希望の船旅、勘助の覚悟
一五四二年山本勘助幸次
翌日、約束通り刑部大輔殿は庵原屋敷を訪ねてきた。お供を数人連れている。上等な着物や小者を雇うための銭も渡して下さった。私のような牢人には過分だと断ったのだが、「これから吉川家に仕官するのだから他の家臣たちに舐められてはやり辛いだろう」という次郎様の心配りらしい。
実は次郎様はもう一つ刑部大輔殿に命令を出していたそうだ。「今川家で活躍しているならそれでいい、だがもし現状に不満があるのなら吉川家に勧誘してくれ」それが次郎様の本当の目的だったらしい。便りでは強がっていたものの次郎様にはバレていたのか。私の主となるお方は本当にお優しい方のようだ。立派な若武者に成長されたのだろう。
駿府の港から船で、尾張(現在の愛知県北西部)や伊勢(現在の三重県)、紀伊(現在の和歌山県)へと船を乗り継ぎ堺から瀬戸内へと船旅は続く。その間に刑部大輔殿からは色々な話を聞いた。次郎様は予想通り立派な若武者に成長されているようだ。だが変わり者なのは相変わらずで今は綿花や茶の栽培に夢中らしい。刑部大輔殿もその綿花の種や茶樹の苗を追加で増やすために上方に来ていたそうだ。
どうやら今は大内の手伝い戦のため九州へ御兄弟と出陣されているらしい。刑部大輔殿は次郎様が無茶をされていないか心配なようだ。私の印象では幼いながらに理知的な印象を受けていたのだが。そう話すと刑部大輔殿は笑って教えてくれた。
「次郎様は何かを守ろうとするとき必ず無茶をされるのです。吉田郡山城の戦いのときもよく先陣に立とうとされて我々が止めたのですがなかなか直りませぬ。その優しさが好ましくもあり、頼もしくもあり、心配でもあるのです」
「成程、刑部大輔殿は確か毛利家の重臣、志道殿(志道広良)の御子息であられたと記憶しておるのですが、何故少輔次郎様のお側に仕えるようになったので?」
「良くご存じですな。さすがは諸国を旅していたという事でしょうかね。羨ましい、私も旅をしてみたい」
七年も前の記憶だったがどうやら正解だったようだ。だが七年か。色々と私も錆び付いていそうだな。鍛錬はしていたから鈍ってはいないと思うが情報は怪しいな、一度情報は洗い直さなければならなそうだ。私が期待されているのはきっとこの知識なのだから。刑部大輔殿は海を眺めながら話してくれる。
「最初は次郎様がまだ鶴寿丸様と呼ばれていた頃です。私は福原左近允貞俊という男と一緒に次郎様の手伝いに駆り出されましてな。その時は領民の次男三男以下を集めてそれらを銭で雇い、常に戦える兵を作りたいと言われたのです」
「おお、なんとも画期的な事を考えられますな。軍を常に動かせれば農期に影響を受けませぬ。敵が農期で兵を集められない場合でもこちらは動ける。幼いながらそのようなことを考えておられたのですか…」
あの時に案があるといっていたのはきっとこの事だろうか。だとすれば五つほどの童がそれを考えたという事だ。賢いという言葉で収まらぬのではないか。
「そうでしょう?この話を聞いた時は私は身体に雷が落ちたかのような衝撃を受けましてね。そこからは次郎様が何をこれからするのだろうと楽しくなってしまったのですよ。この小さな子供がこれから行う新しいことを私も常に一緒に味わいたい。そう思ったら居ても立っても居られなくなりましてね。殿、右馬頭元就様にすぐ直談判しておりました。私を次郎様に付けて下さいと」
「なんと。随分思い切られたのですな。右馬頭様、いえ、私にとっても殿となるお方ですか。殿はお困りになられたのではありませぬか?」
「笑っておられました」
「笑って?」
「はい、楽しそうに笑っておられました。そして、鶴寿丸は変わってはいるがあやつなりに考えて動いている。だから理解あるものが支えてやってくれ。そう仰られましてね。それからは私は次郎様に付き従っております。毎日が楽しいですよ」
「私も楽しみになってきました」
「でしょう?実際に楽しいですよ、次郎様の無茶に振り回されるのは大変ですがね」
そう言った刑部大輔殿は毎日が充実しているのだろう。いつか見た幼い次郎様のように楽しそうなきらきらとした目で海を見ていた。
私もつられて瀬戸内の海を眺める。駿河の海はこんなに綺麗に見えていただろうか。私が変わったのだろうか、なんとなくそう思った。
前回の旅の際は陸路が主で色々な場所を見回っていたから実感が湧かなかったが船の移動はとても速い。瀬戸内海は村上三家が支配していたが通航料さえ払えば快適に渡ることが出来る。
あっという間に安芸国に入ると私は刑部大輔殿に案内されて先ずは吉田郡山城に向かうことになった。
吉川家は小倉山城が居城の筈では?と思ったのだが、刑部大輔殿によると、毛利家当主である右馬頭元就様が会いたいと仰って下さっているそうだ。だが吉田郡山城下は何やら騒がしい。この騒がしさは城内も変わらなかった。
何事か気になったため刑部大輔殿に確認したが、なんと毛利家の重臣、井上河内守なる人物が毛利本軍がいない隙を見計らって謀反を起こしたようだ。
確か、殿が幼い頃に領地を横領した者も井上では無かっただろうか。恐らく当時から主家を侮る男だったのだろう。
だがそのような慌ただしい時に私のようなものが城内に居ても良いのだろうか?
だが刑部大輔殿は既に鎮圧されているから大丈夫だと仰られた。どうやらこの謀反自体が殿、右馬頭さまの謀略なのだそうだ。家中の反乱分子の掃除らしい。さすがは毛利家を一代で二国の国主にまで大きくした方だと感心する。一歩間違えば毛利家の足元すらぐらつきかねない事件であろうにあっさりと乗り越えてしまうとは。頼もしい限りだ。
先に部屋に通されて暫く待っていると襖が開いた。静かに頭を下げて、この城の主から声が掛かるのを待つ。私の容姿は醜い。本当にお目通りなどしても良いのだろうか。今更心配しても遅いわけだがそれでも不安になる。
「面を上げよ」
穏やかな声が頭上から聞こえて私は静かに頭を上げた。上座に座る男と私の片方しかない目が合う。とても静かな、穏やかな目をした顎鬚の立派な方が座っておられた。これが毛利右馬頭元就様。
一緒に入ってきたのは年老いた男、何処となく刑部大輔殿と似ている。この男が右馬頭様の軍師、刑部大輔殿の父、志道上野介広良殿なのだろう。毛利を支える軍師、ゆっくり話を聞いてみたい。その上野介殿の向かい側には刑部大輔殿が座られた。
「殿、此方の方が山本勘助幸次殿に御座います」
「お初にお目に掛かります。御紹介頂きました、山本勘助幸次に御座いまする。こうして御会いする事が叶いましたこと、身に余る光栄に御座いまする」
「うむ、儂が毛利右馬頭元就じゃ。良く参ったな、勘助」
「はっ、少輔次郎様にお声を掛けて頂き、非才の身ながらお役に立ちたく馳せ参じました。少輔次郎様にお仕えする事、お許し頂けますでしょうか」
「待たれよ、勘助とやら」
今まで静かにこの場を眺めていた老いた男が口を開いた。刑部大輔殿が小声で「父、志道上野介に御座る」と教えてくれた。やはりか。
その上野介殿の目は此方を嘲る様な、非難する様な色がある。やはり私のような者が簡単に認められることはないのか。
いや、ここで諦めるわけにはいかぬ。私は少輔次郎様に忠誠を誓いたいのだ。少輔次郎様のお役に立ちたいのだ。御恩返しがしたいのだ。その為ならば如何様な恥辱にも耐えてみせる。
「話に聞くと今川家での仕官が叶わず無為な時間を過ごしていたようじゃの。以前安芸国に来た際には少輔次郎様に誘われたのを蹴っておきながらよくもまあ都合よく毛利家に顔を出せたものじゃ。厚顔無恥にも程があろう。毛利家ならば、吉川家ならば取り入ることが出来るとでも思ったのかの?」
鼻で笑いながら上野介殿は言葉を重ねてくる。どの言葉も心に刺さる。かっと頭に血が上りそうになる。だが、私はこの方と口喧嘩をしに来たのではない。少輔次郎様のお役に立つために来たのだ。瞬時に頭が冷える。
「お恥ずかしい限りに御座います。上野介殿が仰る通り、私自身も恥知らずだと思っております。ですが恥をかいてでも私は少輔次郎様にお仕えしたいのです。私のような者に少輔次郎様は気に掛けて下さいました。今川家には相手にされず誰からも声を掛けられず、自分は無価値だと諦めかけていた私が必要だと言って下さいました。私が少輔次郎様のお役に立てるなら死力を尽くします。私の一生を掛けてお役に立ってみせます」
「ふん、口ではいくらでも言えるもんじゃ。だが実績が伴わねばな?」
「はい、私にはこれといった功績は一切御座いませぬ。ですから一年、私に時間を下さい。必ずや功績を上げてみせまする」
「言うたな?二言は無かろうな?」
「ありませぬ!」
上野介殿と視線が絡む。初めから躓くわけにはいかぬ。その嘲るような視線を見つめた。見つめ合い、いや、睨み合いが暫く続く。
すると先程まで敵意を放っていた目が不意に綻び柔らかく微笑んだ。
その瞬間に上座から笑い声が聞こえた。何だ?見れば右馬頭元就様が笑っておられる。どういうことだ?訳が分からぬ。私が戸惑っていると上野介殿は頭を下げられ右馬頭様が口を開いた。
「いやあ、すまぬな勘助。悪いが試させてもらった」
「申し訳御座らぬ、勘助殿」
「あの、これは、察するに私がどのように反応するかを試されていた、と言う事で御座いますか?」
「その通りよ、さすがは次郎が見つけてきた賢者よ。察しがいいの。上野介、なかなかの役者振りであったろう」
「はあ…」
なんと、そういう事であったか。思わず息を吐いていた。安堵したのかいつの間にか力が入っていたらしい身体が瞬時に弛緩する。ホッとした。一連の流れは私への試練か。再び右馬頭様が口を開いた。
「次郎はの、一度気に入ったものは疑おうとせぬ。だからの、こうして儂らが確認させてもらった訳よ。だが、勘助の反応には次郎への忠義が既に感じられた。次郎は儂と話す時も其方を案じておったぞ」
「はっ、私には過分なほど気に掛けて頂き、有難いことに御座います」
確かに警戒するのは当然であろう。私のような牢人者を普通なら気に掛けたりはしないのだ。次郎様のその優しさは美徳ではあるが警戒心が薄いのは問題だ。私がその警戒心の代わりを務められれば良いが。それにしても右馬頭様にまでお話して下さっていたとは。
「改めて、良く来たな、勘助。儂から申し伝える。山本勘助幸次、吉川家への仕官を認める。以後は吉川少輔次郎元春の旗下に入りその忠を、賢者としての力を示すがいい」
「はっ!少輔次郎様に、毛利家に忠誠を誓い、必ずやお役に立ってみせまする。少輔次郎様の警戒は私が必ずや」
「うむ、其方が真の賢者であるならば次郎の耳目となってやってくれ」
「はっ」
頭を下げると右馬頭様、いや、殿が立ち上がり部屋を出ていかれた。ようやく私は仕官が叶ったのだ。それも今川とは比べ物にならないほどの主に仕えることが出来た。自然と拳に力が入る。胸に熱い者が込み上げてきた。早く少輔次郎様にお会いしたかった。
殿が居なくなると上野介殿が近づいてくる。その表情には私を軽んずるような意思は既に全く見えない。本当に芝居であったのだろう。同一人物とは思えぬほどの豹変だ。私の前に改めて腰を下ろすと再び頭を下げられた。同じように刑部大輔殿も上野介殿の隣に座られた。こうして並ぶとやはり顔が似ていた。
「改めて先ほどは随分と失礼な物言いをしてしまいましたな。お許し頂きたい」
「私からも謝らせて下さい。芝居とはいえ父が失礼を申しました。止めることもせずに申し訳御座いませぬ」
「頭を上げてくだされ上野介殿、刑部大輔殿。お二人は私を試すために必要なことをされただけの事。むしろ私のようなものを警戒するのは当然のことに御座います。私は気にしておりませぬ」
「そうか、そう言って頂けると有難い。儂はの、本当は勘助殿と話すのを楽しみにしておったのよ」
「私と、ですか?」
「うむ、城の大手門の石垣を見たであろう。あれこそ勘助殿の功績よ。先ほどは功績がないなどと言ってしまったがあれは紛れもなく勘助殿の功績。尼子が襲来した際には大いに役に立ちましたぞ。ですから、先ほどの功績の件はお気になさらないで下され」
上野介殿がそう言ってくれた。嬉しいことだがあれはただ私が口にしただけの事。それを功績とするのは気が引けた。それに可能であるならば一から立派な城を作りたい。今の私は新参者。どちらにしても功績は上げ続けなければ認められないのだ。
「いえ、あれは取り上げて頂いた少輔次郎様、実際に使って下さった殿の功績に御座います。そう言って頂けた事は嬉しく思いますが、私は改めて吉川家臣として功績を上げたく思います」
「そうか。いや、そうじゃな。我らが武士である以上、功績は上げ続けねばならぬからの」
「その通りに御座います。それに私自身、早く少輔次郎様のお役に立ちたいのです。そういえば、戦況はどうなりましたか?」
万が一も無いとは思うがこうして来たのに仕えるべき主が居なくなっていたでは悔やみきれぬ。私が疑問を口にすると刑部大輔殿が答えてくれた。
「どうやら引き分けたように御座います。兵に損害は出たようですが次郎様含めて将の皆様は御無事のようです」
「それは、良う御座いました」
主の無事に安堵する。いったいどのような戦であったのだろう。実際の話を聞いてみたい。
その日は様々なことを上野介殿や刑部大輔殿と話しながら過ぎていき、夜は上野介殿の屋敷に招かれて遅くまで城取りや、各地の情勢を語り合うことが出来た。上野介殿は齢七十を過ぎているそうだが全くそうは感じさせないほど精力的に動いており、また経験に基づいた博識さには感銘を受けた。
そうだ、私はこうやって過ごしたかったのだ。夢に見ていた武士としての生活だった。




