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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文九年(1540) 吉田郡山城防衛
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尼子の老将、戦の終結

一五四一年  尼子(あまご)下野守(しもつけのかみ)久幸(ひさゆき)



なんということだ、これが大内の力だというのか。この苛烈さはなんだ、いつもの上品な戦はどうした。命をさらけ出すような戦をする将など大内には久しく居ないのでは無かったか。



毛利が青山に攻めかかってきた。山霧に紛れて多治比川(たじひがわ)を渡り、そのまま一気呵成(いっきかせい)に青山を登ってきたようだ。青山には吉川勢や小早川勢、高尾勢や黒瀬勢が先陣として控えていた。


最初にぶつかったのは小早川勢と吉川勢だ。此度の戦で寝返った安芸の国人、信頼できるかを試すための先陣起用であった。だが霧に紛れての攻勢に両名は早々に瓦解した。生死も分からぬ有様で、更に毛利は勢いそのままに高尾や黒瀬に襲い掛かった。


乾坤一擲(けんこんいってき)の攻撃だったのだろう。救援を送ろうにも霧が濃く、同士討ちの恐れがあるため送るに送れなかった。

それにこちらは既に厭戦(えんせん)の気が蔓延し出していた。そもそも出兵を決めた殿のやる気がないのだ。当然であろう。

その後にすぐ大内勢が攻め込んできた。先陣が負けたとしても本陣には二万以上の兵がいる。負けるはずがなかった。そのはずだったのだ。


だが暫くしてから凄まじい衝撃が後方から襲ってきたのだ。駆け上がってきた軍には有り得ぬほどの圧力。何度となく大内とやり合ってきた儂にも経験がなかった。不味い、ここが覚悟の決め所かもしれぬ。


「殿!!この戦は既に負け戦。このまま留まっていては討たれかねませぬ!お引きを!殿は儂が引き受けまする!さあ、お引きを!!」


「下野守、頼む」


そう言って殿は馬廻の者たちを引き連れて撤退を開始した。まだ纏まりのある今の内ならば被害を抑えられる。このまま戦っていてもすでに先は知れていた。もう収まりはつかぬだろう。

殿さえ生きておれば出雲でいくらでも再起することは出来るのだ。光井の山に点在していた我が軍の将たちも退却の法螺貝が吹かれたことで這う這うの体で退却を開始していく。後は儂がどれだけ時間を稼げるかによるだろう。


だが、殿は笑ってはいなかったか?いや、見間違いか。それに今はそんなことどうでもいい。どうせ隠居を考えていた身よ。戦場で死ねるなら本望、儂が臆病ではないところを証明する良い機会よ!


「我こそが尼子下野守久幸!腕に覚えのあるものは掛かって参れ!だが儂の首、安くはないがな!臆病野州でないところこの目に焼き付けよ!者ども掛かれぇぇぇ!!」


大内の兵たちが迫る中、後ろを逃げる尼子兵たちを庇う様に陣を敷いた。我が兵は五百程か。儂の死に付き合わせてしまうが謝りはすまい。儂と共に尼子の礎となってもらう。既に山霧は晴れており向かってくる敵兵の顔がはっきりと見えた。


あとはただひたすら、最後の一兵となるまで殿の逃げる時間を稼ぐまで。儂を含めた殿が逆に敵へと突撃していく。兵が少ない分、ぶつかった衝撃がここまで容易に伝わってきた。

兵たちが槍で突き合い、叩き合っている。このように前線で戦をしたのは何年ぶりであろうか。昔は兄の無茶を諫めながらも兄の偉業に魅かれて各地で戦った。思えば随分と尼子は大きくなったものだ。


昔は出雲守護代として幕府四職の京極家に仕えていた我ら尼子が、下克上を成し遂げこうして大国として近隣に恐れられる迄となった。何とも幸せな一生であったわ。これ程波乱万丈な一生はなかなか味わえまい。そう思うと自然と笑みを浮かべていた。


敵兵の表情が引き攣る。それはそうだろう。死に体の殿の将の儂が死を前にして楽しそうに笑っているのだ。確実に兵の命は失われ徐々に周りから命が失われた肉体が転がり始めていた。

敵兵の命も同程度刈り取ってはいるが所詮は多勢に無勢。次から次へと現れよる。振るっていた槍も重く感じる。そろそろか。

いつの間にか周りには数えるほどの兵しかいなかった。敵兵が一斉に襲い掛かってくる。もう避ける体力も残っていなかった。


敵兵の槍が身体を貫いた。もはや痛みも感じぬらしい。突き刺した敵兵の顔を見た。この下野守を殺したのだ。もっと誇らしくせよ。


「我が首を以て、手柄とせよ。良う、討ち、とった…」




もう口すら動かぬ、ああ、兄上。おさらばです。










毛利鶴寿丸(もうりつるじゅまる)



尼子の大軍が石見方面へと退却、というより潰走していく。史実では退却の体を成していたことを考えると酷い有様だった。尼子詮久(あまごあきひさ)もひょっとしたら命を落とすんじゃないか。そう思わせられる様を青山を落とした後眺めていた。大勝利といってもいい戦果だ。




最初にぶつかったのは吉川勢だ。だがここは当主の治部少輔(じぶのしょう)興経(おきつね)がほぼ独断で強引に尼子方に付いたせいか士気が低かった。

最初の接触で殆ど抵抗という抵抗なく瓦解した。興経は評判は決していいとは言えない男だった。当主の器量にあらずといわれていた男だが戦が滅法強かったため当主としての面子を維持していたのだ。


だが尼子の連日の不甲斐ない姿を見た吉川家臣たちは当主の判断の間違いと自分たちの判断が正しかったことを知り、早々に厭戦気分が蔓延していたらしい。家臣達からは見捨てられていたのかもしれない。戦が終われば興経は首だけとなっていた。


そのまま次の沼田小早川の陣に攻め上がり兵たちがぶつかる。小早川は吉川と違い早々に尼子派に転じていたため吉川のような混乱はなく纏まってはいたがそれでも抗しきれず徐々に後退。

山頂付近に陣を構えていた尼子方の先駆けである高尾勢や黒瀬勢と合流したところで一度拮抗した。

押しつ押されつを繰り返していたが隣の山で大内が勝負を決したことが決め手となり小早川は早々に退却、残った尼子軍は本軍と連動して撤退しようとしたがそれを許さずに毛利は最後の力を振り絞り追撃、慌てて退却したため殿を置いていなかった両将は毛利の猛攻の前に討死した。


ここで毛利は力尽き、尼子への追撃は大内へ託すこととなった。光井山では尼子一門、新宮党党首の尼子久幸と重臣、三刀屋(みとや)新四郎(しんしろう)久扶(ひさすけ)が討死。


尾張守(おわりのかみ)陶隆房(すえたかふさ))の追撃はさらに続き石見に差し掛かった所で新宮党を引き継いだらしい紀伊守国久(きいのかみくにひさ)、戦狂いの誠久の父親と激戦を繰り広げた。国久は負傷しながらも逃げ切り、ここで積雪で進軍を阻まれた尾張守隆房は追撃を断念して戦は幕を閉じた。

隆房は強硬に追撃を主張したが内藤興盛(ないとうおきもり)たち味方に止められ悔しさから慟哭(どうこく)したらしい。


陶隆房の暴走に近いこの追撃は石見の吉見正頼(よしみまさより)が原因だと後から聞いた。

最初原因と聞かされて意味が分からなかったのだが理由を聞いて納得した。過去に吉見正頼の叔父が、陶隆房の祖父を宴席の席で殺害していたのだ。

そのため陶と吉見は険悪な関係にあった。その吉見が尼子の支配下にあった石見東部に攻め入り見事石見銀山を奪還、そのまま石見銀山を防衛していた本城(ほんじょう)越中守(えっちゅうのかみ)常光(つねみつ)を降伏させたことにより刺激、というか煽られ無茶な追撃となったらしい。こうして頭崎城攻略戦から始まる一連の攻防戦は幕を閉じた。


結果として、安芸国内は吉川家は当主討死により衰退、元から親大内でいたかった家臣が話し合い毛利に降伏。

沼田小早川家は痛手を負い尼子の後ろ盾を失ったため今後、小早川興景率いる竹原小早川家と毛利家に圧されていくことになるだろう。


大内の拠点がまだいくつか点在しているものの毛利が安芸国をほぼ統一した。大内家からは、国力以上の実力を示し、尼子に大打撃を与えた毛利家を絶賛。

幕府と朝廷に掛け合い安芸守護職を親父の毛利元就に、従五位下(じゅごいのげ)安芸守(あきのかみ)を兄貴の少輔太郎隆元に授けさせた。


これは毛利にとっては青天の霹靂とも言えるほどの驚きで親父も珍しく目を見開いて驚いていた。

それはそうである。外様の毛利が本来そこまでされること自体普通は有り得ない。これを素直な信頼とみるか何か企みがあるのかは考えどころではあるが親父に拒否権はない。

またあって無駄になるものでは無かった。なにせ安芸の支配者が誰であるかを幕府と朝廷に認められたことになる。


これは国人盟主から戦国大名として生まれ変わろうとしていた親父にとっては渡りに舟だ。また、今回援軍として参加してくれていた内藤興盛の娘、あややと兄貴の婚約も決められた。これにより毛利は大内配下の一国人から従属的ではあるものの、同盟者としての立場に変化したことになる。だが関係は今までよりもより密なものになった。


また親父は吉田郡山城での防衛戦の様子を日記に書き認めていたらしく、『毛利元就郡山籠城日記』と名付けられたそれを幕府に提出し称賛を受けたらしい。

ちゃっかりこんなことをしている辺り抜け目ないし、大国尼子を大内の力を借りたとはいえ撃退したことを毛利の名を上げるために利用した手腕は脱帽ものだ。


大内家は、庇護下にあった毛利をしっかりと救援したことで内外に大内の頼もしさを世間に示し、更に尼子の重臣を幾人も討ち、また石見国を完全支配。

吉見正頼を石見守護代として配し、尼子の支配力を低下させ弱体化させることに成功した。

陶隆房は憤懣遣(ふんまんや)る方無い様子だったそうだが大内義隆が手放しに褒め称えたため一先ずは溜飲を下げたようだ。


今回の石見の完全支配は毛利が独力に近い状態で吉田郡山城戦まで迎えたおかげで大内が九州の戦に専念できたことが遠因にあると思う。また史実では安芸武田は健在だったためこの戦でも大内に抵抗して手を煩わせていたがこの世界ではすでに滅んでいるため大内にはかなりの余裕があった。それが石見征服に繋がったんだと思う。


一方、史実より遥かに被害を出した尼子家は石見を失い、重臣も何人か失っている。また、今回の敗戦で支配していたいくつかの地域は離反や勢力を盛り返されている。


備後国(びんごのくに)(現在の広島県東部)では以前下した多賀山通続(たかのやまみちつぐ)に続き、山内直通(やまのうちなおみち)三吉(みよし)安房守(あわのかみ)致高(むねたか)等の有力国人は大内に鞍替えした。

大内家は与力(よりき)として備後国人たちを毛利家に付けて尼子に対抗させるつもりらしい。以前から誼を通じていた山内直通は尼子の敗退後すぐに毛利に接近しその支配下に入っている。


備中国(びっちゅうのくに)(現在の岡山県西部)では尼子派だった庄家(しょうけ)が勢力を拡大していたが今回の件で、劣勢だった三村家(みむらけ)が台頭してきている。


また備前国(びぜんのくに)(現在の岡山県東部)は浦上家(うらがみけ)が、播磨国(はりまのくに)(現在の兵庫県南部)は赤松家(あかまつけ)が、美作国(みまさかのくに)(現在の岡山県北部)は三浦家(みうらけ)が、因幡国(いなばのくに)(現在の鳥取県東部)では山名家(やまなけ)がそれぞれ旧領を取り戻そうと動きを活発化させ始めている。


一度の敗北で尼子の支配領域にこれだけの影響が出たことに正直驚きを隠せない。

いくら強い主を上に置いたとしてもその主が負ければ国人たちは一斉にそっぽを向く。当然だ、巻き込まれて滅びたい家などないのだから。


毛利も今後、戦国大名として生きていくためにこの国人たちとの付き合いをどうしていく必要があるのか考えなきゃならない。国人たちが毛利に従いたいと思える国造り。ようやく自立したもののまだまだ先は長いのだ。



「ようやく、終わりましたな」


「ああ、長く厳しい籠城戦であったの、上野介(こうずけのすけ)志道広良(しじひろよし))。だが、其方(そなた)たち家臣や民たちのおかげでこうして命が繋がったの。だがここからよ、其方らもまさかここで満足した訳ではあるまい?」


「まさか、むしろここからが始まりに御座いましょう」


「ははっ、左京亮(さきょうのすけ)赤川元保(あかがわもとやす))め、言いおるわ。だがその通り。我らはようやくこの二本の足で立つことが出来たのじゃ。ならば次は歩き出さねばの。歩かねば足は衰え立てなくなろう。太宰大弐(大内義隆)様からは東へ進むことを許されておる。つまり当面の相手は尼子家となろう。此度(こたび)我らが勝ったとはいえ尼子は未だ強大じゃ。おいそれと簡単には勝てぬ。敵に潰されぬために我らはますます大きくならなければな。皆の者、これからも頼むぞ」


「ははっ、我等はこれからも殿を支えまする」


「うむ、少輔太郎、いや、安芸守。これから頼むぞ」


「はい、私も父上の背中を追い精進いたしまする」


「鶴寿丸、其方はこの籠城戦を見事戦い抜いた。そろそろ元服を考えねばな。領内が落ち着き次第行う故覚悟だけはしておけ」


「ははっ、ありがとうございます!」



そうか、俺もついに元服か。史実よりも早い。確かに今回の戦でも戦い抜くことが出来たけど俺なんかが元服なんてして大丈夫かな。

元服することによって今まで出来なかったことも行えるようになるだろうけどちょっと不安だ。

でも、もっともっと毛利を大きくしたい。誰かに奪われたり襲われたりしない強い国にしたい。民たちが安心して暮らせる国が欲しい。作りたい。


その為にも親父や兄貴、次郎三郎(じろうさぶろう)熊谷信直(くまがいのぶなお))や刑部大輔(ぎょうぶたいふ)口羽通良(くちばみちよし))、権兵衛(佐東金時(さとうきんとき))たちと一緒に俺は俺として戦っていくんだ。




【新登場武将】



三吉安房守致高   1485年生。備後国人。尼子から大内に鞍替え。+45歳

三刀屋新四郎久扶  1513年生。尼子家臣。尼子十旗の一人。+17歳

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― 新着の感想 ―
[良い点] クレイジーサイコモーホー陶さん、マジ妖刀w恐ろしい切れ味ですね。
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