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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
享禄三年(1530)~天文七年(1538) 幼少期
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小さな決意

一五三二年




この松寿丸の兄貴が史実でいうところの毛利隆元だと思う。

毛利隆元は元就の長男だ。父親や弟たちの有能さと自分の不出来さを比較しては落ち込み、「自分の命はどうなってもいいから父を長生きさせてくれ」「偉大な父のもとに生まれる子は不幸だ」「弟たちが自分を蔑ろにしている」など随分と卑屈な性格だったらしい。そして言葉通り元就よりも早く亡くなっている。その死は病死だったのか暗殺だったのかは分かっていなかったと思う。


ただ、毛利隆元を知識として知ってる俺から言わせれば隆元も、弟の元春や隆景同様、いい意味でやべーやつだったはずだ。

隆元は内政能力に長けており独自の組織を作って毛利家の財務を司り、隆元が亡くなったせいで一時期毛利家の財政は傾いたりしてる。つまりは目立たない役目を担っていただけで毛利元就の息子の名に恥じないスペックを有している。それに人柄が良かったらしく人から信用を得られやすいという得ようと思っても得られなそうな才能を持っていたらしい。


それに戦面でも弟の小早川隆景の助力を得ていたとはいえほぼ独力で九州の雄、大友家とバチバチ戦争し、時には大友の雷神と恐れられる立花道雪とも戦っていたはずだ。そんな大友家相手に大きな敗北はしておらず、有利になったら無茶はせず将軍である足利義輝を利用し、上手く根回しして有利に和議を結んだりとしっかり毛利元就の後継ぎとして遜色ない活躍をしている。

早死にしたため目立たないががっつり有能だ。そう、有能なのに卑屈なんだ。なんでそんな風になっちゃったんだろう。でもとりあえず今はそんな卑屈な所は出てないみたいだ。目の前で微笑んでいる隆元、松寿兄貴は普通の優しいお兄ちゃんだった。俺の返事を待ってくれているんだろう。小さく首を傾げて見つめてくる。





「べつになんでもないよ。ちょっとかんがえごとしてただけだし」


「ふむ、そうか?随分面白い顔をしていたが、ふふ。それにしても鶴寿はだいぶ上手に話せるようになってきたな」


「まいにちあにきがあいて、してくれるからな」


「こうして可愛い弟が日に日に話せるようになるのは兄として嬉しいな。それで何を考えていたんだ?」


「う、え、えっと…ひみつ」



生まれ変わって赤ん坊からやり直した俺は必死に練習して喋れるようになった。

そのせいか松寿兄貴はよく来てくれる。年の離れた弟が可愛いんだと思う。中身は赤の他人なのが本当に申し訳なくて胸が痛い。その痛みはいつも見ないふりをした。


子供の舌は慣れていないせいか上手く動かせず喋れるようになるのに苦労した。前世の知識もあり、こうして考えられるおかげでどうやったらうまく喋れるようになるのか考えながら練習したおかげでだいぶ早い時期に喋れるようになったと思う。まだまだたどたどしい部分もあるが両親も知恵付きが早いと嬉しそうに話していたし、そんな喜ぶ両親を見て俺も嬉しい。前世の記憶があるとはいえ、ちゃんと両親だと認識できてるんだよな。不思議だ。一方では赤の他人だとも思っているのに。


それと何故か感情の制御というか自分の気持ちが露骨に漏れ出すのはなんなんだろう。精神というか思考はこうして、多分大人として考えられるのに口から出る言葉がガキっぽくなる。身体の成長に引き摺られる事なんてあんのかな…いや、また脱線した。


優しく微笑む松寿兄貴にいきなり「兄貴は優秀なんだから自信持て!」なんて言えるはずもない、言っても何言ってんだこいつと気味悪く思われるだけだろう。曖昧な笑みを浮かべて口ごもる。


「なんだ鶴寿?この兄に内緒事か?ほう、そうか。内緒事をする鶴寿には…こうだ!」


「ひえ!?ぎゃー!!あにきやめろっ!やめて!」


なかなか話そうとしない俺を見かねたのか、それとも隠した俺が気に入らなかったのか、不意に優しかった笑みが意地悪く変化すると姿勢良く座っていた兄の姿勢が崩れ両の掌がわきゃわきゃし始めた。

不味い!と腰を浮かして逃げようとするもそこは2歳と9歳。実力差は圧倒的で逃げるまでもなく捕まり脇の下へのくすぐり攻撃を喰らってしまう。前世の記憶がある身としてはくすぐりに身悶え、羞恥心に見悶えるのは色んな意味で堪える。

精神は大人のつもりだったがこの辺の感覚や意識は自然と身体の実年齢に引きずられやすい。無理矢理笑わせられながら必死に「ごめんなさい!」を繰り返したが松寿兄貴の攻撃は収まらない。そうやって兄弟でじゃれ合っていると部屋の外から年老いた声が響いた。


「松寿丸様、そろそろ勉学のお時間ですぞ」

「む、上野介(こうずけのすけ)。もうそんな刻限だったのか。…少し意地悪が過ぎたな」



どうやら兄貴を呼びに来たのは傅役の志道(しじ)上野介(こうずけのすけ)広良(ひろよし)のようだ。

この爺さんは人間50年と言われるこのご時世で90歳ぐらいまで生きたはずだ。確か元就の軍師的な役割をこなして、さらに京の都にもつながりを持ち元就の代理として朝廷や幕府とやり取りもできるスーパー爺さんだ。すげーよな。歴史好きとしてはこういう武将たちに会えるのは素直にわくわくした。これくらいの役得があってもいいよな?


今は多分60歳位だと思うが髪が白いだけで所作はきびきびとしてるし、それでいて動きが風雅で若々しい。声だけ爺ちゃんて感じだ。戦国時代にはこんなスーパー爺さんが稀に良くいる。朝倉宗滴とか龍造寺家兼とか。近所でいえば尼子経久とかもそうだ。


そんな広良が部屋の外の廊下で微笑ましそうに待っている。どうやらこのスーパー爺さんには兄弟の微笑ましいじゃれ合いに見えているようだ。俺の惨状は正確に伝わらないらしい。助けて欲しかった。

ようやく兄貴の手が止まった。少しやり過ぎたかとばつが悪そうに苦笑する兄は、ぜーはーぜーはー荒い呼吸を繰り返す俺を立たせる。逃げようと暴れたせいで乱れてしまった着物を整えてくれるようだ。

控えていた侍女が「若様」と声を掛けるも侍女には制止するように掌を突き出して、そのまま控えさせたまま着付け直すとゆっくり立ち上がりまだまだ小さい俺の頭を優しく撫でた。


「悪いな鶴寿。少しやり過ぎてしまった。許せよ。では行こうか上野介。またな鶴寿。」

「は、松寿丸様。それでは失礼致します、鶴寿丸様。」

「あ、あにき、こうずけのすけ…いってらっしゃい」


そう言って松寿兄貴は広良爺を引き連れ部屋から去っていった。見送りの言葉も息絶え絶えだ。俺も3歳になれば勉強が始まるんだろうな。でも今は息を整えるのが先だ。兄を見送ると再び床にぺたりと座る。すると一人の侍女が部屋を出て行った。そしてすぐ戻ってきた侍女の手には湯飲みがあった。きっと井戸から冷たい水を持ってきてくれたのだろう。有難い。騒ぎすぎたせいで喉が渇いていた。


「どうぞ、若様」


「ふう、ありがと。だいじょうぶだからさがっていいよ」


「はい」


湯飲みには井戸水が注がれ、暴れて汗ばんだ身体には心地よく感じるほど冷えていた。

持ってきてくれた侍女に力なく笑いながらお礼を伝えて下がらせる。誰かに仕えられるのはまだ慣れないが、早く慣れないとそれはそれで侍女や未来の家来に迷惑や不便をかけるだろう。仕えてくれる人間にはしっかり指示をしないとかいがいしく世話を焼かれる。侍女は慎まし気な笑みで頭を深く下げた後また部屋の隅に控えた。いない時もあるが今日はこうしてついてくれるらしい。


受け取った湯飲みに口をつけてゆっくり水を喉に流し込んだ。

この時代だからなのか、単純に井戸水だからか分からないがこの世界に来て驚いたのは水が美味しいことだ。地下水だからか温度が一定だし、どこかまろやかで美味かった。一息つく。

乾いた喉を潤しながら去っていった松寿兄貴のことを再び考える。



史実の毛利三兄弟はあの

「一本の矢は簡単に折れるが三本の矢を合わせれば強固になり簡単に折れなくなる。お前たちもこの三本の矢のように協力するんだぞ」と父の元就が説いた「三矢の教え」もある通り仲がいい印象を与えるが実際はそうでもなかったようだ。今の兄貴の対応を考える限り可愛がってくれてるんだから仲が良くても良さそうなんだけどな。


史実では弟たちで吉川家に養子入りする元春、小早川家に養子入りする隆景はそれぞれ養子入りした家を持ったせいでそれぞれの家を大事にし兄である隆元を蔑ろにした。相談するときも父の元就にだけして兄の隆元の元にはあまり顔を出さなかったらしい。ひでーよな。そのことで不満を持った隆元の愚痴の手紙なんかが結構残っていたりする。表には出せない不満やら愚痴やらを手紙に書き殴ったんだろう。


まあこの時代、家を持つ=一族郎党全て付いてくる。

元春も隆景も一族郎党を養わなきゃいけなくなったのだから余裕がなかったのかもしれない。一つの家族を養うだけでもかなり大変だろうに、家臣やその家族まで面倒見なくちゃならないわけだ。当主の判断ミスで一族が没落するなんてこの時代じゃ日常茶飯事だろうし、財を確保するだけでも大変だったはずだ。


だが、財務管理に才を見せていた隆元にはその一族の財を確保する苦労が見えなかったんじゃねーかなと思うんだよな。自分に自信がないっぽい隆元だ。自分が出来ることは父や弟も当然出来ると思っていても不思議じゃないと思う。だから弟たちの苦労も理解できなかったんじゃないか。まあ全部俺の勝手な妄想だから実際どうだったかなんて分かんないけど。


前にも考えた通り隆元が死んでから毛利家の財政は急激に傾き、それが回復したのは石見の銀山を手に入れてようやくだったと記憶している。隆元が亡くなってから石見銀山を所有していた尼子が大名として滅ぶまで少なくとも数年の期間があったはずだ。勿論尼子が滅ぶ前に毛利は最優先に石見銀山を奪取しただろうが、それでも安心して銀を採掘するには尼子滅亡は必須だったと思う。確かこの時代の石見銀山の銀の採掘量ってとんでもない量だったはずだ。


そう考えると石見銀山無しで毛利家の財政を支えていた隆元の重要性は明確だ。だがその重要性が発覚し、それが毛利家に知れ渡るのが隆元の死後だというのが寂しくもあり切ないところだ。

この状況にあってようやく元春と隆景は本家である毛利を優先するようになった。奇しくも隆元の死によってだ。


多分こんな兄弟関係だったからこそ松寿兄貴は自信を失ったんだと思う。死後に評価されたって本人には分からないし伝わらない。隆元が生きている間は、元春やこの後生まれてくる隆景は隆元が頼りないと見縊っていたんだから。

守るべき存在だと思っていた弟たちに見下され、そんな弟たちは飛びきり目立つ武功を立てていたら兄としての面子もズタズタにされたはずだ。自尊心を失い毛利家の跡継ぎなんて無理だ!と思っても仕方ないんじゃないかな。最も頼りになるはずだった弟たちが好き勝手しているのだ。その手綱を握ることに嫌気がさしても当然だと思う。もっとフォローしてくれる人がいれば良かったんだろうが史実の親父自体も松寿兄貴の真価に気付いてなかったっぽいし。



実際の元春が松寿兄貴を本当にどう思っていたかは知らないし知る手段もない。俺が不肖ながら元春になっちゃってるから。俺の考えは当然だが外れてる可能性もある。

けど俺自身はこの兄ちゃんが好きだ。しょっちゅう顔を出してくれるし気に掛けて世話を焼いてくれる。さっきも浮かべている笑顔は子供とは思えないほど柔らかく慈愛に満ちていて、この笑顔をずっと見ていたいと思うほどだ。

松寿兄貴はまさに理想の兄ちゃんといった存在だ。元春としてやっていけるか心細い気持ちも兄貴が側にいてくれると和らぐ。既に鍛錬と勉学に励んでいる兄貴は割と何でもそつなくこなしているらしい。家中でも評判だ。そんな兄貴は俺にとって目標になりつつある。俺の中身の年齢よりもきっと年下のはずなのに尊敬する。俺も兄貴みたいに何でも出来る男になりたい。



だから俺は史実のような兄弟仲は絶対阻止だ。この松寿兄貴を支えたい。この中身が俺になっちまった元春でどこまで支えられるのかは甚だ疑問だけど大好きな兄貴の為に頑張りたい。

もうすぐ生まれてくる隆景と力を合わせて兄貴を支えて兄弟3人で毛利を大きく出来れば兄貴の卑屈も表に出ないだろうし史実よりも毛利家を大きく出来るだろう。ある程度史実を知ってる俺がうまく立ち回れればいいんだが。いや、立ち回って見せる。それじゃなきゃこうして本物の元春を消してまで転生した意味がない。俺が兄貴を支えるんだ。



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