血狂い次郎と大友の矛
一五四二年 吉川少輔次郎元春
「次郎三(熊谷高直)!周防介様(大内晴持)に伝令、吉川が助太刀に参ったと!様子も見てきてくれ!」
「はっ!」
意表を突いたと思ったのに大友軍、いや、戸次軍の対応は早かった。戸次鑑連自身の指揮もそうだが兵たちの練度も高いのだろう。だが初めての吉川軍の笑う軍だ。多少なりとも奇襲の効果はあるはず。
それに今のうちに大内軍に立て直してもらわなきゃどちらにしたってジリ貧だ。俺たち吉川軍だってそんなに数が多いわけじゃないし、しかもここまで全力疾走してきたんだ。全力が出せる状況じゃない。
どうしたって大内軍の力は必要だ。頼むぞ、大内軍。
戦況は、若干俺たちが押してるがこれも走ってきた勢いそのままに突っ込んだからだと思った方がいい。いや、伏兵の将が戸次鑑連だからって兵たちまで戸次鑑連並みの強さな訳じゃない。きっと押せる、そう思うしかない。あー…、怖い。でも俺たちだって負けるわけにはいかねえんだ!大事な兄弟たちをこんなところで殺させるわけにはいかねえんだよ!
「次郎様!周防介様はご無事に御座います!肩を怪我しておられましたが指揮を執る分には問題なしとのことです!このまま両軍で伏兵を耐え凌ぐべしと仰っていました!それと丹後守は矢を射ってくる故、気を付けよと!」
「ご苦労だった次郎三、矢だな!」
伝令に出ていた次郎三郎が戻ってきた。
よし、最悪の状況は免れた。ここで既に大内晴持が瀕死とかだったら立て直しどころかここで俺たちも全滅だった。これならまだ何とか戦えるはず。大友の本陣だって今あの陶尾張守に攻められてるんだ。いつまでも悠長にここに居るわけにはいかないはずだ。それにしても矢か。周防介様の怪我はその矢で射られたってことか?気を付けねーと。つーか戸次鑑連って弓も上手いのかよ。注意しながらだがなんとしても耐え切ってみせる。
「俺たちも出るぞ!」
「何ですと!?なりませぬ次郎様!危険すぎます!」
「どちらにしたってここで負けたら俺たちは死ぬんだ!なら腹括れ!生きるために前に出ろ!それに俺は死なん!お前たちを信じているから死なん!権兵衛(佐東金時)!俺と一緒に来てくれるか!!」
「行きますだ!おらが若様を守りますだ!」
「次郎三は!叔父上(吉川経世)は!皆は来てくれるか!」
「くっ…!次郎様一人にはしません!某も行きまする!」
「はっはっは!それでこそ吉川の御当主に御座いまする!儂もお供致しまするぞ!」
「我々も、命に代えて次郎様を守ってみせまする!」
「よく言った!それでこそ吉川だ!俺の無茶を支えてくれ!」
「応!!」
「前線に伝えよ!そのまま一心不乱に敵を押せと!行け!」
「はっ!」
前線は孫四郎(今田経高)や兵庫(熊谷信直)、平左衛門(宇喜多就家)たちが支えてくれているだろう。伝令を出してそのまま俺たちも前に出る。皆を付き合わせちまって本当に申し訳ないが最悪刺し違えてでも止めてやる!
「吉川少輔次郎元春出るぞ!皆の者、俺に続け!!」
「オオオオオォォォォ!!」
前線を支える兵庫と孫四郎の軍から右に逸れるように俺の馬廻りを前に出した。ちらと左側を見れば体勢を立て直したのか大内勢も押し始めているようだ。このまま行け!
前線でぶつかっていた戸次勢の横合いに思いきりぶちかました。俺たちが出てくるとは思っていなかったのか戸次勢の前線が崩れていく。今がチャンスだ。そのまま馬上から見下ろし、見える敵兵に次々槍を突き出す。俺の乗っている馬、疾風号は勇敢な馬だ。敵兵を前にしても怯えたりしない。気性の激しい牡馬だ。こういう乱戦の中でも俺が槍を振るいやすい様に体の向きを変えてくれる。俺みたいなガキには勿体ないいい馬だ。だがある程度押し込んだところでついに膠着してしまった。決め手が足りない!
「若様、危ねえ!!身を倒して!!」
「!?…くっ!!」
権兵衛の叫び声に気付いて咄嗟に言われるがまま疾風にしがみ付く様に身体を寝かせた。次の瞬間にチッと金属同士が擦れる様な音が響き、俺の上を風切音が通り過ぎて行った。警戒するように身を屈めたまま矢が飛んできた方を見ると偉丈夫が弓を構えてこちらを窺っていた。あの野郎危ねえじゃねえかよ!!あれが戸次鑑連か!敵なのに見惚れちまうくらい様になってるじゃんか!
どうやら権兵衛が槍を突き出し矢を逸らしてくれたらしい。
本当にこいつは!俺の守護神最高か!そのまま権兵衛が咄嗟に腰から下げていた手斧をその偉丈夫目掛けて勢いよく投擲した。そのまま死んでくれ!と思ったがその偉丈夫は腰から刀を出すとその手斧を斬りつけて弾いてしまった。あの手斧弾くとかどんだけ頑丈な刀だよ。
「大内周防といい、貴殿といい。どうやら今日の儂の矢は神仏に嫌われておるようじゃ。命拾いしたな。吉川の小僧」
「お前が戸次丹後守か!俺の兵を甘く見るな!そう簡単に俺はお前に殺されねーぞ!」
「かっかっか!啖呵を切るならもそっと格好をつけてくれねばな。馬にしがみついたままでは台無しよ。だが良い臣下を持っておるようだ、小僧。大事にすることだ。まあ、大事にする機会は儂が奪うがな。貴殿だけでも死んでもらうぞ」
そう言うと、戸次鑑連は馬から飛び降り槍と刀を両手にそれぞれ握ってこちらに駆け出してきた。お前が単騎駆けすんのかよ!いや、これはチャンスだ!
「戸次鑑連が来るぞ!吉川兵よ!あいつの首を取れ!」
あっちから向かってきてくれるなら好都合だ。持っていた槍で戸次鑑連を指して周りに居る吉川兵に手柄を示す。高名な大将首だ。兵たちも戸次鑑連に殺到する。だが次の瞬間に恐ろしい光景を見た。
「何だと!?」
なんと吉川兵が弾き飛ばされたのだ。何つー馬鹿力してんだよ全く!これが戸次鑑連か!
止まらない、止められない。鑑連は進路を阻む俺の兵を無いもののように刀で攻撃を受け流し、槍で兵を吹き飛ばし確実に此方へ向かってきていた。普通の兵じゃ止められない。あの膂力に対応できない。ちらりと権兵衛を見た。権兵衛も俺を見ていた。互いに頷く。その瞬間に権兵衛は俺の元から離れて駆け出す。
「はアァァァァl!!」
「ふん!―――…ほう、なかなかの膂力よ」
駆け出した権兵衛の槍が頭上から戸次鑑連を襲う。それを鑑連は同じく槍で受け止めるが権兵衛の全力だ。予想以上に重かったのだろう。刀も槍に添えて両手で権兵衛の攻撃を防いだ。だがその表情はまだまだ余裕でこの戦いを楽しんでいるかのように口元には笑みを浮かべていた。
戦場の笑みはこういうものか。本物の笑みを見せられたようだ。戸次鑑連はこの戦を心底楽しんでいる。尼子の戦狂い、式部少輔誠久とはまた別の、強者の笑みだった。身体が震える。だがビビってる場合じゃない!
「死ね!鑑連ァァ!!」
権兵衛が必死に鑑連の動きを止めてくれているうちに馬から飛び降り渾身の力を込めて槍を突き出そうとした。だがその瞬間恐ろしいほどの何かを感じた。電気が走ったようにビクンと震えて身が竦んでしまい、握っていた槍を手放してでもその場から急いで離れて後ろに飛びのいた。呼吸が荒くなる。嫌な汗が背中を伝うのが分かる。自分がいた場所には鑑連が握っていた刀が突き出されていた。
権兵衛はいつの間にか飛ばされたのか膝をつき、鑑連を睨みながら片手で槍を握っていた。腹を抑えている。まさか今の一瞬で蹴られたのか。
「ほう、これも避けるか。殺したと思ったのだがの。良い勘をしているな」
褒められたがそんなことを喜んでいる暇は無かった。正直勝てる気がしない。蛇に睨まれた蛙になった気分だ。だが引けない、家族を守らなければ、俺の後ろには大事な人たちがいるんだから。心の中で霧散しかけた勇気の残りを必死にかき集めて腰から刀を抜いて構えた。権兵衛も立ち上がり槍を構える。もう一度、と駆け出そうとした瞬間。川の向こうからワッと大きな歓声が響いた。
「命を刈りそびれたようだ。無念であるがここまでとしよう。願わくば良き士となれ、吉川の小僧」
どうやら大友本陣でも何かあったらしい。相対していた鑑連からの圧力が弱まる。鑑連はすぐさま馬に跨ると槍を掲げた。すると戸次勢の圧力が急速に弱まっていく。だがその隙を突けるほどの余力を大内も吉川も残してはいなかった。追いすがれるほどの余裕がない。
まるで先ほどまで戦をしていたとは思えない気安さでそう告げた戸次鑑連率いる戸次勢はそのまま反転すると颯爽と去っていった。自身の本陣の救援に向かうのだろう。なんでまだあんなに元気なんだよ。くそ、舐めやがって。
でもこちらは追撃できない。重くないとはいえこの大内・毛利軍の総大将が怪我を負っているのだ。無理は出来ない。それに吉川軍の兵数は300、いや、今の戦闘でさらに減ってるだろう。怪我をした大将を抱える大内軍とは共闘出来ない。そんな少数で挑んだところで押し潰されるに決まっている。
見逃されたんだ。…悔しい。けど感じたことのない圧力から解放されて思わずその場に腰を下ろした。怖かった…。いや、今はそんな事より周防介様だ。容体はどんななんだ。別の敵の相手をしていた次郎三郎が近くにいたため呼んだ。次郎三郎も激しい戦闘だったのか血と泥で汚れていた。
「次郎三、前線の将兵の様子を見てきてくれ。かなり激しくぶつかっていたはずだ。被害状況も纏められるか?」
「お任せ下さい次郎様は周防介様のもとへ?」
「ああ、様子を見てくる。…お互いボロボロだな」
「でも生き残りました」
「そうだな、まずは良かった。それじゃあ、頼む次郎三」
乱戦の中に身を置いたせいかお互い鎧が乱れていた。兵たちはもっとボロボロだ。擦り傷切り傷は当たり前。大怪我すればもっと酷いだろう。徒歩の権兵衛もやはりボロボロだった。それでも生きていることをお互いに労うように笑みを浮かべた。
俺も立ち上がると権兵衛も近づいてきた。権兵衛の鎧にはくっきりと足跡が残っていた。今回も権兵衛には命を救われた。
「権兵衛、大丈夫だったか?」
「若様、へい、大丈夫ですだ。若様は?」
「俺も大丈夫だったよ。いつも守ってくれてありがとな権兵衛」
「勿体ねえだ、おらは若様が守れてよかっただよ」
「今から大内周防介様のところに行く。着いて来てくれるか?」
「勿論ですだ、お供するだよ」
戸次勢が去り、ようやく辺りが落ち着いたころ、吉川と大内の兵たちが周りを警戒する中で俺は権兵衛を伴って大内周防介様と顔を合わせることが出来た。
前線ではまだ戦が続いている。前線の大内勢はかなり深いところまで進軍している。下手に戻れば背中から攻撃を受けるため戻れなかったようだ。
周防介様は手当てをしていたらしく肩を露出させ包帯を巻いている。傷口からはまだ血が出ているのだろう。赤く染まった包帯が痛々しい。だが周防介様の表情は落ち着いている。
「吉川少輔次郎様が参りました」
「…おお、次郎か。此度の救援、本当に助かったぞ。其方らが来なければ今頃我らはこの地に骸を晒していたであろう」
「いえ、救援が間に合い本当によう御座いました。我が家臣、この佐東権兵衛が異変に気付いたおかげで早く動く事が出来たのです」
「ほう、どのように気付いたのだ?」
自分の名が出るとは思わなかったのだろう、背後に控えている権兵衛があたふたしている気配を感じた。だがこの救援が間に合ったのは間違いなく権兵衛のおかげだ。しっかりと権兵衛が自分の行ったことが立派なことだと理解させるために褒めてもらわないと。
「稲積山で鳥たちが一斉に羽ばたくのがおかしいと権兵衛が気付いたのです。私はその羽ばたく鳥が遠かったため見えなかったのですが、兄上も見えたらしく。それで軍が動いているのではないかと疑い急ぎ兵を動かしました。もし宜しければ周防介様よりお褒めの言葉をこの権兵衛に授けては下さいませんか?」
「成程、そのようなことが。いや、権兵衛とやら。其方のおかげでここに居る大内軍は救われた。良く気付いてくれたな。天晴である」
「へ、へい!お役に立てて光栄に御座いますだ」
「うむ、以後もこの次郎に忠義を貫くが良い。次郎も良い家臣を持ったな」
「はい、我が家臣はいずれも私の自慢に御座います」
「ははっ、良いことだ。何にしても我々は生き残った。いや、生き残らされた、かな。戸次丹後守がこちらを潰すことを優先していたら我々は危なかったであろう」
「…誠に」
「悔しいな、次郎。だが我々はまだ若い。必ずあの戸次丹後守を越えられる日が来ると私は思っている。この悔しさはきっと私たちを強くしてくれるであろう」
「はい、次こそは一矢報いたいと思っております」
「そうよな、私も一矢報いてみせるぞ次郎」
「はい」
そう言って二人で笑い合った。
命を懸けて共に戦ったせいか随分と気安い関係を構築できたように思う。この方は間違いなく尊い血筋の人間であるはずなのに、俺が描いていた名族意識のようなものがこの周防介様にはあまり感じられなかった。この人を死なせるようなことにならなくて良かった。
だけどこの胸には今回の戸次鑑連に対する恐怖と悔しさが刻まれた。でもきっといつかあの男に勝ちたい。俺を生かしたことをきっとあの男に後悔させてやる。




