吉川の新当主
一五四一年 吉川少輔次郎元春
「皆、面を上げよ」
小倉山城、評定の間。今日、ここでは俺の初お目見えの儀となった。
初めて一人で上座に座り、居並ぶ吉川家臣たちを見回した。親父がいつも口にしていた台詞を俺が言うことに若干の違和感を感じながらも噛まずに言えたことにひと先ず安堵する。こうしてみるとちょっと偉くなったような気がしてこそばゆい。
そして頭を下げていた家臣たちが一斉に頭を上げた。
興味深そうな目、好意的な目、不安そうな目、様々な視線が俺を見ていた。
だが不愉快そうな視線はなかった。ひとまず安心。
でもこれが当主の目線か。思ったほどの高揚感は無い。もっとわくわくするのかと思ったんだけどな。むしろこの家臣やその一族郎党が俺の判断一つで生きるか死ぬかに見舞われるのか。
予想以上に重い。いやいや、弱気になるな。俺は先代の治部少輔興経とは違う。失敗しないように立ち回って見せなきゃ。
「皆、初めて見る者も居よう。改めて名乗らせてくれ。俺が、皆が推戴してくれた吉川少輔次郎元春だ。皆も知っているだろうが先代の興経殿の従兄弟、そこにいる式部少輔(吉川経世)の甥になる。元服し、初陣も済ませちゃいるが見て分かる通り俺はまだ子供だ。どうだ?お前たちが支えるに相応しい主になれそうか?」
そう問いかけてにーっと白い歯を覗かせながら笑った。呆気に取られたり不敵に笑いを返してきたり、くすっと笑ってくれたりと反応はそれぞれだな。俺は振り回したりはするが決して仕え辛い主ではないはずだ。それが伝わればいい。
「我々、吉川家臣一同は、これから少輔次郎様に忠誠をお誓い致します!」
真っ先に答えてくれたのは叔父上の式部少輔だ。叔父上は吉川家の重鎮だ。その叔父上が率先して俺を持ち上げることで他の家臣たちが納得しやすい様にしてくれたんだろう。そのおかげで他の家臣たちも一斉に頭を下げて『忠誠をお誓い致します』と言ってくれた。
「ありがとう叔父上。叔父上が後見してくれれば心強い。だが、すぐに忠誠をと言われても皆難しいだろう。だから皆に見ていて欲しい。俺が皆が仕えるに値する男か否か。俺はまずこの地を豊かにしたいと思っている。その結果を見ていてくれ。いずれ手伝って欲しいことも出てくるだろう。皆には俺が奇行に走っているように見えることもあるかもしれん。だがきっと吉川家に、そして毛利家に利益を齎せると思う。そういう訳だからひとつ、これからよろしく頼む」
そう言って俺は膝に手を置いて頭を下げた。当主が軽々頭を下げるべきではないことは分かってはいるがどうもこの現代日本的な癖はなかなか抜けなかった。
下座の家臣たちも深く頭を下げて「ははっ」と返事を返してくれる。
この後酒宴が行われる予定だが、その前に俺の私室に式部少輔の親子と次郎三郎(熊谷信直)を呼んだ。
刑部大輔(口羽通良)は別件で今、備前にいる。接触して欲しい人物がいたのだ。運が良ければまだ流浪の身のはずだ。引き込めなくても繋がりは作っておきたい。
そうこうしている間に4人の男たちが入ってきた。式部少輔に少輔七郎(吉川経好)にその弟の孫四郎(今田経高)、それと次郎三郎だ。
孫四郎はこうして話すのは初めてだ。俺より少し年上くらいの逞しそうな男だ。勇壮って感じか?戦では頼りになりそうだ。実際槍使いが巧みで膂力もあるらしい。
「飲みたいだろうに悪いな。酔っぱらう前に伝えておきたいことがあったんだ」
「いえ、それは構いませぬが。一体どのようなことでしょうか?」
「叔父上を始め、吉川家では銭についてどう思う?卑しいと思うか?」
「銭、に御座いますか」
正直俺は金が好きだ。武士の家でなければ迷わず商家に奉公しただろう。金銭さえあれば何でも出来るし無理が利く。金があるから今回の籠城戦だって史実よりも有利に立ち回れたと思ってる。だから吉川家でも銭の有効性を理解して欲しかった。
「近年毛利が力を付けたのは銭の力があったからだと理解しております。私はその力を吉川にも欲しいと思っています」
最初に理解を示したのは少輔七郎だった。お人よしそうな顔をしていて案外貪欲だ。確か史実でも政務に明るかったんじゃなかったかな。この頃から既に明るいのかもしれない。
式部少輔も理解はしているが先代の国経、先々代経基の記憶が強いのだろう。分かっていても実際はって感じか。少し複雑そうな顔だ。
問題は孫四郎だ。明らかに不満そうな顔をしている。
「孫四郎は不満か?」
「正直に申せば。不満に御座いますな。我らは武士。わざわざ商人の真似事などしたくは御座いません。銭なら商人たちから徴収すれば良いではないですか」
「まあ、それが正直なところだよな、孫四郎。だがな、今は毛利とて勝っているから商人たちも協力的だ。銭を都合してくれるだろう。だが延々と勝ち続けることが出来るとは限んないぞ。負ければ商人たちはすぐにそっぽを向くだろう。都合したところで利益が返ってくる訳ないとな。勿論負ける戦をするつもりなんかねーけど、不測の事態は考えておくべきだ。そうだろ?」
俺の言葉に孫四郎は首を傾げた。いまいち話が繋がらないんだろう。眉が八の字になってちょっと面白い。
「それと銭がどう関係するのです?」
「銭を稼げるように環境を作る。そうすればいざというとき商人から銭を都合しなくても自分たちの銭で兵糧が買える。武具が買える。戦を行える。孫四郎は槍が巧みだと聞いた。お前の活躍を早く見たいが物資が無ければ戦は出来ん。お前だって戦中に物資が足りなくて撤退なんてなったら嫌だろう?それが足りていれば勝てた戦ならどうだ?悔やんでも悔やみ切れないだろ?」
「それは、そうで御座いますが」
兄貴の少輔七郎みたいに理知的じゃないな。血の気が多いのか。まあ、いきなり言われて納得しろってのがそもそも無理か。俺が頭に描いてた戦国武将のイメージ通りの男だ。
でもただの猪武者じゃない。分からないなりにしっかり考えてくれる。こっちに投げっぱなしじゃない。史実の孫四郎も武勇に優れながらも外交にも関わっていた男だったはずだ。今は若いからその辺がお留守になってるだけだろう。今も状況を想像して理解を示してくれる。
「孫四郎は商人に徴収すればいいと言ったが、商人もこの安芸国に住む民だ。あまり民に無理をさせれば国が成り立たん。それに商人とて馬鹿には出来ねーぞ?もし商人から俺たちの台所事情を敵に知らされたらどうする。物を扱う商人は味方にしといた方がいいんだよ。協力して一緒に稼ぐ。むしろ取り込んでいく」
「むむむ…」
「それにな、孫四郎。俺は銭で兵を雇ってるんだ。今はまだ100人だが俺と一緒に小倉山城まで着いて来てくれてんだよ。そんな自由に動かせる兵が今後毛利家に吉川家に増えてみろ。半農半士じゃねーぞ。戦専門の兵士だ。いつでも戦に繰り出せる兵、しかもその兵は訓練に訓練を重ねた精強な兵士だ。それと潤沢な物資。敵が農繁期だろうと関係なく戦を仕掛けられる。銭があればそんな夢みたいな軍が作れんだよ!想像してみろ孫四郎!想像してみろ叔父上!楽しくなってくんだろ?」
勿論まだまだ足りない。銭がたくさん要る。でも信長みたいに常備兵を作れたら農業に縛られずに戦に出れる。しかも家も与えてしっかりこの国に根付かせる。評判になれば他国からも人が集まるだろう。先人の知恵は偉大だ。だからしっかり真似をする。パクリでいい。俺はそんな大層な人間じゃない。現代に生きていた一般の男だ。だから先人の知恵は大いにパクってやる。
式部少輔は唸りながら深く考えだし、孫四郎はそんな軍を指揮することを想像したんだろう。いつの間にか目をきらきらさせていた。銭の必要性を理解してくれそうだ。それにしても孫四郎は素直でいい奴だな。ちょっと単純だけど仲良くやっていけそうだ。
「そんな精強な軍を率いてみたくないか?孫四郎」
「率いてみたいです!銭があれば本当にそんな軍が作れるのですか?」
「すぐには出来ん、まだここには銭を生み出せるものがないからな、だが銭が生み出せるようになれば100人といわず1000でも10000でも兵を養える。だから俺は銭を生める物をこの地に作りたいんだよ。どうだ、叔父上も孫四郎も協力してくれないか?お前たちが率先して協力してくれれば他の家臣たちも納得してくれると思うんだ。商人の真似事を俺と一緒にしようぜ、な?」
話し終えて俺は式部少輔と孫四郎、最初から賛成だった少輔七郎をそれぞれ見た。少輔七郎は大きく頷き、孫四郎は頬を紅潮させて興奮している。
式部少輔は腕を組んでまだ考えているようだった。駄目かな。
「少輔次郎様のお考え、感服致しました。この少輔七郎経好、この地が賑わうを考えると胸が高まりまする」
「私も少輔次郎様のお考え、理解致しました。何をすればいいかは分かりませぬがご協力致しまする!」
「叔父上は、どうだ?やはり反対か?もし時間が必要なら後日にまた叔父上と話す時間を設けるが」
「…いえ、時代は変わったのかもしれぬ、と思いましてな。儂はこのようなことを考えもしませなんだ。ですが殿(毛利元就)が吉田郡山城の戦で尼子を撃退するのを見て、そして今こうして少輔次郎様のお考えを聞いてそう思いました。銭の有用性を儂はまだ分かりかねておりまする。ですがその銭で毛利は安芸国を制し備後国まで影響力を持ちました。であるならば商人の真似事と一蹴は出来ませぬ。この式部少輔経世、少輔次郎様のお考えに従いまする」
「…そうか、ありがとう叔父上。やり方を変えることに苦労もするだろう。だが俺も可能な限り協力する。もう吉川は俺の家だからな。だから少しずつ吉川も変わっていこう」
「ははっ」
「さ、話し込んでしまったがそろそろ酒宴の準備も出来てんだろう。飲みに行くぞ!」
せっかく俺を歓迎して開いてくれる宴だ。この時代、子供も平気で酒を飲む。むしろ飲めないことは罪というほど酒は強要されるものだ。だが俺はこの時代の酒だとなかなか酔えなかった。基本にごり酒なんだがアルコールが低いんだ。だから俺はこの時代では割と酒豪だった。酒にも手を出そうかな。酒も金になりそうだ。
吉川親子は先に部屋を出て行くのを見送りながらそんなことを考えていると今まで口を開かなかった次郎三郎が口を開いた。
「口がお上手ですな、次郎様。見事誑し込みました」
「おい、次郎三。言い方に悪意を感じるぞ」
「はっはっは。まさか、儂は素直にそう思っておりますぞ」
口調は神妙だけど目が笑っている。最近次郎三郎は遠慮がないんだよなあ。嫌じゃないけどさ、嫌じゃないけどさ!
「ほら、冗談言ってないで次郎三も飲みに行くぞ」
「そうですな、では参りますか」
二人で立ち上がり皆の集まる会場に向かった。賑やかな声と部屋に入るなり笑顔で出迎えてくれる新しい家臣たちに今後の生活もやっていけそうだと感じた。




