不遇の牢人
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一五四二年 山本勘助幸次
再びこの地を訪れることになるなんて当時は露ほども思ってはいなかった。七年前に訪れた吉田郡山城を見上げながらそう思った。
当時の私は駿河に帰ればきっと私の努力は実を結び、武士として活躍が出来ると思いを馳せていた。
だが現実は私の夢を早々に打ち砕いてしまった。いや、私自身が甘かったのだろう。
実際に駿河に戻ると私の居場所は無くなっていた。養子に入っていた大林家には新たな子が産まれており私は廃嫡されていたのだ。だがこればかりは仕方がない。私は自分の為に修行の旅に出ていたのだから。要は今川家に仕官が叶えば良いのだ。私は実家の山本の姓に戻り、名を源助から勘助に改めた。
亡父、貞幸の前妻の誼から今川家家老の庵原様を通し、今川義元様に仕官を願った。だが目通りすら叶わず門前払いだった。私は庵原様に理由を聞いた。納得がいかなかった。私はきっと今川家で活躍できる。必ず役に立てる自信があったのだ。
「名門たる今川にお前のような胡乱な男は必要ない」「旅をしていただけの男が兵法を究めたなど笑わせる」「その様な汚い風体の男は今川に相応しくない」
全てを否定された。
私が元服してから得た知識、各国を回って得た情報や能力、容姿や旅の行程、全てを否定された。
見た目がそんなに大事か、貧富貴賤がそんなに大事か。血が貴ければ偉いのか。実績が無ければ活躍は許されないのか、試すことすらしてはくれないのか。
…私のこれまでの努力は。片目を失い、指を失い、片足の自由を失ってまで得た私の知識は全て無駄だったのか。私は、私はいったい何のために…!
それからはただただ無為な時間だけを過ごした。実家は私が旅をしている間に今川家の内乱で没落しており、頼れるのは庵原様のみであった。庵原様は私を不憫に思ったのか、宿を提供してくれ、いずれはきっと義元様も仕官をお許しになられるだろうから諦めるなと励まして下さった。だが来る日も来る日もそのような吉報が訪れることはなく、私はやる気も自信も失いいつの間にか七年もの歳月が過ぎていた。
唯一の慰めになったのは旅の途中で出会った利発な幼子。安芸国におられる毛利鶴寿丸様の便りであった。あの場での社交辞令だと思っていたのだが駿河国について暫くすると本当に便りが来たのだ。
「汚れを落とせる石鹸というものを作った」「毎日土いじりをしている」「鶏は神の使いではなく食料だ。源助も食ってみろ」「田を改良して収穫が増えた」「初陣を終えた、戦は怖かった」「命令を無視して父親に叱られた」「尼子の大軍を撃退した」「陶隆房は変わり者だが恐ろしく強い」「元服をした、少輔次郎元春が新しい名前だ。格好良いだろう」「吉川家に養子入りすることになった、俺が当主だぞ、凄いだろう」「宇喜多という家臣を召し抱えた、吉川家は順調だ」「血狂い次郎という二つ名がついた、不本意だが利用しようと思う」
頻繁に便りが来るわけではないがそれでも次郎様自身の近況を丁寧に書いて来てくれた。最初の頃はたどたどしく幼さを感じた便りは枚数を重ねるごとに上達していく。あの方はいったい今、どのように成長されているのだろう。
…何故あの時に私は誘いを断ってしまったのだろう。喜びと共に後悔が日に日に増していった。そして便りには必ず私を案じる言葉が綴られていた。
「無理をしていないか」「体は大事にしているか」「源助ならきっと大事を成せる」「お前の名がこの安芸国にも響いてくることを楽しみにしている」
便りを見るたびに涙が止まらなかった。本当はすぐにでも安芸国に戻って鶴寿丸様、少輔次郎様にお仕えしたかった。だが偉そうに誘いを断り駿河に戻った私が今更どのような面で会いに行くことが出来るだろうか。そう思うと自分が情けなくて本当のことが言い出せなかった。だから嘘をつくことしか出来なかった。
「無事に今川に仕官が叶った」「心機一転して名を変えた」「誰それと政務に励んでいる」「戦に参加して首を上げた」「献策を取り上げてもらえた」「義元様の覚えも目出度い」「私は幸せだ」
どれもこれも嘘ばかりだ。だが私の嘘を知らない次郎様はいつも手紙で自分の事のように喜んで下さった。「勘助なら当然だ」「勘助をこの安芸国に留めておけなかったのが残念でならない」本当の私を次郎様が知ったらどう思うのだろう。私も早く、武士として活躍したい。次郎様の元で働きたい…!
そんな無為な時を多く過ごしていたある日、見覚えのない男が庵原様の屋敷に訪れた。どうやら私の客らしい。いったいこんな私に何の用があるというのだろうか。
「お初にお目に掛かります、山本勘助殿。私は吉川少輔次郎様が家臣口羽刑部大輔通良と申します。以後お見知りおきを」
目の前に座る男の口から一番聞きたくなかった名前を言われて思わず硬直してしまう。私の現状を一番知られたくない方の家臣が何故。
「ご丁寧な挨拶、痛み入りまする。ですが吉川様の家臣である貴方がいったい何用に御座いましょうか?」
あくまで何事も無いかのように笑みを浮かべて強がることしか出来ない。きっとこの刑部大輔殿は私の現状を既に知っているのだろう。にこやかな表情が曇り始める。
「主は勘助殿のことを案じておられました。それ故次郎様は上方に用事のあった私に駿河へ様子を見てくるように言われたのです。勘助殿の元気な姿を見てきてくれないか、と。ですが駿河について驚きました。何故貴方はこのような状況に甘んじておられるのですか?何故、主、少輔次郎様に嘘をつかれたのです」
「次郎様が…」
既に他国の人間である私を次郎様は未だに案じて下さるのか。それだけで胸が熱くなるのを感じた。私のような価値のない人間を。私はつくづく情けない男だ。刑部大輔殿に頭を下げる。
「申し訳御座らぬ。情けないことながら次郎様からの誘いを蹴ってしまった私には本当のことを言うことが出来ませなんだ。この通りに御座る…!」
「頭を上げられよ、勘助殿。それでは話をすることが出来ませぬ。では、正直に話して下さいますな?」
「分かり申した」
それからは正直に駿河での現状を刑部大輔殿にお話した。大林家で廃嫡されたこと。実家の山本家は滅びたこと。今川家では仕官が叶わなかったこと。話し終わると刑部大輔殿は嬉しそうに一度頷くと話し始めた。
「話は分かりました。勘助殿には失礼ですが、我が吉川家には僥倖に御座いますな。次郎様は常々仰っていました。勘助殿のような賢人を手放してしまったのは毛利家の損失であったと」
「それは、過分なお言葉有難う御座いまする」
正直今の私を見ても刑部大輔殿には全く理解できない評価であろう。わたしはただの牢人なのだ。
「私は貴方がどれほどの賢人であるかを知りませぬのでそれが正しいのか判断致しかねます。ですが、吉田郡山城の石垣を献策したのは勘助殿であるとか。それは本当に御座いますか?」
まさか一度会っただけの私の案を次郎様は本当にお話して下さったのか…!
「まさか吉田郡山城では石垣が作られたので?!」
「ええ、いかにも。少しずつでは御座いますが。あれは城作りに置いて地盤を固め土地を安定させ、水捌けも良くなりとても画期的なもので御座いました。あの石垣のおかげで防備を固められ尼子勢を押し返すことが出来たのです。そういった知識を他にもお持ちなのでしょう?そうであるならば私も教わりとう御座います」
刑部大輔殿は楽しそうにそう言われた。何という事だ。石材集めをするだけでも大変なはずだ。ましてやあの山上に築かれた城に運ぶのはかなりの重労働であろう。ただの牢人である私の案を実際に実行してしまうなんて。戯言と取られてもおかしくなかったであろうに。驚きながら聞いていた私に刑部大輔殿は更に楽しそうに笑い声を上げられた。この方は随分と明るい方のようだ。私に対しても忌避感がないらしい。
「どうですか勘助殿。いつまでもこうして逼塞しているならばいっそのこと吉川家に参りませぬか?次郎様もきっとお喜びになりまする!それとも今川家にはまだ未練がおありですか?」
刑部大輔殿は身を乗り出して私を誘ってくれた。正直、この誘いに乗りたくて仕方がない。だが私は本当に次郎様のお役に立てるだろうか。あれだけ以前は自信があり、試したくて仕方なかった自分の力が酷く頼りないもののように感じた。
「…私のようなものが次郎様の元に行っても良いのでしょうか?何年も牢人として過ごしていただけの私が」
「確かに、突然やって来た勘助殿に対して風当たりが強くなる可能性は無いとは言えませぬ。ですが、今の吉川家は次郎様を当主として新しく生まれ変わろうとしております。それに風当たりが強いのならば勘助殿自身が活躍して周囲を認めさせれば良いのです。やりがいが御座いましょう」
長い時間のせいで枯れていた気持ちに少しずつ水が注がれていくようだった。こんなところで一生を終わりたくない。私は私の価値を天下に示したい。なによりいつも気に掛けて下さった少輔次郎様にご恩を返したい。心は決まった。
「お誘い頂き有難う御座いまする。刑部大輔殿、心が決まりました。私も少輔次郎様にお仕えしとう御座いまする…!」
「おお、それは喜ばしいことに御座います。私は勘助殿を歓迎致しますぞ、是非これからは共に少輔次郎様を盛り立てて参りましょう!」
旅立つ準備をするため刑部大輔殿は一度屋敷から出ていき、再度明日迎えに来て下さることとなった。私はすぐさま屋敷の主、庵原様に許しを得た。庵原様は喜んで下さった。励ましては下さっていたものの仕官は難しいとお考えであったのだろう。路銀まで渡してくれるとは。恩を返すことが出来ぬのが心残りであるが吉川家で出世した暁には必ずご恩をお返しすると約束した。今川家などに未練などはもう無い。きっと、私は吉川家で活躍し今川家を見返してみせる。逃がした魚は立派な大魚だったのだと後悔させてみせる。




