利との仲が拗れることも無いだろう。それに三村家は勇猛な家だ。敵対はしたくない。
口羽刑部大輔通良
「ま、とりあえず今すぐどうこうはなんねえだろうし、いざ戦が始まっても吉川家には勘助が増えたんだ。何とかなるだろう。俺の心配は吉川の常備兵だよ。…大友との戦で三十人近くが逝っちまった」
そう言った次郎様の表情はたちまち曇っていく。今回の戦で死んでしまった兵たちを悼んでいるのでしょうな。何とも難儀なお方だ。今にも泣きだしそうだ。死者の名簿を見たが最初期の古参兵たちが数人含まれていた。そのせいでしょう。
常備兵は次郎様と一緒に訓練に励んでいるせいか直接関わる機会が多い。そのおかげで団結できているし常備兵の次郎様に対する忠誠心を植え付けることが出来ておりますが、逆を考えると愛着が出てしまう。
特に次郎様は誰に対しても気安い。兵たちに好かれやすいのだ。だからこそ、こうして兵たちが死ぬ度に胸を痛まれる。
本当は一緒に訓練をされることを控えるようにそれと無く進言したのだが次郎様はにべもなく断られてしまった。
「兵たちが一生懸命戦ってくれるから俺は安心して戦場に出られるんだ。なら俺は少しでも近くで兵たちを労ってやりたいし、同じ苦労を共有したい。俺の考える将ってのはそういう男だ。悪いな刑部。心配してくれて有難う」
この方はいつもこんな調子です。特に常備兵はまだ数が少ない。三百人なら顔見知り程度の関係にはすぐなってしまいます。ならば兵数をもっと増やして一人一人の印象を薄くしてしまえばいいのではないか!とも一時期考えましたがこの方は領民すら自分の懐に抱え込もうとしてしまうお方だ。きっと兵数が増えたとしてもそれはそれで胸を痛まれるでしょう。誠に難儀なお方です。
これも毛利の、いえ、殿(毛利元就)の血なのでしょう。次郎様含めて毛利家の方々はお優しすぎる。殿も今は上手く隠しておられるが若い頃は今の次郎様のように沈痛な表情を浮かべられていたと父(志道広良)が言っておりました。安芸守様も同様でしょう。ここはどの様に励ますのが良いでしょう。
「そのように気を落としすぎては逝ってしまった兵たちも安心してあの世に旅立つことが出来ないでしょう、次郎様。今は乱世。民はいつ死んでもおかしくない世です。そのような世であの兵たちは次郎様のお役に立ちながら華々しく武士として死ねたのです。主がそれを悔やんでは兵たちも今後安心して力を振るうことが出来ぬでしょう。主であるならば死んだ者たちを笑って褒めてやって下さいませ。天晴なりと」
「そういうもんか、刑部?」
「はい、少なくとも私が戦場で死ぬならばそう見送られとう御座います」
「縁起でもねえな。…でもそうか。そうだよな。うん、分かった。いつも有難な、刑部」
「はて、お礼を言われるようなことはしておりませぬが?」
「ふ、いいんだよ。俺がそう思っただけだ。さて、時間を取っちまって悪かったな。減っちまった分はもう戻ってこない。だから新たに募兵する必要がある。刑部、勘助を連れて募兵の段取りを頼む。また五日後だな。今回はさらに二百追加で計五百の常備兵を用意する。当日は俺も参加するからそれまで集められそうか?」
私の言葉で少しは元気になってくれたようで良かった。表情が元に戻った。時折気を落とされるからこうして私たち家臣がお支えしなければいけません。
気を持ち直した次郎様はすぐに指示を出し始める。私は初期から常備兵の募兵に携わっていましたから問題ありませんが勘助殿は驚いているようです。片方しかない目を何度も瞬かせています。
「五百ですか?」
「そうだ、勘助。香り付きの石鹸が予想以上に好評でな。収益が増えるのは間違いない。五百までなら問題なく養ってやれる」
「なんと…。話には聞いていましたが、誠に毛利領は商いが盛んなのですな」
「そうだぞ勘助。商いを嫌がっていては毛利家ではやっていけないぞ。勘助は嫌か?」
「いえ、そのような考えはここに来ると決めた時点で捨て申した。必ず私も身に付けまする」
「おう、頼むな。刑部は集められそうか?」
勘助殿を見ていた次郎様の目が此方に向かってきました。自信をもって大きく頷きます。
「当然ですよ次郎様。それに常備兵は人気なのですよ?次男以降の不遇な者たちが実家を出て大きくなれる好機ですからね」
「そうなのか、成程、そっかそっか。民はそう考えてんのか。なら報われぬ者たちをすくい上げてやらねえとな」
「はい!立派な笑う吉川兵に育ててやりましょう」
「ははっ、そうだな刑部」
次郎様の警護役に付いた権兵衛(佐東金時)の存在が民にとって常備兵の魅力をさらに高めてくれました。活躍すれば相応に出世することが出来る。そのことを権兵衛は身を以て示しましたそのことを民たちは良く知っています。今回も定員以上の数が集まるでしょう。その話を知らなかったらしい次郎様は意外そうに何度も頷いております。
「んー!それじゃひさしぶりに城下に下りるか!刑部、勘助、一緒に行くぞ。勘助を案内してやる」
そう言って次郎様は立ち上がると両手を天に突き出して背中を伸ばしました。普通は当主自ら領内の案内などしないでしょうに。それに勘助殿は数日前から小倉山城に来ていますから既に案内を済ませています。私が。
勘助殿は困ったように此方に視線を送ってきました。ですが次郎様はこういったことを注意しても聞かないことを私は知っています。むしろ勘助様をダシに自分が行きたいと思っていることも私は知っています。
苦笑しながら首を左右に振ると勘助殿は察してくれたのか同じように苦笑しながら小さく頷きました。これが吉川家の実情ですから諦めるしかありません。
「はい、有難う御座います、少輔次郎様」
「おう、吉川領もいい所だぞ。寒いけどな。温かい格好をして行かないとな!権兵衛!城下に下りるぞー!」
「へい!若様!」
部屋の外で控えていた権兵衛に声を掛けるとそのまま次郎様は足早に部屋から出ていかれました。権兵衛はすぐに立ち上がり次郎様の左斜め後ろ、権兵衛の定位置に付きます。私と勘助殿もその後ろに続きます。
この小さな背中にいったいどれだけの荷物を担いでいるのでしょう。こうして常に率先して何事にも先陣に立つ次郎様を私たちは支え続けます。我ら吉川家臣は皆、この優しく、変わり者な主に付いて行くと決めているのですから。
いつもお読みいただきありがとうございます…。
間違って明日分の物まで掲載されてしまいました。泣きそうです。ストック分が少ないのに自分は何と愚かなことを…っ!
せめて皆さんが楽しんでいただけることが自分の救いです(泣)




