中津平野の合戦、新生吉川軍初陣
一五四二年 吉川少輔次郎元春
「よくぞ参った。此度の援軍、誠に感謝しておる。久方ぶりだな、安芸守。ここまでの道中苦労したと聞いた。大丈夫であったか?」
「はい、周防介様。お久しぶりに御座います。吉田郡山城での援軍に我ら毛利は救われました。此度の我らの働きでその御恩が少しでも返すことが出来れば幸いです。大友の間者蠢いているように御座います。我々からわざわざお伝えすることもないかと思いますが大内家の方々もお気を付け下さいませ」
「うむ、そうだな」
山口に寄り道をしてから数日程掛けてようやく毛利軍は上毛郡に到着し大内軍と合流することが叶った。兄貴は九州上陸後すぐに大内軍に使者として国司元相を派遣し早々に互いの軍でやり取りする際の合言葉、山に対して川のように決めておくことにし、簡単ではあるが偽報対策とした。決めて早々に大友軍からの間者が一人捕まりそれ以降は偽報の類がほぼ無くなった。
これで終わりなのか、それともまだ仕掛けてくるのかは分からない。間者はバレた時点で逃げようとしたがすぐに捕まるとそのまま毒を服用して死んだらしい。お粗末な気がするがこんなもんなのかなとも思ったが今度は兵たちに要らぬ噂が流れている。どれもこれも大友軍の強さを誇張するようなものばかりだ。どうやら大友軍はこうして頻繁に罠に掛けようとしてくるのが好みらしい。鬱陶しい限りだ。今のところ毛利軍も大内軍も惑わされずに済んでいるが正直イライラはしてるだろう。
今俺たちの目の前にいる男が大内周防介晴持。兄貴より1歳年下らしいが立派な若武者だった。赤白紫等の糸が使われた色彩豊かな鎧、武士らしい凛々しい眉と雅な雰囲気が混在する何とも華やかな男だ。口調の尊大さもその雰囲気のおかげか自然と馴染んだものに感じられるほどでこれが育ちの良さってやつかー、納得させられるような感じだ。
「後ろに控えるのは其方の弟たちか?」
「はっ、私の二人の弟です。此方が吉川に入った少輔次郎元春。此方が小早川に入った少輔三郎隆景に御座います」
「吉川少輔次郎元春に御座います。兄共々よろしくお願い致します」
「ほう、其方があの。初陣では無茶をしたそうだな。もっと勇ましい姿を想像しておったが、いや、まだ十を超えたばかりであったか。此度も勇敢さを期待しておるぞ」
「は、大内家を代表する陶尾張守殿のように勇ましく、我が吉川の戦をお見せできればと思っております」
やっぱ初陣がそれなりに広まってんだな。まあ会話の糸口になってるから助かるか。それに陶隆房が暴走しないようにご機嫌も取っておかないと。多少でも毛利の印象は良くしておかないとな。
案の定大内代表が効いたのか陶隆房の顔に笑みが浮かぶ。
「うむ、殊勝な心掛けだな、少輔次郎殿。その意気や良し。我が陶の精兵と吉川の精兵で戦場を駆けようぞ!はっはっは!」
「はい、尾張守殿の露払いは吉川にお任せ下さいませ」
うんうんと上機嫌に頷く隆房の様子に毛利大内両家に安堵の息が漏れる。陶隆房に暴走される訳にはいかないのだ。今回はあくまで大友家を追い払うだけでいい。深追いすれば此方が危なくなる。その為にはある程度上機嫌に、余裕を持ってもらわねばならない。とりあえずは好感触だな。それにしても大内家中にも安堵の息が漏れるのは面白いな。やっぱり扱い辛いよね。
「其方が少輔三郎だな。此度が初陣だそうだな。大内が其方に立派な錦を飾らせてやる。存分に励むがいい」
「はい、周防介様、ご配慮を賜り恐悦至極に存じます」
三郎にも周防介様は声をかけてくれていた。こういう風に一人一人声を掛けている姿を見ると好感が持てる。気に掛けてもらえると分かれば好意的になるのは当然だな。
「ではそろそろ軍議を始めるとしようか。陶尾張守、毛利の諸将らに状況を説明して差し上げよ」
「はっ、では説明させて頂く」
そうして俺たち毛利勢は今この地で行われている大内対大友の攻防戦を知る。大友軍が豊前と豊後の国境付近の城を順々に寝返らせ降伏させてと落としていき、現在は駅館川の東岸にある大内方の高森城を囲んでいるらしい。豊前守護代の杉伯耆守重矩が急いで兵を出したことで辛うじて高森城は落ちずに済み今も頑強に抵抗しているのだが、それも時間の問題だろう。
早く救援せねばみすみす味方を死なせることになる。ここで高森城の救援に失敗すると豊前における大内の信頼が落ちかねない。豊前の地は大内家の杉一族が守護代として管理をしているが国人衆の力が大きいため救援に失敗すると大内頼りなしと形勢が大友に一気に傾く可能性があるのだ。
だが当初、陶隆房はこの戦に乗り気ではなかった。
何故なら陶隆房と杉重矩は仲がすこぶる悪い。それはもう酷い状態で当初隆房は杉など死なせてから大友を打ち破ろうと悪びれもなく言い放った位だ。それでいいのか大内家。こう思ったのは決して俺一人じゃないはずだ。今でこそ俺を含めて周りが必死にヨイショヨイショしたため機嫌が直ったがそれだっていつまで続くか分からない。
しかも隆房の忠誠心はあくまで義隆に向かっているものであり今回の総大将、晴持にではないのだ。勿論、義隆が大事にしている跡取りなので隆房も指示には従うだろうし一定の敬意もあるだろうが完全に抑えきれるかは未知数と言ってもいい。ひょっとしてこの戦、割と薄氷の上の戦況なんじゃね?と今更気付いたわけだが既に手遅れだった。
大友軍の総大将は抱き花杏葉の家紋の旗が翻っていることから大友一門、どうやら嫡男の大友五郎義鎮が総大将だと思われる。義鎮っていうより宗麟って言われた方がしっくりくるんだけどまだ出家してないからな。
この男は大友家の最盛と衰退の両方を経験しているなかなかジェットコースターな人生を送ってる男だ。まあキリスト教が絡んでからこの男は破滅していくわけなんだけど今はまだキリスト教も絡んでないからまともだと思う。つーか同い年なんだって初めて知ったわ。負けたくねーよな。
軍議といっても配置が決められるだけだ。駅館川を挟んで中央が大内晴持3000、右軍が陶隆房2000、左翼が毛利軍3000だ。
対する大友軍も同数の8000程、中央に大友義鎮、陶隆房に対する大友の左軍が戸次中務少輔鑑方、俺たちに対する右軍が志賀安房守親守とのこと。どの名前も大友家の重臣の名前だ。
かーっ、こんなん震えるわ。吉報なのは雷神の名前がないことだ。戸次鑑方の兄は有名な戸次丹後守鑑連。史実では立花道雪の名前で有名な男だ。この男はこの世界でも既に有名で大友家の武の象徴として各地を転戦している。今も肥後国方面にいるとの情報なのが唯一の僥倖だ。だが油断は出来ない。既に日も落ちてきており戦は明日より開始されるとのことで軍議は終了した。
毛利の陣に戻ってくると早速毛利内の陣触れを決めなければならない。陣幕の張られた毛利本陣で兄貴が中央に座り、左右に俺と三郎、そして今回伴っている将たちがそれぞれ座った。兄貴は見回すように首を動かすと一度頷きその視線を俺に定めた。おいおい、マジか?
「先陣は次郎、お前たち吉川軍に任せたいと思うが、どうだ?」
やっぱりか。でも仕方ないか兄貴本軍をいきなり矢面に立たせるわけにはいかないし三郎の小早川軍だって三郎が公式戦は初だ。いきなり先陣は荷が重すぎる。そうすると俺しかいない。それに先陣は名誉だ。そう思うしかない。でも、うわー、マジか!思わず唾を飲み込んじゃったよ。
「先陣の名誉有難く。毛利の武名に恥じぬように奮戦致します」
「うむ、期待している、次郎。よろしく頼む」
「はっ!」
良かった、声が上ずらなくて。慣れてきたとはいえ野戦はそんなまだ経験してないから怖いな。野盗なんかとは違うだろうし。いや、落ち着け。こういう時の為に訓練してきたんだ。空元気でも笑って見せなければ。
「中軍は私がつく。後軍は三郎率いる小早川軍だ。三郎、初めは戦の空気に慣れよ。明日は吉川軍と小早川軍は入れ替えるつもりだ。戦況をよく見ておくんだ。いいな?」
「は、ご配慮有難う御座います。明日は必ずお役に立って見せまする」
「うむ、大友の間者が何か仕掛けてくるやもしれぬ。警戒だけは怠るな」
「ははっ」
「何か気になることはないか」
配置も決まり最後とばかりに兄貴が周りを見回した。現状は特に懸念は無い筈だ。他の将たちも特にないらしく声は上がらない。
「ないようだな、それでは解散とする。夜襲の備えだけは忘れるな」
こうして毛利家の軍議は終了した。俺は先陣を切るために陣を前に出さなければならない。吉川軍の陣に入ると平左衛門(宇喜多就家)と次郎三郎(熊谷高直)が出迎えてくれた。今回出陣している式部(吉川経世)兵庫(熊谷信直)と孫四郎(今田経高)も近づいてきた。
「いかがで御座いましたか?」
代表して式部が尋ねてきた。叔父上は俺の心境と状況をある程度察してくれているんだろう。表情もどこか気遣わしげだ。でもここまで家臣たちに気遣ってもらうのも主としては良くないだろう。笑顔は嫌という程慣れているんだ。
「おう、叔父上。明日の初戦は俺たち吉川が先陣だ」
「よおぉぉぉしっ!!」
俺の言葉を聞いて真っ先に歓声を上げたのは孫四郎だ。本当にお前は戦大好きだな。いや、頼もしいんだけどさ。
「孫四郎、嬉しいだろう。明日は矢合わせから始まるだろうがもし敵とぶつかるときはお前が先陣を頼む、訓練の成果を発揮してくれよ!なんならお前の強弓で何人か偉そうな騎馬武者を殺っちまえ」
「ははっ!私にお任せ下さい!新しく生まれ変わった吉川の戦を大友にぶつけてやります!」
気持ちいいほどの爽やかな笑みで孫四郎はそう言った。頼もしいんだけど理解できないな、この辺りの武士の考えって。俺ならやらなくて済むなら戦になんて出たくない。まあ、避けられる戦自体がそもそも少ないか。孫四郎は内政にも少しずつ興味を示してくれてはいるが本業は戦だと思っている生粋の武人だ。弓なんかも俺なんかよりはるかに威力が高い。鎧なんかも易々貫くほどの剛腕だ。期待してるからな。次に俺は平左衛門を見た。こいつも三郎と同じく今回が初陣だ。珍しくいつもの笑顔が若干引き攣ってる。本当に分かりづらい。こんな時くらい表情に出せよ。まあ平左衛門だって緊張するよな。でもお前には目標があるんだろ。
「大丈夫か平左衛門。初陣だからって無理は絶対するなよ。お前には宇喜多再興って大きな目標があるんだ。こんな戦で死ぬことは絶対に俺が許さんぞ」
「…はい、申し訳ありませぬ。緊張していたようです。目標すら忘れていました。もう大丈夫です」
「おう、そいつは良かった。今日はお前を慕って長船又三郎(長船貞親)と岡平内(岡家利)、花房又左衛門(花房正幸)も参陣しておるのだろう。4人で支え合い一翼を支えてくれ」
「はい、必ずや支え切ってみせます」
よし、表情の硬さが取れたみたいで良かった。それに今回の戦には宇喜多の家臣も参加する。平左衛門を慕って駆け付けてくれた忠義に篤い少年たちだ。史実ではもう一人宇喜多三老の一人である富川平助通安がいるんだがまだ残念ながら元服していない。4歳くらいだから当然なんだけど。ただ平助含む富川家は、平助の母親が平左衛門の弟たちの乳母をしていた関係から誰よりも先に吉川に駆け付けてくれた。時期が来たらうちで元服してやらないと。
「兵庫、悪いが平左衛門たちの面倒を見てやってくれ。平左衛門たちは今後の毛利家に必ず必要になってくる男たちだ。こんな手伝い戦で死なせたくない」
「そうですな、若い者だけでは大変でしょうし儂が彼らを手助け致しましょう。平左衛門、よろしく頼むぞ」
「はい、兵庫頭殿。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」
「はは、硬いわ。もうちと気楽にな」
「有難う御座います」
これで平左衛門たちは大丈夫だろう。宇喜多家の面々は皆史実では平左衛門を支えて苦労を共にしていた忠義に篤い男たちだ。育てるなんて言い方烏滸がましいが少しずつ慣れてもらわねーと。
「式部の叔父上。すまんが俺に付いてもらえるか?まだまだ俺も不安でな」
「ふむ?そうなのですか?吉田郡山城の戦では果敢な指揮を執っていたと聞きましたが」
「いや、頭に血が上りすぎるかもしれん。大将が暴走するわけにもいかんだろ?だから叔父上に見ていてもらいたいんだ」
「なるほど、久々に血を滾らせていたのですがな。はっは、そういうことであれば承りましょう」
「すまんな、叔父上の活躍の場は別の戦に取っておこう」
「期待しておりますぞ」
そう言って叔父の経世は快活に笑った。最初は遠慮気味だった経世も最近では甥である俺を可愛がってくれている。血が滾っていたなんて言ってはいたが最初から俺に付いてくれるつもりだったのだろう。快く引き受けてくれた。
「次郎三も俺に付いていてくれ。伝令や繋ぎを頼む」
「畏まりました、お任せください」
小姓として俺に付いてくれている次郎三郎は自分から前に前にと出ようとはせず基本的に俺を立ててくれるように動いてくれている。こういう戦時にも身の回りの雑務を嫌な顔せずに引き受けてくれんだから大助かりだ。
よし、これで明日は安心して戦えるだろう。孫四郎も言っていたが新生吉川軍の力を名門かぶれの大友に見せつけてやるか!
【新登場武将】
杉伯耆守重矩 1498年生。大内重臣。豊前国守護代。陶隆房とは犬猿の仲。+32歳
大友五郎義鎮 1530年生。大友家嫡男。大友義鑑の息子。±0歳
戸次中務少輔鑑方1518年生。大友家庶流。重臣一族。戸次鑑連の弟。+12年
志賀安房守親守 1514年生。大友家庶流。重臣一族。+16歳
戸次丹後守鑑連 1513年生。大友家庶流。重臣一族。立花道雪で有名。史実では雷神と呼ばれるほど大友家の武の象徴。+17歳
長船又三郎貞親 1529年生。宇喜多家臣。史実の宇喜多三老の一人誠実な人柄。+1歳
岡平内家利 1530年生。宇喜多家臣。史実の宇喜多三老の一人。勇猛果敢±0歳
花房又左衛門正幸 1526年生。宇喜多家臣。弓の名手。+4歳
富川平助 1538年生。宇喜多家臣。後の富川通安。元服前。-8歳
今回は初登場武将が多いです。分かり辛くて申し訳ありません。




