合戦、終わりの時
一五四二年 吉川少輔次郎元春
結局あの後、大内・毛利連合軍は大友軍を打ち破るまではいかずに夜を迎えた。というのもあれから予想外の事が起こったためだ。いや、大友の作戦勝ちだったのかな、良く分からん。
俺たちから離れた戸次鑑連は大内の矛として大友本陣を脅かしていた陶軍をそのまま強襲。本当に強行軍なのかと疑いたくなるほどの体力だ。戸次鑑連が直々に育てた兵なのだろう。その力が陶軍の足並みを止めた。その後一進一退の攻防を続けていたのだが俺や周防介様と同じように陶隆房を鑑連は矢で殺そうとしたようだ。
そもそも乱戦の中なのだ。馬から下りれば狙われずに済むのだがそういった射手が出てくることを俺たちは頭から抜けていたというポカをやらかしている。陶隆房も例外ではなく矢を射られたが間一髪で避けたらしい。だがその際に頬をスパッと切ってしまった。
そう、大内太宰少弐義隆が愛した陶隆房の美顔を傷つけてしまったのである。
当然のことながらこれにより陶隆房は激昂。その怒りは今までにないほど激しかったらしく配下の制止を振り切り陶隆房は大友本陣を落とすよりも戸次鑑連を殺すことに専念してしまった。
陶軍も大将である隆房を放置できない。そのまませっかく肉薄した大友本陣を惜しみながら陶軍は隆房を守るために戸次軍と交戦。これを戸次鑑連が狙ったのかどうかは分からないがそのまま空が暗くなるまで大激戦を繰り広げてしまった。
戸次鑑連も陶軍の猛攻を必死に捌いていたようだが、ようやくここで強行軍が仇になったようだ。暴走した陶軍の猛攻にはさすがに耐えきれずかなり追い散らされたらしい。嘘か本当かは分からないが戦場には明らかに大友軍の死体の方が多かったようだ。それが今日の戦の顛末である。
この様子を俺は大内周防介様(大内晴持)と見ていた。勝ったと思ったんだ。二人で俺たちが耐えたことは無駄じゃなかったと喜びあっていた。だが陶軍は徐々に進路を変えていったときは本当に意味が分からなかった。
本来であれば何故本陣をそのまま潰さなかったのかと叱責ものではあるんだが、戦果としてみれば怒れない。なんといっても大内本陣を半壊させた上に戸次軍を追い散らしたのだ。それに間接的とはいえ戸次軍を引かせたのは陶軍の猛攻があったからだ。その時の周防介様の顔は何とも言えない表情をしていた。きっとあれが困った部下を持った上司の哀愁なんだろう。
陶軍、というか隆房自身は夜もそのまま戦を続けるつもりだったらしいがさすがにそれを許せるはずもなく周防介様は一度陶軍を退かせた。やはり隆房は慟哭したらしい。
「何?大友軍が撤退しただと?」
次の日、川の向こうは不思議なほど静かだった。不審に思った周防介様は斥候を出し大友軍の陣内を調べさせたところ撤退したということが分かった。そこで毛利も含めての軍議を開いた。
「このまま大友領に攻め込みましょう、周防介様!」
「ならぬ、此度の戦の目的は大内方の城の救援である。それは果たされたのだ」
「ですが私は!大友を!あの戸次を許すことなど出来ませぬ!ああ、出来ませぬとも!!奴らは愚かしくも太宰少弐様が愛して下さった私の顔を傷つけた!傷つけたので御座います!これは万死に値する!これを許すことなど出来ましょうか!!」
「尾張守、其方の気持ちは痛いほど分かる。だがこれ以上戦を長引かせるのはどうか。義父上が心配するのではないか?大事な其方が義父上の側に居なくてどうする」
「ぐっ…!ですがこの顔の傷の借りをまだ私は返せておりませぬ!周防介様!!私の気持ちを分かって下さるのならば更なる報復を!!」
「其方への義父上の愛は顔の傷程度で褪せる事などない。尾張守、其方が敬愛する義父、太宰少弐義隆は其方の顔に傷がついた程度で褪せてしまう程浅いものか?其方の忠義やこれまでの働きは顔の傷程度で無くなってしまう程軽いものか?」
「いいえ!いいえ!!そのようなことはあり得ませぬ!私の忠義や敬愛は山よりも高く、海よりも深いものに御座います。太宰少弐様の御心はこの空のようにどこまでも高く広いお心に御座います!」
「そうよな、其方の忠義や愛も、義父上の御心も、その顔の傷では褪せることはないのだ。分かったか、尾張守。其方の恨みは必ず晴らす時が来る。だから今は耐えよ。分かってくれるな。これは義父上の為なのだ」
「…くっ!分かり申した。この傷の恨みは必ず次回、必ずや返しまする…!!」
「うむ」
俺たちはいったい何を見せられているのだろう。きっと修羅場なのは間違いない。このまま尾張守殿が暴走して豊後国まで攻め入ってもこちらは攻城戦の準備はしていない。長期対陣する準備をしていないのだ。あくまでこの中津平野を守ることが今回の目的なのだ。
だから、この尾張守殿を止めることも大事なことなのは間違いない。間違いないのだが…。愛だのなんだのと持ち出されるからいまいち気持ちに寄り添えない。すごく疲れた気分になる。隣に座っている兄貴はこれを大内家で何度も見てたのか。慣れた様子でその様を見ていた。これが大内の日常なのだとしたら周防介様も苦労しているんだろう。激戦の後なのにすごく気が抜けた。
「それにしても安芸守、其方が次郎を送ってくれたおかげで私は命を救われた。本当に感謝しておる。毛利家の此度の働き。私は生涯忘れぬ。これからも其方らとは手を携えて共に乱世を乗り切りたいものだ」
「恐れ多いことに御座います。ですが、こうして再び周防介様とお話をすることが出来て嬉しく思います。手を携えるは我々も望むところ。これからもよろしくお願い致します」
「うむ、次郎も三郎も幼いながらよく戦ってくれた。これからも兄、安芸守を支えて毛利を豊かにすることを私は望む」
「はい、有難う御座いまする」
「我ら兄弟、兄、安芸守を支えまする」
「兄弟が仲良きことは良いことよな」
こうして相対する大友軍がいなくなったことでこの戦は終結することとなった。大友では大内の城を奪ったと喧伝し、大内では大友から高森城を守ったと喧伝し合うのだろう。大内軍は高森城に兵を残し警戒を強めるとのこと。毛利軍はこのまま帰路につくことになった。
手伝い戦のため毛利家が得られたものは大内からの兵糧、明からの交易品で絹物や生糸、それと明銭だ。この時代って銭は明からの輸入で賄っている。国内でも作られているんだろうけどそれは私鋳銭と呼ばれて公には認められていない、一部で使える銭ということだった。
この辺の知識って全くないからどうすればいいか分かんないなぁ。歴史の流ればっかり追ってたからお金のことなんて全く知らなかった。お金って作るの難しいんだろうか。史実では大内家は内部崩壊してその後は日明貿易は破綻した筈だろ?その後ってどうやって銭を輸入してたんだろ。密貿易?秀吉が天下統一したころは確か銭作ってたよな?んー、考えても分かんないからポイだな。現状は大内が滅びそうにないし日明貿易も多分続くだろう。
それよりも気になったのは陶隆房の毛利を見る目だ。前より視線がきつくなってる気がする。戦の前はあんなに毛利に友好的だったはずなのに、時々俺たちを見る目に棘がある。ような気がする。
馬上で揺られながらそんなことを考えていたら三郎が近づいてきた。
「次郎兄上」
「三郎か。どうした?」
「いえ、なにか考えているようだったので気になったのです」
「…また顔に出てたか?」
「それはもう。また百面相してました」
また指摘された。こればっかりはどうしても直らない。いつの間にか考え込んでるし。でもこれって割と致命的だよな。外交の場面で表情丸わかりだったら。その点三郎は俺より年下なのに表情を隠すのが上手い。いや、俺が下手すぎるだけか。
「…これって直るんかな?」
「んー、次郎兄上は不意に思考が沈みますから意識しないといつまでも直らないんじゃないですか?」
「だよなぁ。っと、考え事な。三郎は尾張守殿をどう見た?何か気になったことはないか?」
「?…いえ、私は特に。相変わらずであったな、とは思いましたが」
「…そっか。じゃあ俺の思い過ごしだったのかな」
三郎は気にならなかったのか。じゃあやっぱり俺の勘違いだったのかな。んー、いやでも陶隆房だもんな。そう考えていると三郎が顔を覗き込んでこちらを見ていた。三郎だけは俺や兄貴と違って可愛らしい顔つきだ。このまま成長すればモテるんだろうな。既に婚約済みだけど。
「尾張守殿がどうかしたのですか?」
「いやなぁ、なんか時々妙に毛利を刺々しく見てるような気がしてさ。でも俺の気のせいかもしれないから」
「…いえ、確かに尾張守殿であれば今回の毛利の働きに嫉妬を抱く可能性もなくはないのかもしれません。注意した方がいいかもしれませんね」
「気を付けるって言ってもよ。戦で手を抜いたりはさすがに無理だろ。今回だって俺は死ぬかと思ったぞ?」
「これといってどうするかは私も分かりませんがそれでも意識しておけば変わるかもしれませんし、太郎兄上にも後程確認しておきましょう。一番大内と関わりが深いのは太郎兄上ですし」
「そうだな、そうするか。…三郎」
「初陣、お疲れ様だな。お前が生きててくれて、本当に嬉しいよ」
死にかけた俺が言うのもなんだけど本当に良かった。こんな手伝い戦で可愛い弟を殺させるわけにはいかないもんな。俺がそう言うと三郎は年相応の可愛らしい笑みを浮かべた。
「次郎兄上が戸次軍の伏兵を止めてくれたからです。もしあそこで突破されていたらこうして話す事すら出来なかったでしょう。私の方こそ、次郎兄上が生きててくれて嬉しいです。有難う御座います、兄上」
「…俺は、三郎の兄貴だからな。弟を助けるのは当然だろ」
頭を下げた三郎の言葉に嬉しくなるもちょっと強がってしまった。ダサい兄貴だな。頬が熱い。でも今更ながら自分がちゃんと働けたのだと実感することが出来た。勿論戸次鑑連にはいい様にあしらわれて悔しい思いもした。あの攻防で兵が何人も死んだ。でもあの戸次鑑連、のちの立花道雪を止めることが出来たんだ。少しずつだけど俺は戦国武将として戦えてる。それが本当に嬉しくて三郎には見られないように小さくガッツポーズした。




