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百万一心の先駆け ~異伝吉川太平記~  作者: 一虎
天文九年(1540) 吉田郡山城防衛
21/115

大国の悩み、大内の寵臣

一五四〇年  冷泉(れいぜい)左衛門(さえもんの)少尉(しょうじょう)隆豊(たかとよ)


軍の準備が整ったと(すえ)尾張守(おわりのかみ)隆房(たかふさ)が報告に来た。いよいよ毛利救援の軍が発つことになる。


尾張守も前年、父の尾張守興房(おきふさ)殿が亡くなり家督を継いでからは初めての戦。興房殿が担っていた責任ある立場を任されて嬉しいのだろう。


いや、こやつは太宰大弐(だざいだいに)大内義隆(おおうちよしたか))様からのご命令とあらば何でも喜んで実行していたか。

幼い頃より殿の寵愛を受け成長したこの若者は今も、殿のお顔を嬉しそうに見ていた。まったく困ったものよ。


右馬頭(うまのかみ)毛利元就(もうりもとなり))はなかなかの戦巧者よな。頼もしいわ。このまま尼子を潰してはくれんかの」


「殿のご希望に御座いますれば私にご命令下され!必ずや尼子めを滅ぼして御覧に入れまする」


「ははっ、流石は五郎(陶隆房の通称)よ。愛い奴じゃの。だが無理はいかん。お主は我の大事な家臣故な。此度は毛利の救援をし尼子を蹴散らしてくるだけで良い。尼子相手は頼んだぞ五郎。大友が筑前筑後、肥後で食指を動かしている」


「殿…」


「心配は要らぬ、五郎。さ、そろそろ出陣するがよい。大内の武名を轟かせてくるのだ」


「分かりました。必ずやご期待通り毛利を救援し尼子を蹴散らして見せまする。しからば御免」


尾張守は心配そうに殿を見た。女子のような顔が憂いを帯びるだけで男女関係なくため息が零れるであろうな。やれやれ、自分が離れることが心配なのであろう。いつまで経っても親離れできぬ子犬のようだ。


これで戦になれば縦横無尽に活躍するのだから、同一人物には見えぬな。殿に促され、期待されていることが分かったのか張りきり勇んで部屋を出て行った。思わず苦笑が浮かんだ。


尾張守は殿にしか扱えぬ。殿に対しての忠心は間違いない。だが忠心、いや、独占心か。他の家臣が殿に褒められるだけで不満そうな顔を隠そうともせぬ。

特に文治派と呼ばれる殿の腹心たちにはそれが顕著だった。殿に対してだけ素直なのだ。かつて受けていた寵愛を今も独り占めし続けたいのだろう。困ったものだ。


「誠、愛されておりますな」


「嬉しくもあるが困ったものよ。あやつは戦に比重を置きすぎる。戦などせずとも国は豊かに出来るのだ。国が豊かになれば文化が栄え心も豊かになる。それを理解して欲しいのだが、難しい」


「私からも何度か政務に目を向けろと話してはいるのですが聞く耳持ちませぬ。殿の刃たる私が文弱に溺れる訳にはいかぬとこればかりに御座いますな」


「我も変わらぬ。いくら言ってもお戯れをと聞き流しよる。自身の活躍の場は戦にのみと定義しておる。なればこその強さではあるが。まあ、いつか分かってくれるだろうよ」


「だと良いのですが」


「それよりも石見銀山をどうするかよ。尼子にまたしても奪われたからの。陶には毛利の救援をさせるため使えぬ。先日還俗したばかりの式部少輔(しきぶのしょう)正頼(まさより)に石見奪還を任せようと思うのだが」


「吉見殿ですか。三河守(みかわのかみ)隆頼(たかより)殿は無念に御座いましたな」


「うむ、頼りになる男を亡くしたものよ」


殿が寂しそうに呟いた。三河守殿には殿の姉君、宮姫が嫁いでいた。


だが、つい最近だ。山口に滞在されていた隆頼殿が何者かに殺されているのが見つかったのは。不審な死であった。犯人の証拠は見つからず身辺が荒らされていたことから賊の犯行ということになり隆頼殿の弟、正頼殿が還俗し賊狩りを行った。

正頼殿はまだ経験は浅いが元僧籍らしく清廉な人柄で好感の持てる御仁であった。経験を積ませたいのだろう。


「すまぬが左衛門少尉、式部少輔を支えてやってくれぬか?」


「頼まずとも私に命令なされば宜しいのです。遠慮は無用に御座います」


「うむ、すまぬな。これを機に石見の支配権を確立したい。銀は明との交易に使えるからな。尼子の相手は…。そうさな、毛利にさせようか。東にはこれ以上進みたくない。毛利が思った以上にやるのが分かった。東は毛利の支援のみとし、我らは九州に集中しようか。…ふう、戦は終わらぬの」


「東には進まぬのですか?」


「父の上洛の話を聞いてはな。父、左京大夫(さきょうのだいぶ)義興(よしおき)は立派ではあったと思う。事実上の天下人よ。公卿(くぎょう)にまで列せられ大いに名をあげた。誇らしくもある。が、京の都の争いを収めることは(つい)ぞ出来なんだ。京の政争に巻き込まれ尼子や武田の伸長を許してしまった。我等の土地からは遠いのよ。何度も何度も上方(かみがた)連中に付き合って上洛なんぞしておってはいくら大内といっても保てぬであろう。ならば最初から関わらぬほうがいい。適度に献金だけして官位を得て、公家を招けば自ずと中心は我らとなろう」


「そのようなことを考えておられたのですか?」


「ふふ、まあ、今はまだ夢物語じゃがな」


殿は近頃、戦に対して辟易した態度を見せるようになっていた。いつになっても終わらぬ戦いの日々。大内家は明との交易、朝鮮との交易で莫大な富を得ており、都からは公家たちが庇護を求めて山口の地に訪れてずいぶん経つ。


先ほど殿が言っていたように戦などせずとも大内家は栄えることが出来るのだ。そのことが殿の戦への関心を徐々に奪っていっているのかもしれぬ。


だが、まさかそのようなことを考えられていたとは。このお方はなんという偉大な方か。気付けば知らぬ間に平伏していた。殿の楽し気な笑い声が頭上から聞こえる。


外からは尾張守の出陣の声が響く。尾張守気付け!この方は我々が予想も出来ないほどの大きな方ぞ。この方にどこまでもついて行かねばならぬのだ。そのことに気付け!







毛利鶴寿丸



式部少輔誠久(いくさ狂い)との激戦から十日以上経ったある日、ついに大内が軍を興し山口を発したとの知らせが吉田郡山城に届いた。


坂城に入っている杉次郎左衛門隆相殿からの連絡だ。ほぼ間違いないだろう。大将は大内太宰大弐様の寵臣、陶尾張守隆房。史実では後に大内義隆に謀反を起こした陶晴賢だ。


隆房は美男として知られ、才能も豊かだったこともあり主の大内義隆に大いに愛され期待を受けていた。そしてその期待に応えて隆房も活躍したが、史実では尼子との戦で義隆は後継者として期待を掛けていた周防介(すおうのすけ)晴持(はるもち)を失ってしまう。


そのせいで義隆は領土拡大に興味を失い文芸に傾倒するようになる。隆房はそれが許せず何度も主を諫めたが聞き入れられず謀反を起こしたって流れだったはずだ。


愛憎劇の果てにって感も否めなくはないが、要は武士が文芸にうつつを抜かすなってのが本質にあったんだと思う。この時代の武士は、暮らしてみて分かったことだが武士であること自体が誇りだと考えていることが殆どだ。


だから武芸を磨いて兵法を学び戦に備え、いざ戦場に出たら勇猛果敢に戦う。勿論政務も行っていたのだろうが殆どの武士が過去から受け継がれてきたことをとりあえず継続させている。改革などという発想自体出てくることはあまり無かっただろう。


何故なら武士の仕事は生き死にを掛けて戦をすることが誉れで政務は本来の仕事ではないから。


今の毛利は太郎兄貴が率先して政務に励み財政が安定、むしろ賑わせているほどだから忌避感が薄い。


だが、それでも全く無いわけではない。銭勘定などしおってという陰口は少なからずあるのだ。特に年配に多い。上野介(こうずけのすけ)志道広良(しじひろよし))なんかは爺さんのくせに柔軟だから稀だが。


だが毛利は歴史は古くとも一国人から成り上がっている家だ。家の規模が小さいぶん意見を統一させるのにそれほど苦労はない。


だが大内は歴史ある大国。しかも前当主|大内左京大夫義興は一度上洛までしており戦国前期の天下人とまで呼ばれたほど大内の武名をぶち上げた人物だ。

その栄光を共に味わった家臣。その話を聞いて育った家臣も多いだろう。その家臣たちが文芸にうつつを抜かす主を見たらどう思ったかは想像に難くない。


特に陶隆房を含む陶家は譜代の重臣、当主に代わって大将を務められるほどの家柄だ。

いわば大内家きっての武の家なのだ。そんな隆房から見て、戦をしようとしない義隆では自分たちの存在価値を否定されたような心地だったんじゃないかと思う。敬愛する主に否定されるのだ。堪えるだろう。


更にその時期は家臣内の派閥争いが激化していた。

隆房を中心とした先代の栄光を知る武断の派閥と、現当主義隆が組織した相良武任を中心とした文治派といわれる派閥の争いで、義隆と隆房の関係に決定的な溝が入ってしまったことが引き金になってしまったんだろう。

愛が憎しみに変わった、なんて聞くが当てはまりそうだ。下種な考えだが。


何が悪かったんだろう。義隆が革新的過ぎたのかもしれない。大内の家柄も問題だったろう。

譜代が権力を持ちすぎていたことも原因かもしれない。


だけど今の時代ならどの家にも起こりえることだ。毛利だって中央集権が確立されているわけじゃないんだ。これから親父や兄貴と少しずつ成さなければならないだろう。


まあ、この世界で同じことが起こるかは分からないけど。っと、考え込みすぎだな。まだ戦中だ。気を抜いたら大人たちに怒られる。

そんな陶隆房だが今は20歳位の兄ちゃんだ。いや、20歳そこそこで既に大将に任ぜられるところが恐ろしさを覚える。この援軍を以てこの長い長い籠城生活も終わりを迎えられるだろう。


最近は小競り合い程度しか起きていない。あの激戦で尼子の兵をかなりの数討ち取ったらしい。中には名のある武士も含まれているようで吉田郡山城は大いに沸いた。


そのおかげで尼子は大きな攻勢を掛けてくることが無くなったのだ。だが味方にも被害はあり怪我人が広間に溢れたし、30人以上もの兵たちが命を散らしてしまった。

この数が多いのか少ないのか分からない。だがあれだけ激しく攻め立てられたのにこれだけの兵たちが生き残ったんだ。きっと少ないんだと思う。命を懸けて戦ってくれたからこその勝利だ。


兄貴は「彼らも大事な家族を守るために命を懸けたんだ。同情はその誇りある死を汚すから、我ら生き残った者はその誇りを称えて見送るのが礼儀だ」と言われた。

きっとその通りなんだと思う。死んでしまったことに同情するのではなく、毛利家を、この安芸国を守ってくれたことを感謝して見送った。



大内援軍の知らせが来てから1ヶ月ほど。とうとう大内軍が到来した。総勢1万。

武断派筆頭、陶隆房の率いる大内の精鋭部隊だ。しかも登場が派手だった。隠れるつもりもないのだろう。陣太鼓や法螺貝が盛大に鳴らされ吉田郡山の東側に着陣。


何で東側に来るんだ?と思ったが瀬戸内海を海で渡り来たらしい。そしてその陣太鼓と法螺貝は暗くなるまで続きその夜、陶隆房が供回りを引き連れて吉田郡山城に登城してきたのだった。


「毛利の皆さん、我々の太鼓の音色による持て成しはいかがでしたかな?」


「これは陶殿が参られるとは。救援、誠に感謝致します。太鼓の音色に城内も励まされました。お心強い限りに御座います」


「ははっ、それは良かった。おお、少輔太郎(しょうのたろう)毛利隆元(もうりたかもと))殿。山口以来であるな。お元気にしていたかな?」


「尾張守殿、お久しぶりに御座います。太宰大弐様はお元気ですか?」


兄貴は尾張守殿と親しげだ。尾張守殿も兄貴のことを嫌ってはいないのだろう。にこやかに話している。だが太宰大弐様のことを話題に出した途端に豹変した。急にテンションがぐんと上がった。


「ええ!ええ!それはもう!我が主、太宰大弐義隆様は仰いました!五郎、尼子を蹴散らし、毛利殿を救援せよと!大内の武名を轟かせよと!ああ!殿が私に期待をしてくれるだけで私は何処までも駆けていけそうな!そんな心地がするのです!少輔太郎殿もお判りでしょう?」


「ええ、それは勿論存じております。太宰大弐様はいつも尾張守殿を頼りとされておられました。その寵愛がとても羨ましく思います」


「はははっ、さすがに少輔太郎殿であってもこの殿からの寵愛は私だけのもの、お渡しするわけにはいかぬのだ、すまないな!はははっ!」


おおお?!貴公子然としていた態度が急変した。こんな酷いのか、ここまで大内義隆に心酔してるのか。怖いよ、これ!


太宰大弐様の名前が出た瞬間恍惚としだした。兄貴は慣れているのかにこにことしているが何処となく心ここに在らずといった様子な気がする。


親父は…、あ、なんかこの顔初めてだ。愛想笑いをしたまま固まってる。すごい、親父が固まるのを初めて見た!しかも元気か聞いたのにその答えが一向に帰ってこない。


義隆讃美が止まらない。止めないの?止めちゃいけないのか?お連れの兵の皆さんも一向に止めようとしないしうちで一番大内に詳しいであろう兄貴も止める様子がない。止めちゃいけないのか?


「尾張守様、そろそろ軍議に入られては」


毛利家の様子を察したのだろう。空気を読んだ大内兵の一人が讃美を延々と繰り返す尾張守を遮り提案をした。ああ、良かった。

と毛利家が安堵の吐息を漏らそうとした時だった。兄貴の顔や他の陶兵の顔に緊張が走った。そして瞬間。遮った兵士の腕から血が出ていた。


「あぐっ?!ああああああぁぁぁあ!?」


「駄目じゃないか邪魔しちゃ私が敬愛する殿の話をしているのだ邪魔するのは駄目だろう遮っていいのは殿だけだなんでそんなことも分からないんだああなんて不敬な男だそうだろう?遮ったことに対する謝罪はないのかええ!?」


「ああ?!も、申し訳っ!ございませぬ!申し訳御座いませぬ!」


突き刺さった脇差を揺さぶるように上下させながら捲し立てる尾張守の表情は笑顔なのに狂気しか感じない。捲し立てる言葉には何の感情も載っていないかのようなのに恐怖を覚えるほど冷たかった。


悲鳴を上げながらそれでも懸命に非礼を詫びる兵士の謝罪の言葉がようやく言い終わると刺されていた脇差はすっと抜かれた。


「分かればよいのだ。全く躾のなっていない兵だ。仕方がないね。毛利殿、我が兵が大変失礼を致しました。こうして罰を与えました故、どうかお許しいただきたく」


「あ、ああ、お気になさらず。それよりも早く手当てを!」


「おお、なんとお優しい!毛利殿、我が兵のためになんと寛大で御座いましょうか!ほれ、お前のために毛利殿が手当てをしてくれるそうだ。感謝したまえ」


「あ、ありがとうございま…」


「いい、いい!気にするな!さあ急ぎ連れて行け!」


いったい何が起こったのか分からなかった。気付けば惨劇が起き、腕を刺された兵士はすぐさま運ばれていく。だが刺した張本人は何事もなかったかのように振舞っていた。


「さあ、それでは毛利右馬頭殿。尼子を蹴散らすための軍議を行いましょうか」


「そう、ですな。ご案内させましょう」


そう言って親父や隆房。側近たちは城内へ歩いていくのを呆然と見ていた。そっと隣に兄貴が止まり、周りには聞こえぬように耳元で囁く。


「陶尾張守殿が太宰大弐様のことを話し出したら止めてはならない。会話する際は必ず太宰大弐様を誉め、太宰大弐様に愛される尾張守殿を誉めねばならない。忘れてはならぬぞ」


恐ろしい男が援軍に来たのだと理解した。




【新登場武将】


冷泉左衛門少尉隆豊  1513年生。大内重臣。忠誠篤い知勇兼備の士。+17歳

陶尾張守隆房     1521年生。大内重臣。寵臣。西国無双の侍大将。+9歳

陶尾張守興房     1475年生。大内重臣。隆房の父。故人。+55歳

吉見式部少輔正頼   1513年生。大内家臣。石見国人で大内義隆の姉婿。+17歳

吉見三河守隆頼    1500年生。大内家臣。参詣の際に賊に襲われ死亡。故人。+30歳

大内周防介晴持    1524年生。大内義隆の養嗣子。後継者として期待される。+6歳

大内左京大夫義興   1477年生。大内家前当主。義隆の父親。故人。+53歳

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― 新着の感想 ―
[良い点] 陶さんガイキチ過ぎて草
[気になる点] 大内義隆の官位は太宰少弐ではなく太宰大弐ではなかったでしょうか? [一言] 吉川元春は毛利では一番好きな武将ですので期待しております。
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