宇喜多の心を掴めるか
一五四一年 吉川少輔次郎元春
「よう、平左衛門。遅くまでご苦労様だな」
悪戯が成功したことに満足しながら労うように平左衛門に声を掛ける。驚いた顔をもっと見ていたかったのだが平左衛門はすぐにいつものニコニコ顔に戻ってしまった。
「驚きました。母上から吉次郎なる方が来ていると聞いて不審に思っていましたので。もしや、敵国からの使者が来たのではないかと。何故身分を偽られているのです?それで城に居らずこのようなところで何をなさっていたのです?」
いや、いつものニコニコ顔じゃない。前言撤回だ。声が少し冷たい。怒ってるのかもしれない。さすがにいきなり家に乗り込むのは踏み込みすぎたか。今更だが悪ふざけが過ぎてしまった感が否めない。思わず身を引いてしまいそうになるが別に宇喜多家に害を成そうとした訳じゃない。仲良くなりに来ただけだ。圧されないように俺も笑みを浮かべる。俺の頬引き攣るなよー。
「いや、いきなりすまなかったな。城でのお前の姿が、無理をしているのではないかと思って、心配で押し掛けてしまったんだ。少輔次郎として来訪しては楽しく話なんて出来ないだろ?それにお前の驚く顔が見たくてな。話していて思ったがよし殿を含めて平左衛門の家族は皆、温かいな。弟妹たちもお前を慕ってるのがよく分かったし話していて楽しかった。玩具を持ってきたのだがな、これで兄上と遊ぶんだと燥いでたぞ。仕事が終わった後、弟妹達の世話も見ていたのだな」
平左衛門の弟妹たちは遊んでいる最中も兄である平左衛門の話をしていた。見ているだけでお兄ちゃんが大好きだと伝わってくる温かな空気に早くも自分の家族の顔が見たくなったのは地味にダメージだったが、それでもこうして宇喜多家が幸せに暮らしているのが確認できてよかった。それにしてもやっぱり家族っていいなあ。
だが、その平左衛門本人はなんとも不思議そうな顔でこちらを見ていた。歯切れが悪そうな、目論見が外れたような、何とも言えない顔だ。言葉が出てこないのか困った顔をしている。あれ?
「ん?何か悪いことを言っちまったか?」
「ああ、いえ、何でも御座いませぬ。失礼を致しました。はい、私の大切な家族に御座います。もし家族が失礼をしていましたらご容赦下さいませ。それとお気遣いを頂きまして有難う御座います。私は大丈夫ですので」
「そうか、なら、いいのだが。それに身分を偽ったのは俺だ。容赦も何も、良くしてもらった。だから平左衛門も気にしないでくれ。それと困ったことがあれば遠慮なく言ってくれよ。俺の力で可能ならいくらでも手を貸すから。もちろん、備前での宇喜多の再興もだ」
「はい、重ね重ね有難う御座いまする。これからもよろしくお願い致します」
んー、やっぱりすぐに打ち解けるのは難しいか。なかなか会話が続かない。今日のところは退散しておこう。手遅れかもしれんがあまり長居しても嫌われちまう。いや、本当に手遅れだったらどうしよう。浦上フラグは嫌だぞ。
「さて、それじゃあ俺たちはそろそろ失礼しますかね。今日は急に邪魔して悪かったな。よし殿、四郎、六郎、華、徳に楽しかったと伝えておいてくれ。それじゃ権兵衛、帰るか」
「んだ、若様」
「あ。…いえ、何でも御座いませぬ。私も屋敷までお送り致します。領内とはいえ流石にお一人では危険ですから」
「ん?そうか、それじゃよろしく頼む。ありがとな、平左衛門」
気を遣わせちまった。やっぱなんか裏目に出ちまってるな。はあぁ、なんか落ち込む。このまま平左衛門に嫌われて浦上家みたいに謀反起こされちまったらどうしよ。怖いな、あの笑顔のままさらっと毒殺とか?他の家臣が立て続けに変死?そんなんされたら気が狂いそうだ。あー、もう。人の心掴むってどうすりゃいいんだろ。三国志の劉備みたいな人徳が欲しい。いや、もう仕出かしちゃってる時点で今更だな。切り替えよう。今後気を付ければいい、可能な限り。立ち上がり権兵衛と平左衛門を伴って屋敷を出た。よし殿が見送ってくれようとしたんだが平左衛門が失礼があっては困るからと押し留めていた。後で説明するんだろう。
でもなあ。あんなに家族に慕われてる平左衛門が史実では妹の旦那や娘の旦那を謀殺してんだよな。家を守るためには仕方なかったのかもしれないけど、それでも人としてそんなことを俺の前ではして欲しくない。少しずつでもいい方に向かってくれるように手を尽くさないと。
こうして宇喜多家家庭訪問は俺の惨敗で幕を下ろした。翌日、次郎三郎と刑部にはかなり激しい説教をもらった。ちきしょう、踏んだり蹴ったりか。
宇喜多平左衛門尉就家
少輔次郎様を屋敷まで送り終えほっと息を吐いた。それにしても驚いた。まさか私の家に少輔次郎様がいらっしゃるなんて誰が予想するだろうか。城でも姿が見られずどうしたものかと思っていたが少輔次郎様は時折姿を消してはお忍びで城下を見回っているらしい。次郎三郎高直殿が話してくれた。それでいいのか、不用心に過ぎるのではないか。刺客でも襲ってきたらどうするのだ。口羽刑部殿にも伺ったが呆れながらも笑って「気晴らしなのだ、許してやって欲しい」と言われた。確かに少輔次郎様は十を超えてまだそれほど経っていない。その御年の割に積極的に政務に励んでおられる。信じられないことだ。確かに気晴らしも必要なのかもしれない。それに少輔次郎様には常に権兵衛という大男が付き従っている。安穏とした顔で警護をしているのだがこの男は顔に似合わず出来る男のようだ。だから郊外に出ない限りは問題ないらしい。少輔次郎様も郊外までは遠出をしないようだ。
とはいえ、これだから温かな暮らしをしてきた人間は。そう思わないでもなかった。いかんいかん、そのようなことを考えて万が一顔に出ては拙い。いつもの笑顔を張り付けておかねば。
宇喜多は備前でもそれなりに名の通った家だった。だが天文三年、私が六つの頃に同じ浦上家家臣の島村盛実に攻められ没落した。祖父の能家の実力を恐れたのだろう。権力を独占したかったのだろう。急転直下の早業であった。反撃する暇も与えられず祖父は宇喜多家居城の砥石城で自害し、這う這うの体で父は私達を逃がすことしか出来なかった。
悔しかった、祖父能家は主家の危難を何度も救った忠臣では無かったのか。何故私たちが命からがら逃げねばならないのか。何故主家の浦上家は宇喜多を救って下さらないのか。幼いながらにこの戦国時代を恨んだ。祖父はいつも言っていた。「八郎は儂によく似ている。きっとお前は大きなことを成し遂げられる男になるだろう。浦上家を支え必ずや宇喜多の名を轟かせられる」と。そう信じてきたのに。
逃げた私たちが向かったのは母の実家である阿部善定、もう一人の祖父の屋敷だった。私は祖父能家の教えを信じいつか浦上家が私たちを迎えに来てくれる。再興させてくれるのだと信じて勉学に励み一心不乱に木刀を振るった。だがいつまで経っても浦上家の者は誰一人として来なかった。それどころか祖父能家を殺した島村盛実は今も浦上家で権力を保持しているのだ。どういう訳だ。何故あんな奴が今ものさばってるんだ!祖父を討った奴なのに!
私は父に言った。「復讐しよう、このままじゃ宇喜多が消えてしまう」と。でも父にはそんな気など更々無かった。むしろ武士に戻りたくないと言った。生きているだけで儲けものではないかと。父には聞こえないのか。厄介になってるだけの役立たず、武家など家を失えばこの程度。穀潰しの寄生虫。陰口ですらない、罵詈雑言を浴びせられているのに。何故そんなにへらへらと。絶望した。この無念を抱えながら生きていたくない。父のような軟弱な人生を歩みたくない。
このとき思ったのだ。他人なんかを当てにするから駄目なのだと。自分の望みを叶えるのなら他人は利用するのだと。私は私の力で、どんなことをしてでも宇喜多家を再興してみせる。心無い罵詈雑言から家族を守る。私の残された大事なものは家族だけだ。その日から私は本心を他人に見せず機会を窺った。父もそのうち死んだが何とも思わなかった。ただあんな死に方だけはしたくないと思っただけだ。
浦上に仕官して内側から少しずつ滅ぼしてやろうと思っていた時だ。どこから話を聞いたのかは知らないが毛利からの使者が来た。好機だと思った。新進気鋭の家からの誘い。利用できると思った。毛利とて俺を利用したくて近づいてきたんだろう。ならお互い様だ。浦上家への復讐を条件に私は家族と毛利領に移った。元服させていただき、そして私は毛利家の次男少輔次郎元春様が当主を務める吉川家で働くこととなったのだ。
主となった少輔次郎様がどのような方なのかはどうでも良かった。なんなら愚かでいて欲しかった。それなら内側から私が操ることも出来ると思ったからだ。この家で少しずつ実力をつけて吉川を、毛利を侵蝕し浦上に復讐する。そう思って仕え始めたのだがどうも思っていたものと違うらしい。
とにかく書類仕事が多いのだ。毛利は尼子すら撃退する力のある家。謀略を駆使して勢力を拡大してきた家だったはずでこのように書類仕事に追われるなんて思わなかった。少輔次郎様も元服もしていない幼い身ながら初陣で首を上げたと言われる血の気の多い人間との噂だったのだが実際は書類仕事を面倒そうに、それでいて次々と片付けていく噂とは似ても似つかない方だった。それでいて時折腑抜けたような顔でぼーっと空を眺めていたり、床を見つめながら腕を組み百面相をする、言葉は悪いが少し変わった方だ。だが、家中ではそれなりに信頼されているようで皆が親しげに少輔次郎様と話をされているのだ。それに事あるごとに私を気に掛けてくれている。どうも調子の狂う家だ。
だが、祖父が生きていた頃の宇喜多家のような温かな空気は懐かしくもあり、でも自身の復讐心を鈍らせられるようなそんな落ち着かない気持ちになる。毛利は、吉川は俺を利用するつもりのくせに。そういう思いも何処かにあった。だから自然と一歩引いて付き合うことにしたのだ。
そうして慣れてきたところで今回の少輔次郎様の来訪だ。本当に調子が狂う。でも一方では謀略の家だから当然かとも思った。私は内心がバレて家族が人質に取られるのではないかと疑った。それとも毛利は俺を縛るつもりなのだと。ならいっそ乗っ取りの決心が着く。だが私は諦めないぞ。そう思っていたのだが。
肝心の少輔次郎様はそんな考えなどまるで無いかのように私の家族と今まで何をしていたのかを話すのだ。それも楽しそうに。本当にこの方は何をしに来たのか、疑っていた私が馬鹿馬鹿しいではないか。このように屈託なく笑える少輔次郎様が羨ましく眩しかった。家族を温かいと言ってくれた。ずっと日陰者扱いされていた私たちをそのように見てくれる者がこれまでいたか。それが殊の外、耳に残る。
疲れた。今日は早めに休もう。そう思いながら家へと戻ると母が出迎えてくれた。その表情には少し怒っているように眉間に皺が寄っていた。
「一体何なのです。あのような無礼を働いて。せっかく吉次郎殿が私の話を聞いてくれたのですよ。お礼を言いたかったのに」
ああ、そうか。身分を偽っていたのだな。ちゃんと説明しなくては。それにしても母上はどうやら少輔次郎様と随分楽しく話していたらしい。珍しかった。
「母上。あの方は吉次郎という名前では御座いませぬ。少輔次郎元春様。私がお仕えする毛利家の御次男様です」
「まあ!そうだったの?どうしましょう、私、随分失礼なことをしてしまったのではなくて?何か、少輔次郎様は言っていませんでしたか?」
「楽しい時間を過ごせたと喜んでおられました。身分を偽ったのはこちらだから気にしないでくれと」
「そうでしたか」
ほっとしたように吐息を漏らす母上を見ながら居間へ進むと弟妹たちが揃って待っていた。それぞれの手には見覚えのない玩具が握られている。
「母上、あれは?」
「あれは少輔次郎様が土産にと持ってきてくれた玩具ですよ。八郎が帰ってくるまで少輔次郎様がこの子たちと遊んで下さったのです」
「なんと…!」
あの方は本当に何なのだ。一体何を考えているのだ。訳が分からなかった。だが弟妹達が嬉しそうにそれぞれの玩具で遊んでいるのを見ていると少輔次郎様が良くしてくれたのだとは思う。
「さ、遊ぶのは後になさい。夕餉の支度が出来ましたよ」
「はい、ははうえ」
母上と下女たちが食事を持ってきた。うちではこうして皆で食事を取る。この賑やかな食事が私は子供の頃から好きだった。母の実家では出来なかったがこうして復活させた。弟妹たちも楽しそうにご飯を頬張りながら話している。
「あにうえ、きちじろうさまはまたうちにくる?」
二番目の弟、六郎が目を輝かせながらそんなことを聞いてきた。その話題に他の弟妹たちも視線をこちらに向けてきた。難しいだろう。だがその楽しそうな顔を曇らせるのは憚られる。それに本当のことを言っても六郎や華、徳では分からぬだろう。
「どうであろうな、あの方は非常にお忙しい方だ。また来てくれるかは分からぬ。だが明日城に上がったときは確認してやろう」
「ほんとう?それじゃ、それまでにおれはこまをじょうずにまわせるようになる!」
「そうだな、あの方に負けぬよう、私と一緒に練習しようか」
「はい!あにうえ!」
こうやって家族から籠絡していくつもりなのか。それとも本当にただ私達家族を案じてくれているだけなのか。あの方の考えが全く分からなかった。利用されぬようにだけ、そう、警戒だけしておけばいい。そう思いながらその日は床に就いた。
明くる日、少輔次郎様はいつものように書類仕事をしている。口羽刑部殿はそんな少輔次郎様を見張っているようだった。どことなく少輔次郎様の表情は暗かった。気晴らしなのだと言ってはいたが刑部殿も立場的には注意しなければいけなかったのだろう。そんな落ち込み気味な少輔次郎様がこちらに気付くとパッと表情を明るくして声を掛けてきた。
「平左衛門。昨日は本当にすまなかったな。だが久しぶりに家族の温かみに触れて楽しい時間を過ごすことが出来た。ありがとな」
ああ、そうか。この方も家族が大事なのだな。こうして今は離れて過ごしているが人恋しかったのか。そう思うと疑っていたのが本当に馬鹿らしくなっていた。
「いえ、こちらこそ。母も弟妹たちも喜んでおりました。」
「そうか、それは良かった。本当に良かった。…それでな、平左衛門。もし可能なら、なんだが。無理にとは言わぬが。たまにで良いから、また遊びに行っても良いか?」
ぷ。くく、この方は本当に。ああ、この方は本当に何も考えてはいないのだ。単純に私を心配して、単純に私の家族と触れ合ってくれたのだ。それにしても、そんなこと、命じればよいだろうに。私が嫌だと言ったらどうするつもりなのだろう。そう考えると酷くおかしかった。
「はい、少輔次郎様さえ宜しければ。何もない我が家では御座いますが母も弟妹たちも喜ぶかと思いまする」
「お!?おお、そっか、そっか!ははっ!じゃあまた、今度はお忍びじゃなく平左衛門の家に伺わせてもらうぞ!」
「はい、お待ちしております」
そう言って嬉しそうに笑う少輔次郎様を見ながら私も笑った。こうして家族以外で心底笑ったのはいつぶりだろう。この裏表のない方なら、私の家族にまで気に掛けてくれるこの方なら少しくらいは信じてもいいのではないか。今暫くは気を許してもよいのではないか。警戒は勿論しておく。でも、ここで働く事の不安は少し軽くなっている気がした。




