暗躍と手伝い戦
一五四二年 吉川少輔次郎元春
今日も変わらずにデスクワークだ。代わり映えしないが平和な証拠だと自分を何とか奮い立たせて処理していく。平左衛門尉(宇喜多就家)から面白い話を聞いた。
どうやら俺は近隣で血狂い次郎という渾名をつけられているのだ。なんならもっとかっこいい渾名が欲しかったな。甲斐の虎とか越後の龍みたいなさ。まあこんな小僧には大層な渾名か。
平左衛門が話し始めたその話によると俺は近隣では血の気の多い次男坊で通っているらしい。佐東銀山城の戦で血まみれになったことがそこそこ知られており、血まみれになりながら初陣で城を落とした戦狂いなのだそうだ。俺は尼子誠久みたいな狂い方はしてねーぞ!
あの戦だってビビりまくって暴走しちまっただけだ。でも利用できると思ったから無理に修正しようとは思わなかった。戦狂い、狂人、大いに結構だ。
それで戦の時に相手がビビってくれればその分こちらが楽になる。なんなら兵たちも笑いながら戦するようにさせるか。笑いながら人を喜んで殺す悪鬼羅刹の吉川軍。敵も裸足で逃げ出すだろう。そんな適当に考えたことをぽろっとこぼしたら面白いこと好きな刑部(口羽通良)が食い付いてきた。
実際そう言った渾名や敵兵から見た印象によって楽になるのか試すのは俺も面白いと思って刑部の提案に了承した。まあ本当に笑って人を殺すやばい軍団が本当に出来ればさぞかし敵をビビらせることが出来るだろう。間違いなく正気を疑われるが。
でもこの印象のせいで敵が降伏してこなくなったらどうしよう。降伏すれば許されるって印象も同時に植え付けるようにしないと。
そんなこんなで今吉川軍の300に増えた常備兵は笑いながら訓練を行っている。傍から見ると狂気じみた訓練だ。昔は気軽に話しかけてくれていた領民にはドン引きされて近づいてこなくなる有様だ。急いでお触れを出したおかげで誤解は解けたが、一時吉川領内で吉川軍が乱心したとの情報が出回り、親父からもすぐに手紙が来たほどだ。相変わらず長い。
そして予想していたことだが兵たちからも評判は良くなかったが協力してくれと頼んだ。渋々従ってくれている。勿論領主の俺にそんな表情は見せないが、こう、伝わってくる雰囲気ってあるんだなと思う位には滲み出ていた。
俺と刑部は言い出しっぺだから誰よりも率先して笑いながら訓練した。しかも実際笑いながらの訓練は普通に訓練するよりかなりしんどいんだ。
ずっと腹筋を使ってるからいつもより消耗が激しい。すぐに息切れを起こす。それにかなり恥ずかしい。久しく筋肉痛なんて味わってなかった腹筋が久しぶりに痛くなったのは驚いた。
でも笑いながら訓練を続けたおかげで持久力とかかなり上がった気がする。試しに1日笑わずに訓練したんだがいつもより早く訓練が終わってしまったのだ。やり方はともかく効果があることは理解してもらえたので今は多少納得してもらえてると思う。
親父にも効果を伝えて毛利全軍にどうかと打診したが素気無く断られた。毛利全軍を狂気に落とすつもりかと手紙からもお叱りの空気が伝わってくるほど長い手紙だった。狂気に落ちたふりしてるだけだし。全く親父も失礼しちゃうよな。自覚が無いわけじゃないけどさ。
そんな訓練を続けながら収穫の時期が訪れた頃、小早川家に異変が起きた。中務少輔興景が病で亡くなったのだ。
半年位前から徐々に体調を崩し、最後は枯れ木のように衰弱死したそうだ。せっかく史実より長生きしたことでお袋も長生きできるんじゃないかと希望を見出していたのに。ひょっとしたら歴史を変えてもその辺の寿命は誤差程度しか変化はないのかもしれない。残念だな、気のいい兄ちゃんだったのに。
でもこの死によって小早川家は吉川家と同じく当主を失った。
興景は娘は居たが跡継ぎは不在だった。しかも兄弟もいなかったため小早川家中は早急に跡取りを準備する必要が出来た。どうやら小早川家の重臣、乃美弾正忠隆興が混乱する家中を纏めて親父に願い出たらしいんだが。
…なーんか手際良すぎね?いや史実もそんな流れだったし小早川家は死んだ興景の嫁が毛利家だから収まりがいいのも分かるんだけどさ。でも親父は史実こうだったよって俺が教えてるから踏襲したんじゃねーのって若干怪しんじゃうよなー。
まあ親父って大概、謀はほとんど誰にも喋らないから確認しようがないんだけどさ。それに小早川は毛利に完全に屈服していた訳じゃないからこの流れは毛利としては戦力が増強出来ていいことは間違いないんだし。
モヤモヤはするけど納得するしかないよな。謀将らしいっちゃらしいし。そう言ったわけで小早川家は毛利に完全に吸収されて次期当主には徳寿丸が推戴された。許可を取る必要はないんだが大内家にも事の次第をしっかりと伝達して徳寿丸が小早川家を継ぐことを許可してもらい、太宰大弐様(大内義隆)から偏諱を貰う念の入れ様だ。この辺の大内家から認められると正当性を得られる不思議な状況になっている。幕府が機能して無いから仕方ないんだけどね。
こうして徳寿丸も俺と同じく晴れて小早川少輔三郎隆景として元服を果たした。補佐には左近允(福原貞俊)と、親父の側近の三郎右衛門(児玉就忠)の弟、児玉内蔵丞就方が付き、毛利に協力的な乃美一族が付いて運営されていくことになる。
徳寿丸、じゃなくて三郎には小姓として乃美隆興の従弟、乃美新四郎宗勝が付いたそうだ。そして三郎は興景の娘、美代との婚姻が決まっている。7つ8つ年は違うからそれなりに成長したら結婚するんだろう。これで紆余曲折はあったものの俺の知ってる史実通り毛利両川体制が整ったわけだ。
でも隆景って史実だと子供出来ないんだよな。大丈夫なんだろうか。心配したところで俺にはどうも出来ないんだけど。
それにしても結婚かあ。なんかイメージ出来んよな。
史実の吉川元春には新庄局が嫁に入る。これは兵庫頭(熊谷信直)の娘だ。
狙いは元々安芸武田家の家臣だった熊谷家をしっかりと勢力下に取り込むための政略結婚だったり、元春自身が女性に溺れないための戒めのために結婚したなんて読んだことがある。こうも酷い言われようをされているのは新庄局自身が不美人だったというのが根底にある訳だけど今の毛利家と熊谷家の関係は順調と言って良い。兵庫頭や次郎三郎(熊谷高直)からは忠誠を感じれるしわざわざ政略結婚が必要なのかという気もする。それに熊谷家には何度かお邪魔しているんだがその娘には一度もあったことが無いんだよな。そもそも娘をわざわざ会わせるような真似ってこの時代中々無いんだけど。そんな事情もあって結婚に対して積極的に出れない。
絶対しないはこの時代有り得ない訳だが乗り気じゃない以上可能な限り先延ばししよう。でも既に兵庫からチクチク言われてるんだよな。はあ、腹括れるいい方法ないもんかね。いいや、日本人の得意技、必殺先延ばしだ。別のこと考えよう。
と思ったら書類が片付け終わった。くーっ。身体が怠い。背伸びをしていたら刑部と目が合った。
「さ、次郎様。今日も楽しく笑いながら訓練に行きますぞ」
「言い出したのは俺たちだから諦めもついてきてるんだけどさ」
「はい」
「慣れたくなかったわ」
「まあ、もう手遅れですがね」
「ちくしょう」
「ほら、諦めがついてるのでしょう。観念してください」
「そんじゃあ楽しく笑いながら訓練するぞー。…はあ」
言っててなんか切ないわ。
一五四二年 小早川少輔三郎隆景
「そういった訳で、毛利家の方々にもご協力をお願い致したく」
「成程。内容は分かり申した。我々も意見を纏めたく。次郎左衛門殿もお疲れに御座ろう、別室にてお待ち頂いても宜しいか?」
「はい、勿論構いませぬ。是非よろしくお願い致しまする」
郡山城の評定の間に末席ながらようやく参加することが許されました。この場には太郎兄上も次郎兄上もいます。やっと兄上たちと肩を並べることが出来ることに昨晩はなかなか寝付けませんでした。毛利家の重臣の方々もこの評定に参加しています。
収穫もだいぶ落ち着いたころ大内家からの使者が来たのです。使者は杉次郎左衛門隆相殿。
以前尼子軍がこの吉田郡山城に襲来した際に前小早川当主、中務少輔興景殿と共に私達毛利軍と一緒に戦ってくれた大内家でもしっかりとした権力を持っている重臣杉家の方です。
内容は大友家との戦の援軍要請でした。大友家が豊前国の豊後国の国境に兵を出してきたそうです。その数はおよそ八千程。でも大友と大内は幕府の仲介で和睦していたはずです。それを反故にしてまでの攻勢には幕府が都合よく利用されているのだということが良く分かります。このようなことすら許されるのが今の状況なのでしょう。
現在大内家は、尼子家から石見銀山を守ろうと石見国、周防国、長門国の兵を動かすことが出来ぬ状態のようです。その足りない兵数を補うため毛利家に援軍をお願いしたい、というのが今去っていった次郎左衛門殿の言い分のようですがこれは少しおかしいと思います。何故なら毛利家も尼子家と接しているのです。石見銀山よりは優先度は低いでしょうが襲ってこないという保証はどこにもありません。私たち毛利家も同じく危険なはず。
きっと狙いは別にあるのでしょう。おそらく大内家は単独でも撃退することは出来るはずです。ですが大内家は未だに毛利家に強い影響力があることを内外に示したいのだと思います。
毛利家は大内家より自立したとはいえ未だに対等とは言えない関係です。尼子家と大内家の両方を敵に回せるほど毛利家は大きくありません。ですから毛利家は大内家の要請を断ることが出来ないのです。
「行ったか。ふむ、詭弁じゃな。大内は毛利家に影響力があることを見せたいのであろうな」
「それにあまり太宰大弐様が長門国の兵を使いたくないのでしょう。戦への関心が無くなっているとも聞きます」
やはり。それに今太郎兄上が仰っていたことも耳にしたことがあります。とすれば毛利家は体のいい盾というわけでしょう。
「ですが兄上。断ることも出来ないでしょう。ここで断れば大内との関係がおかしなことになります。それに先の戦では大内の援軍により尼子を撃退しました。恩を返せと言われれば」
「ふむ、断れぬの。分かっておるんじゃ次郎。だが、ほれ、面白くないじゃろう?」
太郎兄上の言葉に次郎兄上が応えました。兄上たちの言う通りです。だからこそこの場にいる重臣たちの表情もどこか覇気がないのでしょう。
ですがこの手伝い戦で毛利が活躍すれば大内家への発言力も強まりますし毛利軍の強さを喧伝するのに利用できると思うのですが。私はまだ戦を知りません。だから私の考えは所詮子供の戯言と切り捨てられるかもしれません。ですがせっかくこの場に出られたのです。私も毛利家の為に力になりたい。
「あの、発言しても宜しいでしょうか?」
恐る恐る手を上げて声を出しました。気持ちが声に移ってしまったのか少し震えてしまいました。
恥ずかしくて少し顔が熱いです。ちらりと兄上たちを見ると太郎兄上は優しく微笑んでくれ、次郎兄上は膝の上で右手の親指を立てて白い歯を覗かせて笑みを浮かべていました。あの親指はどういう意味なのでしょう。たまに次郎兄上はよく分からないことをします。きっとあの親指もその類なのでしょう。
多分ですが私を励ましてくれているのだと思います。二人の兄を見た後、私は父上を見ました。評定の間の父上は普段私が知る優しい父ではなくまさに大名といった威風堂々とした武士の顔をしていました。思わず唾を飲み込んでしまいました。
「当然じゃ、少輔三郎。お前も元服しこの場に参加しているのだ。思いついたことがあるのなら言ってよいぞ」
「有難う御座います」
父はゆっくりと頷いて私の発言を許してくれました。いったいお前は何を話すのだ?と髭を撫でながら私を見ています。きっと私は試されているのでしょう。どことなく父上の表情に笑みが浮かんでいます。負けられない。私も父上の子なのです。
私は先ほど考えていたことを話しました。断れないのならあえて積極的に協力して毛利の武名を上げることに利用しようと。大内に借りを返し発言力を強めようと。
大友軍の数は一万程。毛利家は安芸と備後を支配下に置いたことで限界まで徴兵すれば九千位は動かすことが出来ます。勿論尼子への防衛も考えなくてはいけませんから備後は動かせません。そうなると安芸だけでの動員となると三千から四千程度でしょう。これだけの兵があれば戦にある程度影響を及ぼすことが出来ます。それに尼子は現在因幡国へ出兵していたはず。山名家とかち合う事となりましょう。こちらへの出兵までは難しい筈です。
そのことを伝えました。父上は私の話を目を閉じて聞いています。父上は何を考えているのでしょう。その表情からは何も窺えません。私の考えは父上に合格を貰えるでしょうか。黙って聞いていた父上が目を開きました。
「ふむ、良く状況を理解しているな三郎。その成長を儂は嬉しく思う。皆、三郎の意見についてどう思う?」
今まで無表情だった父上が初めていつもの優しい笑みを私に浮かべて下さった!
ああ、良かった。発言して本当に良かった。私の提案について皆に意見を求めます。真っ先に口を開いたのは次郎の兄上でした。
「賛成!賛成です父上!いやあ、さすが三郎!素晴らしい意見だった。俺は「次郎、少し黙っておれ」
満面の笑みで私の意見に賛同してくれました。次郎兄上は私にいつも優しい。それがこそばゆく、でもあまり甘やかさないで欲しいという思いもあります。さらに次郎兄上が何かを言い募ろうとしていたようですがそれは太郎兄上に遮られてしまいました。もう一人の優しい太郎兄上が珍しく次郎兄上を目で制しています。その睨みを見た次郎兄上はすぐに黙ってしまいました。一連の流れに評定の間には弛緩した空気が流れます。
「父上、私も三郎の意見に賛同致します。どうせこの申し出は断れないのです。利用しようという三郎の意見は尤もと思います。それに大内の総大将はおそらく周防介様(大内晴持)か尾張守殿(陶隆房)でしょう。余程のことがない限り負けることはないかと思います」
「太郎も次郎も賛成か。まさか兄弟の情で賛同した訳ではあるまいな?」
「勿論です、父上」
「えー、多少燥いでしまいましたが意見自体は私も考えて賛同致しました」
「ふ、この戯けめ。ほかに意見はないか?こやつらが賛成したとて反対でも構わぬぞ」
父上はさらに意見を求めました。ですが重臣の方々も反対はないそうです。皆賛成してくれました。知らぬ間に力んでいたようで小さく吐息が漏れます。
「ふむ、では毛利は大内に援軍を出すということで決まりじゃな。此度の援軍の総大将であるが。安芸守、行ってくれるか?」
「私で御座いますか?父上が行かずによろしいのですか?」
「儂はちとやらねばならぬことがある。それに大内家の相手ならば儂よりも人質に行っていた其方の方が適任であろう。受けてくれるか?」
「畏まりました。此度の援軍の総大将、承りまする」
「うむ、少輔次郎。其方は兄、安芸守を支えてやれ」
「え、俺もか?」
「なんじゃ、不服か?」
「いや、分かりました。兄上、よろしくお願い致しまする」
「ん、次郎、よろしく頼む」
「おう」
「少輔三郎も初陣を飾って来い」
「はぇ?あの、宜しいのですか?」
驚きから変な声が出てしまいました。恥ずかしい。まさか私も初陣が許されるなんて!賊の討伐などで軍を動かした経験はありますが正式な初陣はもっと小さな戦でするものと思っていたのですが。
「兄が二人もいれば其方も心強かろう。それに其方の小早川家の水軍がいれば九州に渡るのも楽であろうしな」
「わ、分かりました!あの、兄上方、よろしくお願い致します!」
「頼むぞ三郎、期待させてもらう」
「俺みたいに無茶をしちゃ駄目だぞ三郎」
「自分で言うな次郎」
「俺が言うから説得力があるんじゃないか兄上」
「ふはっ、違いないな」
ふふ、兄上二人と戦に出られるなんてなんて心強いのだろう。それに側にはいつも左近允が控えて支えてくれているし、弾正も頼もしい男だ。きっと私も兄上たちのように立派に初陣を飾って見せます。
【新登場武将】
乃美弾正忠隆興 1513年生。小早川家重臣。小早川庶流の家。+17歳
児玉内蔵丞就方 1513年生。毛利家臣。児玉就忠の弟。水軍の将。+17歳
乃美新四郎宗勝 1527年生。小早川家臣。乃美隆興の従弟。+3歳
小早川美代 1540年生。小早川興景の娘。隆景と婚姻。-10歳




