戦始め、笑う吉川
一五四二年 吉川少輔次郎元春
日が明けた。今日も眩しい太陽の光が差している。もうすぐ太陽がてっぺんまで差し掛かろうとしている。いよいよ陣を組んで川を挟み両軍が睨み合う。九州というか大友も大内も歴史ある家だからだろうか、矢合わせの鏑初めというのが行われているそうだ。
俺も聞いたことが無くて近くにいる叔父の経世に聞いて知ったんだがこれから戦を始めるよっていう合図らしい。今回救援の為に攻めかからなければならない大内軍から「今から攻めるぞ」って意味で鏑矢という放つと音が出る矢を上空に高らかと放ち、それを受けて立つ大友軍が「受けて立つ」という意味で返事の鏑矢を同じく上空に高らかと放つことで戦が開始となるわけだ。
なんつーか、鎌倉武士って感じがした。正々堂々と戦う古風な習わしだ。あんまり戦国時代にそんなイメージを持っていなかった。大友なんて戦が始まる前から頻繁に姑息な手を使ってきてんのに。
戦前にそんな暢気なこと馬上で考えていたら大内軍から鏑矢が高々と射られた。笛の音のような甲高い音が戦場に響く。この瞬間だけは戦場の音が消えた。ただ笛の音が戦場を満たす。そして最初の音が聞こえなくなってすぐ大友軍からも鏑矢が射られた。再び戦場に笛の音だけが響く。何故か良く分からないが気分が高揚していくような気がする。
そして静寂が辺りを支配すると大内軍の右翼、陶軍から喚声が上がった。俺も負けじと声を張り上げて周りを煽る。吉川軍から徐々に毛利全体へ声が広がり兵たちを鼓舞した。
「弓構え!!名門かぶれの大友に本当の矢の威力を味わわせてやれ!放てえぇい!!」
俺の声に合わせて常備兵300程が一斉に矢を番え始める。俺も馬上から上空に弓を構えた。
ぎりぎりと弓が軋む音が響いてくるようだ。吉川家の常備兵には槍と弓が全員に支給され全員が一定以上の精度と威力をもたせている。しかも一般の弓より少し長めだ。膂力があればあるほど遠くまで射られる。普通の半士半農の兵士たちとは威力が違うはずだ。これだけの数を用意してくれた弓職人には感謝しかない。
一斉に放たれた矢は対陣の志賀軍の中軍へと降り注いだようだ。前方から驚愕の悲鳴が聞こえてくる。
よしっ!意表を突けた。敵の度肝を抜いたはずだ。なんせ中軍には楯なんて用意して無いだろうからな。ざまあみろだ。このまま矢筒に入った矢が無くなるまで射かけさせ続ける。一緒に参陣してくれた農兵たちは弓兵が射られないように楯持ちをしてくれている。順調だ。
「弓兵だ!敵の弓兵を集中して狙え!放て!!」
握っていた弓から矢が鋭く撃ち放つ。恐怖から手が震える。それでも奮い立たせて撃つ。正確に狙えてるわけじゃないし狙う必要もない。敵に当たってるのかまでは分からないがそれでいい。敵陣に雨のように矢を降り注ぐことが出来ればいいんだ。
それに敵とて無防備に構えてるわけじゃない。矢避けの楯くらいは用意しているだろう。だが俺たち吉川軍が中軍まで矢を届かせたことで楯がどこを守ればいいか分からなくなってるはずだ。
今の内に敵の遠距離攻撃を減らしてやる。そうすればこの後突撃するときに少しは楽になるはずだ。有難いことに駅館川は川幅は広いがそれほど深い川じゃないらしい。それ程被害を受けずに渡れるはずだ。夢中で矢を射っていたがいつの間にか背負っていた矢筒からは矢が無くなっていた。
既に陶軍は川を渡り始め大内本軍も前に出始めていた。俺たちも出なければ。
「権兵衛、槍くれ!」
「こちらにごぜえます!」
「今回も俺を守ってくれよ権兵衛!」
「勿論で!付いて行きますだ!」
すぐさま近くに控えていた権兵衛に手を伸ばすと俺愛用の槍が手渡される。こうして権兵衛が近くにいてくれるから安心して前に出れる。
「矢撃ち止めえい!!槍構え!吉川軍出るぞ!!」
「応!応!!」
「さあ、大友を笑いながら殺しに行くぞ!!はははっ!突撃だあぁぁぁあ!!」
勿論この笑いは虚勢だ。実際は震えるほど怖い。弓を撃つ手だって震えてたんだ。でもこうして虚勢でも笑っていれば前に出られる。バシャバシャと川の水を撥ねさせながら笑い声を上げて吉川軍が大友軍に喰らい付こうと距離を縮めていた。
敵は、敵の動きは。良く見えないが得体の知れない吉川軍の反応に腰を引かせてるように見える。矢もそれほど多く降り注いでは来ていない。よし、このまま食い付け!
「掛かれ!掛かれぇえ!!はははっ!敵を刺して喜べ!敵を殺して笑え!!」
どうやら先陣を駆けていた孫四郎(今田経高)が敵陣に辿り着いたようだ。大槍を振るう姿が見えた。そこからは続々と川を渡り切った吉川軍が次々と敵兵に襲い掛かっていくのが馬上から見えた。徐々に押しているように見える。前線から吉川軍の笑い声と敵の喚声が聞こえてくるが敵兵が気味悪がっているのが分かった。声に覇気がない。
そりゃそうだろう。相手だって百戦錬磨の常勝軍な訳じゃない。ただの人間だ。殺し合いの最中に敵が笑いながら槍を振るっているんだ。そんな軍を相手にしたことなんて今までないだろう。俺だってそんな気味の悪い軍を相手になんてしたくない。
そうやって気持ちだけでも優位に立てれば余裕も生まれる。こうして余裕を持って戦が出来たのは初めてだ。前線では勿論殺し合いをしているから見ていると寒くなるが無理してでも笑っていれば騙されたように元気になれている気がするのだ。あくまで気がするだけだけどそれでいい。怯える大将を持つよりも頼もしく見えるならいくらでも笑ってやるぞ。
「押せ圧せ!!大友軍に吉川の!毛利の恐ろしさを刻み込んでやれ!!」
そうやって志賀軍と吉川軍の押し合いが続いていく。確実に毛利軍が志賀軍を後退させている。後方を見れば兄貴の毛利軍も吉川を支えるように前に出てきてくれていた。隣にいる大友本軍から横槍を入れられないための補助が有難い。
小早川軍はきっと本陣にいるんだろう。明日先陣を切る三郎のためにもここで少しでも志賀軍の力を削ってやらないと。
兄貴が支えてくれている分前だけを見てられる。可能な限り押し込みたい。敵の数を減らしたい。そうやっているうちに兄貴の側近から伝令が届いた。
「安芸守様より伝令に御座います、現在大内軍優勢!志賀軍を押し込んでいるおかげで大友軍全体が徐々に押されているようです!吉川軍の体力は保つかと安芸守様は案じておられます!」
俺は隣に控えてくれている叔父の式部に視線を送った。俺の目から見ても吉川軍はまだ余裕があるように見えるが叔父上からしたら俺が気付かない異変に気付いているかもしれないと思ったのだ。
「今はこの流れを止めたほうが危険で御座いましょう。それに吉川軍はこの程度でへばる程やわな鍛え方はしておりませぬぞ!」
「そうだな叔父上、兄貴に伝えてくれ!このまま吉川軍は日没まで押すと。」
「畏まりました!確とお伝え致します!ご武運を!」
そう言って伝令は後方の本陣に向かって去っていくのを見送ってから視線を叔父上に向ける。叔父上は今の戦況に満足しているのか俺と目が合うと小さく頷き喚声に紛れないように声を張って話しかけてきた。
「予想以上ですな、次郎様」
「俺も驚いた!名門大友を俺たち吉川が押してるぞ!」
「普通の軍であればここまで押されれば既に崩れておりましょう、大友も侮れませぬ」
「そうか、では優勢だからと言って気は抜けぬな!」
「気を引き締めながらこのまま押しましょう!次郎様、笑顔ですぞ!」
「ははっ!そうだな叔父上!吉川軍は笑顔で戦だ!」
宇喜多平左衛門尉就家
普段から一緒に訓練をしている兵たちと共に前線で槍を振るい続ける。毛利家に来て吉川家に配属され今まで訓練と他国から来ているらしい賊を狩るために何度か槍を振るってきたが、この大友軍との戦こそが私にとって武士としての本当の初陣だ。
自分よりも背の高い槍を振り下ろして敵の頭を殴り、怯んだ敵兵を突き刺す。この密集した中ではそれが難しかった。だがこれが初めてではない。何度となく賊の討伐で経験していたおかげでいざ戦になってみれば無駄な緊張は無くなっていた。
当初は緊張していたのだ。まさか初めての戦がこのような大戦になるとは思わなかったのだ。私が聞いていた戦は確実に勝てるような戦で初陣を飾るものだった。むしろそれが当然だし当たり前だと思っていたんだが次郎様はそうではない。以前話していた抜け駆けの初陣が基準になっている節がある。それに今の毛利家にそれほど小規模な戦はなかなか発生しない。だからこそ領内に入ってくる賊で人殺しは経験したし兵の動かし方もそこで実践した。そこそこやれると自負もあったがいざ戦場に立ちしっかりと武装された正規の敵の姿を見ると身体が強張った。
あの時次郎様に声を掛けてもらわなければきっと私は緊張したまま戦に参加し不覚を取っていたかもしれん。気に掛けてくれている次郎様には感謝しかない。それに今この場には私の家臣たちの姿もあった。
長船又三郎貞親、岡平内家利、花房又左衛門正幸。
いずれも私と左程年が変わらない男たちだがこれ程心強いことはなかった。わざわざ次郎様が招き禄まで出して下さった。「宇喜多を再興させるならお前に必要な者たちだろう」と。嬉しかった。今小倉山城下にいる富川平助含め没落した宇喜多に今でも忠義を誓ってくれている者たちだ。こうして一緒に戦えることなど本来であればもっと先のことだったはず。
こうして背を預け合い、共に戦えていることが嬉しくて自然と笑みが漏れた。周りからも笑い声と共に吉川兵が槍を振るっている。左右を見れば又三郎も平内も又左衛門も笑っていた。笑いながら敵兵を殺す。言葉にすると恐ろしいがそれが今の吉川軍の原動力となっている。普段よりも勇気が出る、力が出る。
敵兵は最初から及び腰だった。必死に抵抗するように槍を突き出すだけで狙いがてんでバラバラだ。笑って戦うのは確かに疲れるがこれだけ効果が出るのだ。最初は突拍子もないことをと思っていたんだが。不思議なお方だ。着いていくのが楽しくなってくる。
「宇喜多勢、そろそろ前後を入れ替えよ!長続きしないぞ!」
「はっ!宇喜多勢、一突きした後入れ替わるぞ!」
「応!」
後方から指揮を執っていた兵庫頭殿の声が聞こえて前後と入れ替わる。こうして時折入れ替わって休憩を取るのだ。だが単純に休んでいるわけにはいかなかった。休める時は戦場を見る、兵庫頭殿を見る。前線で戦う兵たちの様子を見る。敵兵の様子を見る。この密集地以外にも敵の姿はないか見る。全てが勉強だった。
周りを見回していると平内が血で濡れた頬を拭いながら話し掛けてきた。この中では一番若いながら一番勇猛だ。
「平左衛門様、何を見ておられるのですか?」
「全てだ、見られるものはすべて見る。きっとこの景色全てが今後の勉強になる」
「成程、では我らもしっかり見なければなりませんね、又左衛門も見てみろ」
「あー。気が向いたらなー」
「おい、又左」
感心するように又三郎が私と同じように周りを見回し始めた。又左衛門は我関せずだ。この男は一番年上だが年上風を全く吹かせない。興味があることに対しては貪欲であるがそれ以外に関しては淡白だ。それでいて興味ないことでもそこそこ出来てしまう不思議な男だった。今は血の付いた槍先を拭っていた。それを見て平内が呆れたように呼ぶも掌でしっしっと追い払うような仕草をする。こうなっては命令以外聞くことはない。思わず苦笑してしまった。
でもこれで構わない。実際にぶつかる際はしっかり仕事をする男だ。こうして話しているうちに兵庫頭殿が近づいてきた。
「お主たち、怪我などしてはおらんだろうな?」
「はい、兵庫頭殿始め、皆様にはしごかれておりますので」
「ふはは!抜かしおるわ!減らず口が叩けるようであれば大丈夫じゃな」
一瞬、兵庫頭殿は何を言われたのか分からなかったのか目を丸くしたがすぐに呵呵大笑した。出陣する前まで緊張していたのを知っていたため心配で声を掛けてくれたのだろう。その私が言い返してきたため安心したように笑っていた。
「半刻程すればまたお主たち宇喜多勢に攻撃を代わってもらう。集中せよ、笑顔を忘れるな。百万一心ぞ」
「はは!畏まりました!」
私は今、しっかりと戦えている。槍を握る手はまだまだ力が入った。宇喜多はまだ死んでいない!




