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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文十年(1541) 元服
25/115

主を失った家

一五四一年  毛利(もうり)少輔次郎(しょうのじろう)元春(もとはる)


農繁期となり少しずつ暑さが出てきた頃、ある家から親父に目通りを希望する者たちが二人来た。それが今、目の前に座っている。

先日降伏した吉川家の重臣二人の男だ。一人は吉川式部少輔(しきぶのしょう)経世(つねよ)とその息子、少輔七郎(しょうのしちろう)経好(つねよし)だ。


経世は討ち死にした吉川興経(きっかわおきつね)の叔父で実直そうな顔をした50代の男だ。緊張しているようには見えないが時折視線を感じる。

その息子の経好はお人よしそうな顔立ちだ。ちょっと細目で愛想が良さそうな感じだ。刑部大輔(ぎょうぶたいふ)口羽通良(くちばみちよし))と気が合いそうだな。

この場には親父が上座に、俺と兄貴がそれぞれ親父の左右に控えて座っており下座には経世と経好が頭を下げていた。


先日の吉田郡山城の戦で吉川家は当主興経を失ったため今、当主がいない。

現在は一門衆の経世を筆頭に経好とその弟、今田(いまだ)孫四郎(まごしろう)経高(つねたか)が中心となってやりくりをしている訳だが吉川家の肝心の指針がない状態なのだ。それに当主で無ければ捌けない案件もあるだろう。


また討死した興経にはまだ子がいなかった。史実では千法師って息子がいたはずなんだけどな。史実よりはるかに先に退場してしまったためこの世界では誕生していないらしい。

まあ、史実では父親の興経ともども親父に粛清されてしまうはずだったから逆に生まれなくて良かったんじゃないかと思う。生まれても10歳そこそこで殺されるなんて可哀そうだもんな。きっと違う形で生まれるんだろう。


そんな訳で二人の話は、毛利家から吉川家に養子を貰って、その子を当主に出来ないか?ということだった。つまり俺に今、白羽の矢が立っている。まあ史実でもそういった流れで元春は吉川に入ってるんだが当主討ち死にが影響して早まっている状況だ。


わざわざ養子なんぞ貰わなくても今目の前にいる経世や経好が後を継げばいいんじゃねーかと思ったんだがそれじゃ収まりがつかないんだろう。

なにせ今の吉川家は死んだ興経がその時々の状況によってすぐに鞍替えしていたため信頼がない。そして経世たちはそれを止めることが出来なかった。経世たち吉川一門の誰が継いでもその前評判が足を引っ張り信用がないままで領地経営が上手くいかないんだと思う。


その点、毛利から養子を貰い俺を当主とすればその前評判が一旦真っ新な状態になる。

俺が当主になることで吉川家は毛利の一門衆の家になれるからだ。毛利から手厚い支援が受けられる。しかも親父の妻、俺たち兄弟の母親、お袋である美伊の方は経世の妹である。


つまり俺たち兄弟にも吉川の血が流れているのだ。

だが兄貴は毛利宗家、毛利家を継がねばならない。徳寿丸はまだ小さすぎる。

そんな訳で血筋よし、信頼よし、後援よしな毛利からの養子として俺を養子にと向こうから申し出てきたわけだ。


吉川家全体を考えれば前当主の興経なんかよりお子様でも毛利からの当主を望むわけだ。この時代は血筋も大事だが、お家が第一で家名さえ残れば、といった考え方だ。他家からの養子であろうと家が保てれば問題はないらしい。


「其方らの考えは分かった。此方でも一度話を纏めたい。別室を用意させる故そちらで少し待っていてくれるか?」


「はっ、御尤もと存じまする。何卒よろしくお願い致します」


そう言って二人は一度頭を下げると立ち上がって部屋から出て行った。親父の小姓の一人が二人を案内して離れていくのを見送ってから親父は一口湯呑に入った水を口に含んで喉を潤している。兄貴と俺もそれに習って水を飲んだ。井戸水は冷たくてうまい。


「まあ、来るとは思っていたがやはり次郎か」


「まあ、妥当なところではありますけどね」


二人の表情が優れない。大丈夫かな?いや、どうでしょう?みたいなアイコンタクトを二人で取っている。

あれ?俺はいつからこんなに二人から信頼が無くなった。

いや、心当たりはあるんだけどさ。どうせあれでしょ?いや、でも一応反論はしてみる。自分の意見をしっかり主張するのは大事なことだ。


「いやいや、さっきから何だよその二人の目線。俺最近はやらかしてなくもないが、ほら、賊の討伐して治安維持に貢献してるし次郎三郎(熊谷信直(くまがいのぶなお))からも最近は安心して見てられるって褒められたぞ!」


「硝石」


兄貴がぼそりと、それでいて聞き取りやすくはっきりと呟いた。

ほらやっぱり。くそ、案の定だ。盛大にぶん投げたもんな。


「基本的には儂も安芸守(あきのかみ)毛利隆元(もうりたかもと))も次郎のことを信用しておるし頼もしい息子、弟だと思っておる。だがお前の行動は突拍子もない故、領地を与えるのが不安じゃ」


「私も父上も領地を与えることによって次郎が何かやらかすのではないかと心配なのだ。勿論、次郎の試み、実験とやらは毛利のために行っているのは分かっている。それでも今回の硝石は流石にないぞ」


「うぐ…、悪かったよ。確かに思いつきで先走っちまったよ。でも出来るか分かんなかったしさ」


「だとしてもだ。事前に相談するのは当然だろう」


兄貴には俺が転生者だとは言ってないため今回の硝石に関しては俺が巡回中に商人から聞いた眉唾物の噂を本当に実行したことになっている。

兄貴はそんな眉唾物の知識に労力を掛けさせるなと叱られたが親父が「本当に硝石が作れるならば毛利の力になるから駄目元で試してみる」と最終的に許可を出したため許してくれた。


だが管理に人を割かなくてはならなくなったため今は世鬼衆が見てくれている。罰として俺からも世鬼衆に管理料を追加で払うことになった。仕方ないにしてもこれは結構痛い。

次に何か稼げそうなもの。何かないか。そういや寒いんだよなこの時代。なんだかんだで地球温暖化ってマジで凄かったんだなと思うくらいこの時代は俺にとって寒かった。綿とかって江戸時代とか量産されてたよな確か。


「おい!聞いておるのか鶴寿!」


「うひゃいっ!?」


久しぶりに幼名で呼ばれた。最近次郎って呼ばれ慣れてきたから久しぶりに呼ばれて嬉しいけど叱られてだからな。反省反省。


「ったく、お前は昔からすぐに呆けるな。考えるにしてももっと表情があるだろう。いや、違う。私たちが話している最中にそもそも考え事をするな」


「…仰る通りです。ごめんなさい」


「はあ…、お前は昔から考えるときは呆けるか百面相だな。少しも変わらん。…話を戻しましょう。心配ではありますが父上、吉川を毛利に組み込むことを考えますと次郎は出すべきでしょう。吉川兵の精強さは毛利の今後に役立ちますし、もし次郎が何か思いついたり、いつもの突飛な行動を起こす際は事前に相談させれば後々驚かされずに済みまする。それに次郎三郎や刑部にも報告させれば良いかと」


はあー、久しぶりに兄貴に怒鳴られた。俺が悪いから仕方ないんだが。てか何てことだ。俺はそんなにだらしない顔をいつも晒してるのか。全然気づかなかった。これからは少し気を付けよう。でも考え事をしてる最中ってぼーっとしちゃうんだよな。


それにしても兄貴は吉川の取り込みを賛成か。そうだよな、何てったってお袋の実家だ。潰したくないだろうし吉川家は精強な兵を持っている。

お袋の爺さん、俺からすると曾祖父(ひいじいさん)である吉川掃部助(かもんのすけ)経基(つねもと)は応仁の乱で東軍に所属し全国に鬼吉川として畏れられた武将だった。その類まれな武名を支えたのが吉川の兵だ。強い兵はいくらでも欲しい。それに俺も自分の領地を持って色々試したい。


「儂も否やはないんじゃ。ただ太郎が山口に人質に出した時のような心配があるだけよ。次郎は特にな。だが好機なのは確か。吉川の件は受けよう。次郎、吉川に行くことになるが構わんか?」


親父は父親として不安なのか。ちょっとうるっと来た。時々親父は辛そうな、愛おしそうな表情で俺たちを見る。当主としての判断で家族に無理を強いる時に良く見せる顔だ。


今回だって吉川を取り込める好機なんだ。俺の許可なんか求めずに命令してくれればそれでいいのにわざわざ聞いて意思確認をしてくれる。ここで俺が嫌だと言えば別の手を考えてくれるんだろう。だけど親父にそんな我儘を言いたくなかった。


「任してくれ、親父、兄貴。俺は吉川に行って毛利を支えるよ。吉川の人間になっても俺は毛利右馬頭(もうりうまのかみ)元就(もとなり)の息子だ。そうだろ?」


「…ああ、そうじゃ。当たり前じゃ。お前は儂の大事な息子よ」


それさえ聞ければ十分だ。親父を心配させないように満面の笑みを浮かべた。

親父は一瞬息を詰まらせたように目を見開くとくしゃりと嬉しそうに笑って頭を撫でてくれた。こうして撫でられるのも久しぶりだな。なんか嬉しかった。兄貴も親父に似た優しい笑みを浮かべて見守っている。この家族の為なら養子にだって出るし、吉川家の当主にだってなってやる。







「待たせたの、式部少輔、少輔七郎」


「いえ、謝られれてはこちらが恐縮するばかりに御座いまする、如何で御座いましょう?」


「うむ、今回のお主たちの提案であるが、受けようと思う」


「おお!それでは!」


「我が息、少輔次郎元春を吉川へ送ろう。吉川は元春を助け、毛利を支えてくれるな?」


「ははっ!お許しいただき誠にありがとう御座いまする。我々吉川に一度は裏切った不義者には身に余る御恩を賜りました。名誉を挽回し、今後は右馬頭様と安芸守様をお支え致しまする」


「うむ、吉川の今後の忠義に期待する。」


「改めて、少輔次郎元春だ。式部の叔父上、少輔七郎。今後ともよろしく頼む。俺を支えてくれ」


「は、こちらこそよろしくお願い致しまする」


「少輔次郎様を迎えられたこと、誠に嬉しゅう御座いまする」


二人に対して改めて挨拶をする。二人も希望が通ったことに安堵の表情を浮かべていた。これで俺も家持ちの人間になったわけだ。

責任ある立場に多少の重さを感じなくはないがやることは変わらない。俺のできる範囲で毛利を支えるだけだ。ありがたいことに吉川家中ではこの話に反対の声はないらしい。


知らない家に行くことに不安がないわけではないが次郎三郎に刑部大輔は一緒に来てくれることになっている。

それに俺の常備兵と権兵衛(佐東金時(さとうきんとき))も一緒だし心強い。移動は一ヶ月後となり式部少輔と少輔七郎は俺の受け入れ準備のため引き上げていった。


吉田郡山城から吉川家の小倉山城までは馬を走らせて1刻半から2刻。3時間から4時間ほどの距離だ。俺の関係者全員を引き連れたら7時間から8時間ほどは掛かるだろう。それぞれに準備させるための期間が必要だった。俺も準備を進めないと。












一五四一年  毛利美伊(もうりみい)



「お袋、入るぞ」


そう言って鶴寿丸、いいえ、今は少輔次郎でしたね。少輔次郎が入ってきました。身体は大きくなってきましたがそれでも子供。元服したとはいえ目の離せない我が子に違いないのです。

それがこの度、私の実家である吉川家に行くことになるとは。今日が出発の日。武士の世においてこのようなことは頻繁に起こり得ること。

そうとは分かってはいても寂しさが拭えませぬ。ああ、この子は本当に大丈夫でしょうか?


「お袋?どうかしたか?」


「いえ、何でもありませぬ。次郎、準備の方は終わっていますか?」


「もちろん、(おおむ)ね荷物のまとめは片が付いたから、後は出発するだけだよ」


うちの子たちは三人とも優しい子に育ちました。娘のおしんは少しやんちゃな子に育ちましたがそれでも宍戸家の方々には可愛がられている様子。手紙にも不満は一切書かれていませんでした。それが嬉しくもあり寂しいもの。


成長すれば子たちはみなそれぞれ私のもとから離れて行ってしまいます。太郎は帰ってきてくれましたが末の徳寿丸も元服すればこの次郎のように新たな家を興し外へ出てしまうでしょう。武家の習いとはいえ辛いもの。特に次郎は無茶をしがちです吉川の家で上手くやっていけるでしょうか。


「お袋、そんな心配そうな顔しないでくれよ。お袋が居た家なんだ。きっと大丈夫だよ」


「…そうですね。いくら憂いたところで無くなるわけではありませんね。それにこれは慶事。可愛い息子が私の実家の当主となるのですから。おめでとう、少輔次郎。頑張るのですよ」


「有難う御座います、母上」


いけませんね、息子に心配をかけてしまえば私がこの子たちの足枷になってしまう。そう、これは慶事、目出度いことなのです。そう思い込んでも割り切れることではないのですが。ん?次郎が姿勢を改めました。


「長年、こうして多くのご心配をお掛けしました。私の無茶は気性のようで今後も母上にご心配をお掛けすることも御座いましょう。ですが、ご安心ください。母上のお家はこれからは私が守ります。吉川家の当主として、一家の大黒柱として盛り立てていきますので、母上はどうかこの吉田郡山の地より見守っていてください。そして毛利の家を支えます。母上、私を立派に育てて頂き有難う御座いました」


ああ、これはずるい。普段あなたはその様に母に話すことなど無かったではありませぬか。涙が溢れてきました。ぼやけた視界の先で次郎が殿に似た優しい笑みを浮かべているのが分かります。次郎が生まれたばかりのことを今でも昨日のことのように覚えているのに、いつの間にかこんなに立派なことを言えるようになって。私の心配を吹き飛ばそうとしてくれているのでしょう。その心遣いが何より嬉しい。


「次郎、こちらへ」


「はい」


一度次郎が立ち上がると私が示した場所に腰を下ろした。そっと抱きしめる。小さいころからこうして母に抱かれるのを恥ずかしがっていた次郎は今日は逃げずに抱かれてくれた。身体は随分と引き締まりしっかりとした武士に成長しています。こんなにも大きくなって。こうして私が次郎を抱けるのも無くなるのでしょう。


「無理は絶対にいけませんよ」


「はい」


「あなたは一家の主となるのです、皆を(いと)いなさい」


「勿論だよ」


「鍛錬に、政務に励むのですよ」


「任せてくれ」


「体を大事にしなさい、殿のようにお酒は嗜む程度にするのですよ」


「親父にも言われたよ」


「…頑張るのですよ」


曾祖父(ひいじい)さんみたいに吉川の武名を轟かせてみせるから」


「…たまには、母にも顔を見せに来るのですよ」


「うん、ここに帰ってくるときは必ず顔を出すよ、お袋」


「あなたは、私の大事な子です。いつまでも愛しておりますよ」


「…はい、俺もお袋をいつも大事に思ってるよ。お袋も身体を大事にしていつまでも長生きしてくれよな?」


「ふふ、そうですね。あなたたちの活躍を見守るために私も健康に気を付けますよ、ありがとう少輔次郎。時間を取らせてしまいましたね、さ、行きなさい次郎」


「はい、それじゃお袋、元気でな。またすぐに会いに来るよ」


次郎を抱いていた腕をそっと解くと次郎との距離が離れていく。本当はいつまでもこの腕の中に抱いていたいけれどそれは止めましょう。

今日は次郎の旅立ちの門出。笑顔で見送りましょう。頬を伝う涙を拭い微笑むと次郎も白い歯を覗かせて人懐っこい笑みを浮かべた。


立ち上がり去っていく息子の後姿を見えなくなるまで眺めている。曲がり角で最後に次郎が振り返ると大きく手を振っていた。ふふ、元服をし、たくましく成長していてもどこか無邪気な次郎。私も小さく手を振り返した。


どうかあの子の道行が幸せなものでありますよう。暖かな光を降り注ぐお天道様にお祈りをしましょう。



吉川式部少輔経世   1489年生。吉川一門。母、美伊の兄。吉川家重鎮。+41歳

吉川少輔七郎経好   1520年生。吉川一門。経世の嫡男。お人好しな性格。+10歳

今田孫四郎経高    1525年生。吉川一門。経世の次男。剛勇で知られる。+5歳

吉川掃部助経基    1428年生。吉川11代目当主。鬼吉川と呼ばれていた。故人。+102歳

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[気になる点] 一度は裏切った不義を挽回 挽回ではなく返上では?
[一言] 更新を楽しみにしています^_^頑張って下さい
[良い点] 吉川元春になりましたね〜、元春君がやんちゃ坊主過ぎて毛利元春のままかとおもいましたw [気になる点] 次回新章開幕!?ですかな? [一言] 更新楽しみにお待ちしております。
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