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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文十年(1541) 元服
27/115

宇喜多の御曹司

一五四一年  吉川(きっかわ)少輔次郎(しょうのじろう)元春(もとはる)



今、目の前には笑顔の少年がニコニコと座っている。少年と言っても俺より一つ年上だが。

宇喜多(うきた)八郎(はちろう)。それがこの少年の名前である。


史実の宇喜多直家(なおいえ)だ。吉田郡山城の戦があってずっとバタバタしていたから忘れてたんだが、落ち着いてきた最近になってようやく思い出し、すぐに使者を出した。

刑部大輔(ぎょうぶたいふ)口羽通良(くちばみちよし))を派遣して燻ぶっているだろうこの少年に声を掛けたのだ。危なかった。もう少し遅れていたら八郎は浦上家に仕官して暗殺街道をひた走ることになっていたと思う。


史実の宇喜多直家は美濃国(みののくに)(現在のの岐阜県)の齊藤(さいとう)道三(どうさん)大和国(やまとのくに)(現在の奈良県)の松永(まつなが)久秀(ひさひで)に並んで梟雄(きょうゆう)、悪党とされ、親父や尼子経久に並んで中国地方の三大謀将の一人とされている。だが生い立ちはかなり壮絶だ。


宇喜多家は代々備前国(びぜんのくに)(現在の岡山県東部)の浦上家(うらがみけ)に仕えている名家だった。

だが直家の祖父、和泉守(いずみのかみ)能家(よしいえ)の代で家は没落の憂いに遭う。

家中の権力の独占を図った島村(しまむら)弾正(だんじょう)左衛門尉(ざえもんのじょう)盛実(もりざね)に居城を奇襲されて進退窮まった和泉守は自害してしまう。

宇喜多能家は主家の危難を何度となく救った名将であったが、その有能ぶりが自身の首を絞めてしまった。


自害に追い込んだ島村盛実はその後も浦上家に仕えて、現在も権勢を誇っていることからどうやら主家の浦上家もこの件を容認していたんだと思う。それだけ宇喜多能家は浦上家にとって大きな存在で尚且つ権力争いには邪魔な存在だったんだろう。


能家には家督を譲った息子の左衛門尉(さえもんのじょう)興家(おきいえ)がいたが、すぐに居城だった砥石城から逃げて息子の直家と流浪の旅を送った。これは能家が率先して逃がしたのか、それとも興家が親を見捨てて逃げたのかでだいぶ見方が変わるな。出来れば能家が逃がしたんだと思いたい。


この興家は史実では暗愚だったと言われているが、俺はそれほど暗愚だと思わない。

興家自身が、父である能家のように立ち回ることが出来ないと思っていたんだろう。あのまま浦上家中に残っていたら自分も息子も禍根として殺されるかもしれない。そう思ったんだと思う。


武士なら復讐しろってのがこの時代の考え方だから復讐せずに逃げた興家は評価されなかった。でも批判されると分かっていながら自分の実力を(かんが)みて逃げるという選択肢を取った興家も立派であると思う。


それに興家自身は覇気のある人物ではなかったらしく、能家も興家の弟の四郎なる人物を期待していたらしい。まあ、その四郎も戦で戦死したようだけど。

親父には期待されずに育った興家が復讐に動く気になるとはどうしても思えない。むしろ武士自体に嫌悪してたんじゃないかとすら思えるんだよな。だからその後、興家は妻の実家、備前の商人の阿部(あべ)善定(ぜんじょう)に匿ってもらいそのまま生涯を終えた。去年亡くなったらしい。


そうやって興家は息子の命を守ったようだが、目の前の八郎はそんな父親のことを情けないと思ったようだ。暗愚と言われてまで守った息子にそう思われているのは切ないが、八郎の心には復讐の心がずっとあったらしい。惨めな思いもしたのだろう。


こういう話を聞くとつくづく俺は恵まれてると思う。今回、刑部大輔が勧誘した際に八郎から出された条件というか希望があったんだが、それは浦上家への復讐だ。実際に手を下した島村盛実、それを許容した浦上家を滅ぼすこと。それを条件に八郎はこうして俺の元に来てくれたわけだ。


勿論、今後の毛利の動きに影響する約束は出来ないから親父には事前に相談した。親父は備前を攻める際に八郎を大義名分に出来るから構わないと許しが出ている。今後は随時、宇喜多の元家臣たちや、八郎たちが世話になっていた商人の阿部善定と連絡を取り合って情報を収集できるだろう。


「宇喜多八郎に御座います。この度は私にお声を掛けて下さり誠に感謝しております。復讐の機会を下さるとのこと。感謝に堪えませぬ」


「吉川少輔次郎元春だ。これからよろしく頼む、八郎。復讐の件は必ずお前の希望に添える。だからそれまでは毛利で英気を養ってほしい。これから必ず毛利は大きくなる家だ。八郎も毛利と共に大きくなっていこう。元服後はしばらく俺の小姓として動いて欲しい。毛利のやり方は今後八郎のためにもなると思う」


「はい、重ね重ね有難う御座います。誠心誠意お仕えします」


「小姓の仕事だが後ろにいる次郎三郎高直(たかなお)に聞いてくれ。俺が元服してから仕えてくれてる。ま、俺の幼馴染のような存在だ。小次郎、八郎の指導よろしく頼む」


元服してから俺にも小姓が付いた。次郎三郎信直の嫡男の高直だ。親父と息子、揃って次郎三郎って名乗っているから紛らわしい。だから親父の信直は次郎三、息子の高直は小次郎って今は呼んでる。まあ、そのうち次郎三は官位名を親父から貰って名乗るだろうし多分今だけだろうな。

小次郎は三つ年上の真面目で物腰柔らかな男だ。小さい頃から一緒に鍛錬を積んでいた。俺が元服したことで幼馴染のような小次郎も一緒に元服しこうして小姓をしてくれている。年の近い小次郎や八郎がいてくれると気分的にも仕事的にも楽だ。


「八郎殿、よろしくお願い致しますね」


「はい、次郎三郎殿。ご指導よろしくお願い致します」


穏やかな笑みを浮かべる小次郎に笑みを絶やさない八郎。こうして見ると八郎には没落を味わった悲哀というかみすぼらしさのようなものが感じられない。

年齢が一つしか違わないのに大したもんだと思う。きっと多くの苦労をしただろうに。史実のように後ろ暗い存在になって欲しくない。


史実の宇喜多直家は実の弟にも警戒されるほど謀略に手を染め切っている。生きるため大きくなるためとはいえそれは寂しすぎる。今は毛利にいるのだからせめて安心出来る環境を作ってやりたい。



そうして宇喜多八郎は元服した。烏帽子親はなんと親父が務めてくれた。八郎を不憫に思ったらしい。

それに今後、宇喜多の看板は備前国に攻め入る際に大事な大義名分となる。こうして毛利が厚遇していることをアピールする狙いもあるんだと思う。元服後の名は宇喜多平左衛門尉(へいざえもんのじょう)就家(なりいえ)。「平左衛門尉」は就家の祖父、能家の通称。「就」は親父からの偏諱で「家」は宇喜多家の通字だ。平左衛門尉は能家を尊敬しているようで同じ通称を欲しがったそうだ。


平左衛門尉は備前攻めの際の旗頭になるため、当初は親父の元で直臣として動くだろうと思っていたんだが現段階から備前国への野心を露わにすることは備前国人たちに余計な敵愾心を与えるだけだろうということでこうして暫くは俺の元で動いてくれることになった。

平左衛門尉は元の能力があるからか、小次郎から教わった仕事を次々覚えて力になってくれた。


他の戦国大名の家がどうかは知らないが毛利家は割と書類仕事が多い。兄貴が政務に関わる内容を積極的に紙に書き残し記録することを家中に進めているためだ。

また各領地の住人の情報なんかも少しずつ増えている。住民票のようなものだ。吉川も毛利に下ったことでこの書類仕事は急務となっている。書類仕事は苦痛だ。パソコンがあるわけじゃないから全て手書きだし、筆書きだから書き間違えたら最初から書き直さなきゃならない。


刑部大輔や少輔七郎(吉川経好(きっかわつねよし))なんかは政務を苦としないらしく率先して次々片付けていた。とはいえ当主の俺でしか捌けないことなんかもあるから目を回しながら承認していく。

面倒臭いがこうしてどの程度この地で収穫量が確保できるのかとか、各地でどのような問題が起き、どう対処したのかを記録していくことで今後様々な資料として活用できるから手を抜くわけにはいかなかった。面倒臭いが。特に国人同士の領地問題は頻繁に発生する。



鍛錬も当然継続して行っている。時間があるときは常備兵の見回りに一緒に参加して気晴らしをした。忙しくてもこうして動き回れることが楽しかった。

だけどこうして生活していると戦国武将って休みがない。まあ、常に生きるか死ぬかの生活をしてるんだから当然だと思うし、俺も不満はないんだけどブラック企業という言葉がちらつく。


でもそうやって精力的に動き回っているおかげか収穫の時期になると治安もだいぶ落ち着き、各地では収穫を祝う祭りが開かれているようだ。尼子から攻められはしたもののその傷は少しずつ癒えていることが確認できてほっとした。


平左衛門尉もだいぶ慣れたようで仕事の速さも上がってきている。でも慣れてはきたが馴染んだ感じはしないんだよな。こうして一緒に仕事して、鍛錬を積んで、吉川領内を見回ったりとそれなりに一緒に過ごしてるのに。

遠慮されてるというか一歩引かれてる。後、気付いたのは笑顔が変わらないことだ。ずっと笑顔。愛想がいいと言えばそうなんだろうけど、良く見てみると全くその表情が変わらないのだ。


まるで笑顔を顔に張り付けたような、そう仮面のような顔だ。きっとこの笑顔と一歩引いた対応が平左衛門尉の処世術なんだろう。でも俺は平左衛門尉と仲良くなりたい。

これは俺の身勝手な言い分でひょっとしたら平左衛門尉には拒絶されるかもしれない。でもせっかく毛利に来たんだからこれから一緒に戦う仲間として信頼できる関係を築きたかった。よし行動に移そう。







吉次郎



「御免下さい」


その日、俺は権兵衛(佐東金時(さとうきんとき))だけを連れて屋敷から抜け出して就家の屋敷に向かった。暫くすると庭先の方から下女らしき女性が姿を現した。


「はい、どちら様で御座いましょうか?」


「突然の訪問申し訳ない。私は吉川家臣の吉次郎と申すもの。後ろに控えるのは私の家臣の権兵衛。家主の平左衛門尉殿は御在宅だろうか」


「まあ、八郎のお客様でしたか。わざわざお越し頂き申し訳ありませんが、ただいま八郎はお城に登城しており留守にしております。もし宜しければ中でお待ち致しますか?」


平左衛門尉は今頃、城で書類と格闘しているだろう。勿論知っている。平左衛門尉がいないうちに家庭訪問じゃないが就家と仲良くなるためのヒントがあればと思ってきたのだ。

ちなみに平左衛門尉が帰ってきたときに俺の存在に気付いたらどんな反応をするのか見てみたいというのもあった。それでこの時間に来たわけだが。

それにしても平左衛門尉を八郎呼びってまさか平左衛門尉の母親か?


「これは忝い。もしや平左衛門尉殿の御母君でいらっしゃいますか?」


「はい、八郎、いえ、平左衛門尉の母のよしに御座います。このような御見苦しい姿で申し訳ありませんね」


「いえ、こちらこそ突然お邪魔してしまい失礼を致しました」


「良いのですよ。吉川少輔次郎様に私達は拾われこうして暮らし始めてから平左衛門尉に来客があったのは初めてのことでしたので嬉しく思います」


ああ、やっぱり母親だった。下女みたいとか思って本当にごめんなさい!とか考えながら案内された部屋は質素ながらとても清潔感のある部屋だった。きっとこまめに掃除してるんだろう。

確か平左衛門尉の母親は商人の阿部善定の娘だったよな。服装はあれだったが良く見ると品のある女性だった。


平左衛門尉には十分な対価を出してるはずなんだけどな。質素倹約かな?

暫くすると母親のよしが盆に湯飲みを二つ乗せて戻ってきた。俺と権兵衛の前にそっと置くとそのまま俺の目の前に座った。どうやら平左衛門が戻ってくるまで話し相手をしてくれるらしい。


「平左衛門尉はそろそろ戻ってくるかと思いますので申し訳ありませんがお待ち下さいね」


「こちらがお約束もせず先触れも出さずにお邪魔した身ですからお気になさらず。こちらこそご迷惑をお掛けしました」


「ああ、頭をお上げください。先ほどもお伝えしましたがこうして平左衛門尉に来客があることが嬉しいのです。あの子には幼い頃より多くの我慢をさせたせいか、滅多に気持ちを表に出しません。それゆえにお城で他の方々と上手く関係を作れているのか心配だったのです。あの子はお城で頑張っておりますか?」


穏やかな笑みを浮かべていたよしの表情が不安そうに眉尻が下がり聞いてくる。仕事に関しては全く問題ない。むしろ頼りになる男だ。


「平左衛門尉殿は仕事も早く覚えて今も城で頑張っているかと思います。少輔次郎様も平左衛門尉殿を頼りとしておりますし、私も頼もしく感じております」


「まあ。それは良かったです。あの子には本当は伸びやかに育って欲しかったのですが状況がそれを許しませんでした。母として情けないですが。何かしたくても私は所詮、元は商人の娘。平左衛門の力になってあげられることが出来ませんでした。吉川様からお声が掛からなければ私は浦上家に女中として上がろうと考えていたのです。ですからこうして声を掛けて頂いたのは本当にありがたい事で御座いました。吉次郎殿。誠に不躾では御座いますがこれからも平左衛門を気に掛けて頂ければ幸いに御座います」


「頭をお上げくださいよし殿!平左衛門尉殿はこれからも吉川家に必要な男になります。それに私はよし殿にこんな愛されている平左衛門尉殿を見捨てたりは致しませぬ。ご安心下さい」


そう言って嬉しそうに微笑んだよしの頬には涙が零れた。深々と平伏するように頭を下げるよしに慌てて頭を上げさせる。元から俺は宇喜多就家という男を見捨てるつもりなんてない。必要な男だと思ったから呼んだんだ。そんな時に縁側の方から幼子の頭が4つこちらの様子を窺うように覗き込んでいた。


「こら、お前たち。お客様の前で失礼でしょう。あちらで遊んでいなさい。吉次郎様、うちの子が失礼致しました」


「あ、いえ、気にしないでください。平左衛門尉殿には弟御妹御が居られることを聞いていたのでお土産を持ってきていたのです。権兵衛、持ってきた玩具を出してくれるか?」


「んだ。こちらになりますだ」


「ありがとう権兵衛。さ、そんな所から覗いてないでおいで。4人にお土産があるんだ」


様子を窺っていた4人はお互いに顔を見合わせると恐る恐るといった様子で部屋に入ってきた。母親のよしは息子たちが粗相をしないかどうか心配そうに見ているが、俺が呼んだ手前注意することも出来ず仕方なさそうに子供たちを手招いた。


「わざわざお土産だなんて。大変申し訳御座いませぬ。こちらが平左衛門の弟妹、四郎、六郎、華、徳に御座います」


「四郎に六郎、華に徳だな。俺は吉次郎だ。4人とも宜しくな。ほら、玩具を持ってきたんだ。一緒に遊ばないか?」



母親のよしの左右にそれぞれ座った子供は10歳にも満たない子供で皆ちょこんと座っている。お土産と言ったせいか心なしかワクワクしているようだ。権兵衛から受け取った巾着袋から独楽やお手玉を取り出して子供たちに渡した。


「わー!ありがとうございます!」


「ありがとう、きちじろうさま!」


「吉次郎殿、本当にありがとうございます。お前たちも大事に扱うのですよ」


一番背の大きい四郎がお礼を言うと六郎と華が真似するようにお礼を言った。一番小さい徳はにこーっと満面の笑みを見せてくれた。それだけで満足感いっぱいだ。

小さい頃の徳寿丸を思い出す。母親のよしも楽しそうに遊ぶ子供たちを見て嬉しそうだ。玩具は建築資材の端材を利用して作ったりお手玉も俺が子供の頃に貰ったお下がりだ。

別に懐が痛むわけじゃないし喜んで貰えてよかった。暫く子供たちと一緒に遊んでいるとようやく平左衛門が帰ってきたようだ。


「ただいま戻りました」


「まあ、あの子が戻ってきたようです。今呼んできますので少々お待ちくださいね。さ、お前たちもそろそろ遊びの時間は終わりですよ。お客様の手を煩わせてはなりません」


よしは立ち上がると遊んでいた子供たちを連れて部屋から出ていく。

華と徳は手を振りながら、四郎と六郎はきちんと頭を下げて出て行った。名残惜しそうにしてくれていたところを見ると楽しんでもらえたようだ。

権兵衛にも付き合わせてしまったが権兵衛も子供好きだから楽しかったのだろう。視線を送ると権兵衛も笑っていたからつられて二人で笑い合った。その時、部屋に平左衛門尉が入ってきた。


「お待たせしてしまい申し訳御座いませ…っ、少輔次郎様!?」


いつものニコニコ顔で挨拶していた平左衛門尉が俺の顔を見た瞬間に固まりいつものニコニコ顔が崩れて目を見開き驚いている。

よし!驚く顔なんて初めて見たぞ。それだけでも今日来た意味がある。俺はにやりと笑って平左衛門尉の顔を見た。



【新登場人物】


宇喜多平左衛門尉就家  1529年生。幼名八郎。史実のの宇喜多直家。中国地方の三大謀将の一人。+1歳

宇喜多和泉守能家  1469年生。宇喜多直家の祖父。浦上家の権力争いで死亡。故人。+61歳

宇喜多左衛門尉興家 1497年生。宇喜多直家の父。暗愚を装い息子を守った。故人。+33歳

熊谷次郎三郎高直  1527年生。熊谷信直の嫡男。誠実で真面目。+3歳

宇喜多よし     1500年生。宇喜多就家の母。備前商人阿部善定の娘。+30歳

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― 新着の感想 ―
[良い点] おう、宇喜多軍団加入ですと!?、こりゃ浦上破滅加速しますわ〜w 宇喜多直家に注目が集まりがちですけど、宇喜多家臣団も充分チート武将軍団ですよそれが早々に毛利陣営入りか〜 宇喜多直家も上…
[一言] 宇喜多家の忠誠値が上がるか下がるか
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