激戦
一五四〇年 毛利鶴寿丸
「耐えよ!無理はするな!隣の者、後ろの者、互いに助け合え!!守りに徹しろ!」
式部少輔(尼子誠久)との戦は最初から激戦だった。遮二無二ひたすら押して押して押しまくる、まさに攻撃だけしか考えていないような突撃から始まったこの戦いに親父率いる毛利軍は押された。
じりじりと後退させられる。この部隊は毛利の中でも親父の精鋭と呼ぶに相応しい旗本部隊だ。それなのに尼子の部隊はその上をいくらしい。
だが原因はそれだけでは無かった。兵たちが委縮しているのだ。
この中国地方にその名を轟かせる尼子の新宮党の名前。情報が碌に発達していないこの時代では噂だけが独り歩きして自然と名前が大きくなる。
甲斐の武田家や越後の上杉なんかがそうだ。戦国最強と謂われた武田と上杉を織田信長は恐れ、勝てる確信が得られるまでは土下座外交に徹している。だがそんな最強部隊も武田は長篠の戦で負けてから坂を転げ落ちるように滅び、上杉も謙信亡き後の内乱からは武名が振るわなくなった。
要は印象というか前情報のせいで敵を大きく見せられているような気がする。
だけどその印象がまさに今、前線で戦う兵たちにもろに影響を与えていた。心理的に既に敵を自分よりも上に置いてるんだ。日本全国で、土地によってそれほど兵の力って違うもんなのか。
よく三河や甲斐、越後兵は強いとかって聞いたことがあるけど、あれも敵から奪うって貪欲さとかこの土地を絶対守るっていう意志の力があったから強かっただけな気がするんだけどどうなんかな。少なくとも安芸と出雲にそこまでの地力に違いがあるとは思わないんだけどな。
だから俺は攻めること、敵を殺すことを早々に止めさせた。そもそも出来ないことに比重をかけるなんて体力が勿体ない。両方器用にこなせればその方がいいに決まってるけど今回俺たちの軍はあくまで敵を疲れさせるのが目的であって殺すことは二の次だ。殺すのは伏兵の兄貴たちに任せればいい。それに委縮してる味方の兵たちに殺しまで期待するのは酷だ。
だから出来ることをさせる。そのおかげか守りの指示に変えてから兵の動きに余裕が出来た。城に籠っていたときは確実に守れていたんだ。守るだけなら互角に戦えることを兵たちはこの戦でたっぷり経験してる。
だからこそ、この指示は活きると思った。徐々に後退しなくなってきている。前線の兵たちは木楯で頭上を守り槍で殴り合い押しつ押されつ繰り返しながら尼子の猛攻を耐えていた。このままなら。
「オラオラァ!毛利ィ!戦場に出たのに引き籠ってんじゃねエェ!!」
恐ろしい程の大きな怒声と共に前線の一角を激しい衝撃が伝わった。何事だ!?見ると猛獣に食い荒らされたようにそこだけ前線が欠けている。
親父も事態に気付いたのか後方に控えていた部隊がすぐに前線と交代するように送られてきた。早い!だが異変があった前線はまたすぐに侵食されていく。いったい何なんだ!?
「ギャハハァ!楽しいなァ、オイ!オラ、お前らも休んでんじゃねエ!押して押して押しまくれ!!」
「あれは式部少輔誠久!!」
「はあ!?なんで敵将がこんな前線で戦ってんだよ!」
「分かりませぬ!ですが式部少輔に間違いありませぬ!」
俺の補助をいつもしてくれている次郎三郎(熊谷信直)が声を上げた。
信じらんねえ!なんで敵将がぐいぐい前に出てくんだよ!お前が死んだら負けんだぞ!?あー、クソ!膠着状態があいつのせいでまた敵に勢いがついてきてやがった。
どうする、あいつを殺せばそれでお終いだ。防御を解いてあいつを狙わせるか?
いやいや、駄目だ。現に親父の兵を使ってもあいつの周りを抑えるのに失敗してる。防御を止めてあいつも討てなかったら今度こそ完全に前線が壊れる。支えきれなくなる。何か、何かないか!?親父に知らせる時間も無い。ふと次郎三郎と視線が合う。次郎三郎は俺の槍の師匠みたいなもんだ。俺なんかよりも全然強い。抵抗できる手段じゃないのか。どうする、次郎三郎を危険な目に合わせることになっちまうんじゃないのか。いや、信じるしかない。
「次郎三、お前あいつ抑えられるか?!」
俺と目が合った時点で覚悟したんだろう。声を掛けるとすぐに返事が返ってきた。
「抑えるだけならばこなしてみせまする!」
「よく言った!此処の指揮は俺が何としても執る!次郎三があいつを抑えろ!!いいか、無理は絶対するな、抑えるだけでいい!絶対死ぬなよ!」
「畏まった!鶴寿丸様こそ落ち着いて指揮をなされよ!」
「一言多い!!安心しろ、親父の側にいる刑部(口羽通良)をこっちに呼ぶ!行け!!」
「なら安心ですな。ではっ!!」
クソ、こんなことしか対処法が浮かばん!俺が行きたいが勝てるわけ無い。
式部少輔はただの半農半士の兵じゃない、れっきとした訓練を積んだ武士なんだ、俺が出て行っても犬死だ。なら俺より強い次郎三郎に頼むしかない!死ぬなよ次郎三郎!
指揮のため馬上にいた次郎三郎は側回りの者に馬を預けるとそのまま前線に駆け出して行った。鍛錬では俺を余裕で転がし回る次郎三郎だ。未だにまともに勝てていない。
たまに一本取れるか取れないかだ。ここは任せるしかない。旗持ちの権兵衛も不安そうに見ていた。権兵衛も俺の警護役になってから次郎三郎に転がされている。俺を守るには力不足だとかなり扱かれていた。
「次郎三郎様、大丈夫だか?」
「あいつを信じるしかない!権兵衛、次郎三の分まで俺を守ってくれ!」
「任せて下せえ!」
「そこ、前衛を交代させろ!押され始めているぞ!守れ!守れ!!」
いつまでも次郎三郎を見ているわけにはいかなかった。次郎三郎がいなくなった分俺が此処の指揮をとらなければ。だがまだ不安だ。
次郎三郎と約束した通り刑部をこっちに呼ぶか。まだ戦の空気感と言われるものは俺には分らない。だから親父や次郎三郎の教わったことを忠実に守り見様見真似でするだけだ。
だがそれでは不測の事態に俺じゃ対応できない。側仕えに口羽刑部を呼びに行かせた。
熊谷次郎三郎信直
勇んで前線まで出てきたはいいが、式部少輔、恐ろしく強い。攻めだけなら儂でも敵わぬだろう。口々から零れる言葉には品性の欠片もないが鋭さと速さ、敵の急所を的確に狙うかのような槍さばきは本物よ。おお!危ない危ない!ひと時も気が休めぬ。
「おっさん、強いなァ!やっぱ戦っつったらよ!強いヤツと戦ってこそだよなァ!!」
「この戦狂いが!少しは休ませい!!」
「あははァ!こんな楽しい戦!!休憩なんてしたら勿体ないだろうが!!」
まだまだ本気じゃないんだろう。言葉の節々から余裕が感じられる。
だがこれこそ利用できるというものよ。本気でないならひたすら時間稼ぎをさせてもらうぞ。
だが尼子一門でこの態度。尼子は毛利攻めをそこまで本気で行っていないのか?この戦馬鹿が特殊なだけか?尼子の意思統一が出来ていないならこちらも付け込める隙があるということだが。この戦から戻ったら殿に報告しておくべきだな。
「おいおい、何考え事してんだよ!!妬いちまうなァ、オイ!!」
クッ!これが奴の本気か!?さらに早くなるか!兜の錣が削り飛ばされた。なんと恐ろしい一撃よ!考え事をしている場合じゃない。奴の動きをしっかり見ていなければ討たれる!
「すまんな…!こっちはお前たちの大軍に攻められて忙しいのよ!だがしっかりお前の相手をしてやるから楽しんでいけい!!」
「おっとォ!へへっ、今のはやばかったなァ?まだまだ楽しめそうで安心したぜエ!!」
ギラギラとした獣のような眼光、兜の前立てに付いた鬼の面とよく似ておるわ。獰猛な笑みで襲い掛かってきおって!だがこいつを儂が何とか抑えてるおかげで周りの状況が落ち着きだしているのは僥倖だ。
鶴寿丸様は問題なく指揮を執れているだろうか。何もなければいいが。刑部殿が来れば大丈夫だとは思うが。鶴寿丸様、殿を安心させるためにもこの式部少輔を抑えきらねばな。
それにしても尼子の精鋭、さすがに息が長い。まだへばらぬか。これは本当に守り切れるか?圧力は弱まってきているか?この馬鹿のせいで今の状況が分からぬ!ぐっ、大袖が飛ばされた。こやつの槍の速さがここにきて更に増してきている!よもやここまでとは。他を気にしている余裕もないか…!
どれほどの時間が経ったか分からぬ。だが、それすら今はどうでも良かった。鋭く刺し出された槍をいなし続ける。この動作だけでも一苦労だった。
それが何度も何度も襲い掛かってくる。身を逸らし、後ろに跳んで躱し、隙があればこちらの槍を突き出す。目の前の戦狂いが敵味方関係なく突き殺したせいで周りの兵たちはそれぞれ戦いながらも一定の距離を開けるようになっていた。このご時世に一騎討とは。
だが抑えられるものは数少なかろう。ここを突破されれば戦況が傾きかねん。苦しくなってきたが相手の槍の勢いも気のせいか落ちたような気がする。それでも鋭いが…!
その時だった。尼子の兵たちに動揺が走った。遂にこの時が来たのだ!その動揺は式部少輔にも伝わったのだろう。槍の手を止め自身の軍の様子を窺った。今だ死ね!
「オイオイ、不意討ちは無エだろうがよ。くそ、てめエら伏兵潜ませてやがったか!しゃらくせえ!!爺みてえにつまんねえことしやがって!!」
くそ、避けられたか。さすがに当たってはくれんな。勘がいい。
だがいいのか式部少輔。ここにいては取り返しがつかなくなるぞ?ニヤリと笑って返事とする。式部少輔も興が削がれたように不機嫌な顔をして踵を返した。
動揺は混乱へと変わり尼子兵たちが慌ただしくなる。気付かなかったが遮二無二攻め続けた尼子軍はかなり疲弊していたのだ。そこに無傷の伏兵の登場だ。耐えられぬだろう。混乱はさらに広がり恐慌状態に陥り始めていた。纏まりを失い脱兎のごとく逃げ始めている。
「クソが!お前の顔覚えたからな!!次こそ絶対に殺してやる!!お前ら引け!!」
式部少輔もそう言って周りの兵たちと共に後退していった。それにしても恐ろしい敵よ。何もない平野での戦だったら間違いなく負けていただろう。それにしても久しぶりに草臥れたわ。二度とやりたくない。二度と顔を合わせたくない。
見れば自分の身体はぼろぼろだった。大袖は無くなり腕からは血が出ているようだ。夢中になっていて気付かなかった。
「今が好機よ!!毛利の力を示せ!!尼子を殺せ!!」
「掛かれ!掛かれ!!恨みをぶつけるは今だぞ!!」
殿や鶴寿丸様の叱咤する声が聞こえてきた。退却する尼子兵たちを追っているのだろう。だが尼子の本陣は近くなっている。ここでどこまで敵を減らせるか。
一つの塊のように駆け出していく毛利軍の中を儂は取り残されていった。だがこちらに向かってくる一団がある。鶴寿丸様だった。
「次郎三!ああ良かった。しっかり生き残ってくれたな。怪我はしてないか?」
「死ぬかと思いましたぞ」
「俺も見ていて冷や冷やした。式部少輔誠久、尼子家の人間とは思えぬ戦狂いだな。戦いながら笑ってやがったぞ。次郎三は馬には乗れるか?」
「何とか乗れまする」
預けていた愛馬が引かれてやってきた。助かった。歩くのも辛かったのだ。鐙に足を掛けて身体を持ち上げる。鞍に座ったことでようやく一心地付けたような気がした。辺りはだいぶ薄暗くなっている。
「ぼろぼろだな」
「ぼろぼろですな」
「だが勝ちだな。次郎三のおかげだ」
「勝ちましたな。あ奴とは二度と戦いたくありませぬ」
見ると鶴寿丸様が拳を差し出してきた。これはなんだろう?
「次郎三も俺の拳に合わせろ。やったな!と気持ちを込めてな」
よくは分からぬが言われた通りに拳を差し出して鶴寿丸様の拳にトンと合わせた。意味は分からぬが何か嬉しかった。鶴寿丸様も嬉しそうに笑った。勝ったのだと改めて思った。




