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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文十一年(1542) 大友軍邂逅
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大友家の内情

いつも読んで頂きありがとうございます。40話まで続けることが出来ました。ブックマークや評価を頂き励みにさせてもらってます。

またしばらくは内情や説明回になるかと思います。よろしくお願いします。

一五四二年  戸次(べっき)丹後守(たんごのかみ)鑑連(あきつら) 



豊後国まで引いた大友軍は一旦、高田城に入り休息を取った。今、評定の間では戦に参加していた諸将が集まっていた。上座にはこの戦の総大将、大友(おおとも)五郎(ごろう)義鎮(よししげ)様が座っておられる。今回の目的は高森城を含む国境の大内方の城を奪うことにあった。だがそれはあくまで表の目的であって本当の目的は援軍に来た大内方の軍を壊滅させることだった。この一手を決めることにより豊前に楔を打ち込むことが可能になったはずだったのだ。


だが結果は失敗。それでも国境の城を落とすことは出来たし、良くはないが悪くもないと言ったところか。いや、言い訳よな。実際は失敗だ。体面を保つことが出来ただけなのだから。口には出来ぬが。まあ、収穫と言えば大内の次代の力を測ることが出来たこと。それに新しい楽しみを見つけたことだな。それにしても大事な兵を失ったのは痛いな。鍛えに鍛えた大事な儂の手足が蝕まれたような心地だ。毛利を甘く見ていた。流石に今回の強行軍は堪えたか。更に鍛えねばな。


「被害の方は如何であったか、丹後守(戸次鑑連)」


「はっ、予想以上に多う御座いますな。全軍で負傷者は千五百、死者は三百に上りましょう。負傷者につきましては治れば動けるようになりまするがちと時間が掛かるかと」


此方の被害は報告した通り予想以上だ。五郎様も目を剥いている。特に志賀軍と大友本軍の被害が予想以上に大きい。理由は分からぬが尾張守(おわりのかみ)(すえ)隆房(たかふさ))の軍が此方に軍を向けてきたためまだこの程度で済んだがあのまま本軍へ刃を向け続けていれば被害はさらに大きくなっていたことだろう。陶尾張守、性格に難はあるがやはり強い。


「そんなにか…ふむ、途中までは良かったのだが、惜しかったなぁ、謀り損なったか、越前守(えちぜんのかみ)


「ふむ、大内、…というより毛利ですな。毛利の力を見誤りましたわ。誠申し訳御座いませぬ」


「ふん、本当にそう思っておるのか、越前守?新しい玩具を見つけたと内心(はしゃ)いではおらぬか?」


「ははは!まさか五郎様、私はそのようなことなど露とも思っておりませぬが?」


上座より我らを眺めていた五郎様が今回の戦の発案者である角隈(つのくま)越前守石宗(せきそう)殿に声を掛けた。声には非難というよりもどうしてこうなったのか確認するような響きがあった。越前守殿は素直に謝罪するもその口調は軽い。白々しい笑い声が評定の間に響いた。この御仁はいつもこの調子だ。


越前守殿は根っからの軍配者。戦の前からどのように有利な状況に持ち込むか、実際に戦が起こった際にいかに敵を屠るかを楽しむ男だった。軽薄な物言いだが今回の作戦は確実に大内勢を仕留めうる作戦だったと儂も思った。態度に似合わず頼りになる御仁だ。それにこんな御仁ではあるが礼儀作法に明るく道理を弁えた信頼出来る御仁なのだ。大友家中でもこの御仁を慕うものは多い。


この作戦は大内とてまさか肥後に居た儂が動くとは予想が出来なかったはずだ。

儂の軍を以て大内本陣を強襲し大将を討つ。瓦解した大内軍を追撃したまま豊前に入り、国人衆を扇動する。それにより大内家の領土を分断すれば筑前国、肥前国は大内より独立すると踏んでいたのだ。だがこの越前守殿の作戦が珍しく外れた。やはり問題は毛利の存在だろう。だが作戦が外れたことを越前守殿は気にした様子もなくむしろ良き手合を見つけたとでも思っていそうだ。表情には、というよりその目は少年のように輝いているように見えた。


「話に聞くと毛利軍は早い段階から兄者の伏兵を察知し吉川を大内本陣に派遣してきたとか。これは誠に御座いますか兄者?」


そう尋ねてきたのは弟の中務少輔(ちゅうむのしょう)鑑方(あきかた)だ。陶尾張守を大友の陣深くまでうまく誘導してはくれたが暴れることが出来なかったせいか少し物足りなかったといっていた。作戦通りに大内本陣を潰すことが出来れば中務はそのまま陶軍に反撃する予定だったのだ。その作戦は本当に途中までは上手くいっていたのだ。中務も暴れることが出来たであろう。


「誠よ、中務。大内を仕留め切る前に吉川は此方に向かってきおった。方法は分からぬが事前に察知しておらねばあそこまで早く駆け付けることなど出来ぬだろう。越前守殿、これをどのように思われるか?」


「毛利は世鬼衆という忍びを抱えておるようですな。それに察知されたのやもしれませぬし、はたまた全く違う方法で察知されたのやもしれませぬ。いやぁ、興味深いですな。私は本陣に居ましたからな。ちと情報が足りませぬ。ですが毛利、いやぁ、実に興味深い。大内より面白そうですな」


顎鬚を撫でながら何度も頷く越前守殿は本当に楽しそうだ。時折毛の生えていない頭皮をぺちんと叩いては感心したように再び頷いた。五郎様も呆れたように越前守殿を苦笑して見ている。「やはり楽しんでいるではないか」そう思っているのだろう。


「毛利を率いていたのは右馬頭元就ではなく倅の安芸守だったのだろう?それ程の傑物か、安芸守(毛利隆元)は」


「今までは右馬頭元就の影に隠れている印象が御座いましたが、今回の戦で安芸守は弟たちを始め将を上手く動かしていたようですな。右馬頭(毛利元就)もよき息子を育てたようで、…五郎様も苦労しますなぁ」


「よさぬか、越前守殿。口を慎まれよ」


五郎様は毛利安芸守の実力を案じるように首を傾げると、越前守殿が皮肉交じりに安芸守を評した。その瞬間空気がひやりと冷えた。今まで黙っていた志賀(しが)安房守(あわのかみ)殿(志賀親守(ちかもり))が越前守殿に睨みを利かせる。当然だ、五郎様はお世辞にも御父君、我等の殿である修理大夫(しゅりのだいぶ)様(大友義鑑(よしあき))と上手くいっていない。


ここに居る誰もがそれを理解しているが一番それを危ぶんでいるのは他ならぬ五郎様だろう。

五郎様が嫡男ではあるが御三男である塩市丸(しおいちまる)様の存在が五郎様の立場を揺らがせている。殿は現在この塩市丸を溺愛しているのが大友に暗い影を落としていた。だからこそこの戦は五郎様の立場を固める好機でもあったのだ。


「良い、気にしておらん。俺が一番良く分かっているわ。だが越前守、少しは言い方を考えよ。傷つくわ」


「はは、何を仰せか。早々に御父君を見限っておられましょうに」


「さあ、何の事かな」


とぼける五郎様と(けしか)けた越前守殿が笑い声を上げ始めた。今この場に居る諸将は御嫡男、五郎様派の人間だから良いもののなかなかひやりとさせる内容よ。だが、この腹の据わり方、肉親すら見限る酷薄さがなんとも頼もしい。やはり大友の家督は五郎様に継いでもらわねばこの乱世は乗り切れぬ。(たちま)ち大友は飲み込まれよう。殿は残念ながら幼子の可愛さから目が曇ってしまった。


「それで、安房守。実際に毛利に対していたお前は毛利をどう見た?」


「はっ、予想以上に手強く初日は恥ずかしながら手古摺りました。小早川はまだ堅実でありましたので問題ありませんでしたが、吉川軍は気味が悪う御座いまする。兵一人一人が精強なうえに、笑っていたので」


「ああ、確か吉川兵は笑いながら戦をしていたそうですな。虚仮威(こけおど)しではないのですか?」


「中務少輔殿、そうであれば嬉しかったのですがな。精強に御座る。抑えるのに随分苦労した。笑いながら槍を振るう様に兵たちが怯えてしまってな。精強さと気味悪さでどうにも戦いづらかった」


「下々の兵たちに気味悪く思わせるのが狙いなのであろうな。真似をしたいとは思わぬが。丹後守、お前も吉川と矛を交えただろう。どうであった」


「安房守殿が仰った通り、まず兵たちがその気味悪さに慣れず押されました。それに笑いながら戦えるほどに鍛えられた兵たちなのでしょう。侮れませぬ。これが新たに吉川を継いだ右馬頭の次男の手によるものだとすれば今後も毛利は厄介な相手となりましょう。周防介共々、吉川の小僧はこの戦で消しておきたかったですな」


「周防介か。公家風情と侮っていたが武士であったか。丹後守にしては詰めが甘かったなぁ」


「はっ、申し訳御座いませぬ」


侮っていたつもりは無かったが、やはり心のどこかに慢心があったのだろう。楽しんでしまった部分も無いとはいえん。これでは越前守殿のことを悪くは言えんな。確かに消したかったのは本心ではあるが、一方でどうせなら奇襲などではなく真正面から打ち破り、その首を上げたいと考えてしまったのも事実だ。肥後での戦などよりも余程、心の渇きが潤う。


「ふ、まあいい。陶尾張守は相変わらず強さだけは本物だ。だがどうも斑気(むらっけ)が多いな。この斑を突けば有利に進めよう。越前守、陶は大内の隙にもなり得そうだな」


「そうですな、時間は掛かりましょうが手を入れるべきかと」


「そうだな。さて、色々と見るべきことは見れた。一定の成果も得た。勝つことが出来なかったは痛いがこの失態は肥後にて挽回することと致そう。どうやらゆっくり豊後で胡坐をかいている訳にはおれんようだ。皆の者、動いてもらうぞ」


「はっ」


吉川少輔次郎か。良い目をしていた。まだまだあどけなさを残す小僧だった。怯えもあっただろう。そんな心境ながらも儂に向かってきた勇気は称賛に値する。それに家来の忠心も得ているようだった。あの小僧の掛け声で兵たちは迷わず動いてもいた。如何せんまだまだ幼いがな。だが成長すれば良き手合いとなろう。ふふ、願わくば儂の手であの小僧を討ちたい。また戦場で相見(あいまみ)えたいものだ。


評定が終わると越前守殿が近づいてきた。その所作は無駄がなく何とも雅やかだ。はて、いったい何用だろうか。


「丹後守殿、貴方も良き手合いを見つけましたかな?」


む、何故気付かれたのだろう。これでも表情を隠すのは上手いと自負していたのだが。


「いやいや、私も久々に胸が躍りましてな。丹後守殿も見れば戦の後とは思えぬ良い目をしておりました。楽しそうで御座いましたな。それ故私と同じではないかと思ったのですよ」


「毛利ですな、国力はまだそれ程でしょうが、恐らく今後も伸長してくるでしょうな」


「この戦の前に安芸国にもちょっかいを掛けたのですが、どうやら右馬頭に上手く利用されたようで。なんともさすがは一国人から成り上がったお方、食えぬお方のようですな。是非此方に勢力を伸ばしてきて欲しいものですが。大内が邪魔ですなあ」


「贅沢をお言いになられる。いずれまた刃を交える日が来ることをお互い楽しみにしましょう」


「では先ずは肥後を落ち着かさなければなりますまいな」


「左様、今回のような中途半端なことは避けねばなりませぬ」


「先を思えば腕が鳴りますなあ」


「はは、誠に」


不謹慎ではあるが良い時代に生まれたものだ。思う存分自分の力を試すことが出来る。大内、毛利、まだまだ楽しみは尽きそうにない。



【初登場武将】


角隈越前守石宗  1519年生。大友家臣。軍配者。義鎮の軍学の講師を務めた大友の軍師。+11歳

大友塩市丸   1539年生。大友義鑑の三男。幼いながら父に溺愛され嫡男の義鎮を脅かす存在に。-9歳

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― 新着の感想 ―
[良い点] 大友陣営の、ヤンデレさんに対する勘違い具合が尋常でないwwm   次に大内VS大友の戦があったら、ヤンデレ全力ミサイルwが戸次軍に突撃して、率先して貧乏くじを引きに逝くから討死にさせない程…
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