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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文十一年(1542) 大友軍邂逅
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新産業と血狂い次郎



一五四二年  吉川(きっかわ)少輔次郎(しょうのじろう)元春(もとはる)



年が明けてから既に5ヶ月が経過した。今日は茶樹の苗木を植えるところに俺も参加している。九郎左衛門(堀立直正(ほたてなおまさ))が頑張ってくれたおかげで綿花の種と茶樹を仕入れることに何とか成功した。

九郎左衛門は俺と同じくお金、銭が大好きな男だ。何度か顔を合わせたことがあるがなんとも恰幅の良い細目の男だ。それでいて抜け目なさそうな鋭い目をしている。石鹸を作った頃に安芸武田家を裏切り、毛利家に今は尽くしてくれている。会う度に二人してニヤニヤしては周りから怪しまれている。だがいいんだ。俺は変わり者だからな。それにこの時代で金のことを真剣に考えられる武将がどれ程いるだろう。


武田家では銭の管理を任せてもらってはいたらしいが好き放題に商売をさせてもらえていた訳では無かったようだ。むしろ『武士のくせに銭などと。』と嘲笑されるほどだったらしい。

まあ武田家は歴史だけは古い家だからな。銭を馬鹿にしていたんだろう。まあ、この時代の武士は多かれ少なかれそんなもんだけど。それをずっと不満に思いながら仕えていたところに毛利が突然商売に力を入れ始めていた。

九郎左衛門には余程羨ましかったのだろう。声を掛けたら驚くほどの身のこなしでこちらに寝返ってくれた。


以降は毛利家と商人の繋ぎを作り商人のまとめ役として毛利家では重宝されている男になった。商売を馬鹿にされず、むしろ奨励してくれる毛利にはかなり恩義を感じてくれている。


それに九郎左衛門のような男が出世すれば内向きの仕事でも活躍出来るんだと武士の意識も変わってくると思う。やっかみもあるだろうが俺世代の若い連中なんかはその傾向が顕著だ。戦働きが好きな奴も戦が無い時は内政に目を向けるようになってきている。


今回も九郎左衛門は綿花や茶畑が美味しい銭の生る木に見えたのだろう。だいぶ無理をして手に入れてくれたのだ。綿花は郡山城下や五龍城下で細々とだが栽培が始まっている。綿花の栽培は三河国(愛知県南部)の方で徐々にだが盛んに行われ始めている。三河国は安芸国と同じく一向宗が盛んな国柄だ。だから綿花の種の売買も比較的問題なく行うことが出来たそうだ。同じ宗教を信じる者同士の繋がりを大事にしようという事らしい。


一向宗って前世の時は厄介なものに感じてたんだが国が乱れさえしなければそれ程脅威という程ではないのかもしれない。元々安芸国の土壌に一向宗が根付いていたこともあるが毛利が民を虐げない限り民も毛利家に従順に従ってくれるのだ。でも逆に考えると国が乱れて民が虐げられれば平気で武士にも反旗を翻すってことだよな。やっぱり厄介か。

まあ、なんにせよこの一向宗との付き合いにより手に入れた綿花の種は今後毛利に利益を齎してくれるだろう。小倉山城下にも種を分けてもらい栽培させてもらっている。


逆に茶樹の苗木の購入には難航したようだ。こちらとしても予算が無限にあるわけじゃない。だから値段交渉がかなり難航したらしい。だがここでも一向宗というか本願寺が協力してくれたそうだ。つーか、この時代は宗教の力が驚くほど強い。なんで茶樹すら融通利かせられるんだよ。数年前に上方で法華宗とやり合って痛手を受けていた筈なんだけどな。


現代では正月に初詣したり、人が死んだ場合に呼んだりするくらいしか寺との関りが無かったけどこの世界は未だに神や仏が深く信じられている。それに本願寺の教えは民たちが理解しやすい様にかなり噛み砕いて浸透させている。「南無阿弥陀仏と唱えれば救われるよ、さあみんなも唱えよう!」「仏のために戦う君たちはまさに御利益を一身に受けてるよ!これで死んでも極楽浄土に行けるから精一杯戦おう!仏さまも見てるよ!」みたいな感じだ。


現代日本でこんなこと聞いたらどんなカルト宗教だと一笑に付すところだがこの時代は違う。民たちからしたら徳の高いお坊さんはまさに仏の代理人だ。そんな人からの有難いお言葉なのだ。死後の幸福が確約されるならと平気で命を投げ捨てる。だって現世は辛いだけだから。せめて死んだら幸せになりたいと縋ってしまうんだ。


そりゃあ十年も織田信長と戦い続けられるはずだと納得できた。怖いよ、死が怖くない民たちが言葉通り命を投げ捨てて襲ってくるんだから。そんなのと戦いたくない。


毛利は一向宗と上手くいっている。関係に水を差したくないからあまり俺は関わらないでおこう。なんならこの世に絶望してる民たちに、この世も楽しく暮らせるんだと証明しながら領土を広げていけばいいんじゃないか。実際に毛利領では民たちが必死ながらも楽しく生きることが出来るようになってきている。そんな風に国を作れるようになればいい。そうすれば宗教に縋らなくても生きていけると分かるだろう。


それにしてもこれでようやくお茶の栽培が出来る。協力してくれる栽培のプロも一緒に来てくれたからこれで栽培は無事に出来ると思う。苗木が次々植えられていくのを見ながらそう思った。

こうして新しい産業が安芸国に根付いていくのを見ていると俺がこの世界に来た意味が多少なりともあるんじゃないかと実感する。あー、早く熱くて旨い茶をずずっと飲みたいわ。楽しみ楽しみ。






一五四二年  宇喜多(うきた)平左衛門尉(へいざえもんのじょう)就家(なりいえ)



「は?俺が血狂い次郎って、なんだそれ?」


今日も書類作業があらかた片付き皆で休憩していた。話題になればと思い私が備前に居た頃に聞いた少輔次郎様の噂を口にしたのが始まりだった。この場には改名した兵庫頭(ひょうごのかみ)殿(熊谷信直(くまがいのぶなお))、刑部大輔(ぎょうぶたいふ)殿(口羽通良(くちばみちよし))、次郎三郎(じろうさぶろう)殿(熊谷高直(くまがいたかなお))、地名の市川より名を変えた市川少輔七郎(しょうのしちろう)殿(市川経好(いちかわつねよし))、私に少輔次郎様がいた。少輔次郎様は私の話を聞いて怪訝そうな表情を浮かべ首を傾げている。


「はい、少輔次郎様が元服前に初陣を飾った、確か佐東銀山城の戦でしたか。そこで十にも満たない幼子、少輔次郎様が血まみれになりながら城を落としたと備前にも噂が流れて参りました。幼子でありながら血にまみれて戦に参加するほど血の気が多い毛利家の次男様。それで」


「血狂い次郎ってわけか」


「はい、左様に伺っております」


「はえー…血狂いねぇ」


何とも間の抜けた表情で次郎様は声を上げられた。兵庫殿と刑部殿は一緒に参加していたから知っているのだろう。おかしそうに声を上げて笑っている。はて、なにやら事情がありそうだが?


「流石に御座いますな、血狂い次郎様」


「ははっ、良き渾名(あだな)に御座いまするな、血狂い次郎様」


ニヤニヤと笑みを浮かべるお二方に不満げな次郎様。毛利家、特段吉川家は当主と臣下の距離感が近く仲が良い。浦上家ではあり得ぬほどだ。


「…おい、止めろ兵庫も刑部も。お前たちは俺の醜態を知ってるだろ!」


「醜態に御座いますか?」


次郎三郎殿は参加していなかったのか。興味深そうに首を傾げて次郎様を見つめている。次郎様はバツが悪そうに視線を逸らして不満げにしていた。兵庫殿も刑部殿も注意されても未だにニヤニヤしている。

次郎三郎殿の視線に耐え切れなくなったのか脇息に凭れながら不満げに話し始めた。


「はあー…。あんまりあの時のことは思い出したくないんだよなあ。まあいい、話すか。笑い話にしてくれた方が俺も気が軽くなる」


『どこから話すか』と悩むように視線を彷徨わせた後、次郎様は言葉を続けた。


「俺はさ、あの戦で盛大に怯えてたんだよ。なにせ初めての戦だったし、あんなに沢山の人間たちが死ぬのを見たのは初めてだったからな。今も正直あまり人の死は見たくない訳だがそれはいいか。それでさ、その恐ろしさに腰が引けちまったんだけど、それでも何か俺も武功を上げなくちゃって暴走してな。親父には無理をするな、お前は見ているだけでいいって言われてたのを無視して、兵庫と刑部を口から出任せに丸め込んで抜け駆けしたんだよ」


「なんと…!」


あの戦ではそんなことがあったのか。それにしても普段からぼーっとしている次郎様でも戦が怖いと思ったりするのか。子供らしい時もあったのだな。失礼だが。それに毛利家の軍規はかなり厳しかったはずだ。


「ですが、先の吉田郡山城の戦では吉川の陣に最初に入ってきたのは次郎様の軍であったと記憶しておりますが?なかなか印象が一致しませぬな」


今までニコニコと微笑んで話を聞いていた少輔七郎殿が口を開いた。


吉田郡山城の戦は毛利家が大内家と共に尼子家の大軍を押し返し逆撃を与えたことで毛利が大きくなるきっかけを作った戦だ。毛利家は尼子の先駆け衆を蹴散らしたと聞いている。先ほど腰が引けていたと仰っていた次郎様とは思えぬ勇猛さだが何があったのだろう?


「あれはな。ずっと戦だったからな、良かったのかは分からんが慣れてきていたってだけだ。それに先陣を切ったのは俺の常備兵が一番元気だったからさ。俺の力じゃないんだよ。それに吉川だって士気が下がってたんだろ?」


「なるほど。確かにあの戦で吉川は既に厭戦状態で最初の一当ての際に前当主の治部少輔(じぶのしょう)吉川興経(きっかわおきつね))様を失ってしまいました。ですが今となっては良かったと思っておりますが」


少輔七郎殿はさらりと怖いことを言い始める。前当主が死んで良かったか。それにしても笑顔でいう事ではないような気がするが。怖さが増すな。私も参考にしよう。

確か吉川家は前当主と確執があったらしいからな。この様子だと憤懣が溜まっていたのかもしれん。


「えーと、それでなんだったっけな」


「抜け駆けしたところで御座いますよ、血狂い次郎様」


「おい、やめろって刑部。ほんとに怒るぞ」


「ははは、腰の骨を折ってしまいましたな、失礼をば」


「まったく…。それで、抜け駆けのことか。佐東銀山城の搦め手は山間がきつくてな。武田の者もそこを人が上がってくるとは考えてなかったんだろう。しかも夜だったしな。山を登るのはきつかったが城内には案外あっさり入れてな。そこからは混乱を煽る様に兵たちに声を上げさせながら乱戦だった。その時に俺も兵に襲われてさ。いや、今思い出してもまだ怖い。でもあの頃から兵庫には厳しく鍛えられていたからな。とっさに身体が動いたんだよ。そのおかげで何とか敵兵を殺して命は助かったんだけどなにせ敵兵の方が大きくてな、そのまま敵の身体に覆い被された訳だ。腹から血がどんどん出てきて俺はその噂通りに血まみれになったというわけだ。でもその後指揮を執ってくれたのは刑部だったから指揮を執ったは嘘だな。まあ結果として俺たちの抜け駆け夜襲は成功して落城は早まった訳だが」


「次郎様はその後、殿より罰を受けましたな。あの時は肝を冷やしました。戦よりもそちらの方が儂には怖かった」


「それは仕方ないだろう兵庫。あの時毛利は少しずつではあるが国人衆の統率をしっかり取るために親父は軍規の締め付けを強化していた時期だ。それなのに息子の俺が軍規違反をしたんだから罰も納得だよ。それに親父は上手く俺のこと利用して軍規の締め付けを出来たんだから結果的には良かったのかもな。棒で殴られんのはすげー痛かったけど」


「あぁ、あれは見ていたこちらも辛う御座いました。幼子が痛みに必死に耐える姿は見たくありませんな。儂らは代わることも禁じられてしまいましたし」


「お袋にもわんわん泣かれたよ。息子が身体ボロボロになって、寝てる最中も(うな)されてたらしいし。だからなあ、血狂い次郎って言われても不本意だな」


そんなことがあったのか。私は元服はさせてもらったがまだ初陣は出来ていない。戦というのがどういったものかを肌で感じたことがない。私も次郎様のように戦に恐れることがあるのだろうか。いや、でも島村盛実に攻められたときは恐怖よりも理不尽に対しての怒りしかなかった。


「血狂い次郎という呼び方は嫌で御座いますか?」


思わず聞いてしまった。次郎様は眉間に皺を寄せて不満げだ。この方は思ったことがすぐに表情に出る。良くもあり悪くもありだな。腹芸は期待できそうにないが分かり易くて仕え易い。


「嫌だなあ。俺はその世間の評判と違って戦が好きじゃない。でも利用は出来ると思ったぞ平左衛門」


「と、いいますと?」


どういう意味か測りかねて思わず首を傾げた。


「血狂い次郎。聞くだけで恐ろしいと敵の兵は思うんじゃないか?血に狂い戦に喜ぶ悪鬼のような男。そんなのが敵にいたら普通に嫌だろ?だから利用出来る。敵兵が俺を恐れてくれれば対峙した際に腰が引けて戦が楽になるかもしれん。俺の評判で味方の兵が楽が出来て、敵が弱体化するなら好都合じゃないか。味方の被害が減らせるんなら俺の渾名なんて幾らでも利用しろ。奇人変人、幾らでもなってやるよ」


そう言って不満げだった表情をにっと笑みに変えて次郎様は私を見た。成程。確かにそう考えれば今回の渾名は確かに利用できる。この方の考えることは本当に不思議だ。でも愚かではないのだ。面白くもある。


「何なら吉川の兵たちに笑いながら戦をしてもらうか。血狂い次郎が率いる軍は笑いながら敵兵を屠る悪鬼羅刹の地獄の軍だと世間に出回れば俺たちが軍を動かすだけで敵城が勝手に降伏するかもな。そういう事なら俺は血狂い次郎で一向に構わんぞ」


「はははっ、それなら戦はずいぶん楽になりますな。どうせなら取り入れてみましょうか」


刑部殿が次郎様に乗っかりそんなことを言い始めた。次郎様も「試してみるか!」と乗り気な様子だ。おかしなことになった。


ふと次郎三郎殿と視線が合うと本当にやるのか?といった様子で困ったように眉尻を下げている。困ったが止めるつもりもない、といったところだろうか。次郎三郎殿は私なんかよりも次郎様との付き合いが長い。

次郎様は一度やると言ったら結果が出るまで辞めないだろう。最近学んだことだ。次郎三郎殿もそれが分かっているんだろう。

次郎様が言う実験とやらは結果が出るまで続く。これもきっと実験なのだと思う。私は次郎三郎殿に小さく頷いた。次郎三郎殿も諦めたのだろう。あちらも私に頷いた。兵庫殿もまた始まったのかといった様子で天井を見上げていた。次郎様と刑部殿の笑い声だけが部屋に響いた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 元春君に二つ名が付きましたかw でも、勇名、悪名は轟くだけでも、効果は有りますもんね。 勇名は『アイツとやりあったらぬっころされる』例 朝倉宗滴、上杉謙信 悪名は『あいつと敵対したら何され…
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